三原じゅん子の経歴・学歴と生い立ち|女優・介護施設経営から参議院議員、こども政策担当大臣まで

三原じゅん子
ひと目でわかるプロフィール 三原じゅん子
みはら じゅんこ
出身地
東京都板橋区
初当選
2010年(第22回参議院議員通常選挙)
最終学歴
明治大学付属中野高等学校中退
主な前職
テレビ・放送関係、会社経営者
政界入り
民間企業から
生年月日 1964年9月13日
血液型 B型

三原じゅん子氏は、神奈川県選挙区選出の参議院議員です。女優や歌手として長く活動した後、介護施設経営や自身のがん経験を経て政治の世界へ進みました。

2010年の初当選から、がん対策、不妊治療、女性活躍、こども・若者政策などに関わり、厚生労働副大臣や内閣府大臣補佐官、内閣府特命担当大臣も経験しています。

三原じゅん子氏を理解する3つのポイント
  1. 人見知りだった子ども時代から児童劇団へ入り、「3年B組金八先生」などで女優・歌手として活躍した。
  2. 介護施設経営と子宮頸がんの経験を経て政治を志し、2010年に全国比例で参議院議員へ初当選した。
  3. 厚生労働副大臣や内閣府大臣補佐官を経て、2024年にはこども政策などを担う内閣府特命担当大臣に就任した。

板橋で育った子ども時代|人見知りから児童劇団へ

三原じゅん子氏は1964年9月13日、東京都板橋区に生まれました。本人によると、幼い頃は「しゃべらない、笑わない、感情を表に出さない」と言われるほど人見知りで、大人の様子をよく観察する子どもだったそうです。

そんな娘を心配した両親は、子どもらしさや人前で話す力を身につけさせようと児童劇団へ入れました。劇団では自主公演を年間数本こなし、自分が遅刻や失敗をすれば周囲にも迷惑がかかることから、責任感や協調性も学んだと振り返っています。

子どもの頃に思い描いていた職業は、意外にも芸能界ではありませんでした。

「ずっと子供目線の保育士になりたいな。それが私の夢でした」

出典:自由民主党「三原 じゅん子」(公開日記載なし)

その後、明治大学付属中野高等学校へ進みましたが、1980年4月に中退しています。10代の頃にはすでに芸能活動が本格化していました。

「3年B組金八先生」で注目|女優・歌手として歩んだ芸能界

15歳の頃、TBS系ドラマ「3年B組金八先生」第1シリーズに山田麗子役で出演しました。不良少女という当時としては印象の強い役柄で、三原氏の名前が広く知られるきっかけになります。

本人は後年、山田麗子を演じる際に好きだった山口百恵さんをイメージしていたと話しています。ドラマ出演後は歌手としても活動し、女優と歌手の仕事を同時に抱える時期が続きました。

10代の頃には、ドラマの主演を含む複数の仕事を掛け持ちし、ほとんど眠れない生活になった時期もあったといいます。着替えやシャワーのためだけに自宅へ戻り、すぐ次の現場へ向かう日々の中で心身の調子を崩しました。

その後も芸能活動を続ける一方、モータースポーツにも取り組みました。政界入り後もモータースポーツ振興議員連盟の幹事長などを務めており、芸能界とは別の長年の経験として残っています。

介護施設経営を経験|2008年の子宮頸がんが人生を変える

政治家になる前には、介護施設の経営にも携わりました。芸能界だけでなく、介護の現場を事業者として経験しています。

そして2008年、子宮頸がんを患い、子宮摘出手術を受けました。手術後は、自分がこれからどう生きるのかを考える中で、同じようにがんと向き合う患者たちとの活動に関わるようになります。

その頃の心境を、本人は後年こう振り返っています。

人のためにできることをやっていこう

出典:ニッポン放送「政治家を志した時に金八先生からもらった手紙」(2022年3月6日)

患者仲間と活動するうち、日本のがん対策に改善すべき部分があると感じ、「誰かが出ていかないと」と考えるようになりました。

もう一つ本人が挙げているのが、野田聖子氏の著書「私は、産みたい」との出会いです。子どもを産めないつらさを理解する政治家がいることに衝撃を受け、野田氏のもとを訪ねました。

