古川元久の経歴・学歴と生い立ち|大蔵官僚から衆議院議員、経済財政担当相まで

古川元久
ひと目でわかるプロフィール 古川元久
ふるかわ もとひさ
出身地
愛知県名古屋市
初当選
1996年(第41回衆議院議員総選挙)
最終学歴
東京大学法学部卒業
主な前職
官僚・国家公務員
政界入り
官僚から
生年月日 1965年12月6日
血液型 A型

古川元久氏は、大蔵省での官僚経験を経て国政へ転じ、民主党政権では国家戦略や経済財政を担った政治家です。長い国会活動の一方で、食や教育を通じた社会貢献活動にも関わってきました。

この記事では、名古屋での家庭環境と学生時代、官僚を辞めた決断、初出馬から政府・党務へと役割を広げていった歩みを時系列でたどります。

古川元久氏を理解する3つのポイント
  1. 名古屋で育ち、東京大学を経て大蔵省に入った官僚出身の政治家です。
  2. 米国留学後に官僚を辞め、地元へ戻ってゼロから国政選挙への挑戦を始めました。
  3. 民主党政権で政府中枢を経験し、政党再編後も政策形成と国会運営に関わってきました。

古川元久の生い立ち|名古屋で育ち、旭丘高校から東京大学へ

古川元久氏は1965年12月6日、愛知県名古屋市に生まれました。本人は父について、真面目に働く会社員だったものの出世とは縁がなかったと振り返っています。

母が内職をしてなんとか家計を支えていました。

出典:学生新聞オンライン「国民民主党 衆議院議員 古川元久」(2023年7月8日)

古川元久の学歴|旭丘高校から東京大学法学部へ

愛知県立旭丘高等学校から東京大学法学部へ進学しました。大学に入った当初は官僚を志していましたが、途中で弁護士という道にも関心を持ち、図書館に閉館まで残って司法試験の勉強を続けたといいます。

その結果、東京大学在学中の1986年に司法試験へ合格しました。ただ、合格後は当初考えていた官僚の道を選び、1988年の大学卒業後に大蔵省へ入省します。

学生時代の人間関係を振り返った本人の投稿には、当時の生活が垣間見える話も残っています。

学歴一覧古川元久の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校愛知県立旭丘高等学校―最新同年度値を確認できた場合のみ数値掲載―
大学東京大学法学部67.5(文科一類・2027年度参考)卒業
大学院コロンビア大学大学院留学日本式の偏差値なし留学経験

※偏差値・難易度は古川氏の在学当時ではなく現在の目安です。東京大学法学部は文科一類を参考値とし、海外大学院は日本式偏差値で比較していません。

古川元久の経歴|大蔵省勤務と米国留学が変えた進路

大蔵省では官僚として勤務し、1993年には米国のコロンビア大学大学院へ留学して国際関係論を学びました。日本ではバブル崩壊後の先行きへの不安が強まっていた時期です。

古川氏は後年、米国での生活を通じて日本の将来について考え直したことが、政治家を目指すきっかけになったと語っています。行政を担う官僚ではなく、国が進む方向そのものを決める側へ移ろうと考えるようになりました。

気づいた者から行動を起こし、自分たちの未来は自分たちでよくしていこう

出典:古川元久オフィシャルサイト「メッセージ」(公開日記載なし)

1994年に大蔵省を退官。生まれ育った名古屋へ戻り、国政を目指す政治活動を始めました。国会議員秘書や地方議員を経由したのではなく、官僚から直接、候補者を目指す道を選んでいます。

阪神・淡路大震災のボランティアを経て初出馬

退官後もすぐに国会議員になれたわけではありません。1995年には阪神・淡路大震災の復興支援ボランティアに参加しながら、地元で政治活動を続けました。

1996年には民主党の結党に参加し、同年10月の第41回衆議院議員総選挙へ愛知2区から初出馬します。当時の挑戦について、衆議院在職25年の表彰を受けた際には次のように振り返りました。

志一つ、他に何もない私の挑戦

出典:衆議院「第205回国会 本会議 第3号」(2021年10月11日)

愛知2区では3位となりましたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選しました。30歳で初当選し、第41回総選挙の当選者の中では最年少でした。

2000年に愛知2区で小選挙区初勝利

2度目の衆院選となった2000年の第42回総選挙では、愛知2区で91,888票を獲得しました。この選挙で初めて小選挙区を制し、国政での足場を固めていきます。

以後、衆院選では愛知2区を中心に当選を重ねました。選挙区は名古屋市千種区・守山区・名東区で構成され、古川氏の政治活動の中心となってきた地域です。

地元についての発信は政策や選挙に限らず、名古屋の身近な文化に触れることもあります。

民主党政権で国家戦略室長、官房副長官から大臣へ

2009年の政権交代で、古川氏の役割は国会議員から政府内の政策担当へ広がりました。鳩山内閣で初代の内閣官房国家戦略室長を務め、内閣府副大臣を兼任します。

2010年6月に発足した菅内閣では内閣官房副長官に就任。総理官邸を支える立場で政府運営に携わりました。

2011年9月の野田内閣では国務大臣として初入閣し、国家戦略、経済財政政策、科学技術政策などを担当しました。2012年には宇宙政策も担当しています。

政権を離れた後は国会側でも役職を経験し、2012年に衆議院内閣委員長、2015年には沖縄及び北方問題に関する特別委員長を務めました。

TABLE FOR TWOと東日本大震災後の若者支援

国会活動とは別に、古川氏は社会課題を民間の仕組みで解決する活動にも関わってきました。2007年には、NPO法人TABLE FOR TWO Internationalのファウンダーの一人となりました。

