百田尚樹の経歴・学歴と生い立ち|放送作家から小説家、日本保守党創設と国政進出まで

百田尚樹
ひと目でわかるプロフィール 百田尚樹
ひゃくた なおき
出身地
大阪府大阪市
初当選
2025年(第27回参議院議員通常選挙)
最終学歴
同志社大学法学部中退
主な前職
テレビ・放送関係
政界入り
専門職から
生年月日 1956年2月23日

百田尚樹氏は、テレビ番組の放送作家として長く活動した後、『永遠の0』などの作品で知られる小説家となり、さらに政党を立ち上げて国政へ進んだ人物です。

テレビの裏方、小説家、政治評論、政党代表、国会議員。活動する分野を何度も変えてきた百田氏が、どのような人生を歩んできたのかをたどります。

百田尚樹氏を理解する3つのポイント
  1. 大阪の下町で育ち、テレビの裏方として長く番組づくりを担ってきました。
  2. 放送作家から小説家へ活動を広げ、政治や社会についても積極的に発言するようになりました。
  3. 言論活動から政党設立へ進み、国政選挙への挑戦を経て議席を得ました。

新大阪駅ができる頃、東淀川の下町で育つ

百田尚樹氏は1956年2月23日、大阪市に生まれました。子ども時代を過ごしたのは東淀川の下町です。

幼い頃は家の中で静かに過ごすより、外へ出て遊ぶことを好んでいました。本人は少年時代を振り返り、こう語っています。

遊ぶのが大好きで、朝から晩まで外にいましたね。

出典:WEB本の雑誌「作家の読書道 第107回:百田尚樹さん」(2010年9月29日)

一方、家庭には本が身近にありました。父親は読書好きで、家には岩波少年文庫など多くの本が置かれていたといいます。百田氏自身は漫画や貸本にも親しみ、小学4年生頃にベーブ・ルースの伝記を読んだことから偉人伝にも手を伸ばすようになりました。

小学生の頃には、新御堂筋の建設に伴って通っていた学校が廃校となり、別の学校へ移っています。近くでは新大阪駅が開業し、本人が「下町」と振り返る地域の風景も大きく変わっていく時期でした。

同志社大学でボクシング、テレビ番組への出演が進路を変える

高校卒業後は同志社大学法学部へ進学しました。学生時代には映画監督への憧れもあり、ボクシング部に所属して練習に打ち込んだ時期もあります。

大学時代、朝日放送の視聴者参加型番組『ラブアタック!』に出演しました。番組では何度も出演する常連のような存在となり、制作スタッフとの接点が生まれます。

大学は5年間在籍した後に中退しました。その頃、テレビ局のディレクターやプロデューサーから声を掛けられ、番組を書く放送作家の道へ入りました。

放送作家になり、『探偵!ナイトスクープ』を支える

放送作家として活動を始めたのは1980年頃です。最初から一生の仕事にすると決めていたわけではありませんでした。

でもアルバイト気分でしたね。

出典:WEB本の雑誌「作家の読書道 第107回:百田尚樹さん」(2010年9月29日)

テレビの仕事は生活時間が不規則で、仕事と仕事の間にまとまった空き時間ができることもありました。その時間を埋めるように本を読む量が増え、読書が日常の一部になっていきます。

1988年に始まった朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』では、番組開始当初から構成に関わりました。視聴者から毎週大量に届く依頼の中から企画を選び、テレビ番組として成立させる仕事を長く続けています。

そのほかのテレビ番組にも携わり、30代、40代は放送作家の仕事が活動の中心でした。

29歳で2100枚を書き、50歳を前に小説へ戻る

小説を書こうとしたのは50歳になってからが最初ではありません。本人によると、29歳頃に突然小説を書きたいと思い立ち、約1年半をかけて原稿用紙2100枚ほどの長編を書き上げたことがありました。

ただ、その作品で作家になることはなく、結婚して家庭を持った後はテレビの仕事へ力を注ぎます。小説への思いが再び強くなったのは50歳が近づいた頃でした。

放送作家の仕事は多くのスタッフと共同で番組を作り、放送されれば形として残りにくい。そう感じる中で、以前挑戦した小説をもう一度書こうと考えました。

次の人生では、何かその命懸けになれるものに向かう

出典:Voice「百田尚樹――50歳からの『第二の人生』」(2013年4月9日)

50歳を前に『永遠の0』の執筆へ戻り、約3カ月で書き上げました。

完成原稿は、最初に送った大手出版社からは開封されないまま返却され、別の出版社にも断られています。その後、太田出版から刊行され、2006年に小説家としてデビューしました。

