松本尚の経歴・学歴と生い立ち|救命医・ドクターヘリの現場から国政へ

松本尚
ひと目でわかるプロフィール 松本尚
まつもと ひさし
出身地
石川県金沢市
初当選
2021年(第49回衆議院議員総選挙)
最終学歴
経営管理学修士(Anglia Ruskin University)
主な前職
医師、大学教員・研究者
政界入り
専門職から、政党公募から
生年月日 1962年6月3日

松本尚氏が国政へ進んだのは、長い医師人生を経た後のことでした。政治家になる前の30年以上を、外科、救急・外傷医療、災害医療、医学教育や病院運営の現場で過ごしています。

金沢で育った少年が医学部へ進み、外傷外科とドクターヘリに出会い、50代後半で新しい仕事として政治を選ぶまでには、何度か大きな進路変更がありました。

松本尚氏を理解する3つのポイント
  1. 医療では治療だけでなく、救急搬送や災害対応の仕組みづくりにも取り組みました。
  2. 政界入りは一直線ではなく、自民党の公募への挑戦を一度断念した時期があります。
  3. 国政では医療を出発点に、安全保障・外交・デジタルへ担当分野を広げました。

金沢の附属校で育ち、進路変更から医学部へ

松本尚氏は1962年6月3日、石川県金沢市に生まれました。本人が学生時代を振り返ったインタビューでは、幼稚園から高校まで金沢大学の附属学校に通ったと話しています。

中学校では附属高校への進学を目標に勉強し、高校へ進むと当初は東京大学を志望しました。しかし数学は得意だった一方、物理が苦手だったことから進路を変更します。

サラリーマン家庭で国公立大学を前提に進学先を探し、二次試験の科目との相性も考えて金沢大学医学部を志望しました。受験した医学部は金沢大学だけで、進路変更の末に金沢大学医学部へ進むことになりました

まじめな学生だったと思います。というより、まじめにならざるを得ませんでした。

出典:メディカペディア「【松本尚 先生】医師の世界は厳しい 十分な覚悟を持っているか?」(2017年3月8日)

1987年3月に医学部を卒業し、同年5月に医師免許を取得しました。後年になっても、中学・高校時代の同級生とのつながりが仕事の場で顔を出しています。

消化器外科医から救急・外傷外科の世界へ

大学卒業後は金沢大学医学部第2外科に入り、消化器外科医として経験を積みました。金沢大学医学部附属病院だけでなく、黒部市民病院、富山県立中央病院、国立金沢病院などでも外科診療に携わっています。

外科医を続けるなかで、自分ならではの専門性を持ちたいと考えるようになります。そこで1995年、救急医療を学ぶため、日本医科大学付属病院の高度救命救急センターへ1年間の予定で移りました。

そこで目にしたのが、事故などで重傷を負った患者を迅速に手術へつなぐ外傷外科でした。1995年の救命救急センターでの経験をきっかけに、外傷外科へ強くひかれていきます

金沢へ戻った後は第二外科を離れ、救急部・集中治療部へ移りました。外傷外科を含む救急医療体制を作ろうとしましたが、思うようには進まず、2000年に金沢大学を退職して日本医科大学救急医学教室へ移りました

ドクターヘリの立ち上げと災害医療

日本医科大学千葉北総病院では、ドクターヘリ導入の準備が進んでいました。松本氏はフライトドクターとして運用に関わり、消防や警察、自治体などと調整しながら事業化を進めています。

2001年にドクターヘリ事業が始まると、運用だけでなく全国への普及にも携わりました。救急隊に仕組みを理解してもらい、出動要請につなげ、救命効果をデータで示して行政の支援を得るという仕事も必要でした。

医療システムを通して世の中を少しずつでも良い方向に変えていく手伝いができる。

出典:朝日新聞デジタル「空飛ぶドクターの仕事を『楽しむ』術」(公開日記載なし)

活動は病院内にとどまりません。2006年から2017年までJICA緊急国際援助隊医療チームに参加し、2011年の東日本大震災ではDMATとして福島県へ出動しました。

2008年にはドラマ「コード・ブルー」の医療監修を担当し、翌2009年にはNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演。2014年には日本医科大学教授となり、救命救急センター長や病院副院長として医療組織を運営する立場にもなりました。

教授となった後には経営管理学も学び、2017年に英国Anglia Ruskin UniversityでMBAを修了しています。同年からは千葉県災害医療コーディネーターを務めました。

