武田良太の経歴・学歴と生い立ち|亀井静香秘書から総務相、2026年の国政復帰まで

武田良太
ひと目でわかるプロフィール 武田良太
たけだ りょうた
出身地
福岡県田川郡赤池町(現・福智町)
初当選
2003年(第40回衆議院議員総選挙(旧福岡4区))
最終学歴
早稲田大学大学院公共経営研究科修了(公共経営修士)
主な前職
国会議員秘書
政界入り
国会議員秘書から
生年月日 1968年4月1日

武田良太氏は、福岡11区を地盤とする自由民主党の衆議院議員です。2026年8月時点で当選8回を数え、総務大臣や国家公安委員会委員長、防衛副大臣などを経験しています。

政治家になるまでには、福岡での少年時代、早稲田大学への進学、亀井静香氏の秘書生活、そして当選まで10年を要した選挙の日々がありました。議席を失った2024年から、2026年の国政復帰へ至る歩みも含めてたどります。

武田良太氏を理解する3つのポイント
  1. 福岡県赤池町で育ち、8歳からラグビーを経験。明治学園中、小倉高校を経て早稲田大学へ進みました。
  2. 亀井静香氏の秘書をきっかけに政治を志し、3度の落選を経て2003年に福岡11区で初当選しました。
  3. 防衛副大臣、国家公安委員会委員長、総務大臣などを歴任し、2024年の落選後、2026年に国政へ復帰しました。

赤池町で育ち、8歳からラグビーを始めた少年時代

武田良太氏は1968年4月1日、福岡県田川郡赤池町に生まれました。赤池町はその後の町村合併によって、現在は福智町となっています。

子どものころはかなり活発だったようです。両親が、あり余る体力を使わせようと考えて始めさせたのがラグビーでした。8歳から楕円球を追う生活が始まります。

8歳の私は体が小さくボールに振り回される日々でした。

出典:自由民主党「『思い出の一枚』武田 良太 衆議院議員」(2026年7月17日)

13歳のときにはクラブ選抜の一員としてオーストラリアへ遠征しました。クインズランド・ブリスベン選抜と3試合を戦って3勝し、現地紙にも写真が掲載されたと振り返っています。

これが初めての海外経験でした。武田氏の記憶には、人の体格や国土の大きさに圧倒されたことが残っています。ラグビーとの縁はその後も続き、2026年には国会ラグビークラブ会長に就いています。

明治学園中、小倉高校から早稲田大学へ

中学校は北九州市の明治学園中学校へ進み、その後、福岡県立小倉高等学校で学びました。高校卒業後は上京し、早稲田大学文学部英文学専修へ進学しています。

本人の大学時代の回想は、いわゆる政治家の「優等生型プロフィール」とは少し違います。勉強やサークルに熱中した記憶はあまりなく、旅行をしたり仲間と過ごしたりしながら、さまざまな人と出会った時期だったと語っています。

1992年3月に大学を卒業しました。国会議員となった後も学び直し、2009年には早稲田大学大学院公共経営研究科を修了しています。

亀井静香氏の秘書になり、政治を志す

大学を卒業した1992年4月、武田氏は亀井静香衆議院議員の秘書となりました。叔父に政治家がいたことから以前から政治の世界には関心を持っていましたが、本人が進路を決定づけた出来事として挙げているのは、亀井氏の秘書になったことです。

覚悟を決めたきっかけは、亀井静香先生の秘書になったこと。

出典:学生新聞オンライン「国家公安委員会委員長 武田 良太」(2020年10月1日)

秘書になった翌1993年7月には、旧福岡4区から第40回衆議院議員総選挙へ自民党公認で出馬しました。25歳での初挑戦でしたが、定数4に対して7位となり落選します。

