山本ジョージの経歴・学歴と生い立ち|都議・衆院議員から福祉活動、国政復帰まで

山本ジョージ
ひと目でわかるプロフィール 山本ジョージ
やまもと じょーじ
出身地
北海道札幌市
初当選
1989年(東京都議会議員選挙)
最終学歴
早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業
主な前職
NPO・市民活動、国会議員秘書
政界入り
国会議員秘書から、地方議員から
生年月日 1962年9月20日

山本ジョージ氏は、政治家としての前半生と、その後の福祉・更生支援の活動が大きく二つの時期に分かれる人物です。東京都議、衆議院議員を経験した後、議員辞職と服役を経て、刑事司法と福祉の境界にいる人たちと向き合ってきました。

本名は山本譲司。長く政治の外側で活動した後、「山本ジョージ」という名前で再び選挙に立ち、約25年ぶりに国会へ戻っています。

山本ジョージ氏を理解する3つのポイント
  1. 学生時代から貧困問題や市民運動に関わり、菅直人氏の秘書を経て地方政治へ進みました。
  2. 都議・衆院議員を経験した後、服役を経て障害者や出所者の生活・社会復帰支援へ活動の軸を移しました。
  3. 長い福祉・更生活動の後に国政へ再挑戦し、衆議院へ復帰して再び政治の場に立っています。

山本ジョージの生い立ち|北海道に生まれ、佐賀で育った少年時代

山本ジョージ氏は1962年9月20日、北海道札幌市に生まれました。本名は山本譲司です。その後は佐賀県三養基郡みやき町で育ち、少年期から高校時代まで佐賀を生活の基盤としました。

山本ジョージの学歴|三養基高校から早稲田大学教育学部へ

学歴一覧山本ジョージの学歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校佐賀県立三養基高等学校―53(2026年度)1981年卒業
大学早稲田大学教育学部 社会科社会科学専修62.5〜67.5(2027年度・教育学部)1985年3月卒業

※偏差値は本人の在学当時ではなく、現在の入試難易度の目安です。早稲田大学は当時と現在で専修構成が異なるため、教育学部全体の現在レンジを参考表示しています。

山本氏は佐賀県立三養基高等学校を卒業後、早稲田大学教育学部へ進みました。大学では社会科社会科学専修で学び、学生時代からホームレス問題や発展途上国の貧困問題に関心を広げています。

現在の入試難易度では、三養基高校が偏差値53、早稲田大学教育学部は学科・方式によって62.5〜67.5です。山本氏が在籍した当時の専修と現在の学科構成は同一ではないため、大学は学部全体の現在レンジを参考表示します。

1981年に佐賀県立三養基高等学校を卒業し、早稲田大学教育学部へ進みました。社会科社会科学専修で学び、大学在学中から市民運動に参加してホームレス問題や発展途上国の貧困問題に関心を広げていきます。

フィリピンのスモーキーマウンテンではストリートチルドレンの支援活動にも携わっています。議員になる以前から、生活の困難を抱える人の現場へ足を運んでいたことが、公開されている学生時代の経歴から分かります。

1985年3月に大学を卒業すると、同年11月から菅直人衆議院議員のもとで働き始めました。政策スタッフから公設秘書となり、約3年半にわたって国政の現場を経験します。

山本ジョージの経歴|菅直人氏の秘書から26歳で東京都議へ

最初に自ら選挙へ出たのは1989年の東京都議会議員選挙でした。当時1人区だった立川市選挙区から無所属で立候補し、社会党と社会民主連合の推薦を受けています。

選挙では「消費税反対」を掲げ、26歳で東京都議会議員に初当選しました。菅氏を支える秘書から、自ら有権者の審判を受ける立場へ移ります。

1993年の都議選にも無所属で立候補し、社会党、日本新党、社会民主連合の推薦を受けて再選。東京都議を2期務めた後、次は国政を目指しました。

東京21区から国政へ――民主党で衆議院議員2期

1996年、初めて小選挙区比例代表並立制で行われた衆議院議員総選挙に、結成されたばかりの民主党から立候補しました。選挙区は立川市、日野市、昭島市を含む東京21区です。

