石破茂の経歴・学歴と生い立ち|銀行員から防衛相、自民党総裁・内閣総理大臣まで

石破茂
ひと目でわかるプロフィール 石破茂
いしば しげる
出身地
東京都千代田区
初当選
1986年(第38回衆議院議員総選挙)
最終学歴
慶應義塾大学法学部法律学科卒業
主な前職
会社員
政界入り
民間企業から
生年月日 1957年2月4日
血液型 B型

石破茂氏は、防衛、農林水産、地方創生など幅広い分野で閣僚・党要職を経験し、2024年には5度目の挑戦で自由民主党総裁となり、内閣総理大臣に就任した政治家です。

その政治人生は、鳥取で過ごした少年時代、慶應義塾での学び、三井銀行員としての社会人生活を経て始まりました。自民党離党と復党、4度の総裁選敗北を経験しながら、首相就任まで歩みを重ねました。

石破茂氏を理解する3つのポイント
  1. 東京で生まれ、鳥取県知事だった父・石破二朗氏のもと鳥取で育ち、15歳から慶應義塾高等学校へ進んだ。
  2. 三井銀行員、田中派の木曜クラブ事務局員を経て29歳で衆議院議員に初当選し、防衛・農政・地方創生を主要分野としてきた。
  3. 自民党総裁選に5度挑戦し、2024年に第28代総裁、第102代・第103代内閣総理大臣となった。

石破茂の生い立ち|東京で生まれ、鳥取の知事公邸で育った少年時代

石破茂氏は1957年2月4日、東京都千代田区で生まれました。父は建設事務次官を務めていた石破二朗氏、母・和子氏は国語教師の経験を持つ人物です。

翌1958年、父・二朗氏が鳥取県知事に就任したため、一家は鳥取へ移ります。本人は東京で暮らしたころの記憶はほとんどなく、中学校を卒業するまで鳥取県八頭郡で過ごしました。

鳥取大学の附属小学校・中学校に通い、知事の息子という環境で育ちました。ただ、幼いころは父親の仕事を十分に理解できず、周囲の大人たちが父に頭を下げている姿を見ても「何をしている人なのか分からなかった」と後年振り返っています。

本人が鳥取での日々を語るときに出てくるのは、政治家一家という肩書きよりも、地方で暮らした子どもとしての記憶です。

自分が小、中学校を鳥取で過ごしていたときは、本当にわくわくするほど楽しかった。

出典:週プレNEWS「石破 茂が語りかけた47都道府県メッセージ」(2018年10月15日)

「東京生まれ、鳥取育ち」という二つの地域との関わりは、後に地方創生を政治の主要テーマにしていく石破氏の人生背景の一つでもあります。

石破茂の学歴|15歳で東京へ 慶應義塾高校から法律の世界へ

学歴一覧石破茂の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校鳥取大学教育学部附属小学校―――
中学校鳥取大学教育学部附属中学校―――
高校慶應義塾高等学校―75(2026年度版)―
大学慶應義塾大学法学部法律学科65.0〜67.5(法学部・2027年度)卒業

※偏差値・難易度は石破氏の在学当時ではなく現在の目安です。

1972年、中学校卒業後に鳥取を離れ、慶應義塾高等学校へ進学しました。15歳で東京へ出て、親元を離れた生活が始まります。

本人によると、得意科目と不得意科目の差はかなり大きく、現代国語や古文、漢文では学年トップになることがある一方、数学は苦手でした。理系へ進むことは考えず、高校時代は大学で何を学ぶかを探す期間になりました。

慶應高校の3年間は「大学で何を勉強しようかな」と考える期間だったような気がします。

出典:慶應義塾「慶應義塾での学びと 戦後80年──無知を知ること」(2026年1月6日)

進路を決めたのは高校3年の夏でした。鳥取へ帰省した際、書店で司法試験の受験雑誌を手に取り、法律の問題と解答案を読んだことで法律学に興味を持ちます。

慶應義塾大学法学部法律学科へ進学すると、3・4年次には新田敏教授のゼミに所属しました。毎週のように法律学のレポートを書き、論点、学説、自分の結論を組み立てる訓練を受けたと振り返っています。

