足立康史の経歴・学歴と生い立ち|経産官僚から衆院4期、引退表明を経て参議院へ

足立康史
ひと目でわかるプロフィール 足立康史
あだち やすし
出身地
大阪府泉大津市
初当選
2012年(第46回衆議院議員総選挙)
最終学歴
コロンビア大学国際公共政策大学院修了
主な前職
官僚・国家公務員
政界入り
官僚から、政治塾から
生年月日 1965年10月14日

足立康史氏は、霞が関の官僚から国会議員へ転じ、衆議院と参議院の双方で議席を得た政治家です。行政実務、選挙、党内での政策立案を経験しながら、政治活動の形を何度も変えてきました。

国会で知られる以前には、水球に打ち込んだ学生生活や、20年以上に及ぶ通産・経産官僚としての日々があります。幼少期から順に、その歩みをたどります。

足立康史氏を理解する3つのポイント
  1. 理系の学びと競技スポーツを両立させ、行政の現場へ進んだ経歴を持ちます。
  2. 官僚として海外勤務まで経験した後、自ら国政選挙へ挑む道を選びました。
  3. 衆院で長く活動したのち一度区切りをつけ、別の党から参院へ政治活動の場を移しました。

足立康史の生い立ち|泉大津から茨木へ、双子の弟として育った少年時代

足立康史氏は1965年10月14日、大阪府泉大津市で生まれました。3人兄弟の末っ子で、一卵性双生児の弟です。

小学校は泉大津市立旭小学校に入り、その後、茨木市立中津小学校へ転校しました。少年時代は双子の兄とともに長距離走で活躍し、周囲から「茨木の宗兄弟」と呼ばれていたと本人のプロフィールに記されています。

茨木市立東中学校では卓球に打ち込み、市の大会でも入賞しました。一方で、当時普及し始めたマイコンにも強い関心を持ち、BASICだけでは飽き足らず、マシン語を使ったゲーム制作まで試しています。

足立康史の学歴|茨木高校と京都大学、水球に打ち込んだ学生時代

学歴一覧足立康史の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校泉大津市立旭小学校/茨木市立中津小学校――転校
中学校茨木市立東中学校―――
高校大阪府立茨木高等学校―72(2026年度版)―
大学京都大学工学部学科・方式別に異なるため単一値に固定しない卒業
大学院京都大学大学院工学研究科―大学院は偏差値で単純比較しない修了
大学院コロンビア大学国際公共政策大学院国際公共政策日本式の偏差値なし修了

※偏差値・難易度は足立氏の在学当時ではなく現在の目安です。茨木高校は2026年度版。大学院・海外大学院は偏差値で単純比較していません。

高校から大学にかけては、勉強と水球が生活の大きな柱になりました。後年、本人は学生生活を次のように振り返っています。

私の学生時代は、学問とスポーツの両方に全力を注ぐ日々でした。

出典:学生新聞オンライン「参議院議員 足立康史」(2026年8月16日)

1981年に大阪府立茨木高等学校へ進むと水球部に所属し、インターハイと国体に出場しました。同世代には歌手・俳優として知られる吉川晃司氏がおり、高校水球の全国大会で対戦した経験もあります。

1984年に京都大学工学部へ進学してからも水球を続け、チームの主将として関西リーグ8連覇を経験しました。

大学では都市計画や都市経済を学び、本州四国連絡橋が地域経済に与える効果をコンピューターの都市モデルで分析しました。競技と研究の一方、京都の「哲学の道」を歩きながら考える時間も好んだと振り返っています。