東京21区で勝利し、衆議院議員に初当選。2000年の総選挙でも同選挙区で再選し、民主党東京都連では幹事長兼選挙対策委員長を務めました。

国内政治だけではなく、東ティモールの民族自決権を求める国際運動では事務局長を経験しました。独立の可否を問う住民投票では、国連監視団の一員として現地へ入っています。

2000年の議員辞職と実刑判決――黒羽刑務所での経験

2期目の衆院議員となった直後、政治家としての経歴は途切れます。2000年9月4日、政策秘書の給与をだまし取った詐欺容疑で逮捕され、衆議院議長は同月8日に山本氏の辞職を許可しました。

2001年2月28日、東京地方裁判所で懲役1年6月の実刑判決を受けました。控訴して争うことはせず、黒羽刑務所で服役します。

収監先では障害のある受刑者や認知症の受刑者の世話係を務めました。政治家だった頃には十分に認識していなかった刑務所内の状況を、本人は後に次のように記しています。

獄中は障害者や高齢者で溢れており、強い衝撃を受ける。

出典:山本ジョージ公式ウェブサイト「プロフィール」(2025年6月22日、2026年7月30日更新)

『獄窓記』を書き、知的障害者施設の支援スタッフへ

出所後に始めたのが、受刑生活を書き残すことでした。刑務所で経験したことだけでなく、自身が事件を起こすまでの経過や心の動きにも向き合い、後に『獄窓記』として出版されます。

総括しないと次には行けないと、自主的に書き始めたんです

出典:東京弁護士会「LIBRA」インタビュー 作家・元衆議院議員 山本譲司さん(2007年10月)

2004年、『獄窓記』は新潮ドキュメント賞を受賞しました。翌2005年にはTBSでドラマ化され、服役中に目にした障害者や高齢者の問題を社会へ伝える活動も広がっていきます。

一方、執筆だけで終わらせず、2004年2月から東京都内の知的障害者入所更生施設で支援スタッフとして勤務しました。八王子市内の施設で約2年半働きながら、全国の福祉施設や矯正施設を訪ねています。

2004年には福祉・司法関係者へ呼びかけ、「触法障害者」をめぐる勉強会を発足。2005年5月10日には参議院法務委員会へ参考人として招かれ、矯正行政について意見を述べました。

刑事司法と福祉をつなぐ仕組みづくりへ

福祉施設での勤務と並行し、罪を犯した障害者が出所した後に地域で暮らせる仕組みをつくる研究や政策提言へ活動を広げました。厚生労働科学研究や日本社会福祉士会のリーガル・ソーシャルワーク研究にも携わっています。

本人の公式プロフィールは、行政機関への政策提言から実現した事項として、次のような制度や体制を挙げています。

  • 地域生活定着支援センターを各都道府県に設置する仕組み
  • 障害のある受刑者が矯正施設内でも障害者手帳を取得しやすくするための要件緩和
  • 矯正施設への福祉専門職、更生保護施設へのソーシャルワーカー配置
  • 被疑者段階から福祉につなぐ「入口支援」

2006年からは播磨社会復帰促進センター、島根あさひ社会復帰促進センターの計画立案・運営にも関わりました。両施設には障害のある受刑者を対象とする専門ユニットが設けられています。

2008年にはリーマンショックをきっかけに出所者の就労支援を行うNPO法人を設立し、2009年には更生保護法人を設立。矯正施設の内側で見た問題を、出所後の住まい・就労・福祉へつなぐ活動を続けました。

一番重要なのは社会の中にいる私たちの意識を変えることだと思います。

出典:人権情報ネットワーク「罪を犯した障害者も共に暮らせる社会へ」(2008年7月1日)

がんを経て「山本ジョージ」として再び選挙へ

長く国政選挙から離れていた山本氏に、もう一つ大きな出来事が起きました。2022年2月にがんを告知され、入院しています。本人は2025年の街頭演説で、ステージ4と告げられて死を覚悟した一方、治療が奏功して回復した経緯を話しました。

今のおかしな政治、これを変えたいと思いました。

出典:山本ジョージ公式ウェブサイト「死を覚悟しました。その時、私だけじゃなく、私の家族は…」(2025年7月15日)

2025年、約四半世紀ぶりに国政選挙へ戻ることを決めました。れいわ新選組が6月16日に発表した参院東京選挙区の候補予定者として、「山本ジョージ」の名前で活動を始めます。

