田村憲久の経歴・学歴と生い立ち|会社員・田村元秘書から衆議院11期、厚生労働大臣2回へ

ひと目でわかるプロフィール 田村憲久
たむら のりひさ
出身地
三重県松阪市
初当選
1996年(第41回衆議院議員総選挙)
最終学歴
千葉大学法経学部卒業
主な前職
会社員、国会議員秘書
生年月日 1964年12月15日

田村憲久氏は、会社員と国会議員秘書を経て1996年に衆議院議員へ初当選し、厚生労働大臣を2度務めた政治家です。

医療、介護、年金、雇用、子育てなど社会保障分野に長く関わり、自民党では社会保障制度調査会長や政務調査会長代理などを歴任してきました。

2026年2月の第51回衆議院議員総選挙で三重1区から当選し、衆議院議員11期目。現在は自民党政務調査会長代行を務め、社会保障制度改革、予防医療、こどもの貧困、ケアラー支援などにも取り組んでいます。

田村憲久氏を理解する3つのポイント
  1. 三重県松阪市で育ち、千葉大学卒業後は日本土建で会社員を経験。その後、伯父・田村元氏の秘書を務めた。
  2. 1996年に衆議院議員へ初当選し、2009年の比例復活を含めて連続11回当選。厚生労働大臣を2度務めた。
  3. 2026年現在は自民党政務調査会長代行。社会保障制度改革、攻めの予防医療、こどもの貧困対策、ケアラー支援などを進めている。

田村憲久の生い立ち|三重県松阪市に生まれ、政治家一族の身近で育つ

田村憲久氏は1964年12月15日、三重県松阪市生まれです。

地元の松阪市立幸小学校を卒業し、その後は私立高田中学校、三重県立松阪高等学校へ進みました。大学進学で千葉県へ移るまでは、三重県で学校生活を送っています。

家族には政治との深い縁があります。伯父の田村元氏は、労働大臣、運輸大臣、通商産業大臣、衆議院議長などを歴任した政治家です。

ただし、田村憲久氏自身は大学卒業後すぐに政治家になったわけではありません。まず民間企業で働き、その後に伯父の秘書となることで政治実務を身近で学んでいきました。

妻は圭子さん|選挙では地元活動を支える

妻は圭子さんです。田村氏が国会日程や他候補の応援で地元へ戻れないときには、妻が街宣活動に加わることもあります。

2026年2月の衆院選でも、田村氏がNHK「日曜討論」へ急きょ出演した際、地元では圭子さんが代わって有権者へ訴えました。

田村氏の公式動画では、夫婦関係や家庭でのエピソードを本人が語る企画も公開されています。長い政治生活の一方で、家族との関係を隠さず発信している点も人物像の一つです。

田村憲久の学歴|松阪高校から千葉大学法経学部へ

学歴一覧田村憲久の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校松阪市立幸小学校――三重県松阪市
中学校私立高田中学校―中学受験のため高校偏差値と単純比較しない三重県津市
高校三重県立松阪高等学校普通科56〜65(2026年度版)三重県松阪市
大学千葉大学法経学部60.0(現・法政経学部、2027年度参考)1987年卒業

※偏差値・難易度は田村氏の在学当時ではなく現在の目安です。千葉大学の法経学部は現在の法政経学部に対応するため、現行学部の2027年度入試難易度を参考として掲載しています。

田村氏は松阪市立幸小学校から私立高田中学校へ進み、三重県立松阪高等学校普通科を卒業しました。

その後、千葉大学法経学部へ進学。現在の千葉大学では法政経学部として、法学・政治学・経済学などを横断して学ぶ体制になっています。

田村氏は大学卒業後に民間企業へ進んでおり、学生時代から直ちに政界入りへ直結したわけではありません。

田村憲久の経歴|会社員から田村元氏の秘書、衆議院議員へ

1987年、日本土建へ入社

1987年、千葉大学卒業後に日本土建へ入社しました。建設会社で会社員として働き、社会人としてのキャリアを始めています。

政治家一族の出身でありながら、一度は民間企業へ進んだ経験は、その後の雇用政策や企業活動への視点にもつながっています。

1994年、伯父・田村元氏の秘書へ

1994年から伯父・田村元氏の秘書を務めました。

田村元氏は衆議院議長や通商産業大臣などを歴任した有力政治家です。田村憲久氏は秘書として選挙区活動、国会、政策形成など政治の実務を学び、2年後に自ら衆院選へ挑戦します。

