世耕弘成の経歴・学歴と生い立ち|NTTから参議院、経産相を経て衆議院へ

ひと目でわかるプロフィール 世耕弘成
せこう ひろしげ
出身地
大阪府
初当選
1998年(参議院和歌山県選挙区補欠選挙)
最終学歴
ボストン大学コミュニケーション学部大学院修了
主な前職
会社員
政界入り
政治家の後継として、民間企業から
生年月日 1962年11月9日
血液型 B型

世耕弘成氏は、民間企業の広報部門から政治の世界へ入り、参議院を長く活動の舞台とした後、衆議院へ転じた政治家です。

中学時代の生徒会選挙、NTTでの報道対応、米国大学院への留学、突然訪れた政界入り――。国会議員としての役職だけを並べると見えにくい、政治家になるまでの歩みからたどります。

世耕弘成氏を理解する3つのポイント
  1. 大阪の附属天王寺中高から早稲田大学へ進み、NTTの広報と米国大学院留学を経験した
  2. 1998年の参院補選を起点に、官房副長官・経済産業大臣・参院自民党幹事長を歴任した
  3. 2024年に自民党を離れ、無所属で衆院和歌山2区へ転じて2026年に再選した

大阪府で生まれ、附属天王寺中高で過ごした学生時代

世耕弘成氏は1962年11月9日、大阪府で生まれました。中学・高校は大阪教育大学附属天王寺で学んでいます。

同級生には、後にiPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞する山中伸弥氏がいました。本人が2012年に振り返ったところでは、当時は家も徒歩10分ほどの距離にあり、毎日のように一緒に通学していたといいます。

中学3年では世耕氏が生徒会長、山中氏が副会長でした。高校では柔道部でも一緒に活動しています。

中学3年の時は私が生徒会長、彼が副会長で生徒会活動でともに汗をかいた。

出典:世耕弘成オフィシャルサイト「山中伸弥さんの思い出」(2012年10月16日)

二人の付き合いは学校の中だけではありませんでした。六甲山へハイキングに出かけたり、当時発売されたばかりのテープレコーダーを使って模擬ニュース番組を作ったりしたこともあったそうです。

高校時代には「地震に備えて学校から自宅まで歩いてみよう」と計画し、友人を含む3人で約30キロを歩いた経験も本人が記しています。

中学3年の生徒会長選挙については、別のインタビューで、当時は目立つタイプではなかったものの、生徒会の運営に疑問を感じて自ら立候補したと振り返っています。立会演説で全校生徒を笑わせながら訴え、選挙に勝ったというエピソードが残っています。

早稲田大学からNTTへ 広報の現場とボストン大学院留学

附属天王寺高校を卒業した後は、早稲田大学政治経済学部政治学科へ進学。1986年に大学を卒業すると、日本電信電話株式会社(NTT)へ入社しました。

社会人として携わった仕事の一つが広報です。本人の回想によれば、入社後にはリクルート事件が社会問題となり、広報部でマスコミ対応の最前線にいました。会社トップが逮捕される事態や報道機関の動きを間近で経験したと語っています。

1990年からは米国のボストン大学コミュニケーション学部大学院へ留学。1992年に修士課程を修了しました。帰国後もNTTでキャリアを重ね、1996年には本社広報部報道担当課長となっています。

情報通信と広報は、政治家になる前の世耕氏が長く実務で携わった分野でした。

伯父の急逝で変わった進路 1998年に参議院へ

会社員として働いていた世耕氏の進路が大きく変わったのは1998年です。9月、国会議員だった伯父の世耕政隆氏が急逝しました。

本人のインタビューによれば、自民党が後継候補を探すなか、当時の森喜朗幹事長からNTT社長へ世耕氏を候補として送り出すよう求める連絡が入りました。

米国留学まで経験し、NTTで情報通信に関わる仕事を続けていたため、会社を離れることには迷いがあったといいます。一方、情報通信政策に政治の側から取り組む道も考え、出馬を決断しました。

