保坂展人の経歴・学歴と生い立ち|教育ジャーナリストから衆議院議員、世田谷区長へ

保坂展人
ひと目でわかるプロフィール 保坂展人
ほさか のぶと
出身地
宮城県仙台市
初当選
1996年(第41回衆議院議員総選挙)
最終学歴
東京都立新宿高等学校中退
主な前職
NPO・市民活動、新聞記者・ジャーナリスト
政界入り
市民活動から
生年月日 1955年11月26日

保坂展人氏は、教育ジャーナリストとして学校や子どもの問題を取材した後、衆議院議員を3期務め、2011年から東京都世田谷区長を務めてきた政治家です。

学校制度を問う当事者だった10代から、取材する側、国会で制度を議論する側、そして自治体を運営する側へ。活動する場所を変えながら歩んできた経歴をたどります。

保坂展人氏を理解する3つのポイント
  1. 自身の学校経験を出発点に、教育ジャーナリストとして子どもや学校現場を長く取材しました。
  2. 1996年に国政へ入り、衆議院議員を通算3期務めました。
  3. 2011年から世田谷区長を務め、住民参加、子ども・教育、多様性、環境などを区政のテーマとしてきました。

保坂展人の生い立ち|仙台に生まれ、東京で育った少年時代

保坂展人氏は1955年11月26日、宮城県仙台市に生まれました。父親の転勤で5歳のときに東京へ移り、世田谷区桜上水にあった真愛幼稚園に通っています。

その後は麹町小学校、麹町中学校へ進みました。本人は、小学校5年生ごろから夕方のニュースを毎日見るようになり、小学校6年生では1969年の日本社会党の選挙敗北をテーマに研究レポートを書いたと振り返っています。

中学時代には自作の新聞を発行し、学校や社会について意見を表明するようになります。学校側と繰り返し話し合う一方、政治・社会運動への参加も経験しました。

保坂展人の学歴|高校受験と「内申書裁判」――16歳から続いた学校との争い

学歴一覧保坂展人の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校千代田区立麹町小学校――東京都千代田区
中学校千代田区立麹町中学校―――
高校東京都立新宿高等学校(定時制)―定時制は偏差値で単純比較しない中退

※本人が在籍した定時制課程を、現在の全日制の偏差値へ置き換えることはしていません。

高校進学の時期、保坂氏の人生は大きく変わります。本人は、内申書に学校での行動などが記載され、受験した全日制高校5校で不合格となったと振り返っています。進学先は東京都立新宿高校の定時制でした。

1972年、16歳で内申書をめぐる訴訟の原告となります。定時制高校へ通いながらアルバイトで生活し、裁判は長期化しました。

1978年には東京地裁の一審で勝訴。報道を見た全国の中学生、高校生から、学校での悩みや息苦しさを書いた手紙が届くようになります。本人にとって、それまで自分自身の問題だった学校教育が、多くの子どもに共通する取材テーマへ変わっていきました。

「そうした声をもっと色々な人の元へ届けるのは僕の役割かなと思って」

出典:Rooftop「参議院選カウントダウン企画 保坂展人インタビュー」(2010年6月1日)

教育ジャーナリストとして学校現場を歩く

1980年代から1990年代にかけて、保坂氏は教育ジャーナリストとして活動しました。『月刊明星』の「元気印レポート」など、若者向け媒体を含む雑誌や新聞で学校現場を取材し、いじめ、不登校、校内暴力などを扱っています。

取材だけでなく、若者が集まるフリースペースの活動にも関わりました。1980年代半ばには俳優の故・牟田悌三氏とともに、世田谷区と協力していじめ問題にも取り組んでいます。

「だからバッシングする側よりは、される側になるべく立ちたいという気持ちがずっとありますね。」

出典:Rooftop「【復刻インタビュー】保坂展人(2006年2月号)」(2006年2月1日)

やがて社会党委員長を務めた土井たか子氏と知り合い、市民の立場から約10年間にわたり支援活動を続けました。その活動の先に、本人自身が選挙へ出る機会が訪れます。

人生年表 保坂展人さんの歩み
1955年11月26日
宮城県仙台市で生まれる
1960年ごろ
父の転勤で東京へ移る
世田谷区桜上水にあった真愛幼稚園に通う
1972年
内申書裁判を提訴
東京都立新宿高校定時制に通いながらアルバイトで自活
1978年
内申書裁判で東京地裁一審勝訴
全国の中高生から手紙が届き、教育問題の取材へ進む
1980年代
教育ジャーナリストとして活動
雑誌などで学校・いじめ・不登校問題を取材
1980年代半ば
牟田悌三と世田谷区でいじめ問題に取り組む
1996年10月
第41回衆議院議員総選挙で初当選
東京22区で落選後、比例東京ブロックで復活当選
2003年11月
第43回衆議院議員総選挙で落選
衆議院議員の議席を失う
2005年9月
第44回衆議院議員総選挙で国政復帰
比例東京ブロックで当選
2009年8月
第45回衆議院議員総選挙で落選
2009年10月
総務省顧問に就任
2010年3月まで務める
2011年4月
世田谷区長選挙で初当選
国政から基礎自治体の首長へ転じる
2015年11月
世田谷区パートナーシップ宣誓を開始
2020年4月
世田谷区児童相談所を開設
2020年10月
世田谷区気候非常事態宣言を表明
2050年までの二酸化炭素排出量実質ゼロを掲げる
2022年11月
パートナーシップ・ファミリーシップ宣誓へ制度を拡充
2023年4月
世田谷区長選挙で4選
2026年4月
学びの多様化学校「北沢学園中学校」を開校

保坂展人の経歴|1996年の初出馬――教育ジャーナリストから国会へ

1996年秋、社会民主党から衆議院議員総選挙への出馬が急きょ決まりました。当初は比例東京ブロックでの立候補が予定されていましたが、東京22区にも重複立候補します。

小選挙区での得票は13,904票で6人中5位。しかし、比例東京ブロックで復活し、40歳で衆議院議員に初当選しました。

保坂氏は、ジャーナリスト時代には深刻な問題を記事で伝えることはできても、自分が制度そのものを変える立場ではないことを感じていたと語っています。

「だからもっと違う形で状況に関わりたいと思った。」

出典:Rooftop「【復刻インタビュー】保坂展人(2006年2月号)」(2006年2月1日)

衆議院議員3期、調査と国会質問を重ねた11年間

2000年の総選挙では東京6区から出馬し、小選挙区では3位だったものの比例復活で再選。2003年には議席を失いましたが、2005年の総選挙では比例東京ブロックから国政へ復帰しました。

本人公式プロフィールによれば、衆議院議員として在職した通算3期11年間で546回の国会質問に立っています。教育や子どもの問題だけでなく、行政、社会保障、司法などへ調査対象を広げました。

2009年の総選挙では東京8区へ移り、116,723票を得ましたが落選。その後、2009年10月から2010年3月まで総務省顧問を務め、2010年7月には参議院比例代表に挑戦しましたが議席には届きませんでした。

東日本大震災と南相馬――国政から世田谷区政へ

国政への再挑戦を続けていた2011年3月、東日本大震災と福島第一原発事故が起きました。保坂氏は、災害時相互援助協定を結んでいた杉並区による福島県南相馬市への物資輸送を手伝い、自らも現地へ入っています。

そこで目にしたのは、原発事故について十分な情報を得られないまま、住民への対応を迫られていた基礎自治体でした。本人はこの経験で価値観が変わったと振り返っています。

帰京後の3月末に世田谷区長選への立候補を打診され、4月6日に出馬を表明。4月24日の区長選で83,983票を得て初当選しました。2位との差は5,539票でした。

「時代の流れが生んだ偶然と必然の流れの中で、何かしなければと模索した結果です。」

出典:ジチタイワークス「【区長の本音<4>世田谷区長・保坂 展人さん】住民参加でまちづくりは進化する。」(2025年3月24日)

「参加と協働」を行政の仕組みに取り込む

区長就任後に進めた取り組みの一つが、政策形成へ区民を直接参加させる仕組みでした。世田谷区の長期ビジョンとなる基本構想を考える際には、有権者名簿から無作為に1,200人を選んで参加を呼びかけ、88人が議論に参加しています。

参加者はテーマを変えながら話し合い、まちづくりや孤立を防ぐ仕組みなどを提案しました。保坂氏はその後も、無作為抽出による区民参加を各分野の政策検討に取り入れています。

議員時代は行政へ質問や提案をする立場でしたが、区長は予算や事業を組み立て、実施後まで管理する立場です。国会から自治体へ活動の場を移したことで、自ら制度を実装する仕事が増えました。

子どもの権利を「相談して終わらない」仕組みへ

教育ジャーナリスト時代から続く子ども分野では、区長就任後に複数の制度が整えられました。2013年には子どもの権利侵害について相談し、必要に応じて調査や関係機関との調整を行う「せたがやホッと子どもサポート(せたホッと)」が始まりました。

「大きな特徴は、『相談を聞くだけで終わらない』という点です。」

出典:TRILL「元教育ジャーナリストの世田谷区長だから実現!子どもの声を受け止める懐かしのシステムとは?」(2025年8月15日)

2020年4月には世田谷区が独自に児童相談所を開設しました。都の児童相談所と区の子ども家庭支援センターに分かれていた業務の一部を区へ集め、医師や弁護士などの専門職も配置しています。

保育分野では待機児童数が2021、2022年度に0となりましたが、その後は10人、58人、47人と推移し、2026年度は166人となりました。「待機児童ゼロ」が継続しているわけではなく、需要の変化に応じた受け皿の確保が続いています。

「子どもには、迷っていい時間が必要なんです」

出典:ベビーカレンダー「『詰め込み教育』で現代っ子の将来に危機が!世田谷区に学ぶ子どもを伸ばす『こぼせる余白』とは?」(2025年9月4日)

不登校経験者の新しい学びの場「北沢学園中学校」

2026年4月には、世田谷区立の学びの多様化学校「北沢学園中学校」が開校しました。不登校を経験した生徒を対象とし、教育課程の特例を活用して「キャリアデザイン科」「マイデザイン科」など独自の教科を設けています。

学校内部だけで完結させず、区内大学の学生や地域住民などが関わる仕組みも組み込まれました。保坂氏が若いころから扱ってきた「学校に合わない子どもをどう受け止めるか」という問題は、区政では公立学校の制度設計として扱われています。

「不登校を経験した生徒が、新たな多様化学校で、充実した学びを獲得できるように」

出典:世田谷区「令和8年第1回世田谷区議会定例会区長招集挨拶」(2026年2月18日)

パートナーシップ制度と多様性の尊重

世田谷区は2015年11月、同性カップルを対象とする「世田谷区パートナーシップ宣誓」を開始しました。同じ日に渋谷区でも制度が始まり、その後、同種の制度は全国の自治体へ広がりました。

2022年11月には対象範囲を広げ、「世田谷区パートナーシップ・ファミリーシップ宣誓」へ拡充。パートナーの子どもや親との家族関係を示すファミリーシップ宣誓などが加わっています。

選挙歴 保坂展人の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1(小選挙区) 比例復活:あり
小選挙区では落選。社会民主党が比例東京ブロックで1議席を獲得し初当選。
東京都 第22区/比例東京ブロック 社会民主党 比例復活当選 13,904票(小選挙区) 5位/6人
第42回衆議院議員総選挙
定数:1(小選挙区) 比例復活:あり
社会民主党の比例東京ブロック1議席で当選。
東京都 第6区/比例東京ブロック 社会民主党 比例復活当選 38,167票(小選挙区) 3位/6人
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区で落選し、比例でも議席を得られず。
東京都 第6区/比例東京ブロック 社会民主党 落選 23,320票 3位/4人
第44回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:非該当(比例単独)
社会民主党の東京都での比例得票は300,782票。名簿1位の候補が復活当選要件を満たさず、名簿2位の保坂氏が当選。
比例東京ブロック 社会民主党 当選 候補者個人票なし 比例名簿2位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区で2位。比例東京ブロックでも当選に至らず。
東京都 第8区/比例東京ブロック 社会民主党 落選 116,723票 2位/4人
第22回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:非該当
社会民主党は比例代表で2議席を獲得し、保坂氏は党内3位で落選。
比例代表 社会民主党 落選 69,214.775票 社会民主党名簿登載者中3位
世田谷区長選挙
定数:1 比例復活:非該当
世田谷区長に初当選。2位は78,444票。
世田谷区 無所属 当選 83,983票 1位/5人
世田谷区長選挙
定数:1 比例復活:非該当
2選。
世田谷区 無所属 当選 196,068票 1位/2人
世田谷区長選挙
定数:1 比例復活:非該当
3選。
世田谷区 無所属 当選 189,640票 1位/2人
世田谷区長選挙
定数:1 比例復活:非該当
4選。
世田谷区 無所属 当選 186,553票 1位/2人

気候非常事態宣言と区民参加型の環境政策

2020年10月、世田谷区は「世田谷区気候非常事態宣言」を表明し、2050年までに区内の二酸化炭素排出量を実質ゼロとする目標を掲げました。

その後は公共施設への太陽光発電設備の導入、他自治体の再生可能エネルギーを活用する連携、区民が脱炭素について議論する気候市民会議などを進めています。2026年には若者世代を対象とした「世田谷版気候若者会議」も実施されました。

政治人生の転機 保坂展人の政治人生の転機
01
1972年~
内申書裁判から教育ジャーナリズムへ
中学卒業時の内申書をめぐって裁判を起こし、1978年の東京地裁一審勝訴後には全国の中高生から手紙が届くようになり、教育現場を取材する活動へ進んだ。
なぜ転機なのか 学校制度を問う当事者から、子どもや学校の問題を伝えるジャーナリストへ活動の軸が移ったため。
02
1996年10月
教育ジャーナリストから衆議院議員へ
土井たか子氏を支える市民活動を経て、社民党から第41回衆議院議員総選挙に出馬し、比例東京ブロックで復活して初当選した。
なぜ転機なのか 取材・市民活動から、国会で制度や政策に関わる立場へ移ったため。
03
2011年3~4月
東日本大震災を経て国政から世田谷区政へ
東日本大震災と福島第一原発事故後に南相馬市を訪問。帰京後に世田谷区長選への出馬要請を受け、4月24日の選挙で初当選した。
なぜ転機なのか 国政を目指す活動から、基礎自治体を直接運営する首長へ政治活動の場を移したため。

保坂展人氏の記者会見をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の記者会見まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

子どもの権利と参加

住民参加・地域コミュニティ

パートナーシップ制度と性の多様性

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

保坂展人氏の区政を動画で見る

世田谷区公式YouTubeでは、区長記者会見を動画で公開しています。政策説明の内容だけでなく、本人の話し方や会見での応答を確認できます。

本人の公式Xで見る最近の発信

本人公式Xでは、政策や地域活動について継続的に発信しています。以下は本人アカウントで確認できる投稿です。

防災・災害対応に関する本人の発信です。

日々の政策・地域活動に関する本人の発信です。

教育・子育てに関する本人の発信です。

保坂展人氏の現在情報

2026年9月25日 時点
現在の公職 世田谷区長
現在の所属 無所属
選挙区・選出地域 東京都世田谷区
現在の期・任期 4期目

2023年4月の世田谷区長選で4選。2026年も世田谷区長として区政を担い、同年度には学びの多様化学校「北沢学園中学校」の開設などを進めている。

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参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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