本村伸子の経歴・学歴と生い立ち|被爆二世の原点から衆議院4期、比例東海での歩みまで

本村伸子
ひと目でわかるプロフィール 本村伸子
もとむら のぶこ
出身地
愛知県豊田市
初当選
2014年(第47回衆議院議員総選挙)
最終学歴
龍谷大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了
主な前職
NPO・市民活動、国会議員秘書
政界入り
国会議員秘書から
生年月日 1972年10月20日

本村伸子氏は、愛知県豊田市で育ち、市民運動や国会議員秘書を経て国政へ進んだ日本共産党の政治家です。比例東海ブロックを活動基盤に衆議院議員を4期務めました。

学生時代に出会った「人間の尊厳」という言葉、長崎で被爆した父の存在、秘書として接してきた地域の声。本村氏が候補者になるまでには、国会議員になってからの経歴だけでは見えにくい時間がありました。

本村伸子氏を理解する3つのポイント
  1. 豊田市で育ち、歴史研究を通じて「人間の尊厳」を政治信条の中心に据えてきました。
  2. 市民運動と国会議員秘書を経験した後、自ら候補者となり、複数回の国政選挙を経て衆議院へ進みました。
  3. 国会では人権、ケア、平和とともに、東海地方の生活や大型事業をめぐる問題を取り上げてきました。

本村伸子の生い立ち|豊田市で育ち、被爆した父から戦争の記憶を受け継ぐ

本村伸子氏は1972年10月20日、愛知県豊田市に生まれました。

家族の歴史には長崎の原爆があります。父は5歳だった1945年8月9日に長崎で被爆し、父の2歳の弟は原爆によって命を奪われたと、本村氏自身が後年語っています。

本村氏は被爆二世として、父の被爆体験を自らの言葉で繰り返し伝えてきました。

核兵器と戦争をなくしたいという父とともに頑張ります

出典:しんぶん赤旗「原爆病院など訪問/長崎 党議員、被爆者見舞う」(2015年8月9日)

本村伸子の学歴|刈谷高校から京都へ――古代史研究と「人間の尊厳」

学歴一覧本村伸子の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校豊田市立青木小学校――愛知県豊田市
中学校豊田市立猿投台中学校―――
高校愛知県立刈谷高等学校―70(2026年度版)―
大学院龍谷大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程大学院は偏差値で単純比較しない修了

※偏差値は本村氏の在学当時ではなく現在の目安です。大学名は公開資料で確認できる範囲を優先し、大学院は偏差値で単純比較していません。

豊田市立青木小学校、豊田市立猿投台中学校を経て、1991年に愛知県立刈谷高等学校を卒業しました。その後は京都で学び、龍谷大学大学院文学研究科で国史学を専攻します。

専門は古代史でした。大学院時代の研究は、1999年発行の『龍谷大学大学院研究紀要 人文科学』に「平郡氏に関する研究」として掲載されています。

一方、戦争の歴史を学ぼうと受講した近現代史の授業では、教員が1年にわたり「人間の尊厳」の大切さを語ったと、本村氏は振り返っています。この学生時代に出会った言葉を、のちに政治信条として掲げるようになりました。

人間の尊厳が大事にされるような社会を実現したい

出典:日本共産党愛知県委員会「共同の歩み 衆院議員・比例東海ブロック 本村伸子さん(下)」(2016年12月24日)

本村伸子の経歴|新日本婦人の会、八田ひろ子参議院議員秘書を経て候補者へ

1998年に修士課程を修了すると、新日本婦人の会愛知県本部に勤務しました。同年からは八田ひろ子参議院議員の秘書を務め、2004年まで国会議員の活動を支えます。

2004年から2007年までは八田ひろ子事務所長。地域から寄せられる相談や政治要求に接する立場から、やがて自ら選挙に立つ側へ移りました。

2005年の第44回衆議院議員総選挙が、本村氏にとって初めての国政選挙でした。愛知11区から立候補しましたが、当選には届きませんでした。

その後も2009年の衆院愛知3区、2010年と2013年の参院愛知選挙区に挑戦します。国政選挙では4回続けて落選を経験することになりました。

4度の落選を経て2014年、比例東海で初当選

転機は2014年12月の第47回衆議院議員総選挙でした。日本共産党の比例東海ブロック名簿1位で立候補し、同党は東海で2議席を獲得。本村氏と島津幸広氏が当選しました。

初出馬から9年、5度目の国政選挙で初めて衆議院の議席を得ました。

当選直後には、雇用や学費、平和だけでなく、東海地方から国会に送られた議員として地域の具体的な要求を取り上げる考えも示しています。

比例東海の衆議院議員として4期

2017年の第48回衆院選で2期目、2021年の第49回衆院選で3期目、2024年の第50回衆院選で4期目の当選を果たしました。いずれも比例東海ブロックからの当選です。

国会では法務、国土交通、内閣、予算など幅広い分野の質問に立ち、2025年には衆議院法務委員会、消費者問題に関する特別委員会に所属しました。党内では党中央委員、幹部会委員も務めています。

法案審議そのものだけでなく、国会でどのような法案が進んでいるのかをSNSでも発信してきました。

人生年表 本村伸子さんの歩み
1972年10月20日
愛知県豊田市に生まれる
父は5歳のとき長崎で被爆
1985年
豊田市立青木小学校を卒業
1988年
豊田市立猿投台中学校を卒業
1991年
愛知県立刈谷高等学校を卒業
1998年
龍谷大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程を修了
1998年
新日本婦人の会愛知県本部に勤務
1998年
八田ひろ子参議院議員秘書となる
2004年まで
2004年
八田ひろ子事務所長となる
2007年まで
2005年9月
第44回衆議院議員総選挙で初出馬
愛知11区、落選
2010年
日本共産党愛知県常任委員となる
2014年12月
第47回衆議院議員総選挙で初当選
比例東海ブロック
2017年10月
第48回衆議院議員総選挙で再選
2期目
2021年10月
第49回衆議院議員総選挙で当選
3期目
2024年10月
第50回衆議院議員総選挙で当選
4期目
2026年2月
第51回衆議院議員総選挙で落選
比例東海ブロックの議席を失う

本村伸子氏が重視してきた政策・政治姿勢

保育・医療・介護など「ケア」の基盤

本村氏が継続して扱ってきた分野の一つが、保育や医療、介護などを支える人員と待遇です。

保育士の配置基準をめぐっては、2024年度から4・5歳児について保育士1人あたり30人から25人へ、3歳児では20人から15人へ基準が改められました。本村氏は国会質問で、さらに配置基準と処遇を改善するよう求めています。

長く据え置かれてきた基準が改定された後も、「丁寧な保育」ができる人員配置を求め続けました。

命を守る基盤を強化し、ケアに手厚い日本に変えていくために全力を挙げていきます。

出典:しんぶん赤旗「命を守る 基盤強く/東海比例 本村氏力強く」(2021年11月1日)

選択的夫婦別姓と個人の尊厳

選択的夫婦別姓も繰り返し扱ってきたテーマです。2025年2月の衆議院予算委員会では、改姓によって感じる喪失感や仕事上の不利益など当事者の声を示しながら質問しました。

本村氏の主張は、名字の利便性だけではなく、人格やアイデンティティーを本人がどう扱うかという人権の問題に置かれています。

個人の尊厳が何よりも大切にされる法制度に変えることを強く求め、質問とさせていただきます。

出典:もとむら伸子公式サイト「選択的夫婦別姓を求める質問をしました」(2025年2月18日)

性暴力被害者支援と性搾取をめぐる問題

性暴力被害者支援では、ワンストップ支援センターの拡充、医療・心理・同行支援を担う専門人材の安定的な確保などを求めてきました。2019年のインタビューでは、愛知県内の支援現場を例に、相談しやすい体制を地域に整える必要性を説明しています。

私たちは、同意のない性交等はあってはならないという原則へ進んでいくべきだと考えています。

出典:もとむら伸子公式サイト「『しんぶん赤旗』さんが、個人の尊厳を踏みにじる性暴力・ハラスメントの問題のインタビュー記事を2日にわたって載せてくださいました。」(2019年5月10日)

国会での性暴力対策に加え、買春や性搾取をどのような法制度で抑止するかについても発信しています。

入管行政と外国人の人権

名古屋出入国在留管理局の収容施設で2021年に亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの問題をはじめ、入管施設の医療、収容のあり方、在留資格を持たない外国人の人権も国会で扱ってきました。

2023年の入管法改定をめぐっては、法案審議と並行して院外にも情報を発信しています。

核兵器禁止条約と平和憲法

核兵器廃絶では、日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める立場を取っています。2025年9月には、第80回国連総会を前に「非核の政府を求める会」が政府に行った申し入れに同席しました。