最初から自民党側に歓迎されたわけではなかったといいます。本人の回想では「タレントはいらない」と拒まれながらも、公認を求めて何か月も働きかけ、芸能界から退く覚悟を示して待ち続けました。

人生年表 三原じゅん子さんの歩み
1964年9月13日
東京都板橋区に生まれる
1979年
テレビドラマ「3年B組金八先生」第1シリーズに出演
山田麗子役で広く知られる
1980年4月
明治大学付属中野高等学校を中退
1980年代以降
女優・歌手として芸能活動を続ける
モータースポーツにも取り組む
政界入り前
介護施設の経営に携わる
2008年
子宮頸がんを経験
子宮摘出手術を受け、がん患者支援や予防啓発への関心を深める
2010年7月11日
第22回参議院議員通常選挙で初当選
全国比例、168,342票
2013年10月
自由民主党女性局長に就任
2016年1月
参議院厚生労働委員長に就任
2016年7月10日
第24回参議院議員通常選挙で2選
神奈川県選挙区、1,004,877票
2020年9月
厚生労働副大臣に就任
菅内閣
2021年11月
内閣府大臣補佐官に就任
第2次岸田内閣
2022年7月10日
第26回参議院議員通常選挙で3選
神奈川県選挙区、807,300票
2022年10月
参議院政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員長に就任
2023年10月
参議院環境委員長に就任
2024年10月
内閣府特命担当大臣に就任
こども政策・少子化対策・若者活躍・男女共同参画・共生・共助などを担当
2026年
自由民主党人事局長として活動
「こども・若者」輝く未来創造本部長も務める

2010年、全国比例から参議院議員に初当選

2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙で、自由民主党の全国比例候補として初めて国政選挙へ挑みました。

168,342票を獲得し、自由民主党の候補者内5位で初当選。芸能活動や介護施設経営、患者としての経験を持つ三原氏が、参議院議員として政策に関わる生活を始めます。

国会入り後、とくに力を入れた分野の一つが、がん対策とHPVワクチンでした。本人は子宮頸がんを経験した当事者として、HPVワクチンの接種環境改善を政治家を目指した理由の一つに位置づけています。

私はHPVワクチンを誰もが受けられるようにするために、政治家を目指した

出典:m3.com「『子どもを産むことができない』、患者体験が原点」(2018年8月16日)

初当選後は、がん教育、小児がん、がん患者の就労支援などにも関わりました。自身の病気を個人的な経験だけに留めず、制度や支援策を扱う国会活動へ移していきます。

女性局長・厚生労働委員長を経験|2016年は神奈川選挙区へ

2010年の初当選後、自民党青年局次長や厚生労働部会の役職などを経て、2013年には参議院自民党副幹事長と党女性局長を務めました。女性局長にはその後も就任し、通算4期を経験しています。

2016年1月には参議院厚生労働委員長へ。同年の第24回参院選では、それまでの全国比例から神奈川県選挙区へ選挙の舞台を移しました。

神奈川県選挙区で1,004,877票を獲得し、得票1位で2期目の当選。以後、神奈川県を国政選挙の基盤としています。

参議院では厚生労働分野だけでなく、消費者問題に関する特別委員長なども経験しました。党では女性政策のほか、インターネット上の誹謗中傷・人権侵害への対策にも関わります。

2020年には党の「インターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策PT」座長となりました。その時期には、政治批判と人格否定・人権侵害を区別すべきだとの考えを本人のXでも発信しています。

厚生労働副大臣から内閣府大臣補佐官へ

2020年9月、菅内閣で厚生労働副大臣に就任しました。国会の委員長や党役職だけでなく、政府の立場から厚生労働行政に携わることになります。

この時期には、不妊治療や若いがん患者の妊孕性温存など、それまで議員として関わってきたテーマも政府の施策として動いていました。2022年には不妊治療への保険適用が拡大し、HPVワクチンの積極的勧奨も再開されています。

