上川陽子氏は、静岡県第1区から選出されている自由民主党の衆議院議員です。3度の法務大臣、外務大臣などを歴任し、2024年には自民党総裁選にも立候補しました。
その歩みをさかのぼると、静岡で過ごした少女時代から東京大学、三菱総合研究所、ハーバード大学大学院、米国連邦議会上院議員事務所へと続きます。政治家の家に生まれたわけではなく、初当選までには長い草の根活動も経験しました。
- 静岡市で育ち、東京大学、三菱総研、ハーバード大学院を経て、米国政治の現場も経験しました。
- 1996年の初出馬では落選し、草の根活動を続けて2000年に初当選。2009年の落選からの国政復帰も経験しています。
- 法務大臣を3回、外務大臣を務め、2024年には自民党総裁選へ立候補。2026年2月の衆院選で9選しました。
静岡市で育ち、母から聞いた「弾む鞠」の言葉
上川陽子氏は1953年3月1日、静岡県静岡市に生まれました。横内小学校から静岡雙葉中学校・高等学校へ進み、その後、東京大学へ進学しています。
本人が後年、学生とのインタビューで振り返っているのが、大学へ進学するときに母から聞いた言葉です。母は、娘を「弾む鞠のように育ってほしい」と願って育てたと話したといいます。
「初当選まで7年半の歳月がかかりましたから、結構粘り強く運動をしてきたと思います。」
出典:実践女子大学「日本で活躍する女性リーダーに本学学生がインタビューしました(Vol.3)」(2019年6月7日)
この「弾む鞠」というイメージは、選挙で壁にぶつかったときにも思い出していたと語っています。政治家の親族、知名度、十分な資金といった従来の「地盤・看板・かばん」を持たない状態からの挑戦でした。
東京大学で国際関係論を学び、三菱総合研究所へ
東京大学では国際関係論を学びました。学生時代の卒業論文では日米安全保障条約を取り上げ、当時の交渉当事者だった衆議院議員・赤城宗徳氏を自ら訪ねて話を聞いた経験もあります。
1977年3月に大学を卒業すると、同年4月に三菱総合研究所へ入社。研究員として働きました。政治家になる前から、社会や政策を調査し、課題を考える仕事に携わっていたことになります。
ハーバード留学で日本を外から見る
30代になると、上川氏の歩みは海外へ広がります。1986年から1988年にかけてフルブライト奨学生として米国へ渡り、ハーバード大学J.F.ケネディスクールで政治行政を学びました。
留学中には、モンタナ州選出だったマックス・ボーカス上院議員の事務所でインターンフェローとして働き、米国政治の現場にも入りました。2026年に本人が紹介した一枚の写真には、キャピトルヒルのマラソン大会に出場するボーカス議員を、自作の応援ボードを持って応援する姿が残っています。
一方、米国で世界各国の学生と接した経験は、日本の将来を考えるきっかけにもなりました。当時は日本経済がバブル期にありましたが、アジア各国から来た学生が懸命に学ぶ姿を見て、将来の日本に危機感を持ったと振り返っています。
「そんな危機感から、新しい日本の国づくりのため精一杯働きたいと強く考え、帰国後政治の道をめざしました。」
出典:内閣府男女共同参画局「共同参画 2008年4・5月号 スペシャル・インタビュー」(2008年4・5月号)
1988年6月にハーバード大学大学院を修了し、政治行政学修士を取得。同年12月には政策コンサルタント会社を設立しました。
政策コンサルタントから国政へ、1996年の初出馬は落選
帰国後は民間の立場から政策に携わりながら、国政を目指す活動を始めます。ただ、政治家一族の後継者として用意された選挙区から出馬したわけではありません。
1996年10月、第41回衆議院議員総選挙で静岡1区から無所属で初出馬しました。結果は26,828票で落選。最初の挑戦では議席に届きませんでした。
そこから地元を歩き、一人ひとりに支援を求める活動を続けます。本人の言葉では、政治を志してから初当選まで「7年半」。2000年6月の第42回衆院選で58,358票を得て初当選しました。
2003年の第43回衆院選では静岡1区で次点となりましたが、比例東海ブロックで復活当選。2005年には静岡1区で99,702票を得て3選を果たしています。
2003年は静岡1区の小選挙区当選ではなく、比例東海ブロックでの復活当選です。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1996年 10月20日 |
第41回衆議院議員総選挙
初出馬
|
静岡県 第1区 | 無所属 | 落選 | 26,828票 5位 |
| 2000年 6月25日 |
第42回衆議院議員総選挙
初当選
|
静岡県 第1区 | 無所属 | 当選 | 58,358票 1位 |
| 2003年 11月9日 |
第43回衆議院議員総選挙
静岡1区では落選し、比例東海ブロックで当選
|
静岡県 第1区・比例東海ブロック | 自由民主党 | 当選 | 67,437票 小選挙区2位 |
| 2005年 9月11日 |
第44回衆議院議員総選挙
3選
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 99,702票 1位 |
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
議席を失う
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 落選 | 96,096票 2位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
約3年ぶりに国政へ復帰
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 81,278票 1位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