本名は漢字の「山本譲司」で、過去の選挙では名前をひらがなで「じょうじ」と表記していました。カタカナへ変えた理由を尋ねられると、過去の政治家時代への反省を含めて説明しています。

それをリセットするというような思いもあり、カタカナ「ジョージ」にしました。

出典:れいわ新選組「次期参院選 公認候補予定者発表 山本ジョージ」会見文字起こし(2025年6月16日)

同年7月の参議院議員選挙では東京都選挙区から立候補しましたが、当選には届きませんでした。選挙後もれいわ新選組で政治活動を続けます。

約25年ぶりの国政復帰、そして党代表選へ

再挑戦から半年余り後、衆議院が解散されます。2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙では、れいわ新選組の比例南関東ブロック比例単独候補として立候補しました。

比例南関東ブロックで当選し、2000年の辞職以来、約25年ぶりに衆議院へ復帰しました。衆議院での当選回数は通算3回となります。

国会復帰後は委員会での活動に加え、生活保護、年金、難病患者の障害福祉、西サハラ問題などについて質問主意書を提出しました。6月には決算行政監視委員会で質問に立つことも自身のXで告知しています。

同年7月、山本太郎氏が代表辞任を表明したことを受け、第3回れいわ新選組代表選挙が行われました。山本氏は7月17日に立候補を届け出ています。

代表選では、代表への意思決定集中を改め、地方議員や党員・支援者が意思決定へ参加する党運営を掲げました。

この党を、みんなと一緒に作り直したいんです。

出典:選挙ドットコム 山本ジョージ「れいわ新選組代表選挙 決意表明」(2026年7月17日)

7月31日の代表選で新代表に選出され、8月5日の新体制では代表と選挙対策委員長に就任しました。翌6日、党は臨時総会などを経て、名称を「れいわ新選組」から「いのちの党」へ変更しています。

人生年表 山本ジョージさんの歩み
1962年9月20日
北海道札幌市で生まれる
佐賀県三養基郡みやき町で育つ
1981年3月
佐賀県立三養基高等学校を卒業
1985年3月
早稲田大学教育学部社会科社会科学専修を卒業
学生時代から市民運動や貧困問題に関わる
1985年11月
菅直人代議士の秘書となる
1989年7月
東京都議会議員に初当選
立川市選挙区、26歳
1996年10月
衆議院議員に初当選
東京21区、民主党
2000年9月
衆議院議員を辞職
政策秘書給与詐欺容疑で逮捕後、9月8日に辞職
2001年2月
懲役1年6月の実刑判決を受ける
黒羽刑務所で服役
2003年12月
作家活動を始める
『獄窓記』などを刊行
2004年2月
知的障害者入所更生施設の支援スタッフとなる
2005年5月
参議院法務委員会に参考人として出席
矯正行政について意見を述べる
2008年
出所者の就労支援NPO法人を設立
2009年
更生保護法人を設立
2022年2月
がんを告知され入院
2025年6月
「山本ジョージ」名で国政再挑戦を表明
れいわ新選組の参院東京選挙区候補へ
2026年2月
衆議院議員に当選
比例南関東ブロックで約25年ぶりに国政復帰
2026年7月
れいわ新選組代表に選出
2026年8月
党名を「いのちの党」へ変更
代表・選挙対策委員長を務める

山本ジョージ氏が掲げる政策・政治姿勢

消費税廃止と物価高への現金給付

経済政策では消費税とインボイス制度の廃止を掲げています。減税までのつなぎとして一律10万円を給付し、その後も「悪い物価高騰」が収まるまで季節ごとのインフレ対策給付金を続けるという提案です。

2026年7月には、インドの物品・サービス税の減税を取り上げ、日本でも消費税減税を行うようXで主張しました。

施設中心から地域共生型の福祉へ

福祉分野では、施設へ隔離する形から地域の中で生活できる仕組みへ転換することを掲げています。障害福祉予算の大幅な増額も政策に含めています。

国会復帰後には、ME/CFS、線維筋痛症、新型コロナ後遺症など、外見や一般的な検査では状態が分かりにくい患者が適切な障害福祉サービスを受けられるよう求める質問主意書も提出しました。

