石破茂氏は、防衛、農林水産、地方創生など幅広い分野で閣僚・党要職を経験し、2024年には5度目の挑戦で自由民主党総裁となり、内閣総理大臣に就任した政治家です。
その政治人生は、鳥取で過ごした少年時代、慶應義塾での学び、三井銀行員としての社会人生活を経て始まりました。自民党離党と復党、4度の総裁選敗北を経験しながら、首相就任まで歩みを重ねました。
- 東京で生まれ、鳥取県知事だった父・石破二朗氏のもと鳥取で育ち、15歳から慶應義塾高等学校へ進んだ。
- 三井銀行員、田中派の木曜クラブ事務局員を経て29歳で衆議院議員に初当選し、防衛・農政・地方創生を主要分野としてきた。
- 自民党総裁選に5度挑戦し、2024年に第28代総裁、第102代・第103代内閣総理大臣となった。
石破茂の生い立ち|東京で生まれ、鳥取の知事公邸で育った少年時代
石破茂氏は1957年2月4日、東京都千代田区で生まれました。父は建設事務次官を務めていた石破二朗氏、母・和子氏は国語教師の経験を持つ人物です。
翌1958年、父・二朗氏が鳥取県知事に就任したため、一家は鳥取へ移ります。本人は東京で暮らしたころの記憶はほとんどなく、中学校を卒業するまで鳥取県八頭郡で過ごしました。
鳥取大学の附属小学校・中学校に通い、知事の息子という環境で育ちました。ただ、幼いころは父親の仕事を十分に理解できず、周囲の大人たちが父に頭を下げている姿を見ても「何をしている人なのか分からなかった」と後年振り返っています。
本人が鳥取での日々を語るときに出てくるのは、政治家一家という肩書きよりも、地方で暮らした子どもとしての記憶です。
自分が小、中学校を鳥取で過ごしていたときは、本当にわくわくするほど楽しかった。
出典:週プレNEWS「石破 茂が語りかけた47都道府県メッセージ」(2018年10月15日)
「東京生まれ、鳥取育ち」という二つの地域との関わりは、後に地方創生を政治の主要テーマにしていく石破氏の人生背景の一つでもあります。
石破茂の学歴|15歳で東京へ 慶應義塾高校から法律の世界へ
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 鳥取大学教育学部附属小学校 | ― | ― | ― |
| 中学校 | 鳥取大学教育学部附属中学校 | ― | ― | ― |
| 高校 | 慶應義塾高等学校 | ― | 75(2026年度版) | ― |
| 大学 | 慶應義塾大学 | 法学部法律学科 | 65.0〜67.5(法学部・2027年度) | 卒業 |
※偏差値・難易度は石破氏の在学当時ではなく現在の目安です。
1972年、中学校卒業後に鳥取を離れ、慶應義塾高等学校へ進学しました。15歳で東京へ出て、親元を離れた生活が始まります。
本人によると、得意科目と不得意科目の差はかなり大きく、現代国語や古文、漢文では学年トップになることがある一方、数学は苦手でした。理系へ進むことは考えず、高校時代は大学で何を学ぶかを探す期間になりました。
慶應高校の3年間は「大学で何を勉強しようかな」と考える期間だったような気がします。
出典:慶應義塾「慶應義塾での学びと 戦後80年──無知を知ること」(2026年1月6日)
進路を決めたのは高校3年の夏でした。鳥取へ帰省した際、書店で司法試験の受験雑誌を手に取り、法律の問題と解答案を読んだことで法律学に興味を持ちます。
慶應義塾大学法学部法律学科へ進学すると、3・4年次には新田敏教授のゼミに所属しました。毎週のように法律学のレポートを書き、論点、学説、自分の結論を組み立てる訓練を受けたと振り返っています。
1979年3月、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しました。
石破茂の経歴|三井銀行員から田中角栄の木曜クラブへ
大学卒業後の1979年4月、株式会社三井銀行に入行しました。日本橋周辺を自転車で回りながら顧客を訪ねる銀行員生活を送り、政治とは別の道を歩み始めます。
転機となったのは1981年でした。父・二朗氏が亡くなり、父と親交のあった元首相・田中角栄氏から政治家になるよう勧められます。
1983年1月に三井銀行を退行し、田中派の政治団体「木曜クラブ」の事務局へ入りました。