5選
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 89,544票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
6選
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 96,500票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
7選
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 101,868票 1位 |
| 2024年 10月27日 |
第50回衆議院議員総選挙
8選
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 114,278票 1位 |
| 2026年 2月8日 |
第51回衆議院議員総選挙
9選
|
静岡県 第1区 | 自由民主党 | 当選 | 127,488票 1位 |
政府の仕事へ、少子化・男女共同参画と公文書管理
3選後の2005年11月、総務大臣政務官に就任しました。2007年8月には内閣府特命担当大臣として初入閣し、少子化対策、男女共同参画、食育、青少年育成などを担当します。
この時期までに力を入れていたテーマの一つが、犯罪被害者支援でした。上川氏は2004年に成立した犯罪被害者等基本法の制定に関わり、その後も司法制度や被害者支援を継続的に扱っています。
2008年3月には初代の公文書管理担当大臣となりました。公文書を行政内部の記録としてだけではなく、将来の国民に残す公共的な財産として扱う制度づくりに携わり、後の公文書管理法につながる仕事を進めています。
「自民党を変えていくために自民党に入りました。その志もその思いも変わっておりません」
出典:SBS NEWS「『どのような声もありがたく受け止める』上川外相の政治家人生」(2024年9月11日)
2009年の落選、3年余りを経て国政へ復帰
順調に当選を重ねていた政治人生は、2009年の第45回衆院選でいったん途切れます。静岡1区で96,096票を得ましたが2位となり、比例復活もできず落選しました。
国政から離れた期間を経て、2012年12月の第46回衆院選に再び静岡1区から立候補。81,278票を獲得して当選し、約3年ぶりに衆議院へ復帰します。
2013年には総務副大臣に就任。翌2014年には衆議院厚生労働委員長、自民党女性活躍推進本部長などを務め、同年10月、初めて法務大臣に就任しました。
3度の法務大臣と、2018年の死刑執行
上川氏は2014年、2017年、2020年と、通算3回にわたり法務大臣を務めました。司法制度、再犯防止、性犯罪をめぐる法制度、犯罪被害者支援など、長く司法分野に携わっています。
その経歴の中でも極めて重い判断となったのが、2018年7月の死刑執行です。7月6日に松本智津夫死刑囚ら7人、7月26日に残る6人と、オウム真理教事件の死刑確定者13人の刑が2回に分けて執行されました。
「死刑は人の命を絶つという極めて重大な刑罰です。」
出典:法務省「上川法務大臣官邸記者会見の概要」(2017年8月3日)
上川氏は死刑について、慎重に扱う必要がある一方、法治国家として確定した裁判の執行にも向き合うという考えを示していました。
死刑制度そのものへの賛否と、個別事件の刑事裁判、法務大臣による執行命令は、それぞれ分けて見る必要があります。オウム真理教事件の刑事裁判は2018年1月までに終結し、同年7月に刑が執行されました。
約20年ぶりの女性外務大臣として外交の前線へ
2023年9月13日、第2次岸田第2次改造内閣で外務大臣に就任しました。女性が外務大臣を務めるのは川口順子氏以来、約20年ぶりでした。
外相在任中は日米関係、ウクライナ、中東、G7、グローバル・サウスとの外交など幅広い課題に対応しました。2024年1月には米ワシントンを訪れ、アーリントン国立墓地で無名戦士の墓に献花しています。
同年4月には外務大臣就任後初めてアフリカを歴訪し、マダガスカルなどを訪問しました。欧米だけではなく、アフリカやASEAN諸国との関係構築にも活動範囲を広げています。
WPSを外交政策の一つの柱に
外相として特に前面へ出したテーマが、女性・平和・安全保障を意味するWPSです。紛争や災害で女性を保護される側だけに置くのではなく、和平、復興、平和構築を担う主体として政策決定へ参加させる考え方です。
「WPSを外交の横串として、具体的な政策に落とし込んでいく取組を進めてまいります。」
出典:外務省「上川外務大臣会見記録」(2024年3月26日)
2024年、自民党総裁選への挑戦
外相として活動する中で、上川氏は次の段階へ進みます。岸田文雄首相が2024年8月14日に自民党総裁選へ立候補しない意向を表明すると、上川氏も出馬に向けて動きました。
「8月14日です。岸田文雄総理が総裁選への不出馬を表明されたのを受けて、決意を固めました。」
出典:文藝春秋PLUS「上川陽子・外務大臣『しんがり』覚悟で女性初の総理に」(2024年9月9日)
9月11日に出馬を正式表明し、「一緒に創りませんか 日本の新しい景色」を掲げました。政治改革、経済、外交・安全保障、女性活躍などを含む政策を示し、9人で争われた総裁選へ臨みました。
総裁には届きませんでしたが、法相や外相として政策を執行する立場だけでなく、自ら政権構想を示して党のトップを争うところまで政治活動の範囲を広げました。
上川陽子氏が長く取り組んできた政策
上川氏の政策は、一度の選挙で掲げた公約だけを見ると全体像をつかみにくい政治家です。国会議員としての長い活動を追うと、複数のテーマを何年も継続して扱っています。
女性活躍と男女共同参画