1979年3月、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しました。

石破茂の経歴|三井銀行員から田中角栄の木曜クラブへ

人生年表
1957年2月4日
東京都千代田区で生まれる
父・二朗、母・和子の長男
1958年
鳥取県へ移る
父・二朗の鳥取県知事就任に伴う
1972年
慶應義塾高等学校へ進学
15歳で東京へ
1979年3月
慶應義塾大学法学部法律学科を卒業
1979年4月
株式会社三井銀行へ入行
日本橋などで銀行員として勤務
1983年1月
株式会社三井銀行を退行
1983年
木曜クラブ事務局員となる
田中角栄派の事務局で政治の現場を経験
1986年7月
第38回衆議院議員総選挙で初当選
鳥取県全県区、29歳
1993年7月
無所属で第40回衆議院議員総選挙に当選
自民党公認を得ず出馬
1993年12月
自由民主党を離党
1996年10月
無所属で鳥取県第1区から当選
小選挙区比例代表並立制導入後初の総選挙
1997年
自由民主党へ復党
2002年9月
防衛庁長官に就任
初入閣
2007年9月
防衛大臣に就任
2008年9月
農林水産大臣に就任
2009年9月
自由民主党政務調査会長に就任
2012年9月
自由民主党幹事長に就任
同年の総裁選では決選投票で敗れる
2014年9月
地方創生担当大臣に就任
2024年9月27日
自由民主党総裁に選出
5度目の総裁選挑戦で第28代総裁
2024年10月1日
第102代内閣総理大臣に就任
2024年11月11日
第103代内閣総理大臣に選出
衆院選後の特別国会
2025年9月7日
自由民主党総裁辞任を表明
参院選敗北と日米関税交渉の区切りを受けて決断
2025年10月21日
内閣総理大臣を退任
石破内閣が総辞職
2026年2月8日
第51回衆議院議員総選挙で14選
鳥取県第1区

大学卒業後の1979年4月、株式会社三井銀行に入行しました。日本橋周辺を自転車で回りながら顧客を訪ねる銀行員生活を送り、政治とは別の道を歩み始めます。

転機となったのは1981年でした。父・二朗氏が亡くなり、父と親交のあった元首相・田中角栄氏から政治家になるよう勧められます。

1983年1月に三井銀行を退行し、田中派の政治団体「木曜クラブ」の事務局へ入りました。

木曜クラブの事務所があった砂防会館では、全国の衆参選挙区や候補者を把握する作業から選挙対応まで担当しました。本人は後年、1983年3月から1984年8月まで約1年半勤務し、泊まり込みに近い状態で仕事をした時期もあったと説明しています。

銀行員からいきなり候補者になったわけではなく、派閥事務局で国会議員や選挙の現場を間近に見てから、自らの立候補へ進みました。

1986年、29歳で衆議院議員へ初当選

1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から自由民主党公認で初出馬しました。当時の鳥取県全県区は定数4の中選挙区で、自民党からも複数の候補者が立つ選挙です。

石破氏は56,534票を獲得して4位に入り、29歳で衆議院議員に初当選しました。当時は全国最年少の衆議院議員でした。

後年、政治家として何を重視してきたのかを尋ねられた際には、渡辺美智雄氏から教わった言葉を自らの政治姿勢として挙げています。

勇気と真心を持って真実を語る、それが仕事だ

出典:ABEMA TIMES「『権力・圧力は恐れない』、でもネットと若者文化に苦手意識?石破茂氏の“自己評価”」(2018年9月5日)

1990年の第39回衆院選では82,169票で1位当選し、2期目へ進みました。1992年には宮澤改造内閣で農林水産政務次官となり、後に大臣を務める農政分野で政府の仕事を経験します。

政治改革をめぐる無所属出馬、自民党離党と復党

1990年代前半、政治改革をめぐって自民党内の対立が深まります。石破氏は選挙制度改革を進める立場を取り、宮澤内閣への不信任決議案にも賛成しました。

1993年7月の第40回衆院選では自民党の公認を得ず、無所属で立候補します。それでも137,025票を獲得し、鳥取県全県区で1位当選しました。

1993年衆院選では自民党公認を得ず無所属で立候補し、その後、同年12月に自民党を離党しました。選挙時の党派と離党時期は分けて扱う必要があります。

離党後は新生党へ入り、その後、新進党に参加しました。しかし、政策を軸に政治を変えることを期待していたものの、本人が望んだ方向とは異なる党運営だったと後年述べています。

