山口那津男氏は、弁護士から国政へ進み、衆議院議員2期、参議院議員4期を務めた政治家です。2009年から2024年までは公明党代表を務め、自民党との連立政権が続いた時期に長く党を率いました。
その歩みには、37歳での初当選だけでなく、衆院選での二度の落選、参院への転身、対人地雷除去への長期的な取り組みがあります。2025年には参院選への不出馬と政界引退を表明しました。
- 茨城県で生まれ日立市で育ち、水戸第一高校、東京大学法学部を経て弁護士になりました。
- 1990年に衆院議員へ初当選し、二度の落選を経て2001年の参院選で国政へ復帰しました。
- 2009年から15年間、公明党代表を務め、2024年の代表退任を経て2025年に政界引退を表明しました。
山口那津男の生い立ち|山口那津男氏の原点――茨城に生まれ日立で育つ
山口那津男氏は1952年7月12日、茨城県那珂郡那珂湊町、現在のひたちなか市に生まれました。その後は日立市で育っています。
父は日立市天気相談所長、母は小学校教員でした。政治家の家庭に生まれたわけではなく、のちに本人が振り返ったところでは、学生時代にも弁護士になった当初にも政治家になる考えはありませんでした。
中学生のころには吹奏楽でトロンボーンを演奏していました。後年のプロフィールでも、音楽鑑賞やカラオケを趣味として挙げています。
山口那津男の学歴|水戸一高の「至誠一貫」と東京大学法学部
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 高校 | 茨城県立水戸第一高等学校 | ― | 73(2026年度版) | 高校時代に「至誠一貫」を学ぶ |
| 大学 | 東京大学 | 法学部 | 67.5(文科一類・2027年度の参考) | 1978年卒業/法学部は現在も科類からの進学制 |
※偏差値・難易度は山口氏の在学当時ではなく、現在の入試難易度の目安です。水戸第一高校は2026年度版、東京大学は河合塾Kei-Netの2027年度入試データを参照しています。東京大学法学部は学部への直接入試ではないため、文科一類を参考値として掲載しています。
高校は茨城県立水戸第一高等学校へ進みました。山口氏が後年も政治信条として掲げた「至誠一貫」は、水戸一高で学んだ言葉です。「真心を一筋に貫き通す」という意味の言葉を、生涯の座右の銘としてきました。
大学は東京大学法学部です。本人が紹介した学生時代の回想では、新しい時代をつくるには法律への洞察と知識が必要だと考え、社会の不正を正したいとの思いから司法試験の勉強を始めたとしています。
1978年に東京大学法学部を卒業し、翌1979年に司法試験へ合格。大阪で2年間の司法修習を経験した後、1982年に東京弁護士会へ弁護士登録しました。
山口那津男の経歴|弁護士として法律の力を知り、政治の道へ
弁護士として活動していた山口氏は、1988年には日本弁護士連合会へ出向しました。本人によれば、法律を実際の事件で使う中で、法制度そのものが社会問題へ与える影響の大きさを感じるようになったといいます。
政治家にという気持ちはまったくありませんでした。
出典:PRESIDENT Online「山口代表『解散総選挙、いつあっても』 自公パワーで議席が維持できる」(2017年6月1日)
政界入りのきっかけとなったのは、同じ弁護士で水戸一高の先輩でもある神崎武法氏からの誘いでした。山口氏は弁護士として個別の依頼を解決する一方、法律や予算なら同じ課題を抱える全国の人へ一度に働きかけられると考えるようになります。
法律を使う側から、法律をつくる側へ。その選択が国政への入口になりました。
37歳で衆院初当選、対人地雷除去が長いテーマに
1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で、山口氏は公明党から旧東京10区に立候補しました。139,516票を得て3位となり、37歳で初当選しています。
国会議員となった翌1991年7月にはカンボジアを訪問しました。そこで地雷によって手足を失った子どもたちと出会った経験が、その後長く続く対人地雷除去支援へつながりました。
本当に困っている人たちを支える日本の国際貢献でなければならない
出典:山口なつお LINE Official Account「弁護士へ」(公開日記載なし)
日本の建設機械を応用した地雷除去機の開発や海外での活用にも関わり、山口氏自身が後年「ライフワーク」と表現するテーマになりました。
1993年の衆院選では126,772票を得て再選。この時期には細川内閣で防衛政務次官も経験しました。
二度の落選を経て、2001年に参院で国政復帰
1994年、公明党の解党後に山口氏は新進党の結党へ参加しました。しかし、小選挙区制が導入された1996年の衆院選では東京都第17区で落選します。
1998年の公明党再結成後、2000年の衆院選には公明党から同じ東京都第17区で挑みましたが、再び議席には届きませんでした。
