国光あやのの経歴・学歴と生い立ち|医師・厚労省医系技官から国政、外務副大臣まで

国光あやの
ひと目でわかるプロフィール 国光あやの
くにみつ あやの
出身地
山口県大島郡久賀町(現・周防大島町)
初当選
2017年(第48回衆議院議員総選挙)
最終学歴
東京医科歯科大学大学院博士課程修了
主な前職
医師、官僚・国家公務員
政界入り
政治家の後継として
生年月日 1979年3月20日
血液型 A型

国光あやの氏は、医師として救急・地域医療を経験し、厚生労働省の医系技官を経て国政へ進んだ衆議院議員です。医療の現場から制度づくりへ、さらに選挙、政府役職、外交へと活動領域を広げてきました。

政治家になる以前の歩みをたどると、柔道に打ち込んだ高校時代、海外の保健医療に触れた大学時代、病院と行政の双方で働いた経験が、一本の流れとして見えてきます。

国光あやの氏を理解する3つのポイント
  1. 柔道や海外での保健医療活動を通じ、人の健康を社会の仕組みから考える道へ進んだ
  2. 医師と厚労省医系技官を経て、2017年に茨城6区から国政へ進んだ
  3. 医療・社会保障を軸に、研究都市、危機管理、地域交通、外交へ政策領域を広げてきた

国光あやのの生い立ち|周防大島に生まれ、転勤の多い家庭で育つ

国光あやの氏は1979年3月20日、山口県大島郡久賀町、現在の周防大島町で生まれました。家系は代々のみかん農家で、本人も祖母とみかんを収穫する幼少期の写真を紹介しています。

母は薬剤師、父は会社員でした。父の転勤が多く、幼少期は何度も生活環境が変わる家庭で育っています。

公式プロフィールでは、周防大島を健康長寿で知られる島として振り返り、母が薬剤師だったことも含め、幼い頃から健康や医療を身近に感じていたと記しています。

国光あやのの学歴|柔道に打ち込んだ高校時代、医師を志す

学歴一覧国光あやのの学歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校広島県立広島観音高等学校―56(2026年度)柔道部で活動
大学長崎大学医学部医学科65.0(2027年度前期)医師を志して進学
大学院UCLA公衆衛生大学院公衆衛生日本式の偏差値なし修士課程修了
大学院東京医科歯科大学大学院博士課程大学院は偏差値で単純比較しない博士課程修了

※偏差値は本人の在学当時ではなく現在の入試難易度の目安です。広島観音高校は2026年度版、長崎大学医学部医学科は河合塾Kei-Netの2027年度前期ボーダーを参考にしています。

広島県立広島観音高等学校では柔道部に所属しました。小柄な選手が大きな相手を投げる姿に憧れて柔道を始め、朝から晩まで稽古に打ち込んだと振り返っています。

高校時代、親しい友人が柔道の稽古で大けがをし、療養生活を送ることになりました。その友人の姿を目の前にしたことが、医師を志す具体的な契機になりました。

友人の姿から「医師になろう」と一念発起。

出典:自由民主党「自由民主1面コラム『幸響』国光 あやの 広報本部新聞出版局次長」(2025年2月25日)

それまで本人は勉強を得意としていなかったとしていますが、医学部進学を目標に勉強へ力を入れ、長崎大学医学部へ進学しました。柔道で身につけた「心技体」や「守破離」といった考え方は、後年も自身の支柱として挙げています。

長崎大学で熱帯医学へ――病気の背景にある社会を見る

長崎大学医学部では、熱帯地域の医学や公衆衛生に関心を深めました。学生グループの代表として、アフリカ、東南アジア、南米などを訪れ、マラリア、エイズ、検診、公衆衛生に関する活動に参加しています。

訪問した国は約50カ国に及びました。そこで目にしたのは病気そのものだけではなく、その背後にある貧困や教育などの社会問題でした。治療だけでなく、病気を生み出す社会の仕組みに関わる仕事へ関心が広がっていきます。