1996年の第41回衆院選を前に新進党を離れ、今度は新設された鳥取県第1区から無所属で出馬。94,147票を獲得して当選しました。

1997年には自由民主党へ復党。以後、再び自民党を政治活動の基盤とし、防衛、農林水産、地方創生などの政策分野で役職を重ねていきます。

石破茂の選挙歴|初当選からこれまでの選挙結果

選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第38回衆議院議員総選挙
定数:4 比例復活:該当なし
初出馬・初当選。当時29歳
鳥取県 全県区 自由民主党 当選 56,534票 4位
第39回衆議院議員総選挙
定数:4 比例復活:該当なし
2選
鳥取県 全県区 自由民主党 当選 82,169票 1位
第40回衆議院議員総選挙
定数:4 比例復活:該当なし
自民党公認を得ず無所属で出馬。同年12月に自由民主党を離党
鳥取県 全県区 無所属 当選 137,025票 1位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区比例代表並立制導入後初の総選挙
鳥取県 第1区 無所属 当選 94,147票 1位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
5選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 91,163票 1位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
6選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 114,283票 1位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
7選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 106,805票 1位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
8選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 118,121票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
9選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 124,746票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
10選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 93,105票 1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
11選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 106,425票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
12選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 105,441票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
内閣総理大臣・自民党総裁として13選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 106,670票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
内閣総理大臣退任後、14選
鳥取県 第1区 自由民主党 当選 66,146票 1位

防衛庁長官、防衛相、農水相へ 政策通として閣僚を歴任

復党後は国会の委員長や政府役職を経験し、2000年に農林水産総括政務次官、同年12月に防衛総括政務次官、2001年1月に防衛庁副長官となりました。

2002年9月、小泉純一郎内閣で防衛庁長官として初入閣します。安全保障は石破氏が長年取り組んできた分野で、防衛庁長官を約2年間務めました。

2007年9月には福田康夫内閣の防衛大臣に就任。翌2008年9月には麻生太郎内閣で農林水産大臣となり、防衛とは異なる農政・食料政策を担当しました。

2009年の衆院選で自民党が政権を失うと、同年9月に党政務調査会長へ就任。野党となった自民党で政策づくりを担いました。

石破茂氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで一段深く確認できます。代表的な発言は最初から表示し、関連する発言があるテーマだけ追加で開ける構成です。

地方創生

サイバー安全保障

賃上げと家計負担

※ 内容の要点は会議録をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各「国会会議録で発言全文を見る」から確認できます。

2008年から4度敗れた自民党総裁選

石破氏が初めて自民党総裁選に立候補したのは2008年です。麻生太郎氏、与謝野馨氏、小池百合子氏、石原伸晃氏と争い、25票で5位となりました。

2度目は2012年。第1回投票では199票を獲得し、141票の安倍晋三氏を上回って首位に立ちました。党員算定票では165票を集めています。

しかし、国会議員だけで行われた決選投票では安倍氏108票、石破氏89票となり逆転されました。総裁就任には届かなかったものの、その直後に自民党幹事長へ就任します。

2018年の総裁選では安倍氏553票に対し石破氏254票。2020年には菅義偉氏、岸田文雄氏との3人で争い、68票で敗れました。

2008年、2012年、2018年、2020年と、総裁選への挑戦は4回続けて届かない結果となります。

幹事長と地方創生担当相 地方を政策の中心に置く

2012年9月に幹事長となった後、同年12月の衆院選で自民党は政権へ復帰しました。石破氏は2014年9月まで幹事長を務め、党運営と全国の選挙を担います。

2014年9月には、安倍改造内閣で初代の地方創生担当大臣に就任しました。人口減少、東京一極集中、地方産業の維持といった課題を担当し、地方創生推進交付金や地域の人材づくりなどに取り組みます。

