榛葉賀津也の経歴・学歴と生い立ち|米国・イスラエル留学から町議、参院議員、国民民主党幹事長へ

榛葉賀津也
ひと目でわかるプロフィール 榛葉賀津也
しんば かづや
出身地
静岡県菊川市
初当選
1994年(菊川町議会議員選挙)
最終学歴
米国オハイオ州オタバイン大学政治学部・国際問題研究学部卒業
政界入り
地方議員から
生年月日 1967年4月25日

榛葉賀津也氏は、静岡県選挙区から選出されている国民民主党の参議院議員です。防衛副大臣、外務副大臣などを歴任し、2020年から党幹事長を務めています。

外交・安全保障のイメージが強い政治家ですが、その原点をたどると、菊川での牛乳配達、高校野球、米国での学生生活、イスラエル留学、町議時代へとつながります。

榛葉賀津也氏を理解する3つのポイント
  1. 菊川で育ち、5歳から8年間の牛乳配達を経験した後、米国とイスラエルで政治・国際問題を学んだ
  2. 菊川町議と町長選を経て、2001年に静岡県選挙区から参議院議員へ初当選した
  3. 防衛副大臣、外務副大臣などを歴任し、2020年から国民民主党幹事長として党運営を担っている

静岡県菊川町で育ち、5歳から牛乳配達を続けた

榛葉賀津也氏は1967年4月25日、現在の静岡県菊川市に生まれました。当時は菊川町と呼ばれ、お茶を主要産業とする地域でした。

父母はいずれも戦争遺児で、しつけや教育には厳しい家庭だったと本人は振り返っています。生まれたころは小児ぜんそくがあり、母親が静岡市内の病院まで通っていた時期もありました。

幼稚園の年長だった5歳ごろ、父親の指示で始めたのが牛乳配達です。雨の日も風の日も、中学校へ入るまで約8年間続けました。

本人公式サイトには、このころの思い出が本人の言葉で残っています。

「以来、8年間毎日、牛乳配達を続けさせられたが、今ではいい思い出。」

出典:しんば賀津也公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)

小学校時代については、堀之内小学校で4年生から6年生まで担任だった鈴木孝治教諭と、当時の校長による授業や指導を「私の全ての原点」と記しています。

掛川西高校では野球部と生徒会活動

中学校では野球部で投手を務めましたが、肩を痛めたため、高校では選手としてではなくチームを支える側へ回りました。

静岡県立掛川西高等学校でも野球部に所属し、三塁コーチなどを担当しています。生徒会長も務め、制服自由化などの学校改革に関わったと本人公式サイトで振り返っています。

高校時代に報道で接したイラン・イラク戦争などから中東へ関心を持つようになり、高校卒業後は日本の大学ではなく米国留学を選びました。

高校卒業後に渡米し、日本人であることを隠して英語漬けに

1986年に掛川西高校を卒業すると米国へ渡り、オハイオ州のオタバイン大学で政治学と国際問題を学びました。

渡米直後は英語で生活する環境を自ら作るため、日本人同士で固まることを避けたといいます。本人は当時の決断を、かなり大胆な言葉で振り返っています。

「英語がものになるまで日本人であることを隠そう」

出典:しんば賀津也公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)

米国では約5年間を過ごしました。授業だけでなく、現地での人間関係や生活習慣を通じて、米国政治を見る際には米国人の考え方そのものを知る必要があると感じたと記しています。

テルアビブ大学とヘブライ大学で中東を学ぶ

大学在学中にはイスラエルのテルアビブ大学へ1年間留学し、その後はエルサレム・ヘブライ大学大学院で国際政治を学びました。

米国だけでなく、イスラエルで実際に暮らした経験は、後に国会で外交・防衛分野を担当する際にも繰り返し語られる経歴となります。

本人はイスラエル時代について、次のように記しています。

「『命の大切さ』『平和の意味』を、身をもって体験した。」

出典:しんば賀津也公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)

1991年9月にオタバイン大学を卒業。参議院の公式プロフィールでも、オタバイン大学政治学部・国際問題研究学部と、テルアビブ大学、ヘブライ大学大学院での留学歴が記載されています。