発売直後から大きく売れたわけではなく、当初は書評にもほとんど取り上げられませんでした。その後、別作品『ボックス!』などを通じて百田氏に注目する編集者が増え、『永遠の0』も読者を広げていきました。

『海賊とよばれた男』で本屋大賞、作家として活動が広がる

小説家としては『ボックス!』『風の中のマリア』『モンスター』などを発表し、2012年には出光興産創業者の出光佐三をモデルにした『海賊とよばれた男』を刊行しました。

同作は2013年、第10回本屋大賞を受賞します。放送作家としてテレビ番組を作ってきた百田氏は、50代以降、小説、ノンフィクション、評論など出版活動の幅を広げました。

2018年には日本の歴史を題材にした『日本国紀』を刊行。政治や社会、歴史をめぐる発言も増えていきます。

国会議員となった後も、小説家としての自分を意識する発信を続けています。

NHK経営委員として公的な立場へ

2013年にはNHK経営委員に就任しました。放送番組を作る民間の放送作家とは異なり、NHKの経営に関する重要事項を議決する経営委員会の一員となります。

在任中には、選挙応援演説などでの発言をめぐり、国会で経営委員としての立場との関係が取り上げられました。

2014年2月の衆議院予算委員会でNHK経営委員長は、問題となった発言について百田氏個人の意見であり、NHKの見解とは別だとの認識を示しています。経営委員会では、委員が服務準則と社会的責任を自覚して節度を持って行動することも確認されました。

参議院の公式プロフィールでは、NHK経営委員を1期務めた経歴が記載されています。

2023年、日本保守党を立ち上げる

百田氏は2010年代に入ると、作品の執筆に加えて政治や社会に関する評論・発信を活発化させました。

2023年9月1日には政治団体「日本保守党」を設立。百田氏が代表、有本香氏が事務総長となり、10月17日に結党を正式に発表しました。

作家や評論家として外から政治について発言するだけでなく、自ら日本保守党を立ち上げ、政党運営へ踏み込みました。

私の残りの人生を、この党とともに歩むことをお誓いします。

出典:日本保守党「結党宣言」(2023年10月)
人生年表 百田尚樹さんの歩み
1956年2月23日
大阪府大阪市に生まれる
東淀川区の下町で育つ
1980年
放送作家として活動を始める
2006年
『永遠の0』で作家デビュー
2013年
『海賊とよばれた男』で第10回本屋大賞を受賞
2013年
NHK経営委員に就任
1期
2018年
『日本国紀』を刊行
2023年9月
政治団体「日本保守党」を設立
代表に就任
2023年10月
日本保守党の結党を正式に宣言
2024年10月27日
第50回衆議院議員総選挙に初出馬
比例近畿ブロックで落選
2025年7月20日
第27回参議院議員通常選挙で初当選
比例代表

2024年衆院選に初出馬し、政党要件を満たす

百田氏自身が初めて国政選挙へ立候補したのは、2024年10月の第50回衆議院議員総選挙です。日本保守党の比例近畿ブロック名簿3位で、比例単独候補として立候補しました。

2024年10月、衆院選に初出馬しましたが、近畿ブロックで日本保守党が獲得した議席は1。名簿1位の島田洋一氏が当選し、百田氏は落選しました。

一方、日本保守党はこの選挙で小選挙区と比例代表を合わせて3議席を獲得しました。比例代表では全国で2%を超える得票率となり、選挙後に政党助成法上の政党として届け出ています。

2025年参院比例で初当選

次の国政選挙への挑戦は2025年7月の第27回参議院議員通常選挙でした。全国比例代表から日本保守党公認で立候補します。

百田氏は128,863票を獲得。日本保守党の比例候補では北村晴男氏に次ぐ党内2位となり、参議院議員として初当選しました。

選挙を終えた本人は、当選そのものとは別に、党全体の結果を意識した発信をしています。

選挙歴 百田尚樹の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第50回衆議院議員総選挙
定数:28 比例復活:比例単独
初出馬。日本保守党は近畿ブロックで1議席を獲得し、名簿1位の島田洋一氏が当選
比例近畿ブロック 日本保守党 落選 名簿3位
第27回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:比例代表
初当選。日本保守党は比例代表で2議席を獲得
比例代表 日本保守党 当選 128,863票 党内2位