大臣退任後も地方政策を継続的に発信し、2018年の総裁選では47都道府県それぞれに向けた政策メッセージを公開しました。

地方創生は一度の閣僚経験で終わらず、その後の総裁選、さらに首相就任後まで続く政策の柱になりました。

2024年、5度目の総裁選で勝利 第102代内閣総理大臣へ

2024年、岸田文雄総裁の後任を選ぶ自民党総裁選には過去最多の9人が立候補しました。石破氏にとっては5度目の総裁選です。

9月27日の第1回投票では高市早苗氏181票、石破氏154票、小泉進次郎氏136票となり、石破氏は2位で決選投票へ進みました。

決選投票では石破氏215票、高市氏194票。5度目の挑戦で初めて自由民主党総裁に選出されました。

自民党が生まれ変わるように、もう一度国民の信頼を取り戻せるように決断した。

出典:自由民主党「総裁選 第28代総裁に石破茂氏を選出」(2024年9月27日)

10月1日の国会で首相指名を受け、第102代内閣総理大臣に就任しました。初出馬から38年、総裁選への初挑戦から16年を経ての首相就任でした。

衆院選で少数与党へ 第103代首相として続投

首相就任から間もない2024年10月に衆議院を解散し、10月27日に第50回衆院選が行われました。石破氏自身は鳥取1区で13回目の当選を果たします。

一方、自民・公明両党は衆議院の過半数を失いました。石破政権は少数与党として野党との政策協議を行いながら国会を運営することになります。

11月11日の特別国会では再び首相に指名され、第103代内閣総理大臣として第2次石破内閣を発足させました。

政権運営では、与党だけで法案や予算を成立させられない状況を背景に、「熟議」を掲げて他党との協議を重ねました。

石破政権で進めた6つの政策

石破内閣は「ルールを守る」「日本を守る」「国民を守る」「地方を守る」「若者・女性の機会を守る」などを掲げました。石破氏が長年取り組んできた政策と、首相在任中に政府として進めた施策には重なる部分もありますが、両者は区別して捉える必要があります。

地方創生2.0と「令和の日本列島改造」

首相就任後、2014年から取り組んできた地方創生を「地方創生2.0」として再起動しました。2025年には「令和の日本列島改造」と位置付け、東京一極集中を見直し、地方の雇用・所得、若者や女性が選ぶ地域づくりなどを打ち出します。

地方こそ成長の主役です。

出典:首相官邸「第214回国会における石破内閣総理大臣所信表明演説」(2024年10月4日)

総裁選中にも、地方政策について本人が公式YouTubeで詳しく説明しています。

安全保障と外交

防衛庁長官、防衛大臣を経験してきた石破氏にとって、安全保障は長年の専門分野です。首相在任中は防衛力強化を継続するとともに、日米同盟、同志国との連携、首脳外交を進めました。

2025年には韓国の李在明大統領とも会談を重ね、日韓関係や地域の安全保障について協議しています。

防災庁設置へ向けた体制強化

災害対応では、能登半島地震と豪雨への復旧・復興を進める一方、平時から国の防災施策を主導する「防災庁」の設置を打ち出しました。

2025年度には内閣府防災担当の人員と予算を前年度から大幅に増やし、2026年度中の防災庁設置へ向けた準備を進めました。石破内閣の在任中に防災庁が完成したわけではなく、設置へ向けた制度・組織整備を進めた段階です。

賃上げと「成長型経済」

経済政策では「賃上げこそが成長戦略の要」と位置付け、物価上昇を上回る賃金上昇、中小企業の価格転嫁や生産性向上、国内投資の拡大を掲げました。

2025年の春闘では高い賃上げ率が続きましたが、賃上げは企業、労働組合、経済環境など複数の要因によるものであり、政権の政策だけを直接の原因として扱うものではありません。政府は中小企業・小規模事業者の賃上げ環境整備を重点施策としました。

農林水産業と食料安全保障

農林水産大臣経験を持つ石破氏は、農林水産業を地方産業だけでなく食料安全保障の問題として位置付けてきました。

石破内閣では新しい食料・農業・農村基本計画を進め、生産基盤の維持、農業の生産性向上、スマート農業、輸出促進などを政策に盛り込みました。2025年のコメ価格高騰時には備蓄米の放出方法も見直されています。

