赤澤亮正の経歴・学歴と生い立ち|運輸官僚から鳥取2区、日米関税交渉と経済産業大臣まで

ひと目でわかるプロフィール 赤澤亮正
あかざわ りょうせい
出身地
東京都
初当選
2005年(第44回衆議院議員総選挙)
最終学歴
米国コーネル大学経営大学院修了(MBA)
主な前職
官僚・国家公務員
政界入り
官僚から
生年月日 1960年12月18日

赤澤亮正氏は、鳥取県第2区を政治基盤とする自由民主党の衆議院議員です。2026年8月時点では8期目で、経済産業大臣として産業競争力、GX、エネルギーや重要物資の安定確保などを担当しています。

政治家になる前は約20年間、運輸省・国土交通省を中心に行政の現場を歩みました。若手官僚時代に経験した航空機事故、米国留学、日米航空交渉、北海道への出向を経て、40代半ばで鳥取から国政へ進んだ人物です。

赤澤亮正氏を理解する3つのポイント
  1. 東京大学法学部から運輸省へ入り、コーネル大学MBA、日米航空交渉、北海道庁への出向などを経験しました。
  2. 2005年に鳥取2区から衆院選へ初出馬し、以後8回の衆議院選挙ですべて小選挙区当選しています。
  3. 防災を政治活動の原点に据え、経済再生担当大臣、日米関税交渉の担当を経て経済産業大臣を務めています。

東京都生まれ 祖父・赤沢正道氏と鳥取との縁

赤澤亮正氏は1960年12月18日、東京都に生まれました。祖父は衆議院議員や自治大臣を務めた赤沢正道氏です。

本人は鳥取について、祖父が政治に情熱を傾け、母・薫子氏が青春時代を過ごした土地だと紹介しています。ただし、若いころから祖父の議席をそのまま継いだわけではありません。大学卒業後はまず国家公務員となり、約20年間にわたって行政実務を経験しました。

後に鳥取2区から政治の世界へ入った際、その地域への思いを次のように表現しています。

「この国、地域、故郷のために、私の半生を捧げて参ります。」

出典:自由民主党鳥取県支部連合会「赤沢亮正」(公開日記載なし)

東京大学法学部から運輸省へ 2年目に御巣鷹山の事故を経験

1984年3月に東京大学法学部を卒業し、同年4月に運輸省へ入省しました。国の交通行政を担う官僚としてのスタートです。

入省2年目の1985年8月、日本航空123便墜落事故が起きました。赤澤氏は、東京航空局から「500人以上を乗せたジャンボ機がレーダーから消えた」という第一報が入った場に居合わせたと振り返っています。

「私は役人になって2年目に御巣鷹山の事故を経験しています。」

出典:内閣府「赤澤内閣府特命担当大臣記者会見要旨」(2024年10月2日)

事故対応や遺族の悲しみ、怒りを目の当たりにした経験は、後年まで本人の中に残りました。2026年の国会でも、多くの人が亡くなる事件・事故・災害をなくしたいという思いが「行政マンとしても政治家としても原点」だと語っています。

コーネル大学MBA、日米航空交渉、北海道庁への出向

行政官として働く一方、1989年には米国コーネル大学経営大学院へ留学し、1991年にMBAを取得しました。帰国後も交通・国際分野を中心に実務経験を重ねます。

1994年には航空局監理部国際航空課の補佐官として日米航空交渉を担当しました。後に日米関税交渉を担うことになりますが、米国との経済交渉に携わった経験は官僚時代からあります。

1996年には北海道庁へ出向し、企画振興部交通対策課長などを務めました。その後、運輸省大臣官房、国土交通省大臣官房で企画官を歴任しています。

2004年には日本郵政公社へ移り、郵便事業総本部国際本部海外事業部長として物流戦略を担当しました。運輸・航空・地域交通・国際政策・物流まで、約20年にわたり行政の実務を経験した後、政治の世界へ進みます。