1996年、31歳で衆議院議員へ初当選

1996年10月の第41回衆議院議員総選挙で初当選しました。

当時の三重4区で78,383票を獲得し、野呂昭彦氏らを上回って31歳で国政へ進みます。

2000年の第42回衆院選では97,276票、2003年は94,379票、2005年は91,832票を獲得し、小選挙区で当選を重ねました。

厚生労働大臣政務官、文部科学大臣政務官、総務副大臣を歴任

2002年1月に厚生労働大臣政務官へ就任し、2003年9月には文部科学大臣政務官を務めました。

2006年9月には総務副大臣へ就任。国政の初期から、厚生労働、教育、地方行政、情報通信など複数分野で政府の政務三役を経験しています。

2009年衆院選は小選挙区で敗れるも比例復活

2009年の第45回衆議院議員総選挙では三重4区で84,583票を獲得しましたが、小選挙区では2位でした。

民主党候補に敗れたものの、比例東海ブロックで復活当選し、議席を維持しています。田村氏の11回の当選のうち、小選挙区で敗れて比例復活となったのはこの選挙です。

2012年、第2次安倍内閣で厚生労働大臣へ

2012年12月、第2次安倍内閣で厚生労働大臣に就任しました。

医療、介護、年金、雇用、子育てなど、生活に直結する巨大な行政分野を担当します。大臣在任中には、社会保障制度改革や医療・介護制度、雇用政策など幅広い課題に向き合いました。

田村氏はその後も自民党厚生労働部会長、社会保障制度調査会長などを務め、厚生労働分野を党側からも長く担います。

2013年の社会保障改革|医療・介護・少子化対策を同時に進める

1度目の厚生労働大臣在任中には、社会保障制度改革国民会議の報告を受けて、医療、介護、少子化対策、医療保険などを横断する改革工程づくりが進みました。

高齢化で給付費が増える一方、現役世代の負担も重くなる中で、制度を将来まで維持するには「どこか一つだけ」を変えても解決しません。病院と在宅医療の役割、介護サービス、保険制度、子育て支援を一体で組み直す必要がありました。

「社会保障制度の安定性に向かってしっかりとした体制が組めるように」

出典:厚生労働省・田村厚生労働大臣会見 2013年10月15日

この時期には、社会保障改革のプログラム法案、生活困窮者自立支援法案、医療・介護提供体制の見直しなどが議論されました。田村氏が後に社会保障制度調査会長として制度改革へ関わり続ける土台は、1度目の大臣時代にさらに強くなっています。

2020年、菅内閣で2度目の厚生労働大臣

2020年9月、菅義偉内閣で再び厚生労働大臣に就任しました。働き方改革担当大臣も兼務しています。

この時期は新型コロナウイルス感染症への対応が続いており、ワクチン、医療提供体制、感染症対策、雇用支援など難しい政策判断が重なりました。

1度目の厚労相が社会保障制度改革を大きく進める時期だったのに対し、2度目は感染症危機の中で医療提供体制を守る役割が強く求められました。

新型コロナワクチンと医療提供体制を担当

2度目の厚労相在任中には、新型コロナワクチン接種の制度づくりも大きな課題になりました。2020年11月の国会では、予防接種法の改正について、接種の実施方法、健康被害が生じた場合の救済、ワクチン確保のための制度などを説明しています。

ワクチンは確保するだけでなく、自治体へ配送し、接種会場を設け、医療従事者を確保し、副反応への救済制度まで整えなければ全国接種につながりません。

また、感染拡大時には病床確保、検査、保健所業務、雇用調整助成金など、医療と雇用の問題が同時に発生しました。医療制度だけではなく、働く人の生活まで厚生労働行政として一体で扱ったことが2度目の大臣時代の特徴です。

感染症危機を経験したことは、2026年に進める予防医療や医療提供体制の改革にもつながっています。病気が重症化してから対応するのではなく、データや検診を使って早い段階でリスクを抑えるという発想へ政策の重点が広がっています。