木曜クラブの事務所があった砂防会館では、全国の衆参選挙区や候補者を把握する作業から選挙対応まで担当しました。本人は後年、1983年3月から1984年8月まで約1年半勤務し、泊まり込みに近い状態で仕事をした時期もあったと説明しています。
銀行員からいきなり候補者になったわけではなく、派閥事務局で国会議員や選挙の現場を間近に見てから、自らの立候補へ進みました。
1986年、29歳で衆議院議員へ初当選
1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から自由民主党公認で初出馬しました。当時の鳥取県全県区は定数4の中選挙区で、自民党からも複数の候補者が立つ選挙です。
石破氏は56,534票を獲得して4位に入り、29歳で衆議院議員に初当選しました。当時は全国最年少の衆議院議員でした。
後年、政治家として何を重視してきたのかを尋ねられた際には、渡辺美智雄氏から教わった言葉を自らの政治姿勢として挙げています。
勇気と真心を持って真実を語る、それが仕事だ
出典:ABEMA TIMES「『権力・圧力は恐れない』、でもネットと若者文化に苦手意識?石破茂氏の“自己評価”」(2018年9月5日)
1990年の第39回衆院選では82,169票で1位当選し、2期目へ進みました。1992年には宮澤改造内閣で農林水産政務次官となり、後に大臣を務める農政分野で政府の仕事を経験します。
政治改革をめぐる無所属出馬、自民党離党と復党
1990年代前半、政治改革をめぐって自民党内の対立が深まります。石破氏は選挙制度改革を進める立場を取り、宮澤内閣への不信任決議案にも賛成しました。
1993年7月の第40回衆院選では自民党の公認を得ず、無所属で立候補します。それでも137,025票を獲得し、鳥取県全県区で1位当選しました。
1993年衆院選では自民党公認を得ず無所属で立候補し、その後、同年12月に自民党を離党しました。選挙時の党派と離党時期は分けて扱う必要があります。
離党後は新生党へ入り、その後、新進党に参加しました。しかし、政策を軸に政治を変えることを期待していたものの、本人が望んだ方向とは異なる党運営だったと後年述べています。
1996年の第41回衆院選を前に新進党を離れ、今度は新設された鳥取県第1区から無所属で出馬。94,147票を獲得して当選しました。
1997年には自由民主党へ復党。以後、再び自民党を政治活動の基盤とし、防衛、農林水産、地方創生などの政策分野で役職を重ねていきます。
石破茂の選挙歴|初当選からこれまでの選挙結果
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1986年 7月6日 | 第38回衆議院議員総選挙 初出馬・初当選。当時29歳 | 鳥取県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 56,534票 4位 |
| 1990年 2月18日 | 第39回衆議院議員総選挙 2選 | 鳥取県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 82,169票 1位 |
| 1993年 7月18日 | 第40回衆議院議員総選挙 自民党公認を得ず無所属で出馬。同年12月に自由民主党を離党 | 鳥取県 全県区 | 無所属 | 当選 | 137,025票 1位 |
| 1996年 10月20日 | 第41回衆議院議員総選挙 小選挙区比例代表並立制導入後初の総選挙 | 鳥取県 第1区 | 無所属 | 当選 | 94,147票 1位 |
| 2000年 6月25日 | 第42回衆議院議員総選挙 5選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 91,163票 1位 |
| 2003年 11月9日 | 第43回衆議院議員総選挙 6選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 114,283票 1位 |
| 2005年 9月11日 | 第44回衆議院議員総選挙 7選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 106,805票 1位 |
| 2009年 8月30日 | 第45回衆議院議員総選挙 8選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 118,121票 1位 |
| 2012年 12月16日 | 第46回衆議院議員総選挙 9選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 124,746票 1位 |
| 2014年 12月14日 | 第47回衆議院議員総選挙 10選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 93,105票 1位 |
| 2017年 10月22日 | 第48回衆議院議員総選挙 11選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 106,425票 1位 |
| 2021年 10月31日 | 第49回衆議院議員総選挙 12選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 105,441票 1位 |
| 2024年 10月27日 | 第50回衆議院議員総選挙 内閣総理大臣・自民党総裁として13選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 106,670票 1位 |
| 2026年 2月8日 | 第51回衆議院議員総選挙 内閣総理大臣退任後、14選 | 鳥取県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 66,146票 1位 |
防衛庁長官、防衛相、農水相へ 政策通として閣僚を歴任
復党後は国会の委員長や政府役職を経験し、2000年に農林水産総括政務次官、同年12月に防衛総括政務次官、2001年1月に防衛庁副長官となりました。
2002年9月、小泉純一郎内閣で防衛庁長官として初入閣します。安全保障は石破氏が長年取り組んできた分野で、防衛庁長官を約2年間務めました。
2007年9月には福田康夫内閣の防衛大臣に就任。翌2008年9月には麻生太郎内閣で農林水産大臣となり、防衛とは異なる農政・食料政策を担当しました。
2009年の衆院選で自民党が政権を失うと、同年9月に党政務調査会長へ就任。野党となった自民党で政策づくりを担いました。
石破茂氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで一段深く確認できます。代表的な発言は最初から表示し、関連する発言があるテーマだけ追加で開ける構成です。
地方創生
「経済の好循環を全国津々浦々まで届ける」
地方創生の目的について、地域の活力を取り戻し、安心して生活し子どもを育てられる環境づくりまで含めて説明しています。東京一極集中の是正も、地方だけでなく大都市圏の課題への対応として位置づけています。
サイバー安全保障
「我が国全体のサイバーセキュリティーの強化」
重要インフラなどへの重大なサイバー攻撃に備えるため、通信情報の利用、監督機関による審査、関係機関の連携などを含む制度整備の考え方を説明しています。
賃上げと家計負担
「物価上昇に負けない賃上げの実現」
可処分所得を増やすには、日本全体で賃金が上がる環境づくりが基本だと説明しています。同時に、賃上げの効果が表れるまでの物価高対策も進める考えを示しています。
※ 内容の要点は会議録をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各「国会会議録で発言全文を見る」から確認できます。
2008年から4度敗れた自民党総裁選
石破氏が初めて自民党総裁選に立候補したのは2008年です。麻生太郎氏、与謝野馨氏、小池百合子氏、石原伸晃氏と争い、25票で5位となりました。
2度目は2012年。第1回投票では199票を獲得し、141票の安倍晋三氏を上回って首位に立ちました。党員算定票では165票を集めています。
しかし、国会議員だけで行われた決選投票では安倍氏108票、石破氏89票となり逆転されました。総裁就任には届かなかったものの、その直後に自民党幹事長へ就任します。
2018年の総裁選では安倍氏553票に対し石破氏254票。2020年には菅義偉氏、岸田文雄氏との3人で争い、68票で敗れました。