人生年表 武田良太さんの歩み
1968年4月
福岡県田川郡赤池町に生まれる
現在の福智町
8歳のころ
ラグビーを始める
両親の勧めで競技を始める
13歳のころ
オーストラリアへラグビー遠征
クラブ選抜でブリスベン選抜と対戦
1992年3月
早稲田大学文学部を卒業
英文学専修
1992年4月
亀井静香衆議院議員の秘書となる
1993年7月
衆議院議員総選挙へ初出馬
旧福岡4区から自民党公認で出馬し落選
2003年11月
福岡11区で初当選
4度目の国政挑戦、無所属で当選
2005年9月
福岡11区で再選
自民党公認を得ず無所属で当選
2008年8月
防衛大臣政務官に就任
福田改造内閣、麻生内閣
2009年3月
早稲田大学大学院を修了
公共経営研究科
2012年12月
衆議院安全保障委員長に就任
2013年9月
防衛副大臣に就任
第2次安倍内閣
2019年9月
初入閣
国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)など
2020年9月
総務大臣に就任
菅内閣
2024年10月
第50回衆議院議員総選挙で落選
比例重複立候補をせず議席を失う
2026年2月
第51回衆議院議員総選挙で当選
国政へ復帰し当選8回
2026年3月
日韓議員連盟会長に就任

3度の落選、10年かけてつかんだ初当選

小選挙区制へ移行した1996年には福岡11区から再び立候補しましたが落選。2000年の衆院選でも、無所属の山本幸三氏に及ばず議席を得られませんでした。

最初の立候補から、落選は3回。ところが本人は後年、この10年間を単純に「苦労の時代」とは振り返っていません。選挙を重ねるたびに支持者が増えている手応えがあり、政治家に近づいている感覚を持っていたと語っています。

転機は2003年11月でした。第43回衆院選では自民党公認ではなく無所属で福岡11区から出馬し、4度目の挑戦で初当選。最初の立候補から10年が経っていました。

2005年の郵政民営化と無所属での再選

初当選後の2004年に自民党へ入りましたが、間もなく大きな選択を迫られます。2005年、武田氏は郵政民営化法案に反対しました。

当時、地方の郵便局ネットワークを維持するための仕組みを法律上明確にすべきだとの立場を示していました。郵政民営化を争点とした同年の衆院選では自民党公認を得られず、再び無所属で福岡11区から立候補します。

対立候補の山本幸三氏との票差はわずか449票。厳しい選挙を制して2回目の当選を果たしました。その後は自民党に復帰し、2009年の衆院選では自民党公認で3選しています。

2003年と2005年の当選時の党派はいずれも無所属です。2026年8月時点では自由民主党に所属しています。

防衛・安全保障分野を歩み、2019年に初入閣

国会議員として経験を重ねるなかで、武田氏が主要な役職を担った分野の一つが防衛・安全保障です。2008年8月、福田改造内閣で防衛大臣政務官に就き、麻生内閣でも続けて務めました。

2012年には自民党国防部会長、衆議院安全保障委員長を務め、翌2013年9月には第2次安倍内閣で防衛副大臣に就任しました。

そして2019年9月、第4次安倍第2次改造内閣で国家公安委員会委員長として初入閣。内閣府特命担当大臣(防災)に加え、行政改革、国家公務員制度、国土強靱化も担当しました。

菅内閣で総務大臣へ

2020年9月に菅内閣が発足すると、武田氏は総務大臣に就任しました。防衛副大臣、国家公安委員会委員長を経て、地方行政や情報通信、郵政などを所管する総務省のトップを務めることになります。

2021年10月の第49回衆院選では福岡11区で7回目の当選。同年11月には、自民党災害対策特別委員会委員長に就いています。

2024年の落選から2026年の国政復帰へ

2003年から続いてきた連続当選が途切れたのは、2024年10月の第50回衆院選でした。福岡11区で日本維新の会の村上智信氏に敗れ、比例代表との重複立候補もしていなかったため、議席を失います。

武田氏はその後、選挙結果を自身の責任として受け止め、「政治の原点に立ち戻る」として地域を回る活動を続けました。2024年12月には自民党福岡県第11選挙区支部長に再任されています。