2021年9期目、2024年10期目、2026年11期目へ

2021年の第49回衆院選では122,772票、2024年の第50回衆院選では107,926票を獲得し、三重1区で当選しました。

2026年2月8日の第51回衆院選では124,762票、得票率66.3%で当選。衆議院議員11期目に入りました。

1996年の初当選から2026年まで、選挙制度や区割りの変更を経ながら連続して議席を確保してきたことになります。

田村氏は長く三重4区を地盤としていましたが、衆議院小選挙区の区割り変更後は三重1区から立候補しています。選挙区が変わっても松阪市を含む地域を政治活動の基盤とし、2026年まで当選を重ねました。

人生年表 田村憲久さんの歩み
1964年12月15日
三重県松阪市に生まれる
松阪市で育つ
1977年頃
松阪市立幸小学校を卒業
私立高田中学校へ進学
1983年頃
三重県立松阪高等学校を卒業
千葉大学へ進学
1987年
千葉大学法経学部を卒業
日本土建へ入社
1994年
田村元衆議院議員の秘書となる
政治実務を学ぶ
1996年10月
第41回衆院選で初当選
三重4区、78,383票
2002年1月
厚生労働大臣政務官に就任
初の政府政務三役
2003年9月
文部科学大臣政務官に就任
教育行政を担当
2006年9月
総務副大臣に就任
地方行政・情報通信などを担当
2009年8月
第45回衆院選で比例復活当選
三重4区では2位
2012年12月
第2次安倍内閣で厚生労働大臣に就任
医療・介護・年金・雇用を担当
2017年10月
三重1区で8期目当選
区割り変更後の三重1区へ
2020年9月
菅内閣で2度目の厚生労働大臣
働き方改革担当大臣を兼務
2021年10月
第49回衆院選で9期目当選
122,772票
2024年10月
第50回衆院選で10期目当選
107,926票
2024年10月
衆議院情報監視審査会会長
国会の情報監視分野を担当
2026年2月8日
第51回衆院選で11期目当選
三重1区、124,762票
2026年5月
攻めの予防医療に関する合同会議の座長
予防医療とデータ活用を推進
2026年
自民党政務調査会長代行として活動
社会保障制度改革などを担当

田村憲久氏が重視している政策・政治姿勢

社会保障制度改革|医療・介護と現役世代負担を両立

田村氏の政治活動の中心は、長年にわたり社会保障制度です。厚生労働大臣を2度務め、自民党社会保障制度調査会でも中心的な役割を担ってきました。

2026年7月には、自民党と日本維新の会の社会保障制度改革協議体で、良質な医療・介護サービスを維持しながら、現役世代の保険料負担を含む国民負担を軽減するための改革を進めています。

高齢化が進むなかで、必要な給付を守りつつ制度を持続させるには、医療・介護の提供方法や保険料負担を同時に見直す必要があります。田村氏は与党内で、その制度設計を担う立場にあります。

「攻めの予防医療」|病気になる前のデータ活用

2026年5月には、「攻めの予防医療」に関する合同会議の座長を務めました。

従来の健康診断で異常を見つけて生活改善を促すだけでなく、身体の変化をデータで可視化し、将来の疾病リスクを早い段階で把握して対策する考えです。

医療費を抑えるためだけの予防ではなく、健康な期間を長くし、働く・暮らす時間そのものを延ばす政策として推進しています。

こどもの貧困対策|食事・居場所・アウトリーチ

田村氏は超党派の子どもの貧困対策推進議員連盟の会長を務めています。

2026年6月には、夏休みに学校給食がなくなることで食事が不足する子どもを支えるため、学校施設や児童館を居場所として活用し、食事提供や見守りを組み合わせる緊急対策を政府へ提言しました。

「子どもはすべからく守られるべきもの」

出典:田村憲久公式サイト・政策動画

ひとり親家庭や生活困窮世帯に対して、支援を待つだけでは届かないケースを前提に、こども宅食や見守り、プッシュ型の情報提供など「アウトリーチ」を重視しています。

田村氏本人が子どもの貧困対策について語る政策動画も公開されています。

ケアラー・ヤングケアラー支援

家族の介護や看護、療育、世話を無償で担うケアラーへの支援も続けています。田村氏はケアラー議員連盟の会長を務め、支援制度の整備を進めています。

なかでも、学齢期の子どもが家族の介護や世話を担うヤングケアラーは、本人が自分の状況を問題だと認識しにくく、学校生活や進路にも影響が出ることがあります。

2026年4月の議連総会でも、ケアラーが疲弊せず暮らせる仕組みを整える必要性を示しています。

三重の産業・インフラ|真珠、水産、上下水道、防災

三重1区を基盤とする政治家として、地域産業や生活インフラへの取り組みも幅広く行っています。

2026年には、三重県発祥の技術である真珠養殖をめぐる振興策、水産業の競争力強化、森林整備・治山事業、上下水道の強靱化などで関係省庁へ働きかけました。

医療・介護のような社会保障だけでなく、道路・水道・漁業・林業など地域で生活を続けるための基盤を政策対象としている点も、長く地方選挙区を持つ田村氏の活動に表れています。