2021年11月には、第2次岸田内閣で内閣府大臣補佐官に就任。女性活躍やこども政策などにも活動の幅を広げていきました。

2021年の自民党総裁選では、「子ども」という論点が十分に語られていないという違和感をXで発信し、こども政策を前面に出していた野田聖子氏を支持しました。

2022年、神奈川県選挙区で3選

2022年7月10日の第26回参院選では、2度目となる神奈川県選挙区での選挙戦に臨みました。

選挙期間終盤の7月6日には、横浜駅西口で安倍晋三元首相と街頭演説を行った様子を本人のXで発信しています。

選挙では807,300票を獲得。神奈川県選挙区で再び得票1位となり、3期目の当選を果たしました。

3期目には、参議院政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員長、環境委員長などを歴任しました。厚生労働分野を軸にしながら、外交・沖縄北方、環境へと国会で扱う分野も広がっています。

同年の参院選期間中、本人公式サイトでは、政治を通して実現したい未来を語る動画も公開しました。

選挙歴 三原じゅん子の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第22回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし(参議院比例代表)
初出馬。自由民主党は比例代表で12議席を獲得し、三原氏は党内5位で初当選。
比例代表 (全国) 自由民主党 当選 168,342票 自由民主党名簿登載者内5位
第24回参議院議員通常選挙
定数:4 比例復活:該当なし(参議院選挙区)
2期目。全国比例から神奈川県選挙区へ移り、得票1位で当選。
神奈川県 選挙区 自由民主党 当選 1,004,877票 1位
第26回参議院議員通常選挙
定数:5 比例復活:該当なし(参議院選挙区)
3期目。通常改選に欠員補充を加え5人を選出する選挙で、得票1位で当選。
神奈川県 選挙区 自由民主党 当選 807,300票 1位

2024年、こども政策などを担う内閣府特命担当大臣に就任

2024年10月、石破内閣で内閣府特命担当大臣に就任しました。担当は、こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助です。女性活躍担当、共生社会担当も兼ねました。

就任会見では、こども・若者や子育て当事者の声を聴きながら施策を進める考えを示しました。

「こどもまんなか社会」の実現に取り組んでまいりたいと思います。

出典:こども家庭庁「三原大臣記者会見」(2024年10月2日)

大臣として扱った範囲は、少子化対策だけではありません。こどもの貧困や児童虐待防止、女性の経済的自立、障害者政策、旧優生保護法問題、孤独・孤立対策、共助社会、性的指向・ジェンダーアイデンティティーに関する理解増進なども担務に含まれていました。

こども家庭庁をめぐっては、施策の内容や予算の使途を国民に分かりやすく伝える情報発信にも取り組みました。2025年4月には、こども家庭庁の予算を説明する新たな広報についてXで紹介しています。

若者本人から意見を聞く場も設けられました。2025年5月には、正解を一方的に示すのではなく、若者自身の「納得解」を大切にする声を政策へつなげたいと発信しています。

政治人生の転機 三原じゅん子の政治人生の転機
01
2008年
子宮頸がんの経験から、がん対策へ
子宮頸がんで子宮摘出手術を受け、療養後はがん患者らとの活動に関わった。
なぜ転機なのか 本人が後に、患者としての経験や日本のがん対策への問題意識が政治家を志す転機になったと振り返っているため。
02
2010年7月
全国比例で参議院議員に初当選
第22回参院選に自由民主党から初出馬し、全国比例で168,342票を獲得して初当選した。
なぜ転機なのか 芸能活動や介護施設経営、患者支援を経験してきた立場から、国会議員として政策形成に携わる立場へ移ったため。
03
2020年~2021年
厚生労働副大臣、内閣府大臣補佐官へ
2020年9月に菅内閣の厚生労働副大臣、2021年11月には第2次岸田内閣の内閣府大臣補佐官に就任した。
なぜ転機なのか 国会・党での活動に加え、政府の立場から社会保障やこども政策などに携わる段階へ進んだため。
04
2024年10月
こども政策などを担う内閣府特命担当大臣に就任
石破内閣で、こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助などを担当する内閣府特命担当大臣に就任した。
なぜ転機なのか 長く取り組んできた女性・こども・健康分野を、国務大臣として政府全体の政策に反映する立場となったため。