社会構造を変えるために政策に関わりたいという気持ちはありました。

出典:coFFee doctors「国光あやの」(2020年1月7日)

大学4年生のときには、厚生労働省の医系技官による講義を受けました。臨床とは異なる形で医療へ関わる仕事を知り、厚労省への入職を将来の選択肢として意識するようになったと語っています。

救急・地域医療から、厚労省の医系技官へ

2003年に長崎大学医学部を卒業すると、国立病院機構災害医療センターや東京医療センターなどで医師として勤務しました。茨城県の霞ヶ浦医療センターでも当直を経験し、内科、救急、在宅医療などに携わりました。

救急の現場では、児童虐待を受けた患者を診療した経験が強く印象に残ったと後年のインタビューで語っています。患者や家族だけを切り離して見るのではなく、その背景にある生活や社会の条件にも目を向ける必要性を感じた出来事でした。

2005年には厚生労働省へ入り、医系技官として制度づくりの側へ移りました。感染症対策、診療報酬・介護報酬、災害対策、国立病院管理、医師確保、がん検診など、複数の分野を担当しています。

勤務の途中には米国へ留学し、2008年にUCLA公衆衛生大学院の修士課程を修了しました。感染症、がん、医療経済、統計などを学び、2010年には東京医科歯科大学大学院博士課程を修了しています。

人生年表 国光あやのさんの歩み
1979年3月20日
山口県大島郡久賀町で生まれる
現在の周防大島町
1997年
広島県立広島観音高等学校を卒業
柔道部での友人の大けがを契機の一つとして医学部を志す
2003年3月
長崎大学医学部を卒業
熱帯医学を学び、海外で保健医療活動を経験
2003年4月
国立病院機構災害医療センターなどで医師として勤務
救急医療・内科・在宅医療などを経験
2005年
厚生労働省に入省
医系技官として医療・介護・感染症・災害対応などに従事
2008年3月
UCLA公衆衛生大学院修士課程を修了
公衆衛生学修士
2010年3月
東京医科歯科大学大学院博士課程を修了
医学博士
2017年
厚生労働省を退職
保険局医療課課長補佐を最後に政界へ
2017年10月
第48回衆議院議員総選挙で初当選
茨城県第6区
2022年8月
総務大臣政務官に就任
第2次岸田改造内閣
2024年10月
第50回衆議院議員総選挙で比例復活
北関東ブロックで議席を維持
2025年10月
外務副大臣に就任
政府の外交実務を担当
2026年2月
第51回衆議院議員総選挙で小選挙区当選
茨城県第6区で4選
2026年9月
外務副大臣を退任
9月18日に本人が退任を報告

国光あやのの経歴|厚労省を離れ、茨城6区から国政へ

厚労省では最終的に保険局医療課課長補佐として診療報酬を担当しました。その後、元厚生大臣の丹羽雄哉氏の後継として声をかけられ、茨城県第6区から政治へ進むことになります。

将来にわたり、持続可能な医療、社会保障制度を作りたい

出典:国光あやの公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)

2017年に厚労省を退職し、同年10月の第48回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補しました。茨城6区で初当選し、官僚から国会議員へ立場を変えました。

初当選後は、医療・社会保障に加え、科学技術、地域交通、農業、外交などへ扱う政策分野を広げていきます。

2期目の当選、総務大臣政務官、2024年の比例復活

2021年の第49回衆院選では茨城6区で再選しました。2022年8月には第2次岸田改造内閣で総務大臣政務官に就任し、国会議員として初めて政府の役職を担いました。

一方、2024年10月の第50回衆院選では、茨城6区で立憲民主党の青山大人氏が国光氏を上回りました。国光氏は小選挙区では議席を得られなかったものの、比例北関東ブロックで復活当選し、3期目の議席を維持しました。

