竹下登氏は、島根の山間部で育ち、中学校の教員と青年団活動、県議を経て国政へ進んだ政治家です。中央政界では官房長官や大蔵大臣を重ね、やがて自民党総裁、第74代内閣総理大臣となりました。
首相在任期は昭和から平成への転換期と重なります。政治家になる前の掛合での生活から、長い国政経験、政権を担った時期までを順にたどります。
- 島根・掛合の教員、青年団活動、県議という地方政治の現場から出発しました。
- 衆議院議員14期、官房長官・大蔵大臣・自民党幹事長を経て、第74代首相に就任しました。
- 首相として税制改革、ふるさと創生、国際協力を進める一方、政治不信の拡大を受けて退陣しました。
竹下登の生い立ち|島根・掛合の酒造家に生まれ、早稲田大学から故郷の教壇へ
竹下登氏は1924年2月26日、島根県飯石郡掛合村、現在の雲南市掛合町に生まれました。掛合は中国山地に位置する地域で、竹下家は長くこの土地に根を張っていました。
生家は酒造業を営む家です。竹下家の酒造りは1866年に始まり、のちの竹下本店につながりました。父の勇造氏も1942年に島根県会議員となっており、地域社会と政治が身近にある家庭環境でした。
旧制中学を経て上京し、早稲田の旧制高等学院から大学へ進みました。戦時期には軍務を経験し、のちに本人も国会で「最終的に戦争に行きましたものの」「復学もしております」と振り返っています。
戦後に学業へ戻り、1947年に早稲田大学商学部を卒業しました。その後は東京に残らず島根へ帰り、掛合中学校の教員となります。
国政で大蔵大臣や首相を務めた後の姿からは離れていますが、政治家としての出発点にあったのは、故郷で生徒や地域の若者と接する生活でした。
竹下登の学歴|中学校教員と青年団活動から、27歳で島根県議へ
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 大学 | 早稲田大学 | 商学部 | 67.5(現行商学部・2027年度参考) | 卒業 |
※偏差値は竹下氏の在学当時ではなく、現行の早稲田大学商学部における2027年度入試難易度の参考値です。
教員時代の竹下氏は、地域の青年団活動にも深く関わりました。戦後の青年団は、地域の若者が教育、文化、農村生活などを自分たちで考える場でもあり、竹下氏は県議になった後も活動とのつながりを持っていました。
衆議院議員となった翌年の1959年、国会で青年教育について答弁した際にも、自分自身を青年団活動の当事者として語っています。
地域の青年団運動に従事しておる一人でございます。
出典:国会会議録検索システム「第31回国会 衆議院 文教委員会 第18号」(1959年3月31日)
1951年、27歳で島根県議会議員選挙の飯石選挙区に出馬し、初当選しました。選挙時の党派は無所属です。
1955年の県議選では自由党から再選します。同年11月には自由党と日本民主党の合同で自由民主党が結成され、竹下氏もその後の政治活動を自民党で進めることになります。
県議として2期を務めたのち、次に選んだ舞台は国政でした。
竹下登の経歴|34歳で衆議院へ、佐藤・田中政権で官邸実務を経験
1958年5月の第28回衆議院議員総選挙で島根全県区から初当選しました。34歳でした。以後、1996年まで衆議院選挙で14回連続して議席を得ます。
国政入り後、竹下氏は閣僚になる前から官邸で実務を経験しました。1964年に第1次佐藤内閣の内閣官房副長官となり、首相官邸と与党、各省庁を結ぶ仕事に携わります。
1971年7月、第3次佐藤内閣改造内閣で内閣官房長官に就任しました。1974年11月には第2次田中角栄内閣の第2次改造内閣でも官房長官を務めています。
その後は担当分野を広げ、1976年に三木内閣の建設大臣、1979年に第2次大平内閣の大蔵大臣となりました。1982年に発足した中曽根内閣でも大蔵大臣を務め、財政・税制・国際金融を担当する立場に立ちます。
地方議員から国会へ入り、官邸実務、建設行政、財政金融へと経験を積み重ねた時期でした。党内では田中角栄氏が率いる派閥に属し、その有力者の一人となっていきます。
田中派内の創政会から経世会へ、自民党総裁に上り詰める
1980年代半ば、竹下氏の政治人生は党内の後継争いを通じて大きく動きます。
1985年2月、田中派内に政策研究集団「創政会」を結成しました。当時は大蔵大臣で、田中派に属する国会議員の中から竹下氏を中心とするグループが形を現した出来事でした。
1986年には自民党幹事長に就任。翌1987年7月には経世会を結成し、自らの派閥を率いる立場となります。
同年秋、自民党総裁選をめぐって竹下氏、安倍晋太郎氏、宮澤喜一氏が後継候補となる中、中曽根康弘総裁の裁定によって竹下氏が後継に選ばれました。10月31日に自由民主党第12代総裁へ就任します。
そして1987年11月6日、第74代内閣総理大臣に就任しました。掛合の中学校教員から県議になった1951年から、36年を経ての首相就任でした。
竹下内閣で迎えた昭和の終わりと平成の始まり
竹下内閣は1987年11月に発足しました。内政では税制、地価高騰、東京一極集中、地方振興などを抱え、外交では日本の経済力に見合った国際的役割が問われていた時期です。