三原じゅん子氏が重視してきた政策

子宮頸がんとHPVワクチン

三原氏の政治活動と結びつきが深いテーマが、子宮頸がんとHPVワクチンです。自身が患者となった経験から、初当選後も継続して接種環境やがん予防について発言してきました。

HPVワクチンは2013年に積極的勧奨が差し控えられましたが、厚生労働省は2022年度から積極的勧奨を再開しました。三原氏も再開を求め続けた国会議員の一人で、自民党の2022年参院選候補者ページでも政策実績として掲げています。

2024年9月にも自身の接種についてXで発信しており、議員になってから長期間扱ってきたテーマであることが分かります。

がん患者の就労と妊孕性温存

がん治療を受けながら働き続けるための支援も取り組んできた分野です。がんと診断されたことを理由に退職や転職へ追い込まれる患者を減らし、治療と仕事を両立できる環境づくりを訴えてきました。

若いがん患者が治療前に卵子や精子などを保存する妊孕性温存についても支援拡充に関わりました。自身が子宮摘出を経験したことから、治療後に子どもを持つ可能性を残す支援について継続的に発言しています。

不妊治療の保険適用

不妊治療への支援は、2010年の初出馬時から掲げてきた政策です。自民党の2022年候補者ページでは、「12年前からの公約」として不妊治療の保険適用を取り上げています。

2022年4月には一般不妊治療や生殖補助医療への保険適用が始まりました。制度変更を三原氏一人の成果とするのではなく、政府・与党内で長年進められてきた取り組みの中で、継続して推進してきた政策の一つとして位置づけられます。

こども・若者政策

こども政策は、内閣府大臣補佐官や担当大臣を経験する以前から繰り返し発信してきました。大臣退任後もこの分野から離れず、2026年8月時点では自民党「こども・若者」輝く未来創造本部の本部長を務めています。

同本部は2026年5月、成育環境、困難を抱えるこどもの支援、若者の希望の実現、産官学連携、政策基盤の確保を5本柱とする提言をまとめ、6月に政府へ申し入れました。

本人は現役の子育て世代から聞いた声について、次のように話しています。

妊娠前から出産、子育てに至るまで、切れ目ない政策で伴走していくことの大切さも改めて感じました。

出典:自由民主党「こども・若者が輝く社会へ」(2026年8月17日)

女性活躍と共生社会

自民党女性局長を4期経験し、2024年には男女共同参画、女性活躍、共生・共助、共生社会も担当する国務大臣となりました。

女性の所得向上や経済的自立だけでなく、障害の有無や性的指向、ジェンダーアイデンティティーなどによって尊厳が損なわれない社会づくりも担当分野に含まれていました。

本人公式サイトでは、政治活動に込める思いを次の言葉で表しています。

女性の、こどもたちの、若者の、声なき声の、いのちを守りたい。

出典:三原じゅん子公式サイト「ご挨拶」(公開日記載なし)

ネット上の誹謗中傷とこどもの情報環境

2020年に自民党の「インターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策PT」座長を務めた後も、インターネット上の人権侵害や情報環境は政策テーマとして残っています。

2026年の「こども・若者」政策でも、ネット上のいじめや誹謗中傷、児童ポルノ、性被害などが課題として挙げられました。党では同年6月、情報社会でこども・若者を守るための提言も政府へ申し入れています。

2026年8月時点の三原じゅん子氏

2026年8月時点では、三原氏は神奈川県選挙区選出の参議院議員で、当選3回です。参議院では内閣委員会に所属し、国家基本政策委員会とこども・子育て・若者活躍に関する特別委員会で理事を務めています。

自由民主党では人事局長と「こども・若者」輝く未来創造本部長を務めています。2024年から務めたこども政策などの内閣府特命担当大臣はすでに退任しており、2026年8月時点で政府役職には就いていません。

大臣として担当したこども・若者政策については、党の本部長という立場から引き続き議論に関わっています。2026年の提言では、子育て支援だけでなく、こどもの貧困、自殺、いじめ、ネット上の被害、若者の生活や将来設計なども対象にしています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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