人生年表 赤澤亮正さんの歩み
1960年12月18日
東京都に生まれる
元自治大臣・赤沢正道の孫として生まれる
1984年3月
東京大学法学部を卒業
1984年4月
運輸省に入省
1985年8月
日本航空123便墜落事故の初動対応に接する
後年、防災・危機管理に取り組む原点の一つとして振り返る
1989年
米国コーネル大学経営大学院へ留学
1991年
米国コーネル大学でMBAを取得
1994年8月
運輸省航空局監理部国際航空課補佐官に就任
日米航空交渉を担当
1996年
北海道庁へ出向
企画振興部交通対策課長を務める
1999年6月
運輸省大臣官房文書課企画官に就任
2001年7月
国土交通省大臣官房秘書課企画官に就任
2004年7月
日本郵政公社郵便事業総本部国際本部海外事業部長に就任
物流戦略を担当
2005年9月11日
第44回衆議院議員総選挙で初当選
鳥取2区から国政へ
2012年12月
国土交通大臣政務官に就任
2014年9月
内閣府副大臣に就任
2016年1月
衆議院環境委員長に就任
2020年9月
内閣府副大臣に就任
2021年11月
衆議院原子力問題調査特別委員長に就任
2022年9月
自由民主党政務調査会長代理に就任
2023年11月
財務副大臣に就任
2024年10月
経済再生担当大臣に就任
経済財政政策、防災庁設置準備などを担当
2025年4月
米国関税措置をめぐる日米交渉の担当に就任
2025年10月21日
経済産業大臣に就任
2026年2月8日
第51回衆議院議員総選挙で8選
鳥取2区で当選
2026年2月18日
経済産業大臣に再任

2005年、鳥取2区から初出馬して国政へ

2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党から鳥取県第2区で立候補しました。45歳を迎える年の初挑戦です。

64,132票を獲得し、初出馬で衆議院議員に当選しました。長く続いた行政官としての生活から、選挙で有権者の信任を受ける政治家へ転身します。

2009年の第45回衆院選は特に厳しい戦いでした。民主党の湯原俊二氏が84,033票を得る中、赤澤氏は84,659票。わずか626票差で議席を守っています。

その後も鳥取2区を政治基盤とし、米子市、境港市、県中部、西伯郡、日野郡などで活動を続けました。国の政策を担う立場が大きくなった後も、地元でラジオ番組などに出演する姿を発信しています。

選挙歴 赤澤亮正の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬・初当選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 64,132票 1位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
2選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 84,659票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
3選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 87,395票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
4選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 76,579票 1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
5選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 72,827票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
6選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 75,005票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
7選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 81,526票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
8選
鳥取県 第2区 自由民主党 当選 67,736票 1位

国土交通大臣政務官、内閣府副大臣、財務副大臣へ

国政では、官僚時代の専門分野とも重なる国土交通政策から役職経験を積みました。2012年12月には国土交通大臣政務官へ就任します。

2013年には自民党国土交通部会長、2014年9月には内閣府副大臣へ。内閣府副大臣は2020年にも務めています。

国会では2016年に衆議院環境委員長、2021年には原子力問題調査特別委員長を経験しました。党でも国会対策副委員長、総務副会長、政務調査会長代理、税制調査会幹事などを務めています。

2023年11月には財務副大臣に就任。交通行政から始まった官僚時代に加え、国会議員としては経済財政、税制、環境、原子力、農林水産などへ担当分野を広げていきました。

政治人生の転機 赤澤亮正の政治人生の転機
01
1985年
御巣鷹山の事故と危機管理の原点
運輸省入省2年目に日本航空123便墜落事故の第一報が入る現場に居合わせ、事故対応や遺族の姿に接した。
なぜ転機なのか 本人が後年、事件・事故・災害で多くの人が亡くなることへの強い思いを行政マンとしても政治家としても原点と語り、防災をライフワークに位置付けているため。
02
2005年
約20年の官僚生活から鳥取2区の国会議員へ
運輸省・国土交通省、日本郵政公社などで行政実務を経験した後、第44回衆院選に鳥取2区から出馬し初当選した。
なぜ転機なのか 政策を行政側から担う官僚から、有権者の選挙によって国政を担う政治家へ立場が変わった。祖父・赤沢正道氏と母に縁のある鳥取を政治基盤とする歩みもここから始まった。
03
2024年10月
経済再生担当大臣として初入閣
石破内閣で経済再生担当大臣、内閣府特命担当大臣に就任し、経済財政政策に加えて防災庁設置準備などを担当した。
なぜ転機なのか 政務官、副大臣、党・国会の要職を重ねた後、国務大臣として政府の経済政策と危機管理政策を担う立場へ進んだ。
04
2025年4月~10月
日米関税交渉の責任者から経済産業大臣へ
米国の関税措置をめぐる日米交渉の担当に指名され、訪米を重ねて交渉を担当。7月の合意、9月の大統領令・了解覚書を経て、10月に経済産業大臣へ就任した。
なぜ転機なのか 国内政策中心の閣僚から、日米の通商・経済安全保障を直接交渉する役割へ広がり、その後は産業・通商・エネルギー政策を統括する経産相となった。