国政へ移った後も、ドクターヘリとの関係は続いています。議員連盟ではドクターヘリ推進議員連盟の事務局長を務めています。

人生年表 松本尚さんの歩み
1962年6月3日
石川県金沢市で生まれる
1981年3月
金沢大学教育学部附属高等学校を卒業
1987年3月
金沢大学医学部医学科を卒業
1987年5月
医師免許を取得
1987年6月
金沢大学医学部附属病院第2外科で医師として勤務を始める
1994年6月
金沢大学で医学博士を取得
1995年
日本医科大学付属病院高度救命救急センター助手となる
1998年
金沢大学医学部附属病院救急部・集中治療部講師となる
2000年4月
日本医科大学救急医学教室に入局
2001年
ドクターヘリ事業の立ち上げにフライトドクターとして関わる
全国への普及にも携わる
2006年
JICA緊急国際援助隊医療チームに参加
2017年まで
2008年
ドラマ「コード・ブルー」の医療監修を務める
2011年3月
東日本大震災でDMATとして福島県へ出動
2014年4月
日本医科大学教授となる
2017年9月
Anglia Ruskin Universityで経営管理学修士を取得
2017年10月
千葉県災害医療コーディネーターとなる
2023年9月まで
2020年6月
千葉県医師会理事となる
2023年9月まで
2021年
公募により自民党衆議院千葉県第13選挙区支部長に選ばれる
2021年10月31日
第49回衆議院議員総選挙で初当選
千葉県第13区
2023年9月
防衛大臣政務官に就任
2024年10月27日
第50回衆議院議員総選挙で再選
千葉県第13区
2024年11月
外務大臣政務官に就任
2025年10月
デジタル大臣などに就任
第1次高市内閣
2026年2月8日
第51回衆議院議員総選挙で3選
千葉県第13区
2026年2月
デジタル大臣などに再任
第2次高市内閣

一度断念した自民党公募、コロナ対応を経て国政へ

政治への関心は2021年に突然生まれたわけではありません。本人によると、2010年代前半ごろには千葉県の自民党県連による候補者公募への応募を考え、卒業証明書などの必要書類まで準備していました。

ところが、公募書類にあった「政治について」という2,000文字の論文が書けませんでした。自分の言葉で政治を論じる準備ができていないと考え、そのときは応募を断念しています。

その後、本を読み、歴史を学び、医学分野以外の文章も書くようになりました。数年後に再び公募へ挑んだ際、偶然にも論文のテーマは同じ「政治について」でしたが、今度は書き上げることができたと振り返っています。

最後に背中を押したのが、新型コロナウイルスへの対応でした。千葉県災害医療コーディネーターとして県庁で対策に関わり、患者の受け入れ調整や医療体制の課題を行政側から経験しています。

やはり、コロナ禍がなかったら(衆院選への出馬は)していなかったかもしれない。

出典:ケアネット「『コロナ禍、僕がいるべき場所は医療現場でも地方行政でもなく、国会だった』衆議院議員・松本 尚氏インタビュー(前編)」(2021年12月21日)

2021年、公募により自民党衆議院千葉県第13選挙区支部長に選ばれました。そして同年10月の第49回衆議院議員総選挙で初当選。34年間に及んだ医師としてのキャリアから、国会議員としての仕事へ移りました。

初当選後は防衛・外交を経て国務大臣へ

初当選から約2年後の2023年9月、防衛大臣政務官に就任しました。第2次岸田第2次改造内閣で務め、第1次石破内閣でも引き続き防衛大臣政務官となっています。

2024年10月の第50回衆院選で再選すると、翌11月に第2次石破内閣の外務大臣政務官へ移りました。医療の専門家として国会入りした後、安全保障と外交を政府側で担当したことになります。

さらに2025年10月、第1次高市内閣でデジタル大臣として初入閣。デジタル行財政改革、行政改革、国家公務員制度、サイバー安全保障なども担当しました。

2026年2月の第51回衆院選では3回目の当選を果たし、その後発足した第2次高市内閣でも同分野を担当しています。

国政で政府の役職が変わる一方、議席の基盤は千葉県第13区です。選挙区で災害が起きた際には、被害状況の確認など地元での活動も続けています。

選挙歴 松本尚の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区当選
千葉県 第13区 自由民主党 当選 100,227票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区当選
千葉県 第13区 自由民主党 当選 96,024票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区当選
千葉県 第13区 自由民主党 当選 121,796票 1位

松本尚氏が掲げる政策と政治姿勢

2026年8月時点で本人公式サイトや直近の発言から確認できる政策は、医療だけに限られていません。危機管理、経済、デジタル、科学技術、サイバー安全保障まで複数の領域を掲げています。