政権在任中の1989年1月7日に昭和天皇が崩御し、政府は新元号を「平成」と決定しました。元号を発表したのは小渕恵三官房長官です。
2月の国会で竹下氏は「平成」に込めた考えを次のように説明しました。
平和が我が国の内外に達成されることを願う
出典:国会会議録検索システム「第114回国会 衆議院 本会議 第3号」(1989年2月10日)
竹下氏は昭和最後の首相であると同時に、平成最初の首相となりました。
竹下登氏が進めた政策・政治姿勢
所得課税の見直しと3%の消費税
竹下内閣の内政で最も大きな制度変更の一つが税制改革です。前年までの売上税をめぐる経緯を踏まえ、所得、消費、資産の各課税を組み合わせる税体系への再編を進めました。
政府案には所得税や住民税、法人税、相続税などの見直しと、個別間接税の整理、新しい消費税の創設が組み込まれました。竹下氏は新税率を3%とし、中小事業者への配慮なども説明しています。
税制をめぐって与野党の対立が続く中、1988年11月の衆議院本会議では、合意形成についてこう答弁しました。
税制というものは、完全合意ということには事の性格上なじみにくい
出典:国会会議録検索システム「第113回国会 衆議院 本会議 第16号」(1988年11月16日)
消費税法は1988年12月24日に成立し、12月30日に公布されました。1989年4月1日から税率3%で施行されています。
ふるさと創生と自治体の裁量
竹下氏が長く掲げたテーマの一つが「ふるさと創生」です。中央が一律の使い道を決めるのではなく、それぞれの地域が自ら考えて地域づくりを進めるという考えを前面に出しました。
竹下内閣期の「自ら考え自ら行う地域づくり事業」では、地方交付税措置を通じて対象市町村に計1億円規模の財源が措置され、各自治体が独自の地域振興策を考えました。
地方財政をめぐる1988年12月の国会答弁には、県議経験を持つ竹下氏の自治観が直接表れています。
地方自治を民主主義の根幹、原点と考えた場合に
出典:国会会議録検索システム「第113回国会 参議院 税制問題等に関する調査特別委員会 第11号」(1988年12月14日)
東京一極集中と土地問題への対応
首相就任時、日本では大都市圏を中心に地価が急騰していました。竹下内閣は土地対策担当大臣と土地対策関係閣僚会議を置き、国土利用計画法の運用、金融機関への指導、住宅・宅地供給などを進めました。
竹下氏は地価高騰の背景の一つに東京への人口・機能集中を挙げ、東京への過度な依存から多極分散型の国土へ移ることを政策課題にしました。政府機関の地方移転も、この流れの中で進められています。
「ふるさと創生」は単独の地域振興策としてだけでなく、第四次全国総合開発計画や一極集中是正と並行して語られていました。
「世界に貢献する日本」と国際協力構想
外交では、日本の経済力に応じた国際貢献を政権の柱に据えました。1988年5月、ロンドンでの演説で「国際協力構想」を示します。
我が内閣の最大目標として、「世界に貢献する日本」の建設を掲げてまいりました。
出典:外務省「ロンドン市長主催午餐会における竹下内閣総理大臣スピーチ『日欧新時代の開幕』」(1988年5月4日)
構想は「平和のための協力」「国際文化交流」「政府開発援助(ODA)の拡充」の三本柱で構成されました。外交努力や人的・資金面の協力、文化交流、開発途上国支援を一つの枠組みにまとめたものです。
リクルート問題、政治改革、そして首相退陣
竹下政権の後半では、リクルート問題が政界へ広がり、政治と企業、政治資金をめぐる不信が強まりました。税制改革などの政策課題とは別に、政権そのものが政治倫理への対応を迫られます。
竹下氏は政治倫理、政治資金規正法、公職選挙法などを政治改革の課題として国会で取り上げました。1989年2月の施政方針演説では、自らの課題を次の言葉で示しています。
政治改革の具体的実現にみずからのすべてをかける
出典:国会会議録検索システム「第114回国会 衆議院 本会議 第4号」(1989年2月13日)
自民党でも政治改革に関する議論が進められましたが、政治不信は収まりませんでした。竹下氏は1989年4月25日に首相退陣を表明します。
6月2日には内閣総辞職に当たり、政治不信を深刻に受け止めるとの声明を出しました。首相官邸が示す在職期間は1989年6月3日までで、在職日数は576日です。
首相退任後も続いた影響力、経世会分裂から政界引退へ
首相を退いた後も、竹下氏は自民党内で長老として影響力を持ちました。1991年には自民党最高顧問となります。
一方、竹下氏が築いた経世会は1992年に分裂しました。小渕恵三氏らのグループと羽田孜氏らのグループに分かれ、巨大派閥を一体で維持してきた体制は崩れます。
選挙ではその後も島根で議席を守り、1996年の第41回衆議院議員総選挙では小選挙区制となった島根2区で当選。これが衆議院14回目の当選となりました。
2000年5月1日、病気療養中だった竹下氏は録音した肉声を通じて次期衆院選へ出馬せず、政界を引退すると表明しました。
衆議院は同年6月2日に解散。竹下氏はその選挙には立候補せず、6月19日に76歳で死去しました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1951年 4月30日 | 島根県議会議員選挙 初出馬・初当選 | 飯石選挙区 | 無所属 | 当選 | 7,177票 1位 |