そして2026年2月8日の第51回衆院選で、福岡11区から当選して国政へ復帰。これが8回目の当選となりました。

1年半どん底でしたが、お一人おひとりに支えられ、当選を果たすことができました。

出典:NetIB-News「【速報】福岡11区、武田良太氏(自民)が当選確実」(2026年2月8日)
選挙歴 武田良太の選挙歴
横にスクロールできます
年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第40回衆議院議員総選挙
定数:4 比例復活:対象外(中選挙区制)
初出馬
旧福岡 4区 自由民主党 落選 14,172票 7位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区制移行後、福岡11区から出馬
福岡県 第11区 自由民主党 落選 42,152票 3位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
3度目の落選
福岡県 第11区 自由民主党 落選 65,838票 2位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし
4度目の挑戦で初当選
福岡県 第11区 無所属 当選 78,882票 1位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし
郵政民営化法案に反対し、自民党公認を得ず無所属で出馬
福岡県 第11区 無所属 当選 78,757票 1位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし(小選挙区当選)
福岡県 第11区 自由民主党 当選 106,334票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし(小選挙区当選)
福岡県 第11区 自由民主党 当選 86,443票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし(小選挙区当選)
福岡県 第11区 自由民主党 当選 85,488票 1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし(小選挙区当選)
福岡県 第11区 自由民主党 当選 81,129票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし(小選挙区当選)
7回目の当選
福岡県 第11区 自由民主党 当選 75,997票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし(比例重複立候補なし)
2003年の初当選後、初めて議席を失う
福岡県 第11区 自由民主党 落選 56,607票 2位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし(小選挙区当選)
国政へ復帰、当選8回
福岡県 第11区 自由民主党 当選 62,419票 1位

2026年に掲げる政策と国政復帰後の活動

2026年8月時点で、本人が政策として掲げているテーマは、物価高への対応から地域産業、交通、防災、外交まで幅があります。福岡11区を構成する田川・京築・豊築の地域課題を意識した内容も多く見られます。

  • 物価高対策による家計負担の軽減
  • 農林水産業、中小事業者、観光など地域産業への支援
  • 鉄道、BRT、デマンド交通など地域交通の確保
  • 子育て、医療・介護、住宅、インフラ、防災を含む暮らしの基盤整備
  • 平和と安全を重視する外交・安全保障

国政復帰後の5月には「国力研究会」への参加を発信し、高市早苗首相を支える姿勢とともに、暮らしの声を政策へ反映していく考えを示しました。

もう一つ、長く関わってきたのが郵政です。2026年2月には自民党郵政事業に関する特命委員会委員長に就任。6月には郵政民営化法などの改正案が衆議院を通過したことを報告し、郵便局ネットワークを地域の社会インフラとして維持する考えを発信しています。

外交面では2026年3月に日韓議員連盟会長へ就任しました。6月には韓国の李在明大統領との面会を発信し、日韓関係について「未来志向」の関係を築いていく姿勢を示しています。

2026年8月時点では、福岡11区選出の衆議院議員として8期目を務めています。少年時代から続けてきたラグビーでも国会ラグビークラブ会長となり、2035年ラグビーワールドカップの日本招致に取り組んでいます。

政治人生の転機 武田良太の政治人生の転機
01
1992年4月
亀井静香氏の秘書となり、政治の道を選ぶ
大学卒業後、衆議院議員だった亀井静香氏の秘書となった。
なぜ転機なのか 武田氏自身が、政治を目指す覚悟を決めたきっかけだったと振り返っているため。
02
2003年11月
3度の落選を経て初当選
1993年の初出馬から10年、4度目の衆院選で福岡11区から無所属で初当選した。
なぜ転機なのか 長い候補者生活を終え、国会議員としての政治経歴が始まったため。
03
2019年9月
国家公安委員会委員長として初入閣
第4次安倍第2次改造内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)などに就任した。
なぜ転機なのか 防衛・安全保障分野を中心に重ねてきた国会・政府経験から、初めて閣僚へ進んだため。
04
2024年10月~2026年2月
議席喪失から国政復帰へ
2024年衆院選で落選して議席を失ったが、2026年衆院選で福岡11区から当選し、8回目の当選を果たした。
なぜ転機なのか 20年以上続いた国会議員生活がいったん途切れ、その後の再挑戦によって政治活動の立場が再び大きく変わったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー