櫛渕万里の経歴・学歴と生い立ち|ピースボートから国政へ、落選期とれいわでの復帰

櫛渕万里
ひと目でわかるプロフィール 櫛渕万里
くしぶち まり
出身地
群馬県沼田市
初当選
2009年(第45回衆議院議員総選挙)
最終学歴
立教大学社会学部卒業
主な前職
NPO・市民活動、大学教員・研究者
政界入り
市民活動から、政党公募から、政治塾から
生年月日 1967年10月15日

櫛渕万里氏は、国際協力や市民活動の現場から政治へ進んだ人物です。世界各地を歩いたNGO時代を経て国政に入り、その後は長い落選期と国会復帰の両方を経験しました。

政治家になる以前の人生には、女性の自立、国際協力、平和、環境といった、後の活動にも登場するテーマがすでにありました。その歩みを、幼少期から順にたどります。

櫛渕万里氏を理解する3つのポイント
  1. 国際NGOや研究活動を経て政治へ進んだ、国会議員としては異色の経歴があります。
  2. 一度国会を離れてから長い再挑戦の時期を過ごし、別の政党で国政へ戻りました。
  3. 暮らし、環境、平和、草の根の政治参加を幅広く扱ってきました。

櫛渕万里の生い立ち|沼田で育ち、女性の自立と子どもの育ちに触れた幼少期

櫛渕万里氏は1967年10月15日、群馬県沼田市に生まれました。祖父は子どもの育ちを支える幼稚園を始め、祖母は女性の自立を目指して洋裁学校を開いていました。

幼い頃から幼稚園と洋裁学校の現場に触れていたと、本人は自身の活動の原点を振り返っています。

地元の沼田小学校、沼田中学校を経て、群馬県立沼田女子高等学校へ進学。女子校で学んでいた高校時代、素朴な疑問が浮かんだといいます。

「なぜ、男子と女子が別々に勉強するんだろう」

出典:くしぶち万里 Official site「こんにちは。くしぶち万里と申します。」(公開日記載なし)

本人はこの頃から、女性の社会参加や、偏見・暴力のない社会づくりにいつか関わりたいと考えるようになったとしています。

櫛渕万里の学歴|立教大学からピースボートへ、約80か国で見た世界

学歴一覧櫛渕万里の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校沼田市立沼田小学校――群馬県沼田市
中学校沼田市立沼田中学校―――
高校群馬県立沼田女子高等学校―学校再編のため現在値と単純比較しない現行校と制度差あり
大学立教大学社会学部62.5〜65.0(社会学部・2027年度参考)卒業

※高校は学校再編のため現在偏差値へ機械的に置き換えていません。

立教大学社会学部では、韓国、台湾、シンガポール、香港などNIES諸国への技術移転について学びました。この時期から日本を東アジアの一員として意識するようになったと振り返っています。

1991年に大学を卒業した後は、国際協力NGO「ピースボート」で活動しました。職員や事務局長として、平和、人道支援、環境保護などに携わり、世界約80か国・地域を訪れています。

なかでも強い印象を受けたのが、アパルトヘイト撤廃後の南アフリカでした。ネルソン・マンデラ政権のもとで11言語を公用語とし、異なる文化を尊重しながら政治参加を進める様子を目にしました。

「世の中の不条理をなくしたい」

出典:くしぶち万里 Official site「こんにちは。くしぶち万里と申します。」(公開日記載なし)

海外で仕事を続けながら日本を外側から見る機会も増えました。本人は、乳児死亡率が低い一方で多くの自殺者を出していた当時の日本社会を見て、「いのち」を守り、暮らしの幸福感を高めたいとの思いを強めたと説明しています。

政治塾と研究活動を経て、民主党の候補者公募へ

国際協力の仕事を続ける一方、1995年には新党さきがけの「政治塾」で専修科生として学びました。政治家になるまでには、ここからさらに10年以上があります。

2006年、民主党の国会議員候補者公募試験に合格。市民活動、政治塾、政党公募を経て国政選挙へ向かう道が具体化します。

2000年代後半には、明治学院大学国際平和研究所の客員研究員、法政大学国連グローバル・コンパクト研究センターの共同代表として、平和・紛争予防や企業の社会的責任などを研究しました。

人生年表 櫛渕万里さんの歩み
1967年10月15日
群馬県沼田市で生まれる
1991年3月
立教大学社会学部を卒業
1991年
国際協力NGOピースボートで活動を始める
職員・事務局長として世界約80か国を訪問
1995年
新党さきがけ「政治塾」専修科生となる
2006年
民主党国会議員候補者公募試験に合格
2007年
大学の研究機関で研究活動を始める
明治学院大学国際平和研究所客員研究員、法政大学研究センター共同代表
2009年8月
第45回衆議院議員総選挙で初当選
東京23区
2012年12月
第46回衆議院議員総選挙で落選
国会を離れる
2021年10月
第49回衆議院議員総選挙にれいわ新選組から立候補
東京22区、選挙時点では落選
2022年4月
比例東京ブロックで繰上当選
約10年ぶりに国政復帰
2023年1月
れいわ新選組共同代表に就任
2023年6月
衆議院から10日間の登院停止処分
本会議での行為をめぐる懲罰
2024年10月
第50回衆議院議員総選挙で当選
比例東京ブロック、衆議院3期目
2026年2月
第51回衆議院議員総選挙で落選
東京14区・比例東京
2026年2月
れいわ新選組副幹事長・政策審議会長代理に就任
共同代表を退任
2026年7月
れいわ新選組からの離党方針が公表

櫛渕万里の経歴|2009年、東京23区で衆議院初当選

初めて実際の選挙へ立候補したのは2009年の第45回衆議院議員総選挙です。民主党公認で東京23区から出馬し、168,346票を獲得。小選挙区で初当選しました。

国会では経済産業委員会理事などを務め、地球温暖化対策や子ども・子育て政策にも取り組みました。再生可能エネルギーの固定価格買取制度を定めるFIT法の制定にも関わっています。

2011年3月11日の東日本大震災と原発事故については、後に「決して、忘れることはできません」と記しています。

2012年の落選から続いた国政外の時期

2012年の第46回衆院選では東京23区で敗れ、比例復活もできませんでした。最初の衆議院1期でいったん国会を離れます。

2014年も同じ東京23区から挑戦しましたが落選。その後は一般社団法人全国ご当地エネルギー協会の事務局長などを務め、地域からの再生可能エネルギー普及にも携わりました。

2017年の衆院選では希望の党公認で千葉3区へ移り、22,962票で3位となりました。比例南関東ブロックにも重複立候補しましたが、国政復帰には届きませんでした。

さらに2021年には、れいわ新選組から東京22区へ立候補します。小選挙区では3位となり、この選挙の投開票時点では議席を得られませんでした。

2022年、比例繰上で約10年ぶりに国会へ

転機が訪れたのは翌2022年です。比例東京ブロックから当選していた山本太郎氏が参院選出馬のため衆議院議員を辞職し、2021年衆院選の比例名簿から櫛渕氏が繰上当選することになりました。

正式な当選人決定を前に、本人は4月15日にその知らせをXで報告しています。

2022年4月に比例東京ブロックで繰上当選。2012年以来、約10年ぶりの国政復帰となりました。

同年12月のれいわ新選組代表選後、山本太郎代表から大石晃子氏とともに共同代表へ指名されます。

「新しい3年間、皆さんと一緒にれいわ新選組をバージョンアップさせていく決意です。」

出典:れいわ新選組「共同代表指名発表 記者会見」(2022年12月20日)
選挙歴 櫛渕万里の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬・初当選
東京都 第23区 民主党 当選 168,346票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
比例東京ブロックに重複立候補
東京都 第23区/比例東京ブロック 民主党 落選 63,969票 2位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
比例東京ブロックに重複立候補
東京都 第23区/比例東京ブロック 民主党 落選 63,706票 2位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
比例南関東ブロックに重複立候補
千葉県 第3区/比例南関東ブロック 希望の党 落選 22,962票 3位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:繰上当選(2022年4月)
山本太郎氏の衆議院議員辞職に伴い、比例東京ブロックで繰上当選
東京都 第22区/比例東京ブロック れいわ新選組 小選挙区落選・比例代表で繰上当選 31,981票 3位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
比例東京ブロックで当選。衆議院3期目
東京都 第14区/比例東京ブロック れいわ新選組 小選挙区落選・比例代表で当選 25,328票 3位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
比例東京ブロックに重複立候補したが、れいわ新選組は同ブロックで議席を獲得できず
東京都 第14区/比例東京ブロック れいわ新選組 落選 20,647票 3位

2023年、本会議での行為をめぐり登院停止10日間

2023年5月18日の衆議院本会議では、財務大臣不信任決議案の採決時、壇上で紙を掲げて呼びかけを行いました。この行為をめぐって懲罰動議が提出されます。

その直後、本人はXで当時の行動と主張を発信しました。

5月25日の本会議で身上弁明に立ち、壇上での行為について議場へ謝罪する一方、行動に至った理由については次のように説明しました。

「政治が暴走するその危機に対して、やむにやまれず今回の行動に至りました。」

出典:衆議院「第211回国会 本会議 第28号」(2023年5月25日)

6月1日、衆議院は櫛渕氏を10日間の登院停止処分としました。

政治人生の転機 櫛渕万里の政治人生の転機
01
2009年8月
東京23区で衆議院初当選
民主党公認で初の国政選挙に臨み、小選挙区で当選。
なぜ転機なのか NGOや研究活動から国会議員へ立場が変わった。
02
2012年12月
初めて議席を失う
2期目を目指した衆院選で落選し、国会を離れた。
なぜ転機なのか その後、複数回の落選を経験する長い国政外の時期に入った。
03
2022年4月
比例繰上で約10年ぶりに国政復帰
2021年衆院選の比例東京名簿から繰上当選。
なぜ転機なのか 2012年以来の国政復帰となり、その後は党共同代表も担った。
04
2026年2月~7月
衆院選落選と党での立場の変化
2月の衆院選で議席を失い、共同代表を退任。7月には離党方針が公表された。
なぜ転機なのか 国会議員と党執行部の中心的立場から離れる時期となった。