2008年、2012年、2018年、2020年と、総裁選への挑戦は4回続けて届かない結果となります。
幹事長と地方創生担当相 地方を政策の中心に置く
2012年9月に幹事長となった後、同年12月の衆院選で自民党は政権へ復帰しました。石破氏は2014年9月まで幹事長を務め、党運営と全国の選挙を担います。
2014年9月には、安倍改造内閣で初代の地方創生担当大臣に就任しました。人口減少、東京一極集中、地方産業の維持といった課題を担当し、地方創生推進交付金や地域の人材づくりなどに取り組みます。
大臣退任後も地方政策を継続的に発信し、2018年の総裁選では47都道府県それぞれに向けた政策メッセージを公開しました。
地方創生は一度の閣僚経験で終わらず、その後の総裁選、さらに首相就任後まで続く政策の柱になりました。
2024年、5度目の総裁選で勝利 第102代内閣総理大臣へ
2024年、岸田文雄総裁の後任を選ぶ自民党総裁選には過去最多の9人が立候補しました。石破氏にとっては5度目の総裁選です。
9月27日の第1回投票では高市早苗氏181票、石破氏154票、小泉進次郎氏136票となり、石破氏は2位で決選投票へ進みました。
決選投票では石破氏215票、高市氏194票。5度目の挑戦で初めて自由民主党総裁に選出されました。
自民党が生まれ変わるように、もう一度国民の信頼を取り戻せるように決断した。
出典:自由民主党「総裁選 第28代総裁に石破茂氏を選出」(2024年9月27日)
10月1日の国会で首相指名を受け、第102代内閣総理大臣に就任しました。初出馬から38年、総裁選への初挑戦から16年を経ての首相就任でした。
衆院選で少数与党へ 第103代首相として続投
首相就任から間もない2024年10月に衆議院を解散し、10月27日に第50回衆院選が行われました。石破氏自身は鳥取1区で13回目の当選を果たします。
一方、自民・公明両党は衆議院の過半数を失いました。石破政権は少数与党として野党との政策協議を行いながら国会を運営することになります。
11月11日の特別国会では再び首相に指名され、第103代内閣総理大臣として第2次石破内閣を発足させました。
政権運営では、与党だけで法案や予算を成立させられない状況を背景に、「熟議」を掲げて他党との協議を重ねました。
石破政権で進めた6つの政策
石破内閣は「ルールを守る」「日本を守る」「国民を守る」「地方を守る」「若者・女性の機会を守る」などを掲げました。石破氏が長年取り組んできた政策と、首相在任中に政府として進めた施策には重なる部分もありますが、両者は区別して捉える必要があります。
地方創生2.0と「令和の日本列島改造」
首相就任後、2014年から取り組んできた地方創生を「地方創生2.0」として再起動しました。2025年には「令和の日本列島改造」と位置付け、東京一極集中を見直し、地方の雇用・所得、若者や女性が選ぶ地域づくりなどを打ち出します。
地方こそ成長の主役です。
出典:首相官邸「第214回国会における石破内閣総理大臣所信表明演説」(2024年10月4日)
総裁選中にも、地方政策について本人が公式YouTubeで詳しく説明しています。
安全保障と外交
防衛庁長官、防衛大臣を経験してきた石破氏にとって、安全保障は長年の専門分野です。首相在任中は防衛力強化を継続するとともに、日米同盟、同志国との連携、首脳外交を進めました。
2025年には韓国の李在明大統領とも会談を重ね、日韓関係や地域の安全保障について協議しています。
防災庁設置へ向けた体制強化
災害対応では、能登半島地震と豪雨への復旧・復興を進める一方、平時から国の防災施策を主導する「防災庁」の設置を打ち出しました。
2025年度には内閣府防災担当の人員と予算を前年度から大幅に増やし、2026年度中の防災庁設置へ向けた準備を進めました。石破内閣の在任中に防災庁が完成したわけではなく、設置へ向けた制度・組織整備を進めた段階です。
賃上げと「成長型経済」
経済政策では「賃上げこそが成長戦略の要」と位置付け、物価上昇を上回る賃金上昇、中小企業の価格転嫁や生産性向上、国内投資の拡大を掲げました。
2025年の春闘では高い賃上げ率が続きましたが、賃上げは企業、労働組合、経済環境など複数の要因によるものであり、政権の政策だけを直接の原因として扱うものではありません。政府は中小企業・小規模事業者の賃上げ環境整備を重点施策としました。