小選挙区での初めての敗北を挟みながらも国会での活動は途切れず、その翌年には政府の外交部門へ移ることになります。

外務副大臣として外交の前線へ

2025年10月、外務副大臣に就任しました。医師・厚労省医系技官として国内の医療政策に長く関わってきた経歴に、政府を代表する外交実務が加わります。

2026年2月の第51回衆院選では茨城6区で小選挙区当選し、4選しました。その後も外務副大臣として活動し、同年4月には核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議、7月にはニューヨークの国連本部で開かれた持続可能な開発のためのハイレベル政治フォーラムに出席しています。

「2030年、子どもたちにどのような世界を残せるか」を問うていました。

出典:外務省「持続可能な開発のためのハイレベル政治フォーラム(HLPF)閣僚級会合における国光外務副大臣ステートメント」(2026年7月15日)

外交活動では国際会議だけでなく、各国で政府関係者や企業、現場を訪ねる機会も重ねました。ウクライナをめぐる安全保障では、ドローンやAIなど急速に変わる技術を現地で確認した様子も公式Xで発信しています。

外務副大臣としてはインド、ブータンなどへの訪問も行い、2026年9月まで外交実務を担当しました。9月18日、本人が外務副大臣を退任したことを報告しています。

選挙歴 国光あやのの選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬・初当選。候補者届出名は「国光あやの」。選挙結果資料では戸籍名「佐藤文乃」の表記も確認できる。
茨城県 第6区 自由民主党 当選 102,820票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
2選。
茨城県 第6区 自由民主党 当選 125,703票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:小選挙区1 比例復活:あり
茨城6区では青山大人氏に及ばず、重複立候補していた比例北関東ブロックで当選し3選。
茨城県 第6区/比例北関東ブロック 自由民主党 比例代表北関東ブロックで復活当選 107,305票 小選挙区2位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区で4選。
茨城県 第6区 自由民主党 当選 107,388票 1位

国光あやの氏の政策・政治姿勢

医療・社会保障を制度と成長の両面から考える

国光氏が継続して扱ってきた中心分野の一つが医療・社会保障です。近年は「ヘルスケア・トランスフォーメーション」を掲げ、公的医療保険を基盤として維持しながら、予防、健康管理、データ活用など周辺のヘルスケア分野も育てる構想を提言しています。

公的保険というセーフティネットは堅持しつつ、その外のヘルスケア産業を、質も含め健全な成長へ。

出典:国光あやの公式サイト「ヘルスケアの成長に向けた改革」(2025年7月3日)

疾患ごとの課題にも関わっています。腎疾患をめぐっては、治療の選択肢だけでなく、透析患者への緩和ケアや療養生活の質まで含めた提言を議員活動の中で扱っています。

出産費用と「身寄りのない高齢者」への支援

出産費用の負担軽減では、出産育児一時金の42万円から50万円への引き上げや、施設ごとの出産費用を確認できる「出産なび」など、すでに実施された制度と、その先の提言を分けて発信しています。

2025年の提言で掲げた「お財布のいらない出産」は、産科医療機関への支援と合わせて出産時の自己負担を減らすことを求めたものです。すでに全国一律で実施済みの制度としてではなく、政策提言として位置付けられています。

高齢者政策では、親族による支援を得にくい人の身元保証、入院・施設入所、死後の手続きなどを課題として扱っています。支援事業者のガイドラインや認証、自治体と民間の連携、デジタル基盤、成年後見制度との接続など、複数制度にまたがる仕組みを提案してきました。

つくばの研究力を地域の成長につなぐ「TSUKUBA2.0」

選挙区には研究学園都市・つくばがあります。2026年には「TSUKUBA2.0」を掲げ、大学や国立研究機関、企業、研究者が集積する地域の資源を、新たな研究開発や産業へつなぐ構想をまとめました。

提言では、研究機関同士をつなぐ「Tsukuba Innovation Hub」構想のほか、研究施設の老朽化対策や、研究者が研究へ集中できる環境整備などを挙げています。

TXの混雑対策と輸送力の強化

地域交通では、つくばエクスプレス(TX)の混雑を生活上の課題として扱ってきました。列車の8両編成化へ向けたホーム延伸など、輸送力を増やすための取り組みを継続的に発信しています。