1988年に工学部を卒業した後は京都大学大学院工学研究科へ進み、1990年に修了しました。

足立康史の経歴|霞が関で21年、海外勤務も経験した通産・経産官僚時代

大学院修了後の1990年、通商産業省に入省しました。2001年の中央省庁再編後は経済産業省となり、官僚としての勤務は約21年に及びます。

行政では産業政策や経済分野に携わりました。1996年秋からは米国のコロンビア大学国際公共政策大学院へ留学し、公共政策を学んでいます。

その後も海外を含む実務を経験し、2009年にはEU本部のあるベルギー・ブリュッセルへ赴任しました。ここでの勤務中、日本で大きな災害が起きます。

東日本大震災を境に、官僚から政治へ

政治家を目指した時期について、足立氏自身は2011年の出来事を明確な起点として挙げています。

私が政治家を志したきっかけは2011年3月11日に発生した東日本大震災にあります。

出典:政治ドットコム「維新の会・足立康史議員に聞く!政治への信頼回復に必要な真の政治改革とは?」(2024年3月11日)

震災発生時はブリュッセルに勤務していました。東日本大震災と福島第一原発事故への対応を見ながら、行政を担う側ではなく政治の側へ立つことを決め、2011年3月末に辞表を提出しました。

退官後はみんなの党で政治活動を始め、大阪9区を活動地域としました。2012年には維新政治塾にも参加し、同年秋には日本維新の会から衆院選へ挑むことになります。

2012年初当選、比例復活を挟んで衆議院4期

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、日本維新の会の公認候補として大阪9区から立候補。小選挙区で初当選し、官僚を退いてから約1年9か月で国会議員となりました。

2014年の衆院選では維新の党から出馬し、大阪9区では2位となったものの比例近畿ブロックで当選しました。2017年も日本維新の会から大阪9区へ出馬し、同じく比例復活で議席を得ています。

2021年の衆院選では大阪9区で小選挙区当選を果たし、4期目へ入りました。この時期には日本維新の会国会議員団政務調査会長など政策面の役職も担いました。

2022年8月には、松井一郎代表の退任に伴う日本維新の会代表選挙に立候補しました。馬場伸幸氏、梅村みずほ氏との3人による代表選となり、馬場氏が新代表に選出されています。

党員資格停止と、2024年の引退表明

2024年4月の衆院東京15区補欠選挙をめぐり、足立氏は日本維新の会公認候補側による政党機関紙の配布について、公職選挙法に抵触する恐れがあるとの認識を外部へ発信しました。

党側は法令にのっとった政治活動だったとの立場を示し、足立氏の一連の外部発信などを問題視しました。6月1日付で6か月の党員資格停止処分が科されています。

その後、大阪9区をめぐる党の候補者選定も進むなか、10月6日、足立氏は次期衆院選からの撤退と政治家引退をXで表明しました。

国民民主党へ移り、参議院比例で国政復帰

一度引退を表明してから約7か月後、足立氏は国民民主党で政治活動を再開する道を選びました。2025年5月14日、本人は新たな役割を次のように発表しています。

本日、国民民主党の皆さまのご推挙を賜り、党の参議院比例区第13総支部長を拝命いたしました。

出典:足立康史note「【ご報告】国民民主党参議院比例区(全国区)総支部長を拝命」(2025年5月14日)

4日後の5月18日には、大阪で国民民主党の総支部長として初めての街頭演説に立ちました。衆院時代とは異なる党で、全国比例への活動を本格化させた時期の発信です。

同年7月20日の第27回参議院議員通常選挙では国民民主党の比例代表候補として出馬。参議院比例代表で当選し、国政へ復帰しました。衆議院の小選挙区を基盤としてきた政治活動から、全国比例の参議院へと舞台を移した形です。

人生年表 足立康史さんの歩み
1965年10月14日
大阪府泉大津市で生まれる
3人兄弟の末っ子で、一卵性双生児として育つ
1972年
泉大津市立旭小学校に入学
のちに茨木市立中津小学校へ転校
1978年
茨木市立東中学校に入学
卓球とコンピューターに親しむ
1981年
大阪府立茨木高等学校に入学
水球でインターハイ・国体に出場
1984年
京都大学工学部に進学
水球チーム主将として関西リーグ8連覇
1988年3月
京都大学工学部を卒業
1990年3月
京都大学大学院工学研究科を修了
1990年4月
通商産業省に入省
1996年秋
コロンビア大学国際公共政策大学院へ留学
公共政策を学ぶ
2009年
ブリュッセルに赴任
EU本部のあるベルギーで勤務
2011年3月
経済産業省を退官
東日本大震災と福島第一原発事故を機に政治へ転じる
2012年12月
第46回衆議院議員総選挙で初当選
大阪9区・日本維新の会
2021年
日本維新の会国会議員団政務調査会長に就任
2022年8月
日本維新の会代表選挙に立候補
2024年10月
次期衆院選からの撤退と政治家引退を表明
2025年5月
国民民主党参議院比例区第13総支部長に就任
2025年7月
第27回参議院議員通常選挙で当選
比例代表