「防災はライフワーク」 事故・災害への備えを政治課題に

赤澤氏が繰り返し「ライフワーク」と表現してきたのが防災です。若手官僚時代に経験した航空機事故に加え、阪神・淡路大震災、東日本大震災などを経て、事前防災や国土強靱化を政治活動の柱としてきました。

東日本大震災後の国会では、巨大災害に備える担当大臣の必要性や、被害が起きてから元に戻すだけではなく、被害を減らすための事前投資を訴えています。

震災から15年となった2026年3月11日には、当時の国会質疑を振り返る投稿を本人公式Xで発信しました。

2024年の初入閣では防災庁設置準備も担当しました。平時の事前防災から発災時の対応、復旧・復興までを一貫して担う司令塔の必要性を国会で説明しています。

2024年、経済再生担当大臣として初入閣

2024年10月、石破内閣の発足に伴い、経済再生担当大臣として初入閣しました。内閣府特命担当大臣として経済財政政策も担います。

担当には新しい資本主義、賃金向上、スタートアップ、全世代型社会保障改革、感染症危機管理、防災庁設置準備などが含まれました。経済成長だけでなく、危機対応や社会保障も横断するポストでした。

2024年10月の第50回衆院選では鳥取2区で7選。大臣としての職務を続けることになります。

2025年、日米関税交渉の責任者に

2025年4月、米国による追加関税措置が日本企業や国内経済へ大きな影響を及ぼす中、石破茂首相は赤澤氏を米国との交渉担当に指名しました。

4月16日から18日に最初の訪米を実施。トランプ政権との交渉を開始し、その後もワシントンを往復しました。8月5日からの訪米は9回目となっています。

初回交渉から帰国した2025年4月18日には、自民党公式番組で交渉の状況を詳しく語りました。

交渉では、単に日本側の関税を下げてもらうだけでなく、米国への投資を通じて両国の供給網を強くする「関税より投資」という考え方を打ち出しました。

7月22日に日米間の枠組み合意へ到達し、9月には米国側の関税引き下げに関する大統領令、5,500億ドル規模の投資イニシアティブに関する了解覚書、共同声明へと進みました。

投資枠については、半導体、医薬品、造船、重要鉱物、エネルギー、AI・量子など経済安全保障上重要な分野を対象とし、政府系金融機関による出資・融資・保証を含む仕組みだと説明しています。

交渉をめぐってSNS上では、日本の消費税が米国から非関税障壁として問題視されているとの議論もありました。赤澤氏は9回の交渉で米側から消費税について指摘されたことは一度もなかったと説明しています。

「消費税が非関税障壁という指摘は的外れです。」

出典:自由民主党「『関税より投資』を貫き『針の穴を通す』合意得た」(2025年8月18日)

20年目に経済産業大臣へ 本人が語った「冷飯食って狂い咲き」

日米関税交渉を経た2025年10月21日、高市内閣で経済産業大臣に就任しました。2005年の初当選から約20年後のことです。

本人はそれまでの政治家人生を、少し自嘲を込めて次のように表現しています。

「赤沢の政治家人生は20年冷飯食って狂い咲き」

出典:赤沢りょうせい公式WEBサイト(公開日記載なし)

政務官、副大臣、委員長や党役職を長く積み重ねた後、2024年の初入閣、2025年の日米交渉、経産相就任と、短期間に役割が大きく広がりました。

2026年2月8日の第51回衆院選では鳥取2区で8回目の当選。2月18日に発足した内閣でも経済産業大臣に再任されました。

赤澤亮正氏が重視する政策・政治姿勢

主な政策・政治姿勢
  • 防災・危機管理と国土強靱化
  • 成長投資と物価上昇を上回る賃上げ
  • 通商政策と経済安全保障
  • GX・エネルギー安全保障・福島復興
  • 鳥取から地方とAI、産業政策を考える
  • 「配慮大国」と障害者支援・女性活躍・子育て