政治改革と政治資金の透明化

自民党総裁就任時から、政治資金問題によって失われた信頼の回復を政権課題に掲げました。

2024年末には、政策活動費の廃止、いわゆる旧文通費の使途公開と残金返納、政治資金を監視する第三者機関の設置などに関する政治改革法が成立しました。

ただし石破氏自身も退任時、政治とカネをめぐる国民の不信を払拭できなかったことを「最大の心残り」と述べており、制度改正の成立と政治への信頼回復は分けて見る必要があります。

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2025年参院選で与党過半数割れ 総裁辞任を決断

2025年7月20日の第27回参議院議員通常選挙で、自民党は改選52議席から39議席へ減少しました。公明党と合わせても、参議院での与党過半数を維持できませんでした。

前年の衆院選に続き、衆参両院で与党が過半数を持たない状態になります。石破氏は選挙直後には首相・総裁を続け、米国の関税措置への対応などを優先しました。

日米関税交渉で了解覚書への署名と米大統領令の発出が行われ、一つの区切りがついたと判断した2025年9月7日、自由民主党総裁を辞任する意向を表明します。

選挙の責任は最終的に総裁たる私が負わねばならない

出典:首相官邸「石破内閣総理大臣記者会見」(2025年9月7日)

10月4日の自民党総裁選で高市早苗氏が後継総裁に選出され、10月21日に石破内閣は総辞職しました。石破氏の首相在職期間は、第102代と第103代を合わせて386日でした。

2026年衆院選で14選 前首相として鳥取1区へ

首相退任後も衆議院議員として政治活動を続けました。2026年2月8日の第51回衆院選では鳥取県第1区から自由民主党公認で立候補します。

66,146票を獲得して当選し、衆議院議員として14回目の議席を得ました。

2026年8月時点では、自由民主党所属の鳥取県第1区選出衆議院議員として14期目を務めています。首相・自民党総裁という役職からは離れましたが、地元鳥取での活動と国政を続けています。

8月には鳥取市国府町で親子向けの催しに参加するなど、前首相となった後も地元での発信を継続しています。

石破茂の政治人生の転機|政治キャリアを動かした主な節目

政治人生の転機
01
1981年~1986年
父の死から銀行員を辞め、政界へ
父・石破二朗氏の死後、田中角栄氏から政界入りを勧められ、三井銀行を退行。木曜クラブ事務局員を経て1986年に初当選した。
なぜ転機なのか 銀行員として歩んでいた人生から政治の世界へ進み、29歳で国会議員となったため。
02
1993年~1997年
無所属出馬、自民党離党と復党
政治改革をめぐって自民党公認を得ず1993年衆院選へ無所属で出馬。その後離党し、新生党・新進党を経て再び無所属で当選した後、自民党へ復党した。
なぜ転機なのか 所属政党を離れて自らの政治路線を模索し、最終的に再び自民党を政治活動の基盤とすることを選んだため。
03
2024年9月~10月
5度目の総裁選で勝利し内閣総理大臣へ
2008年から挑戦を続けてきた自民党総裁選で5度目にして初勝利し、第28代総裁、第102代内閣総理大臣となった。
なぜ転機なのか 長年総裁候補とされながら4度敗れてきた立場から、政権を率いる立場へ変わったため。
04
2025年9月~2026年2月
首相退任後、鳥取1区で14選
2025年9月に自民党総裁辞任を表明し、10月に首相を退任。2026年2月の衆院選では鳥取1区から14回目の当選を果たした。
なぜ転機なのか 党総裁・首相としての期間を終えた後も、地元選出の衆議院議員として政治活動を継続する立場となったため。

石破茂氏の現在情報

2026年9月27日 時点
現在の公職 衆議院議員
現在の所属 自由民主党
選挙区・選出地域 鳥取1区
現在の期・任期 衆議院議員14期目

2026年9月27日時点で鳥取1区選出の衆議院議員。首相退任後も自由民主党所属の国会議員として活動している。

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著者:石破 茂 / 出版社:新潮社 / 発売日:2024年12月18日頃
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保守政治家 わが政策、わが天命
書籍
保守政治家 わが政策、わが天命
著者:石破 茂/倉重 篤郎 / 出版社:講談社 / 発売日:2024年08月07日頃

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参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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