同年11月8日の参議院和歌山県選挙区補欠選挙に自由民主党から立候補し、197,388票を得て初当選。35歳で国政へ入りました。

参議院で経験を重ねた20代後半から40代の政治活動

初当選後は、情報通信分野を扱う総務委員会などで活動しました。2001年の参院選で再選し、2003年には総務大臣政務官へ就任します。

2005年には参議院総務委員長を務めました。同年の郵政民営化をめぐる国会審議では、郵政民営化法案の賛成討論を担当しています。

本人によれば、当初は賛成討論を担当する大物議員を探していましたが、当時の参院自民党幹事長だった片山虎之助氏から「君がやってみたらどうだ」と促され、自ら演説することになりました。

命がけの演説を行ったことは私にとって大きなターニングポイントになったと思います。

出典:私のカクゴ「世耕弘成」(公開日記載なし)

翌2006年、第1次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官となりました。2007年の参院選で3選した後は参議院議院運営委員会筆頭理事、2010年には参議院予算委員会筆頭理事などを務めています。

内閣官房副長官から経済産業大臣へ

2012年には参議院自民党政策審議会長となり、第2次安倍内閣の発足に伴って内閣官房副長官へ就任しました。

2013年の参院選では4選。官邸で安倍政権を支える期間を経て、2016年8月3日の内閣改造で経済産業大臣に就任しました。

経済産業大臣として、産業競争力、ロシア経済分野協力、原子力経済被害などを担当。2018年からは国際博覧会担当大臣も兼務し、大阪・関西万博を担当する立場にもなりました。

日本が世界経済を引っ張っていく時代にしていきたい

出典:中小企業庁「はばたく中小企業・小規模事業者300社・はばたく商店街30選 2019 刊行に寄せて」(2019年6月)

経産相時代は、政策の内容をSNSで直接説明する発信も行っています。2019年7月には韓国向け輸出管理の運用見直しについて、自身のXで経緯や考え方を連続して説明しました。

参院5期目と自民党参議院幹事長

2019年7月の参院選では295,608票を獲得して5選。同年、参議院自民党幹事長に就任し、2023年まで務めました。

2023年10月の参議院本会議では、自民党の会派を代表して岸田文雄首相に質問しています。この代表質問では、自らが考えるリーダー像にも触れました。

決断し、その内容をわかりやすい言葉で伝えて、人を動かし、そしてその結果について責任を取る

出典:自由民主党「第212回臨時国会における世耕弘成参議院自民党幹事長 代表質問」(2023年10月25日)

同じ代表質問では経済政策にも踏み込み、財政健全化を軽視しないとしたうえで、短期的な増税ではなく、減税や投資を通じて消費と経済活動を拡大させる考えを示しています。

政治資金問題と2024年の自民党離党

政治人生の大きな変化が訪れたのが2024年です。自民党安倍派の政治資金パーティーをめぐる問題では、世耕氏の政治団体について、2018年から2022年までの5年間に還付された計1,542万円が政治資金収支報告書に記載されていなかったことが明らかになりました。

2024年3月14日には参議院政治倫理審査会へ出席。派閥幹部の一人として政治への信頼を損ねたことを謝罪する一方、還付の方法や収支報告書への不記載について、自身は関与せず報告や相談も受けていなかったと説明しました。

国民の政治に対する信頼を大きく毀損したことについて、清和政策研究会(安倍派)の幹部であったひとりとして深くおわびを申し上げます

出典:関西テレビ「参院『政倫審』に世耕氏登場」(2024年3月15日)

自民党は4月4日の党紀委員会で世耕氏に「離党の勧告」の処分を決定し、世耕氏は離党しました。

刑事手続では、東京地検特捜部が2024年5月に世耕氏本人を嫌疑不十分で不起訴としました。その後、検察審査会も本人の不起訴を「相当」と議決しています。

一方、政治団体の会計責任者については検察審査会が「不起訴不当」と判断し、再捜査が行われました。東京地検特捜部は同年12月、会計責任者を改めて不起訴、起訴猶予としています。

自民党による離党勧告は党内の政治的な処分です。刑事手続では、世耕氏本人は不起訴となり、検察審査会も本人について不起訴相当と判断しています。

無所属で参議院から衆議院へ 2024年の和歌山2区

自民党を離れた世耕氏は、2024年10月の衆議院議員総選挙で大きな決断をします。参議院和歌山県選挙区ではなく、衆議院和歌山県第2区から無所属で立候補することを表明しました。