東京14区へ移り、2024年は比例東京で3期目

2024年4月、次の衆院選に向けて活動地域を東京22区から東京14区へ変更すると発表しました。東京14区は墨田区と江戸川区北部で構成され、新しい地域で一から活動を始めています。

選挙期間中には街頭活動の日程とともに、自らの経済政策をXでも訴えていました。

10月の第50回衆院選では東京14区の小選挙区で3位。れいわ新選組が比例東京ブロックで1議席を獲得し、比例代表で当選しました。これで衆議院議員として通算3期となります。

2026年衆院選で議席を失い、党での立場も変化

2026年の年頭、櫛渕氏は「速さ」よりも安全や慎重な判断を重視する考えを、干支の馬になぞらえて発信しました。

2月8日の第51回衆院選では再び東京14区から立候補しましたが、20,647票で3位。比例東京ブロックでもれいわ新選組が議席を確保できず、衆議院の議席を失いました。

2月16日に決まった党の新体制では共同代表を離れ、副幹事長と政策審議会長代理に就きました。選挙後には各地のボランティアとの対話活動にも参加しています。

同年7月、れいわ新選組が代表交代と党名変更を進める際、大石晃子氏と櫛渕氏ら元議員の幹部が離党する方針が公表されました。

櫛渕万里氏が取り組んできた政策・政治姿勢

再生可能エネルギーと原発ゼロ

初当選後から地球温暖化対策に携わり、再生可能エネルギーの固定価格買取制度を定めたFIT法の制定にも関わりました。国会を離れていた時期には全国ご当地エネルギー協会の事務局長を務め、地域主体のエネルギー事業にも取り組んでいます。

れいわ新選組での活動期にも、自然エネルギーの促進と原発ゼロを政策課題として掲げました。

子育て・教育とジェンダー

衆議院1期目には子ども・子育て政策を主要分野の一つとして扱いました。その後も教育への公的支援や、ジェンダー、障害、国籍などによって排除されない社会を求める立場を示しています。

積極財政、消費税ゼロと家計支援

2022年5月の衆議院予算委員会では、政府の補正予算に対する組替え動議を提出。消費税ゼロ、ガソリン税の一時的なゼロ、定期的な現金給付などを盛り込んだ100兆円規模の案を主張しました。

「国民の生活はもう限界を超えています。」

出典:衆議院「第208回国会 予算委員会 第20号」(2022年5月27日)

これらはいずれも櫛渕氏・れいわ新選組側が提案・要求した政策であり、同日の組替え動議は予算委員会で否決されています。

災害時の公的支援と防災行政

災害政策では、被災直後の救助だけでなく、住まいと生活の再建まで国が責任を持つ仕組みを求めてきました。2025年には国会で被災者支援を取り上げ、防災庁の設置をめぐっても政府方針を質問しています。

非核三原則と市民を軸にした外交

NGO時代から続く平和・国際協力分野では、北東アジア非核兵器地帯を進める国際議員間の活動にも参加してきました。2022年の長崎、2023年のソウルやワシントンで、韓国や米国の関係者らと非核化や紛争予防を議論しています。

「外交や国際協力は信頼となり、現地の人たちの利益は、ひいては日本の国益になる。」

出典:国際開発ジャーナル社「【国会議員の目】衆議院議員 れいわ新選組 櫛渕 万里氏」(2024年12月11日)

2025年末には非核三原則をめぐる質問主意書と再質問主意書を提出しました。政府答弁を受けた本人の発信も残っています。

比例定数削減への反対

国会議員の定数をめぐっては、衆議院比例代表の議席を削減する案に反対しています。2026年7月には、削減による国民一人当たりの経費削減額を示しながら自身の立場を発信しました。

櫛渕万里氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

住宅・建築分野の省エネ・再エネ

廃炉と放射性廃棄物

パレスチナ国家承認

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

映像で見る櫛渕万里氏

本人公式YouTubeチャンネルでは、2024年衆院選に向けた「くしぶち万里PV」が公開されています。街頭演説や文章とは異なる形で、本人の活動と訴えを映像で確認できます。

櫛渕万里氏の現在情報

2026年9月7日 時点

2026年2月の衆院選で議席を失った後も政治活動を継続。7月にはれいわ新選組からの離党方針が公表され、改称後のいのちの党の現行所属構成員一覧には掲載されていない。

関連書籍
櫛渕万里さんの著書・関連書籍
脱原発議員です 新しい国のかたち、経済のかたち、暮らしのかたち
書籍
脱原発議員です 新しい国のかたち、経済のかたち、暮らしのかたち
著者:櫛渕 万里 / 出版社:彩流社 / 発売日:2012年11月01日頃

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参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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