国会議員を退任した後も、憲法と平和をめぐる街頭活動への参加や発信を続けています。

設楽ダム、リニアと大深度地下――東海の地域課題

比例東海の議員として、全国政策だけでなく大型公共事業も取り上げてきました。初当選直後には設楽ダム問題に触れ、その後はリニア中央新幹線と大深度地下法を国会で質問しています。

国会では設楽ダム建設ストップなど、東海地方の地元要求も取り上げたい。

出典:しんぶん赤旗「日本共産党 新衆議院議員/熱い期待胸に」(2014年12月22日)

大深度地下をめぐっては、地権者への情報提供や安全性、土地利用上の権利を問い、法制度そのものの見直しを求めています。

2026年総選挙で比例東海の議席を失う

2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙では、再び日本共産党の比例東海ブロック名簿1位で立候補しました。

しかし、日本共産党は同ブロックで議席を確保できませんでした。本村氏は4期務めた衆議院の議席を失い、国会議員としての在職はいったん区切りを迎えました。

国会を離れた後の発信では、災害時の避難環境や被災者支援についても情報を伝えています。2026年7月末の熊本地震では、日本共産党の対策本部などが政府と熊本県へ行った支援要請の内容を紹介しました。

選挙歴 本村伸子の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
国政選挙への初出馬
愛知 11区 日本共産党 落選 15,468票 3位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
愛知 3区 日本共産党 落選 21,611票 3位
第22回参議院議員通常選挙
定数:3 比例復活:該当なし
初の参議院議員選挙
愛知県 選挙区 日本共産党 落選 193,710票 4位
第23回参議院議員通常選挙
定数:3 比例復活:該当なし
2度目の参議院愛知選挙区への挑戦
愛知県 選挙区 日本共産党 落選 271,278票 4位
第47回衆議院議員総選挙
定数:21 比例復活:該当なし(比例単独)
初当選。日本共産党は比例東海で2議席を獲得
比例東海ブロック 日本共産党 当選 日本共産党 618,695票 党名簿1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:21 比例復活:該当なし(比例単独)
2期目
比例東海ブロック 日本共産党 当選 日本共産党 450,970票 党名簿1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:21 比例復活:該当なし(比例単独)
3期目
比例東海ブロック 日本共産党 当選 日本共産党 408,606票 党名簿1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:21 比例復活:該当なし(比例単独)
4期目
比例東海ブロック 日本共産党 当選 日本共産党 334,599票 党名簿1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:21 比例復活:該当なし(比例単独)
日本共産党の比例東海での獲得議席は0。本村氏は衆議院議員を退任
比例東海ブロック 日本共産党 落選 日本共産党 241,848票 党名簿1位

本村伸子氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

技能実習制度と外国人の人権

同性婚と少数者の権利

女性への暴力と表現の自由

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

動画で見る本村伸子氏の発信

2026年4月からは、本人公式XでYouTubeの「(仮)癒し系政治チャンネル」を始めたことを告知しています。国会質問とは異なる対話形式の発信も始めました。

本村伸子氏の現在情報

2026年9月12日 時点
現在の所属 日本共産党
現在の主な役職
日本共産党中央委員 日本共産党幹部会委員

2026年2月の衆議院議員総選挙後も、前衆議院議員として政治活動を継続し、平和・人権、生活課題などについて発信しています。

政治人生の転機 本村伸子の政治人生の転機
01
1998年
市民運動から国会議員秘書へ
新日本婦人の会愛知県本部で活動し、同年から八田ひろ子参議院議員の秘書を務めました。
なぜ転機なのか 国政の現場で政治活動に携わる経歴が始まったため。
02
2005年
愛知11区から初の国政選挙
第44回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で立候補しました。
なぜ転機なのか 秘書・事務所スタッフから、自ら選挙に立つ候補者へ立場が変わったため。
03
2014年12月
比例東海で衆議院議員へ初当選
4度の国政選挙落選を経て、第47回衆議院議員総選挙で初当選しました。
なぜ転機なのか 国会議員としての活動が始まり、その後4期にわたる衆議院議員歴につながったため。
04
2026年2月
4期務めた衆議院の議席を失う
第51回衆議院議員総選挙で日本共産党が比例東海の議席を確保できず、衆議院議員を退任しました。
なぜ転機なのか 4期続いた国会議員としての立場から、国会外を中心とする政治活動へ移ったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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