| 1955年 4月23日 | 島根県議会議員選挙 県議2期目 | 飯石選挙区 | 自由党 | 当選 | 10,696票 1位 |
| 1958年 5月22日 | 第28回衆議院議員総選挙 衆議院初当選 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 95,611票 1位 |
| 1960年 11月20日 | 第29回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 78,286票 3位 |
| 1963年 11月21日 | 第30回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 77,745票 2位 |
| 1967年 1月29日 | 第31回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 78,307票 2位 |
| 1969年 12月27日 | 第32回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 79,525票 2位 |
| 1972年 12月10日 | 第33回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 105,977票 1位 |
| 1976年 12月5日 | 第34回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 87,919票 1位 |
| 1979年 10月7日 | 第35回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 103,586票 1位 |
| 1980年 6月22日 | 第36回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 112,565票 1位 |
| 1983年 12月18日 | 第37回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 117,529票 1位 |
| 1986年 7月6日 | 第38回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 139,903票 1位 |
| 1990年 2月18日 | 第39回衆議院議員総選挙 | 島根県 全県区 | 自由民主党 | 当選 | 108,169票 1位 |
| 1993年 7月18日 | 第40回衆議院議員総選挙 島根県の選挙記録上は無所属で立候補 | 島根県 全県区 | 無所属 | 当選 | 105,296票 1位 |
| 1996年 10月20日 | 第41回衆議院議員総選挙 衆議院14回目の当選 | 島根県 第2区 | 自由民主党 | 当選 | 86,462票 1位 |
竹下登氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
ふるさと創生と地方分権
「住民に身近な事務は住民に身近な地方公共団体において処理」
竹下氏は、ふるさと創生の基礎として国と地方の役割分担を見直し、住民に近い行政は地方公共団体が担うべきだとの考えを示した。
消費税導入
「消費一般に広く薄く負担を求める」
消費税について、事業者ではなく最終的に消費者が負担する間接税であり、消費一般に広く薄く負担を求める制度だと説明した。
行財政改革と税制改革
「まず行政改革をやり、そして歳出の節減合理化」
財政再建の手順として、行政改革と歳出削減を先行させ、その上で税制改革を進めるという考え方を説明した。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
映像で振り返る竹下登氏
TBSの歴代総理アーカイブでは、当時のニュース映像を交えながら竹下氏の首相在任期を振り返ることができます。文章とは違う形で、会見や政治活動時の姿を確認できます。
※商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。
- 生年月日、出身地、首相就任日、退任日、在職日数、竹下内閣の情報を確認
- 内閣官房副長官、内閣官房長官、建設大臣、大蔵大臣等の歴任を確認
- 自由民主党総裁就任、税制改革、ふるさと創生、国際協力構想、政治改革等を確認
- 1947年の早稲田大学商学部卒業を確認
- 竹下登氏の生家と掛合の酒造家としての背景を確認
- 消費税創設と1989年4月施行の経緯を確認
- 昭和63年法律第108号および1988年12月30日の公布を確認
- 「世界に貢献する日本」と国際協力構想の三本柱を確認
- 政治改革に関する竹下首相の発言を確認
- 1958年から1996年までの衆議院選挙結果、得票数、党派、順位を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月13日 記事を新規作成。現況情報を確認




