転機は2001年7月の参議院議員通常選挙です。東京都選挙区から立候補し881,314票を獲得。二度の衆院選落選を経て、5年ぶりに国政へ復帰しました。
以後は参議院を活動の場とし、2007年に再選。党内では参議院政策審議会長などを経て、2008年に公明党政務調査会長となりました。
2009年、野党転落後の公明党代表に
2009年8月の衆院選で公明党は議席を大きく減らし、当時の太田昭宏代表も落選しました。その直後の同年9月、山口氏が公明党代表に就任します。
本人は後年、この時期を「どん底」からの出発だったと振り返っています。党代表就任後は全国各地を回り、地方組織や支持者との接点を重ねました。
2012年の衆院選後には自民党と公明党が再び連立政権を組み、山口氏は連立与党の一角を担う党の代表として政権運営に関わる立場になりました。
15年間の代表時代――連立政権で党を率いる
山口氏は2013年、2019年の参院選でも東京都選挙区から当選し、参議院では通算4期を務めました。2019年の選挙期間中には、すき間時間にラジオ体操やつま先立ちを行って体調を整える様子も本人Xで公開しています。
代表在任中は、安倍晋三、菅義偉、岸田文雄の各政権期にわたり、公明党を率いました。政策協議や政府・与党連絡会議などを通じ、自民党と異なる党独自の主張を示しながら合意形成にも携わっています。
2020年の検察官の定年延長を含む法改正をめぐる議論では、本人Xで政府に対して制度の趣旨を丁寧に説明し、説明責任を果たすよう求めました。
長期にわたり代表を務める中で、山口氏が繰り返し語ったのが、国会議員と地方議員を結ぶ公明党の「ネットワーク」です。地域で集めた声を国政の政策につなぐことを、党の特徴として位置づけていました。
2023年11月、創価学会の池田大作名誉会長の死去に際しては、本人Xで公明党の立党精神について発信しました。
2024年の代表退任と2025年の政界引退
2024年9月28日の公明党全国大会で石井啓一氏が新代表に選出され、山口氏は代表を退任しました。2009年から数えて8期15年間の代表在任でした。
代表退任後は党常任顧問となり、各地での党活動や外交活動を続けました。
そして2025年6月20日、同年夏の参院選には出馬せず、政界を引退すると表明しました。
いただいた恩をまた次の世代に送り伝えていきたい
出典:テレビ朝日「公明・山口元代表、政界引退を表明 参院選に出馬せず 15年にわたり党代表務める」(2025年6月20日)
同年7月28日、参議院議員としての任期が満了しました。1990年の衆院初当選から、途中の落選期間を挟みながら続いた国会議員としての歩みはここで区切られました。
山口那津男氏が重視してきた政策・政治姿勢
対人地雷除去を長期的なテーマに
山口氏が個人として長く取り組んできたテーマが対人地雷の除去支援です。1991年のカンボジア訪問後、日本の技術を生かした地雷除去機の開発や海外への支援拡大に関わりました。
2017年のインタビューでも「ライフワーク」と位置づけ、2025年に政界引退を表明した際にも、今後も追求したいテーマとして対人地雷除去を挙げています。
防災・減災・復興
自然災害への対応では、防災・減災と被災地の復興を繰り返し政策課題として取り上げてきました。2018年の党大会後のインタビューでは、従来型の復旧にとどまらず、災害前より良い状態をめざす復興の必要性を語っています。
防災・減災・復興を政治の、社会の主流に
出典:公明党「『衆望』担い“新時代”開く」(2018年10月7日)
2020年3月、新型コロナウイルスの影響で花の需要が落ち込んだ時期には、被災地で生産された花を身に着ける取り組みをXでも紹介しました。
生活支援と2020年の一律10万円給付
新型コロナウイルスの感染拡大が続いた2020年4月には、当初の「減収世帯への30万円給付」では対象が限られるとして、山口氏は安倍晋三首相に所得制限を設けない1人10万円給付を求めました。
4月16日には本人Xで、首相へ再び電話し、一次補正予算で一律10万円を実現するよう決断を求めたと発信しています。その後、政府は補正予算案を組み替え、特別定額給付金として1人10万円を給付する仕組みを実施しました。
防衛の備えと対話外交
安全保障では、防衛力だけでなく外交を組み合わせる姿勢を示してきました。2023年の党公式YouTube企画では、日本周辺の安全保障環境を踏まえた防衛力強化について説明する一方、外交を同時に進める必要性を述べています。
防衛の備えと外交を共に進めていくことが大切だ
出典:公明党「党公式ユーチューブ番組『山口なつおチャンネル』ここが見どころ!」(2023年2月5日)
政界引退後の2026年2月にも、東京都内での講演で各国との信頼醸成と対話の枠組みについて語りました。議員を退いた後も、外交は継続して発言しているテーマです。
各国と対話ができるような枠組みをつくっていく必要がある