選挙戦では、自民党の公認候補を含む4人の対立候補と争いました。10月27日の投開票で101,739票を獲得し、無所属で衆議院へ初当選。1998年以来5期務めた参議院から、衆議院へ活動の場を移しました。

この選挙では、安倍晋三元首相との関係を振り返る発信もありました。安倍氏の妻・昭恵氏から形見として譲られた靴を紹介し、第1次安倍政権の退陣後に安倍氏と熊野古道を歩いた際の思い出を語っています。

人生年表 世耕弘成さんの歩み
1962年11月9日
大阪府で生まれる
1986年3月
早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業
日本電信電話株式会社へ入社
1990年
ボストン大学コミュニケーション学部大学院へ留学
1992年に修士課程を修了
1996年
NTT本社広報部報道担当課長に就任
1998年9月
伯父の世耕政隆氏が急逝
参議院和歌山県選挙区補欠選挙への出馬要請を受ける
1998年11月8日
参議院和歌山県選挙区補欠選挙で初当選
2003年
総務大臣政務官に就任
2005年
参議院総務委員長に就任
2006年
内閣総理大臣補佐官に就任
第1次安倍内閣
2012年
参議院自民党政策審議会長、内閣官房副長官に就任
2016年8月
経済産業大臣に就任
2018年
国際博覧会担当大臣を兼任
2019年
参議院自民党幹事長に就任
2023年まで務める
2024年4月4日
自民党の離党勧告処分を受け離党
2024年10月27日
衆議院和歌山県第2区で初当選
無所属で参議院から衆議院へ転じる
2026年2月8日
衆議院和歌山県第2区で再選
衆議院2期目

世耕弘成氏が掲げる政策・政治姿勢

主な政策・政治姿勢
  • 積極財政と成長投資
  • 和歌山に「質の高い雇用」と次世代産業を
  • 観光と農林水産業の高付加価値化
  • AI時代を見据えた実学教育
  • 医療・介護、防災と紀伊半島のインフラ
  • 「外国人基本法」の制定を提案

世耕氏の政策には、経済産業大臣として扱ってきた産業政策と、和歌山を選挙区とする議員としての地域政策が重なっています。2026年の選挙で示した公約では、人口減少を前提にしながら地域の所得と産業基盤を強くする方向を打ち出しました。

積極財政と成長投資

経済政策では積極財政を支持しています。2023年の代表質問では、財政健全化そのものを否定せず、増税を先行させるのではなく、減税や投資によって経済を活性化し税収を増やす考えを示しました。

2024年の衆院選でも、企業収益や個人所得の増加を通じて税収を伸ばすという自身の考えを発信しています。

和歌山に「質の高い雇用」と次世代産業を

2026年の公約では、地方から若者が流出する状況への対応として「質の高い雇用」の創出を掲げています。初任給30万円、10年勤続で手取り50万円を目標として示しました。

具体的には、レアアース精錬、宇宙産業、次世代航空燃料、半導体、電池、データセンター、水素などを挙げ、和歌山への次世代産業の立地を進める方針です。

未来に向けて成長の期待が持てる産業を和歌山のような地方に立地させていくことが重要です。

出典:世耕弘成オフィシャルサイト「せこう弘成 和歌山から日本を再起動!!」(公開日記載なし)

観光と農林水産業の高付加価値化

観光では、富裕層向けの宿泊施設や体験型観光を増やし、滞在時間と地域内消費を伸ばす構想を示しています。

農林水産業については、熟練者の技術とAI・ロボットを組み合わせた生産性向上、付加価値の高い農水産物の開発・輸出、若者の就労支援などを掲げています。

AI時代を見据えた実学教育

教育政策では、AI関連技術や次世代産業を担う人材に加え、料理人、職人、観光ガイドなど、人が担う仕事につながる実学教育を充実させる考えを示しています。

大学院でコミュニケーションを学び、NTTで情報通信分野に携わった経歴を持ちますが、本人がその経験を教育政策の直接的な原因と説明しているわけではないため、両者は分けて見る必要があります。