TABLE FOR TWOは、先進国で健康的な食事を選ぶことと、開発途上国の子どもへの学校給食支援を結びつける仕組みです。日常生活の中から国境を越えた課題解決へ参加できる形をつくりました。

日本から世界を変える

出典:TABLE FOR TWO「代表メッセージ」創設者メッセージ(公開日記載なし)

2011年の東日本大震災後には、逆境にある若者の教育と成長を支える一般財団法人教育支援グローバル基金の設立にも参加しました。同財団では人材育成事業「BEYOND Tomorrow」が実施されています。

希望の党から国民民主党へ、政党再編の中で担った役割

2017年の第48回衆院選では希望の党から愛知2区に出馬して当選しました。その後、希望の党では幹事長を務めます。

2018年5月に国民民主党が設立された際には、設立大会で新党の綱領・基本政策・規約を提案しました。「自由、共生、未来への責任」を基本理念に据える新党の制度設計に直接関わっています。

2020年9月には新たな国民民主党の設立に参加し、発足時の国会対策委員長に就任しました。党の政策を国会審議や他党との協議につなげる役割を担うようになります。

国会運営をめぐっては、政党の枠を越えた協議についても本人が発信しています。

人生年表 古川元久さんの歩み
1965年12月6日
愛知県名古屋市で生まれる
1986年
司法試験に合格
東京大学在学中
1988年3月
東京大学法学部を卒業
1988年
大蔵省に入省
1993年
米国コロンビア大学大学院へ留学
国際関係論を学ぶ
1994年
大蔵省を退官
名古屋へ戻り政治活動を開始
1995年
阪神・淡路大震災の復興支援ボランティアに参加
1996年10月20日
第41回衆議院議員総選挙で初当選
愛知2区では3位、比例東海ブロックで復活当選
2000年6月25日
第42回衆議院議員総選挙で愛知2区から当選
小選挙区で初勝利
2007年10月24日
NPO法人TABLE FOR TWO Internationalを創設
ファウンダーの一人として参加
2009年9月
内閣官房国家戦略室長兼内閣府副大臣に就任
鳩山内閣
2010年6月
内閣官房副長官に就任
菅内閣
2011年9月2日
国家戦略担当大臣などに就任
経済財政政策、科学技術政策などを担当
2011年
一般財団法人教育支援グローバル基金の設立に参加
BEYOND Tomorrowを実施
2012年10月
衆議院内閣委員長に就任
2015年1月
衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長に就任
2017年10月22日
希望の党から第48回衆議院議員総選挙で当選
その後、希望の党幹事長を務める
2018年5月7日
国民民主党の設立に参加
綱領・基本政策・規約を設立大会で提案
2020年9月15日
新たな国民民主党の設立に参加
国会対策委員長に就任
2026年2月8日
第51回衆議院議員総選挙で当選
11期目

古川元久氏が重視してきた政策・政治姿勢

税・社会保障と「手取り」をめぐる考え

古川氏は長く税制や経済財政に関わり、2026年には国民民主党の税制調査会長も担っています。同年8月には党を代表して参加する「社会保障国民会議」での議論に触れ、消費税の一時的な減税とは異なる方法を主張しました。

住民税減税の方が、確実にみなさんの手取りを増やすことができる

出典:国民民主党「『国民民主党の主張する住民税減税の方が、確実にみなさんの手取りを増やすことができる』古川代表代行が訴え」(2026年8月1日)

経済政策を考える際には、統計やデータが政策判断の前提になるという視点も見せています。海外の経済統計をめぐる本人の発信からも、その関心が確認できます。

「住まい」を社会保障として考える

本人の政策構想で特徴的なのが住宅政策です。年金、医療、介護、子育てと並べて「住まい」の確保を社会保障の一分野として位置づける考えを掲げています。

人口減少と空き家の増加を住環境改善の機会と捉え、一人当たりの「居住面積倍増」を目標に、広い住宅の供給や二拠点居住を進める構想も示しています。住宅需要を地域経済や地方への人口移動にも結びつけようとする政策です。

政治改革と選挙制度改革

政治改革も継続的な担当分野です。党内では政治改革・行政改革を扱う本部を率い、選挙制度の見直しについても与野党で協議する仕組みづくりを求めてきました。

選挙制度改革の議論が始まった経緯については、本人のXでも説明しています。

宇宙政策を国家戦略として進める

宇宙政策は、古川氏が閣僚時代に制度づくりへ直接関わった分野です。2012年の国会審議では、研究開発だけでなく実用化や産業化まで一体的に進める体制を目指しました。

宇宙政策は大変に私ども国家戦略として重要

出典:国会会議録検索システム「第180回国会 参議院内閣委員会 第12号」(2012年6月20日)