初めての国会と経済産業委員会での質疑

参議院議員となった2025年夏、百田氏は初登院を迎えました。党代表として選挙を指揮してきた立場から、自ら国会内で審議に参加する立場へ変わります。

2025年11月20日の参議院経済産業委員会では質問に立ち、経済産業行政について政府側へ質疑しました。

経済産業省というのは日本の国益を支える最も大きな省庁の一つと私は考えております。

出典:国立国会図書館 国会会議録検索システム「第219回国会 参議院経済産業委員会 第2号」(2025年11月20日)
政治人生の転機 百田尚樹の政治人生の転機
01
1980年前後
テレビの世界へ入り、放送作家に
大学時代のテレビ出演をきっかけに番組制作側へ誘われ、放送作家として活動を始めた。
なぜ転機なのか その後長く続くテレビ・放送分野での仕事が始まったため。
02
2006年
50歳で小説家デビュー
『永遠の0』を刊行し、放送作家に加えて小説家としての活動を始めた。
なぜ転機なのか テレビ中心だった創作活動が出版分野へ大きく広がったため。
03
2023年
日本保守党を創設
政治団体「日本保守党」を立ち上げ、自ら代表に就任した。
なぜ転機なのか 政治や社会について発言する立場から、政党を運営する立場へ移ったため。
04
2024年~2025年
初出馬の落選から参議院へ
2024年衆院選で初出馬して落選した後、2025年参院選比例代表で初当選した。
なぜ転機なのか 政党代表としての政治活動から、国会議員として公職を担う段階へ進んだため。

百田尚樹氏と日本保守党の政策

日本保守党は2026年8月6日に重点政策を改訂し、税・経済、安全保障、移民、エネルギー、教育、社会保障などについて党の方針を示しています。

食料品の消費税ゼロと減税

税制では、酒類を含む食料品の消費税率を恒久的に0%とすることを掲げています。所得税についても、控除や課税最低限を見直して手取りを増やす方向を打ち出しています。

消費税を下げた場合に小売価格へ反映されるのかという議論に対しては、百田氏自身が消費者と店舗の競争を例に説明しています。

安全保障と外交

安全保障では、憲法9条2項の削除と自衛隊の位置付け、スパイ防止法の制定、情報機関の設置、防衛研究開発の強化などを掲げています。

外国資本による安全保障上重要な土地の取得を規制する方針も示しています。外交では拉致被害者の救出に向けた国際連携や対北朝鮮圧力、台湾との関係を強化するための法整備などを政策に挙げています。

移民政策の見直し

外国人政策では、移民受け入れによる社会的な費用を把握したうえで、総数や出身国別の受け入れを管理する方針です。経営・管理ビザ、家族帯同、外国人の健康保険・年金制度についても見直しを掲げています。

2026年4月には、百田氏自身も参議院経済産業委員会で外国人受け入れに伴う社会コストについて政府へ質問したことを発信しています。

エネルギー・産業政策

エネルギー政策では、再生可能エネルギーへの過度な依存を見直し、再エネ賦課金の廃止を掲げています。エネルギー分野への外国資本参入を制限し、日本の火力発電技術を活用する方針も示しました。

太陽光発電については、百田氏自身も電力供給の安定性や電気料金の観点から批判的な見解を発信しています。

皇統・伝統文化

皇位継承について日本保守党は、父方をたどって天皇につながる男系男子による皇位継承を維持し、制度変更を最小限にとどめる立場を示しています。

2026年7月に公表した意見表明では、百田氏名義で次の言葉を記しました。

国体を触ることへの畏れを、忘れてはなりません。

出典:日本保守党「皇室典範改正への意見表明(令和8年7月15日)」(2026年7月17日)

議員歳費・政党交付金と政治資金

政治改革では、政党交付金を半減することや、親族への政治資金管理団体の継承を禁止することを重点政策に掲げています。

議員自身の待遇についても、百田氏は歳費を引き下げる考えを明確に発信しています。

百田尚樹氏の現在情報

2026年8月26日 時点
現在の公職 参議院議員
現在の所属 日本保守党
選挙区・選出地域 参議院比例代表
現在の期・任期 参議院議員1期目
現在の主な役職
日本保守党 代表・創設者

経済産業委員会、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会、資源エネルギー・持続可能社会に関する調査会に所属し、国会質疑と党運営を続けています。

動画で見る百田尚樹氏

本人公式の「百田尚樹チャンネル」では、生放送形式で長時間話す動画も公開されています。文章や短いSNS投稿とは異なり、本人の話し方や発信のテンポを確認できます。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
その他の参考資料

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