医療・介護、防災と紀伊半島のインフラ

和歌山の地域政策では、救急医療へのアクセス、地域医療機関の役割分担、介護従事者の処遇改善を掲げています。

南海トラフ巨大地震を念頭に住宅の耐震化を進めるほか、紀伊半島一周高速道路を「命の道」と位置づけ、完成を目指す姿勢も示しています。

公共事業については、個々の政治家が単発で予算を持ってくるという考え方ではなく、中長期的な計画のもとで安定的に進める必要があるという趣旨の発信もしています。

「外国人基本法」の制定を提案

外国人政策では、人口減少下で一定の外国人労働者の受け入れが必要だとする一方、受け入れの理念や目的、規模を明確にする「外国人基本法」の制定を掲げています。

これは2026年の世耕氏の公約・政策提案であり、すでに同名の法律が制定・施行されたという意味ではありません。

選挙歴 世耕弘成の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
参議院和歌山県選挙区補欠選挙
定数:1 比例復活:該当なし
世耕政隆氏の死去に伴う補欠選挙
和歌山県 選挙区 自由民主党 当選 197,388票 1位
第19回参議院議員通常選挙
定数:1 比例復活:該当なし
参議院2期目
和歌山県 選挙区 自由民主党 当選 319,080票 1位
第21回参議院議員通常選挙
定数:1 比例復活:該当なし
参議院3期目
和歌山県 選挙区 自由民主党 当選 256,577票 1位
第23回参議院議員通常選挙
定数:1 比例復活:該当なし
参議院4期目
和歌山県 選挙区 自由民主党 当選 337,477票 1位
第25回参議院議員通常選挙
定数:1 比例復活:該当なし
参議院5期目
和歌山県 選挙区 自由民主党 当選 295,608票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし
参議院から衆議院へ転じ、衆議院初当選
和歌山県 第2区 無所属 当選 101,739票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:該当なし
衆議院2期目
和歌山県 第2区 無所属 当選 162,257票 1位

2026年の衆院選で再選 無所属のまま復党審査へ

2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙では、和歌山2区から再び無所属で立候補しました。

和歌山県選挙管理委員会の開票結果では、世耕氏が162,257票、日本共産党候補が35,209票。世耕氏が再選し、衆議院2期目に入りました。

2026年の選挙戦での話し方や訴えは、本人公式YouTubeに公開された出陣式の映像でも確認できます。

2026年には、官房副長官時代の経験をもとに、首相の海外出張に同行して後方で支える官邸スタッフの役割を解説する投稿も行っています。過去の役職を紹介するだけでなく、経験した仕事の中身を自ら説明する発信です。

2026年5月28日には自民党へ復党願を提出しました。自民党は受理したうえで手続きを進め、8月6日に党紀委員会で審査しましたが、出席者から賛否双方の意見が出て結論を持ち越しています。

2026年8月23日時点では党籍は無所属です。一方、衆議院では会派「自由民主党・無所属の会」に所属し、和歌山県第2区選出の衆議院議員として活動しています。

政治人生の転機 世耕弘成の政治人生の転機
01
1998年9月~11月
NTT社員から参議院議員へ
伯父の世耕政隆氏が急逝し、参議院和歌山県選挙区補欠選挙への出馬を要請され、同年11月に初当選した。
なぜ転機なのか NTTで情報通信分野に携わっていた会社員生活から、国政へ進路を切り替えたため。
02
2005年
郵政民営化法案の賛成討論
郵政民営化をめぐる国会審議で賛成討論を担当。本人は後年、この演説を大きなターニングポイントだったと振り返っている。
なぜ転機なのか その後の内閣総理大臣補佐官、官邸での活動へ続く時期の本人自身が明示した転機であるため。
03
2012年~2016年
官邸から経済産業大臣へ
2012年に内閣官房副長官となり、2016年には経済産業大臣に就任した。
なぜ転機なのか 参議院や党内での活動から、政府中枢で政策執行を担う立場へ移ったため。
04
2024年
自民党離党と衆議院への転身
政治資金問題を受けて自民党を離党。同年の衆院選では無所属で和歌山2区から出馬し当選した。
なぜ転機なのか 約26年間所属した自民党を離れ、参議院から衆議院へ議席と選挙区を移したため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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