人生年表 榛葉賀津也さんの歩み
1967年4月25日
静岡県菊川市で生まれる
当時の菊川町で育つ
1972年頃
5歳で牛乳配達を始める
中学校へ入るまで8年間、毎朝続ける
1986年3月
静岡県立掛川西高等学校を卒業
野球部に所属
1986年
米国へ留学
オハイオ州オタバイン大学で政治学・国際問題を学ぶ
1990年頃
イスラエルへ留学
テルアビブ大学、エルサレム・ヘブライ大学大学院で学ぶ
1991年9月
米国オタバイン大学を卒業
1994年1月
菊川町議会議員に初当選
地方政治の活動を開始
1998年1月
菊川町長選挙に立候補し落選
2001年7月
第19回参議院議員通常選挙で初当選
民主党公認、静岡県選挙区
2009年1月
参議院外交防衛委員長に就任
2009年9月
防衛副大臣に就任
鳩山内閣
2012年10月
外務副大臣に就任
第3次野田改造内閣
2013年8月
参議院民主党国会対策委員長に就任
2018年5月
国民民主党参議院幹事長に就任
2020年9月
国民民主党幹事長に就任
2025年7月
第27回参議院議員通常選挙で5選
静岡県選挙区

26歳で菊川町議に初当選

帰国後、政治活動の舞台として選んだのは故郷の菊川でした。1994年1月、26歳で菊川町議会議員選挙に立候補し、初出馬で町議に当選します。

国政から政治家生活を始めたのではなく、地域の町議としてスタートした政治家です。町議は1期務めました。

4年後の1998年には菊川町長選挙へ挑戦。6,134票を得ましたが2位となり、町長就任には届きませんでした。

榛葉氏は町議を経験していますが、町長を務めた経歴はありません。1998年の菊川町長選は立候補・落選です。

2001年、静岡県選挙区から参議院議員へ

その後、活動の舞台は国政へ移ります。2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では民主党公認で静岡県選挙区から立候補しました。

478,508票を獲得して定数2の議席に入り、参議院議員に初当選。2007年、2013年、2019年、2025年にも当選し、5期連続で参議院の議席を得ています。

2025年の参院選では全国の国民民主党候補の応援にも入る一方、自身は静岡県選挙区で752,187票を獲得し、1位で5選を果たしました。

選挙歴 榛葉賀津也の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
菊川町議会議員選挙
定数:20 比例復活:該当なし
初出馬・初当選。菊川町議を1期務めた。
菊川町 無所属 当選 1,577票 2位
菊川町長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
自民党菊川支部の推薦を受けて立候補。太田順一氏に敗れた。
菊川町 無所属 落選 6,134票 2位
第19回参議院議員通常選挙
定数:2 比例復活:該当なし
参議院議員に初当選。
静岡県 選挙区 民主党 当選 478,508票 2位
第21回参議院議員通常選挙
定数:2 比例復活:該当なし
2期目。
静岡県 選挙区 民主党 当選 823,184票 1位
第23回参議院議員通常選挙
定数:2 比例復活:該当なし
3期目。
静岡県 選挙区 民主党 当選 458,095票 2位
第25回参議院議員通常選挙
定数:2 比例復活:該当なし
4期目。
静岡県 選挙区 国民民主党 当選 445,866票 2位
第27回参議院議員通常選挙
定数:2 比例復活:該当なし
5期目。
静岡県 選挙区 国民民主党 当選 752,187票 1位