2007年に男女共同参画担当大臣を務め、党でも女性活躍を担当してきました。2026年8月時点では自民党女性活躍推進特別委員会委員長を務めています。
同委員会では、女性議員の増加だけでなく、女性の健康、意思決定層への参画、アンコンシャス・バイアスなども議論しています。外相時代に推進したWPSも、この長い活動の延長にあります。
犯罪被害者を支える制度
犯罪被害者支援は、初期の議員活動から続くテーマです。犯罪被害者等基本法の制定に関わり、その後も司法制度調査会などで取り組んできました。
2026年7月には、上川氏が座長を務める党のPTが、犯罪被害者支援の包括的な拠点やワンストップ機能の定着・深化などを盛り込んだ提言を国家公安委員長へ申し入れています。
公文書を将来へ残す仕組み
初代公文書管理担当大臣を務めた経験も、上川氏の経歴を特徴づけています。公文書管理法につながる制度整備を進め、2024年の総裁選でも、自ら取り組んできた政策の一つとして公文書管理を挙げました。
医療政策を議員連盟から掘り下げる
近年は個別の医療課題にも取り組んでいます。2025年には「腎疾患を軸に医療の未来を拓く勉強会」の会長として、透析患者への緩和ケアなどを含む医療支援の提言を厚生労働大臣へ提出しました。
同年12月には、代表を務める歯科技工士に関する議員連盟でも厚生労働大臣へ申し入れを行っています。大きな制度論だけではなく、職種や患者が直面している具体的な問題を議員連盟で扱う活動も続けています。
地方発の成長、安全保障、人づくり
2026年の衆院選では、物価高への対応と地方発の成長、安全保障、人づくりなどを前面に出しました。
- 物価高に対処し、地方発の成長を実現すること
- 複数の側面から安全保障を強化すること
- 地域と世界で活躍する人を育てること
- 人口構造の変化を見据え、新しい日本のかたちをつくること
選挙で掲げた政策を、そのまま実施済みの成果として扱うことはできません。ここでは2026年選挙時に示した政策の方向として見るのが適切です。
海洋科学を産業と人材育成につなげる
2026年6月には「国連海洋科学の10年」超党派議員連盟の活動として、海洋イノベーション、研究投資、人材育成、研究機関の連携などを柱とした提言を政府へ提出しています。
地元・静岡との関係と9回の当選
上川氏の国政での役職は東京を中心としますが、選挙では一貫して静岡を基盤としてきました。2000年の初当選以来、2003年の比例復活を含めて当選を重ねています。
2024年10月の第50回衆院選では114,278票を得て8選。さらに2026年2月の第51回衆院選では、静岡1区で127,488票を得て9回目の当選を果たしました。
自身の選挙がない時期にも、静岡県内の選挙や地域活動へ入っています。2025年の参院選でも地元静岡で候補者を支援していました。
2026年8月時点の上川陽子氏
2026年8月時点では、上川氏は静岡県第1区選出、当選9回の衆議院議員です。衆議院公式プロフィールでも自由民主党・無所属の会所属、静岡県第1区選出として掲載されています。
党内では女性活躍推進特別委員会委員長を務めるほか、憲法改正実現本部副本部長、犯罪被害者支援に関するPT座長などを担当しています。
公職、党役職、所属、当選回数などの変動情報は2026年8月23日時点で確認しています。
政治家を目指すきっかけとなった米国留学から数えると、民間での政策活動、二度の落選、9回の当選、3度の法務大臣、外務大臣、そして総裁選への挑戦まで、歩みは一方向ではありません。
本人の政治家としての原体験や、どのようなリーダーを目指してきたのかは、2024年の総裁選時に本人公式YouTubeでも語っています。
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選挙区、所属、出生地、学歴、主要職歴、閣僚・党役職、当選回数を確認
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所属、静岡1区、公式サイト、公式X、公式YouTubeを確認
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生い立ち、学歴、三菱総合研究所、ハーバード大学大学院、米上院議員事務所、政策コンサルタント、政治経歴を確認
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出生、大学卒業、三菱総合研究所、ハーバード大学大学院、政策コンサルタント会社、衆議院当選歴、政府役職を確認
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学生時代、母の言葉、初当選までの草の根活動などを確認
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米国留学と政界入りの経緯、男女共同参画への考えを確認
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ハーバード大学留学、マックス・ボーカス米上院議員事務所での経験を確認
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2018年のオウム真理教事件死刑確定者13人の刑執行時期を確認
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WPSを外交政策へ位置付ける考えを確認
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2026年2月8日の静岡県第1区における選挙結果を確認
この記事の更新履歴
- 2026年8月23日 記事を新規作成。現況情報を確認



















