農林水産業と食料安全保障
農林水産大臣経験を持つ石破氏は、農林水産業を地方産業だけでなく食料安全保障の問題として位置付けてきました。
石破内閣では新しい食料・農業・農村基本計画を進め、生産基盤の維持、農業の生産性向上、スマート農業、輸出促進などを政策に盛り込みました。2025年のコメ価格高騰時には備蓄米の放出方法も見直されています。
政治改革と政治資金の透明化
自民党総裁就任時から、政治資金問題によって失われた信頼の回復を政権課題に掲げました。
2024年末には、政策活動費の廃止、いわゆる旧文通費の使途公開と残金返納、政治資金を監視する第三者機関の設置などに関する政治改革法が成立しました。
ただし石破氏自身も退任時、政治とカネをめぐる国民の不信を払拭できなかったことを「最大の心残り」と述べており、制度改正の成立と政治への信頼回復は分けて見る必要があります。
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2025年7月20日の第27回参議院議員通常選挙で、自民党は改選52議席から39議席へ減少しました。公明党と合わせても、参議院での与党過半数を維持できませんでした。
前年の衆院選に続き、衆参両院で与党が過半数を持たない状態になります。石破氏は選挙直後には首相・総裁を続け、米国の関税措置への対応などを優先しました。
日米関税交渉で了解覚書への署名と米大統領令の発出が行われ、一つの区切りがついたと判断した2025年9月7日、自由民主党総裁を辞任する意向を表明します。
選挙の責任は最終的に総裁たる私が負わねばならない
出典:首相官邸「石破内閣総理大臣記者会見」(2025年9月7日)
10月4日の自民党総裁選で高市早苗氏が後継総裁に選出され、10月21日に石破内閣は総辞職しました。石破氏の首相在職期間は、第102代と第103代を合わせて386日でした。
2026年衆院選で14選 前首相として鳥取1区へ
首相退任後も衆議院議員として政治活動を続けました。2026年2月8日の第51回衆院選では鳥取県第1区から自由民主党公認で立候補します。
66,146票を獲得して当選し、衆議院議員として14回目の議席を得ました。
2026年8月時点では、自由民主党所属の鳥取県第1区選出衆議院議員として14期目を務めています。首相・自民党総裁という役職からは離れましたが、地元鳥取での活動と国政を続けています。
8月には鳥取市国府町で親子向けの催しに参加するなど、前首相となった後も地元での発信を継続しています。
石破茂の政治人生の転機|政治キャリアを動かした主な節目
石破茂氏の現在情報
2026年9月27日時点で鳥取1区選出の衆議院議員。首相退任後も自由民主党所属の国会議員として活動している。
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- 衆議院議員在職、鳥取県第1区、当選14回、生年月日、首相・閣僚・党役職経験を確認
- 学歴、三井銀行勤務、初当選、防衛庁長官、防衛相、農水相、幹事長、地方創生担当相、首相歴を確認
- 生年月日、鳥取県との関係、学歴、職歴、政府・党役職歴を確認
- 第102代・第103代内閣総理大臣としての在職と2025年10月21日の退任を確認
- 慶應義塾高等学校時代、大学進学、法律学科とゼミでの学びを確認
- 2024年9月27日の自民党総裁選結果と第28代総裁選出を確認
- 過去の自民党総裁選への立候補と2024年の総裁選勝利を確認
- 2025年9月7日の自由民主党総裁辞任表明とその理由を確認
- 第38回から第50回までの選挙区、党派、得票数、当落を確認
- 2026年2月8日の鳥取県第1区での14回目の当選と得票数を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月27日 国会会議録などの一次情報を追加し、現況情報・本文構成を再確認
- 2026年9月21日 国会会議録をもとに、地方創生・サイバー安全保障・賃上げと家計負担に関する本人発言をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加。
- 2026年8月23日 記事を新規作成。現況情報を確認