外交防衛委員長から防衛副大臣へ

参議院では外交・安全保障分野で役職を重ねました。2009年には参議院外交防衛委員長となり、同年9月の鳩山内閣で防衛副大臣に就任します。

2010年の菅内閣でも防衛副大臣を務めました。米国とイスラエルでの生活経験を持つ榛葉氏にとって、外交・防衛は国会議員として長く関わる政策分野となっています。

2012年には外務副大臣として外交実務を担当

2012年10月、第3次野田改造内閣では外務副大臣に就任しました。

その後も参議院民主党国会対策委員長、民進党参議院国会対策委員長、参議院内閣委員長などを歴任しています。

政党再編を経て国民民主党へ

榛葉氏の国政入りは民主党でした。その後、民進党などの政党再編を経て、2018年に結成された国民民主党で参議院幹事長、静岡県連会長を務めました。

2020年には再編後の国民民主党へ参加。衆議院でも独立した国民民主党の会派として臨むことが決まった際には、「七人の侍」と表現して仲間への敬意を示しています。

2020年から国民民主党幹事長

2020年9月、国民民主党幹事長に就任しました。党運営、候補者擁立、他党との政策協議、全国の選挙応援など、活動範囲は大きく広がりました。

国民民主党は「対決より解決」「政策本位」を掲げています。榛葉氏も、選挙時の公約を実現する姿勢について、党の街頭演説でこう訴えています。

「馬鹿正直と言われようと、掲げた公約を実現することにこだわっていく」

出典:国民民主党「国民のための政策を進める。」(2023年12月22日)

2024年の衆院選や2025年の参院選で党の議席が増えるなか、幹事長として全国各地の選挙区を回る姿も広く知られるようになりました。

政治人生の転機 榛葉賀津也の政治人生の転機
01
1986年~1991年
米国・イスラエルで政治と国際問題を学ぶ
掛川西高校卒業後に渡米し、オタバイン大学で政治学・国際問題を専攻。テルアビブ大学やヘブライ大学大学院でも学んだ。
なぜ転機なのか 日本を離れて米国と中東で生活し、その後長く取り組む外交・安全保障分野につながる経験を積んだため。
02
1994年~1998年
菊川町議から町長選へ
1994年に菊川町議へ初当選し、1998年には町長選へ挑戦したが落選した。
なぜ転機なのか 地方議員として政治家生活を始め、町政のトップを目指す選挙まで経験したため。
03
2001年7月
地方政治から参議院へ
民主党公認で第19回参議院議員通常選挙の静岡県選挙区へ立候補し、478,508票を得て初当選した。
なぜ転機なのか 菊川町を基盤とした地方政治から、国政へ活動の場を移したため。
04
2020年9月
新しい国民民主党の幹事長へ
2020年に発足した国民民主党で幹事長に就任し、党運営や選挙、与野党間の政策協議を担う立場となった。
なぜ転機なのか 参議院や政府で外交・防衛を担った政治家から、政党全体の運営を支える中枢へ役割が広がったため。

ヤギの世話をしてから国会へ向かう一面も

政治以外で知られているのが、地元で飼っているヤギです。国会開会中でも早朝に世話をし、その後東京へ向かう生活を続けてきました。

2021年にはヤギ小屋や餌やりの様子を本人公式Xでも紹介しています。外交・防衛や党務を語る姿とは別の、地元での生活が見える発信です。

榛葉賀津也氏が重視してきた政策分野

参議院や政府での経歴を通じ、継続して関わってきた主な分野は次の通りです。

  • 外交・安全保障:外交防衛委員長、防衛副大臣、外務副大臣を経験し、中東情勢や日米関係、安全保障政策について発言を続けている
  • エネルギー政策:資源・エネルギーの安定供給を外交・安全保障とも結び付けて扱っている
  • 家計・経済政策:国民民主党幹事長として所得税や社会保険料、ガソリン税など「手取り」に関わる政策協議に携わっている
  • 地方組織の拡大:全国各地の選挙や政治塾へ入り、地方議員を増やす党組織づくりを進めている

2026年には、中東情勢が緊迫するなかでも外交防衛委員会に所属し、党幹事長として外交、安全保障、エネルギー価格などについて継続的に発言しています。

2026年8月時点でも参議院議員・国民民主党幹事長

2026年8月時点では、静岡県選挙区選出の参議院議員5期で、国民民主党幹事長を務めています。参議院では外交防衛委員会と国家基本政策委員会に所属しています。

党務では、次の統一地方選を見据えた地方議員・候補者の拡大にも力を入れています。2026年8月にも各地の党活動へ参加し、家計負担の軽減や地方組織強化について訴えています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー
その他の参考資料

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