出典:公明党「信頼醸成、対話外交で」(2026年2月26日)
現場の声を政策につなぐ「ネットワーク」
党運営で山口氏が重視してきたのは、国会議員だけで政策を組み立てるのではなく、地方議員や地域の声を国政につなぐ考え方です。2018年には、子育て、介護、中小企業、防災・減災をテーマにした訪問調査で集めた声を政策化すると説明していました。
2025年の引退表明でも、対人地雷除去と並び、公明党の持ち味として「ネットワークを生かした政策実現力」を挙げています。長期の代表時代を通じて語り続けた党運営の考え方でした。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1990年 2月18日 | 第39回衆議院議員総選挙 初当選 | 旧東京 10区 | 公明党 | 当選 | 139516 3 |
| 1993年 7月18日 | 第40回衆議院議員総選挙 衆議院議員2期目 | 旧東京 10区 | 公明党 | 当選 | 126772 1 |
| 1996年 10月20日 | 第41回衆議院議員総選挙 小選挙区制移行後の東京都第17区から立候補 | 東京都 第17区 | 新進党 | 落選 | 63732 2 |
| 2000年 6月25日 | 第42回衆議院議員総選挙 比例東京ブロックとの重複立候補も当選せず | 東京都 第17区 | 公明党 | 落選 | 74633 2 |
| 2001年 7月29日 | 第19回参議院議員通常選挙 参議院初当選、国政復帰 | 東京都 選挙区 | 公明党 | 当選 | 881314 2 |
| 2007年 7月29日 | 第21回参議院議員通常選挙 参議院議員2期目 | 東京都 選挙区 | 公明党 | 当選 | 794936 2 |
| 2013年 7月21日 | 第23回参議院議員通常選挙 参議院議員3期目 | 東京都 選挙区 | 公明党 | 当選 | 797811 2 |
| 2019年 7月21日 | 第25回参議院議員通常選挙 参議院議員4期目、最後の実出馬 | 東京都 選挙区 | 公明党 | 当選 | 815445 2 |
山口那津男氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
対人地雷除去と人道支援
「日本が国際的に人道支援をしていく上で重要な柱の一つだと私は思います。」
地雷除去支援と小型武器規制を、日本の国際的な人道支援の重要分野と位置づけ、担当体制の強化を求めた発言。
防災・減災と事前の備え
「この災害のための基金を事前に設置して常なる備えをする」
大規模災害への対応について、災害発生後の対処だけでなく、国や自治体が平時から基金などで備える考えを提起した発言。
国際平和協力と外交・安全保障
「我が国とNATOとの協力関係を進めていくということは重要なことであると考えます。」
国際社会の平和と安定に向け、日本が国際社会の理解と共通目的の下でNATOとの協力を進める重要性を述べた発言。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
山口那津男氏の議員生活を映像で振り返る
2025年6月27日には、公明党公式チャンネルで山口氏への各社合同インタビューが公開されました。政界引退を表明した時期のロングインタビューで、本人の言葉や話し方をまとまった形で確認できます。
山口那津男氏の現在情報
2025年の参議院議員任期満了後も、公明党常任顧問として講演などの党活動を続けている。
PR:商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。
- 2026年9月時点の公明党常任顧問を確認
- 参議院東京都選挙区、任期2025年7月28日までを確認
- 高校・大学時代、弁護士への進路、初当選、カンボジア訪問と地雷除去支援を確認
- 2024年の代表退任後の常任顧問就任を確認
- 防災・減災・復興、現場調査と政策化、代表在任中の政治姿勢を確認
- 防衛力と外交に関する政治姿勢を確認
- 2001年参院選の初当選、得票数、順位を確認
- 2019年参院選の4選、得票数を確認
- 出生地、家庭環境、学歴、弁護士歴、政界入りの経緯、対人地雷除去、政治経歴を確認
- 2025年6月の政界引退表明、引退時の本人発言を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の公明党代表在任・1990年衆院初当選・2025年政界引退を赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 記事を新規作成。2025年の政界引退と参議院議員任期満了、2026年時点の公明党常任顧問としての活動を確認
- 2026年9月28日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。




