東京駅延伸と空港アクセスを見据えた広域交通

日々の混雑対策とは別に、TXを首都圏の広域交通としてどう伸ばすかという議論にも関わっています。東京駅方面への延伸や、将来の空港アクセスとの接続を視野に入れた構想について国や関係機関へ働きかけています。

危機管理と医療機器のサプライチェーン

医療と安全保障が交差する分野では、化学・生物・放射性物質・核・爆発物を使うCBRNEテロへの対応強化を提言しています。情報収集だけでなく、警察、消防、医療、防衛などの現場へ迅速に共有し、平時から訓練や人材育成を進める体制を求めています。

国民の生命を守るためには、現場の迅速な判断と行動につながってこそ価値があります。

出典:国光あやの公式サイト「CBRNEテロ対策強化へ!」(2026年6月24日)

もう一つの課題が、医療機器や医療・福祉用品を安定して確保できる供給網です。国内生産、友好国との連携、備蓄、技術開発などを組み合わせ、国際情勢の変化による供給途絶へ備える考えを示しています。

2026年には、石油化学製品の原料となるナフサの供給問題が医療・福祉用品へ波及する可能性についても発信しました。

国際保健を外交と産業の両面から扱う

大学時代から続く国際保健への関心は、国会議員になった後も政策分野として残っています。自由民主党の国際協力調査会では、東南アジアやアフリカでの医療協力、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ、日本の医療技術や企業が国際協力へ参加する仕組みなどを議論してきました。

援助を行う側と受ける側という一方向の関係だけでなく、日本の医療技術や人材を活用しながら相手国の医療体制を持続可能にすることを政策テーマとして掲げています。

外務副大臣期のSNS発信と政府の注意

外務副大臣在任中の2025年12月、国光氏は小西洋之参議院議員の質問通告をめぐりSNSで発言しました。この発言について政府は同月26日の参議院質問主意書への答弁書で「事実誤認に基づく発言であった」との見解を示しました。

同答弁書では、木原稔官房長官と茂木敏充外相から国光氏へ厳重に注意したことも明らかにしています。一方、政府はその時点で、外務副大臣として引き続き職責を全うするとの考えを示しました。

動画で見る国光あやの氏の政策発信

医療分野の政策発信では、自民党公式番組「CafeSta」で医療従事者のタスクシフトと医療DXについて説明した回があります。文章とは異なり、政策を本人がどのような言葉で説明するかを確認できます。

国光あやの氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

出産費用・子育て支援

感染症・医療危機管理

つくば・科学技術イノベーション

ジェネリック医薬品の安定供給

国際協力・国際保健

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

国光あやの氏の現在情報

2026年9月25日 時点
現在の公職 衆議院議員
現在の所属 自由民主党
選挙区・選出地域 茨城6区
現在の期・任期 衆議院議員4期目

2026年9月18日に外務副大臣を退任。直前までインド・ブータン訪問などの外交実務を担当しており、9月25日時点では衆議院議員として国政活動を継続している。

政治人生の転機 国光あやのの政治人生の転機
01
2005年
臨床医から厚生労働省の医系技官へ
病院勤務を経て厚生労働省に入り、医療・介護・感染症・災害対応などの制度づくりに携わった。
なぜ転機なのか 患者を診る臨床現場から、医療制度そのものを扱う行政へ仕事の軸が移ったため。
02
2017年
厚労省を退職し、茨城6区で初当選
厚労省保険局医療課課長補佐を最後に退職し、第48回衆院選へ出馬して初当選した。
なぜ転機なのか 国家公務員から選挙で選ばれる国会議員へ立場が変わったため。
03
2024年10月
小選挙区敗北から比例復活
茨城6区では2位となったが、比例北関東ブロックで復活当選し議席を維持した。
なぜ転機なのか 初めて小選挙区で敗れながら、国会議員としての活動を継続することになったため。
04
2025年10月
外務副大臣に就任
外務副大臣となり、国際会議や各国との外交実務を担当した。
なぜ転機なのか 医療・社会保障や国内政策を中心としてきた活動に、政府を代表する外交実務が加わったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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