選挙歴 田村憲久の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第41回衆議院議員総選挙
初当選
三重 4区 自由民主党 当選 78383 1
第42回衆議院議員総選挙
2期目
三重 4区 自由民主党 当選 97276 1
第43回衆議院議員総選挙
3期目
三重 4区 自由民主党 当選 94379 1
第44回衆議院議員総選挙
4期目
三重 4区 自由民主党 当選 91832 1
第45回衆議院議員総選挙
5期目
三重4区・比例東海ブロック 自由民主党 比例復活当選 84583 小選挙区2位
第46回衆議院議員総選挙
6期目
三重 4区 自由民主党 当選 86131 1
第47回衆議院議員総選挙
7期目
三重 4区 自由民主党 当選 94725 1
第48回衆議院議員総選挙
8期目
三重 1区 自由民主党 当選 109584 1
第49回衆議院議員総選挙
9期目
三重 1区 自由民主党 当選 122772 1
第50回衆議院議員総選挙
10期目
三重 1区 自由民主党 当選 107926 1
第51回衆議院議員総選挙
11期目・得票率66.3%
三重 1区 自由民主党 当選 124762 1

田村憲久氏の公式発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の公式発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

社会保障制度改革

攻めの予防医療

子どもの貧困対策

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

田村憲久の歩みから見える特徴

田村氏の政治経歴で最も大きな特徴は、1996年の初当選から11回連続で国会議員に選ばれてきたことです。

その間には2009年の政権交代選挙で小選挙区を失い比例復活した時期もありましたが、2012年以降は再び小選挙区で当選を重ねています。

政府では厚生労働大臣を2度経験し、厚生労働大臣政務官、総務副大臣なども務めました。党でも社会保障制度調査会長、厚生労働部会長、政務調査会長代理・代行などを経験しており、社会保障政策を国会・政府・党の三つの立場から扱ってきたことが大きな強みです。

2026年現在は、医療や介護を維持するだけではなく、現役世代の負担軽減、攻めの予防医療、こどもの貧困、ケアラー支援などへ政策課題を広げています。

会社員から議員秘書へ進み、31歳で国政へ入り、30年にわたって議席を重ねてきた田村氏。現在も厚生労働分野の経験を土台に、制度を持続させながら生活者の負担をどう軽くするかという課題に取り組んでいます。

田村憲久氏の現在情報

2026年10月5日 時点
現在の公職 衆議院議員
現在の所属 自由民主党・無所属の会
選挙区・選出地域 三重県第1区
現在の期・任期 衆議院議員11期目
現在の主な役職
自由民主党政務調査会長代行 衆議院厚生労働委員会委員 自由民主党社会保障制度調査会長 超党派子どもの貧困対策推進議員連盟会長 ケアラー議員連盟会長

2026年2月の第51回衆議院議員総選挙で三重1区から当選し、衆議院議員11期目。自民党政務調査会長代行として社会保障制度改革、攻めの予防医療、こどもの貧困対策、ケアラー支援などに取り組んでいる。

政治人生の転機 田村憲久の政治人生の転機
01
1987年
日本土建へ入社
千葉大学卒業後、民間企業で社会人生活を始めた。
なぜ転機なのか 政治家一族の出身ながら会社員を経験したため。
02
1994年
伯父・田村元氏の秘書へ
会社員から政治実務の現場へ移った。
なぜ転機なのか 2年後の初出馬につながる転機となったため。
03
1996年10月
衆議院議員に初当選
三重4区で78,383票を得て31歳で国政へ進んだ。
なぜ転機なのか 政治家としての出発点となったため。
04
2009年8月
小選挙区で敗れ比例復活
三重4区では2位だったが比例東海ブロックで議席を維持した。
なぜ転機なのか 初当選後初めて小選挙区で敗れた大きな選挙上の転機。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
その他の参考資料

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