具体的には、宇宙政策の司令塔機能を内閣府に整備し、省庁横断的なシステムを内閣府が担当する体制へ改める方針を説明しました。JAXAについても、政府全体の宇宙開発利用を技術面で支える中核的な実施機関として位置づける改革を進めました。

閣僚を離れた後も宇宙開発への関心は続いており、火星探査をめぐる海外の動きにも反応しています。

自動車産業の脱炭素化と競争力

自動車産業が集積する愛知を地盤とする議員として、自動車産業政策にも関わっています。2026年7月には、古川氏を含む超党派の議員が「自動車産業における脱炭素化の推進に関する法律案」を衆議院へ提出しました。

法案は脱炭素化に必要な研究開発、実用化、導入促進などを総合的に進めることを目的とし、2026年の再提出では人工知能関連技術の活用に関する事項も加えられています。脱炭素化と産業競争力を同時に扱う内容です。

「足るを知る」と対立を超える政治

政策各論とは別に、古川氏は「吾唯足知(われ、ただ、足るを知る)」を、自らが目指す社会を表す言葉として掲げています。他者の存在を意識し、対立を調和へ変えていくことを政治や社会に求める考えです。

本人の公式サイトでは「対立の先に真の解決はありません」と記し、異なる立場の間で解決策を探る姿勢を示しています。

また、生活に近い分野では超党派の活動にも参加しています。睡眠をめぐる議員連盟での取り組みについても、自ら発信しています。

選挙歴 古川元久の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり(比例東海ブロック)
初出馬。愛知2区では落選したが、重複立候補した比例東海ブロックで当選。
愛知2区・比例東海ブロック 民主党 比例復活当選 43,804票 3位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
愛知2区で初の小選挙区当選。
愛知 2区 民主党 当選 91,888票 1位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
3期目。
愛知 2区 民主党 当選 115,674票 1位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
4期目。
愛知 2区 民主党 当選 116,884票 1位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
5期目。
愛知 2区 民主党 当選 162,237票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
6期目。
愛知 2区 民主党 当選 94,058票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
7期目。
愛知 2区 民主党 当選 102,058票 1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
8期目。希望の党公認で出馬。
愛知 2区 希望の党 当選 99,520票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
9期目。
愛知 2区 国民民主党 当選 131,397票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
10期目。
愛知 2区 国民民主党 当選 121,739票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
11期目。
愛知 2区 国民民主党 当選 110,540票 1位

古川元久氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

経済成長と財政健全化

公平で透明な税制

政治資金規制と第三者機関

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

動画で見る古川元久氏の国会質疑

本人公式YouTubeでは国会質疑や政策解説を公開しています。2025年3月3日の衆議院予算委員会での質疑では、税制や「手取り」をめぐる議論を実際の国会質疑で確認できます。

古川元久氏の現在情報

2026年9月3日 時点
現在の公職 衆議院議員
現在の所属 国民民主党
選挙区・選出地域 愛知2区
現在の期・任期 衆議院議員11期目
現在の主な役職
国民民主党代表代行 国会対策委員長 税制調査会長 政治改革・行政改革推進本部長

衆議院では国土交通委員会委員、国家基本政策委員会理事を務め、2026年8月には党を代表して社会保障国民会議の議論にも参加しています。

関連書籍
古川元久さんの著書・関連書籍
正義の政治経済学
書籍
正義の政治経済学
著者:水野和夫/古川元久 / 出版社:朝日新聞出版 / 発売日:2021年03月12日頃
きみがもし選挙に行くならば 息子と考える18歳選挙権
書籍
きみがもし選挙に行くならば 息子と考える18歳選挙権
著者:古川元久 / 出版社:集英社 / 発売日:2016年05月02日頃
財政破綻に備える 今なすべきこと
書籍
財政破綻に備える 今なすべきこと
著者:古川元久 / 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン / 発売日:2015年06月中旬

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政治人生の転機 古川元久の政治人生の転機
01
1994年
大蔵省を辞めて名古屋へ戻る
米国留学を経て大蔵省を退官し、地元・名古屋で政治活動を始めた。
なぜ転機なのか 官僚として行政に携わる立場から、自ら選挙に挑む道へ進路を変えたため。
02
1996年10月
初めての衆院選で国政へ
愛知2区では3位だったが、比例東海ブロックで復活当選した。
なぜ転機なのか 初めて公職を得て、30歳で衆議院議員としての政治人生が始まったため。
03
2009年~2011年
政権交代後に政府中枢へ
国家戦略室長、内閣府副大臣、内閣官房副長官を経て、2011年に国務大臣へ就任した。
なぜ転機なのか 野党議員から、政府の政策決定と実行を担う立場へ移ったため。
04
2017年~2020年
政党再編を経て国民民主党へ
希望の党、2018年設立の国民民主党を経て、2020年に新たな国民民主党の設立に参加した。
なぜ転機なのか 民主党時代から続いた党派の再編を経て、その後の主要な政治活動の基盤となる政党へ加わったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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