運輸官僚時代から経済産業大臣までの経歴を通じ、交通、危機管理、経済、通商、エネルギー、地域政策まで担当分野は広がっています。特に継続性が見える政策は次の6分野です。

  • 防災・危機管理と国土強靱化
  • 成長投資、産業競争力と物価上昇を上回る賃上げ
  • 通商政策、日米経済関係と経済安全保障
  • GX、エネルギー安全保障、福島復興
  • 鳥取の地域振興、交通・産業基盤の整備
  • 障害者支援、女性活躍、少子化・子育て支援

防災・危機管理と国土強靱化

防災では、災害が起きてから復旧するだけでなく、被害を小さくするための事前防災を重視しています。道路、電力、通信などのインフラを平時から強靱化し、発災時の国家機能を維持する考えです。

2026年の国会でも「準備してきたことしか役に立たなかった、だけれども、準備してきたことでは足りなかった」という過去の災害対応の教訓に触れています。

成長投資と物価上昇を上回る賃上げ

経済政策では、官民の投資によって日本経済の供給力と企業の稼ぐ力を高め、それを賃金へつなげる考えを示しています。

「物価上昇を上回る賃上げにつなげる」

出典:国会会議録検索システム「第219回国会 参議院経済産業委員会 第2号」(2025年11月20日)

2026年には鳥取県知事の平井伸治氏らと「地方とAIの未来」をテーマに意見交換し、日本の中堅・中小企業や高等専門学校の現場力とAIを結び付ける構想も発信しています。

通商政策と経済安全保障

日米関税交渉では、半導体、医薬品、造船、重要鉱物、航空、エネルギー、AIなどを対象に、日米双方で強いサプライチェーンを築く方針を前面に出しました。

経産相就任後も米国との経済関係に関わっています。2026年3月の訪米時には、日米首脳会談を前に米国へ到着したことを公式Xで発信しました。

GX・エネルギー安全保障・福島復興

2026年8月時点ではGX実行推進、原子力経済被害、原子力損害賠償・廃炉等支援機構も担当しています。経産相として、エネルギーの安定供給と脱炭素、産業競争力を同時に扱う立場です。

原子力については、福島第一原発事故の反省と教訓、安全性の確保、地域の理解を大前提としたうえで、エネルギー安全保障の観点から活用する政府方針を国会で説明しています。

鳥取から地方とAI、産業政策を考える

国政では経済・通商を担う一方、政治基盤は一貫して鳥取2区です。都市と地方の機会格差を小さくし、交通や産業基盤を整え、地方が自ら成長できる条件をつくることを初期から掲げてきました。

近年はAIや産業政策を地方へどう実装するかにも関心を広げています。国全体の成長政策と鳥取の地域政策を別々に扱うのではなく、地方の企業や教育機関を成長の担い手とする発信が見られます。

「配慮大国」と障害者支援・女性活躍・子育て

赤澤氏は、身体や健康状態、年齢、性別、職業、居住地域などにかかわらず、互いに配慮されていると感じられる社会を「配慮大国」と表現してきました。

「子育てに不安を感じない社会にしたいと思います。」

出典:自由民主党鳥取県支部連合会「赤沢亮正」(公開日記載なし)

2026年4月には、女子・女性のテクノロジー分野での教育や進路を支援するNPO法人Waffleと意見交換し、女性の活躍や男女間の格差解消について発信しました。

2026年8月時点の赤澤亮正氏

2026年8月時点では、鳥取県第2区選出、当選8回の衆議院議員です。高市内閣で経済産業大臣を務めています。

担当は原子力経済被害、GX実行推進、産業競争力、中東情勢に伴う重要物資安定確保、原子力損害賠償・廃炉等支援機構。中東情勢やエネルギー供給など、経済安全保障と危機管理が交差する政策も所管しています。

一方、防災への関わりも続いています。2026年8月には熊本の地震被災地を訪れ、自治体や商工関係者、事業者から復旧状況を聞き取ったことを公式Xで報告しました。

公職、所属政党、選挙区、当選回数、政府役職などの変動情報は2026年8月23日時点で確認しています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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