医療・食料・エネルギーを安全保障として考える

公式サイトでは、医療・食料・エネルギーの安全保障を基本政策の一つとし、自然災害や感染症拡大に備えた国の危機管理体制、防衛・外交、サプライチェーンの強化などを掲げています。

健康危機だけを医療政策として切り離すのではなく、食料やエネルギー、防衛を含めた国家の危機管理として扱う政策構成です。憲法改正についても「危機に強い日本」をつくるという立場から主張しています。

医療DXはデータ連携を入口にする

デジタル分野の中でも、医師としての経験を直接生かしているテーマが医療DXです。2026年8月のインタビューでは、患者と医療機関、医療機関同士、医療機関と薬局の間で必要な情報を共有できる環境を優先課題に挙げました。

まずは医療機関同士でデータの連携ができるような仕組みづくりから始めなきゃいけない。

出典:マイナビニュース「日本は医療DXの入口にすら立っていない…松本尚デジタル大臣が明かす医療現場のリアル」(2026年8月21日)

その先にはAIによる診断や手術支援なども視野に入れていますが、まず医療データを必要な場所で連携できる基盤を整えることを「入口」と位置づけています。

行政DXでは人とAIの役割を分ける

2025年10月のデジタル大臣就任会見では、国民へのデジタルサービス普及に加え、EBPM、行政事業レビュー、国家公務員制度などにも取り組む方針を示しました。

全ての国民の皆さんにデジタル化の恩恵が行き渡るようにしっかりと取り組んでまいりたい

出典:デジタル庁「松本大臣就任記者会見(令和7年10月22日)」(2025年10月22日)

国の行政組織については、AIで代替できる業務を見極め、その一方で政策立案など人が担うべき仕事へ職員を振り向ける考えも国会で示しています。

霞が関の中で、人がやらなきゃいけないことを人にやらせるということは大事だと思います。

出典:衆議院「第221回国会 内閣委員会 第8号」(2026年4月24日)

サイバー安全保障と国内デジタル基盤

サイバー分野では、能動的サイバー防御を含む安全保障政策を担当しています。本人の基本政策では国産クラウドやAIによる安全なデジタル基盤の構築も掲げています。

積極財政と科学技術への投資

経済政策では「責任ある積極財政」を掲げ、本人公式サイトでは食料品の消費税率を恒久的に0%とする政策も主張しています。

科学技術ではAIだけでなく、宇宙・海洋開発や創薬への投資を挙げています。これらは本人が掲げる政策・主張であり、実施済みの政策成果としてではなく、政治姿勢として示されている内容です。

松本尚氏の現在情報

2026年8月26日 時点
現在の公職 衆議院議員
現在の所属 自由民主党
選挙区・選出地域 千葉県第13区
現在の期・任期 衆議院議員3期目
現在の主な役職
デジタル大臣 デジタル行財政改革担当大臣 行政改革担当大臣 国家公務員制度担当大臣 サイバー安全保障担当大臣 内閣府特命担当大臣(サイバー安全保障)

ドクターヘリ推進議員連盟の事務局長として、国政入り後も救急医療の制度整備に関わっている。

政治人生の転機 松本尚の政治人生の転機
01
1995~2000年
消化器外科から救急・外傷外科へ
日本医科大学の高度救命救急センターで外傷外科に触れ、金沢大学での救急部勤務を経て日本医科大学へ移った。
なぜ転機なのか その後のドクターヘリ、外傷医療、災害医療につながる専門分野への転換となった。
02
2020~2021年
コロナ対応から国政へ
千葉県の災害医療コーディネーターとして新型コロナ対応に関わった後、自民党公募に応募し衆院選へ出馬した。
なぜ転機なのか 34年間続いた臨床医中心のキャリアから国政へ進路を変えた。
03
2023~2024年
防衛・外交を担当する政務官へ
防衛大臣政務官に就任し、再選後には外務大臣政務官を務めた。
なぜ転機なのか 医療政策だけでなく安全保障・外交を政府側で担当する立場へ移った。
04
2025年10月
初入閣
第1次高市内閣でデジタル大臣などに就任した。
なぜ転機なのか 国務大臣としてデジタル政策、行政改革、サイバー安全保障を担当する立場となった。

動画で見るドクターヘリ時代

本人公式YouTubeチャンネルでは、政治家になる前の仕事について本人が語る動画も公開されています。ドクターヘリ立ち上げ当時の話を本人の声で確認できます。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
その他の参考資料

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