がん検診の充実・拡大

医療分野では、がんの早期発見と予防のため、検診の充実・拡大を政策として掲げています。自身が公表しているがん治療の経験を踏まえた政策項目です。

勾留制度・矯正施設と犯罪被害者支援

刑事司法では、冤罪防止の観点から、いわゆる「人質司法」と批判される勾留制度の見直しを主張しています。拘禁刑への移行に対応して矯正職員を増員し、個々の受刑者に応じた処遇を行える体制を求めています。

犯罪被害者に対しては、本人が「犯罪補償庁(仮称)」と呼ぶ新組織の設置を提案しています。

学校だけに限定しない学びの場

2025年の参院選では、フリースクールやコミュニティスクールなど多様な学びを尊重し、公的に支援する考えを示しました。

軍事力に依存しない外交と憲法改正手続きへの姿勢

外交・安全保障では軍拡に批判的な立場を取り、対話と外交を重視する発信を続けています。2026年にはキューバのエネルギー事情と米国の制裁を取り上げ、力による現状変更に反対する立場を示しました。

同年6月には、憲法改正の手続きを定める国民投票法改正案に反対しました。本人は本会議で反対票を投じたことと、その理由をXで説明しています。

選挙歴 山本ジョージの選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
東京都議会議員選挙
定数:1 比例復活:該当なし
社会党・社会民主連合推薦。「消費税反対」を掲げ、26歳で初当選。
立川市選挙区 無所属 当選
東京都議会議員選挙
比例復活:該当なし
社会党・日本新党・社会民主連合推薦。東京都議2期目。
立川市選挙区 無所属 当選
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区で初当選。比例東京ブロックとの重複立候補。
東京都 第21区 民主党 当選 55,458票 1位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区で再選。比例東京ブロックとの重複立候補。
東京都 第21区 民主党 当選 98,775票 1位
第27回参議院議員通常選挙
定数:7 比例復活:該当なし
「山本ジョージ」の政治活動名で国政再挑戦。
東京都 選挙区 れいわ新選組 落選 243,092票 13位
第51回衆議院議員総選挙
定数:23 比例復活:比例単独
れいわ新選組が南関東ブロックで1議席を獲得し、比例単独候補として当選。約25年ぶりの国政復帰。
比例代表 南関東ブロック れいわ新選組 当選 候補者個人票なし(れいわ新選組 202,655票) 名簿順位2位

山本ジョージ氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

財政再建と公債発行

行政改革と審議会の透明性

中小企業政策と官から民への転換

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

街頭演説で聞く山本ジョージ氏

本人の話し方や街頭での訴え方を知る資料として、2025年6月27日の錦糸町駅街宣から構成された公式動画があります。

山本ジョージ氏の現在情報

2026年9月7日 時点
現在の公職 衆議院議員
現在の所属 いのちの党
選挙区・選出地域 比例南関東ブロック
現在の期・任期 衆議院議員3期目
現在の主な役職
いのちの党 代表 いのちの党 選挙対策委員長

生活保護、年金、難病患者の障害福祉、刑事司法など、福祉と制度の接点を中心に国会活動を続けている。

政治人生の転機 山本ジョージの政治人生の転機
01
1989年
26歳で東京都議会議員に初当選
菅直人氏の秘書から立川市選挙区の都議選へ進み、無所属で初当選した。
なぜ転機なのか 政治スタッフから自ら議席を持つ政治家へ立場が変わったため。
02
2000年~2001年
議員辞職と服役
政策秘書給与詐欺事件で逮捕後に衆議院議員を辞職し、翌年に実刑判決を受けた。
なぜ転機なのか 国会議員としての経歴が途切れ、その後の福祉・更生支援へ進む前提となったため。
03
2003年~2004年
『獄窓記』と福祉現場への転身
受刑体験を執筆し、知的障害者施設の支援スタッフとして働き始めた。
なぜ転機なのか 政界中心の活動から、矯正と福祉をつなぐ実践・提言活動へ進路が変わったため。
04
2025年~2026年
約25年ぶりの国政復帰
2025年の参院選で再挑戦し、翌年の衆院選比例南関東ブロックで当選した。
なぜ転機なのか 長期間離れていた国政へ議員として復帰したため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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