足立康史氏が掲げる政治・行政・政策改革

2026年9月確認時点の政策では、政治改革、地方制度、税・社会保障、エネルギー、安全保障などを扱っています。政策全体を示す言葉として、公式サイトには次の一文が掲げられています。

透明な政治、公正な経済、安心な社会。

出典:足立康史公式サイト「足立康史 公式サイト – 国民の力で日本に新しい風を」(公開日記載なし)

政治資金の透明化と国会改革

政治改革では、調査研究広報滞在費の使途公開、政治資金パーティーの禁止、政策活動費の廃止などを掲げています。国会運営についても、参議院からの法案先議や自由討議の活用など、衆参両院の機能を組み直す提案を示しています。

透明性への関心は政治資金に限りません。2025年9月には、選挙をめぐるインターネット上の発信とステルスマーケティングをテーマに投稿しました。

大都市制度と「大阪特別市」

大阪の大都市制度では、大阪市を廃止して特別区へ再編する方式とは別に、政令指定都市の権限を強める「大阪特別市」を選択肢として示しています。府と市の役割をどう整理するかを、地方制度そのものから検討する考えです。

2026年7月には、国民民主党と公明党が地方選挙と住民投票の同日実施を避けるための法案を参議院へ提出し、足立氏も提出者側として説明に立ちました。

投票の公正を確保するための当たり前の法案である。

出典:国民民主党「【法案提出】議員立法『同日選実施禁止法案』を提出」(2026年7月15日)

税・社会保障と「手取り」

経済政策では、実質成長率2%と物価上昇率2%を組み合わせた名目平均成長率4%を一つの目標に置いています。

家計負担をめぐっては、所得税の基礎控除引き上げ、ガソリン税の暫定税率廃止、税・社会保障・労働市場の一体改革などを提案。給付付き税額控除も制度選択肢に挙げています。

グリーン・グロースと原子力

エネルギー分野では、脱炭素を成長戦略につなげるグリーン・グロースを掲げています。原子力については、既存設備を使い続けるだけでなく、次世代型原子炉への建て替えを進める立場を示しています。

在外ネット投票と選挙制度

海外に暮らす有権者の投票環境も取り上げています。2026年4月には在外投票の実務とオンライン投票を国会質問のテーマとし、デジタル技術を使った投票機会の改善を論点にしました。

憲法・安全保障とインテリジェンス

安全保障では、「専守防衛」を含む憲法9条をめぐる解釈の検討、海洋国家間の連携、情報機関・防諜体制の強化などを政策テーマにしています。

情報・防諜制度への問題意識は衆議院時代から続いています。2019年には、インテリジェンス機能とスパイ防止法制をめぐる自身の考えをXで発信していました。

選挙歴 足立康史の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区当選
大阪 9区 日本維新の会 当選 104,015票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:比例近畿ブロックで当選
大阪9区では2位。比例近畿ブロックで当選
大阪 9区 維新の党 当選 91,400票 2位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:比例近畿ブロックで当選
大阪9区では2位。比例近畿ブロックで当選
大阪 9区 日本維新の会 当選 91,438票 2位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
小選挙区当選、衆議院4期目
大阪 9区 日本維新の会 当選 133,146票 1位
第27回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
国民民主党名簿内の個人名得票順位5位。国民民主党は比例代表で7議席を獲得
比例代表 (全国) 国民民主党 当選 123,052.481票 5位

足立康史氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

社会保障制度と経済成長

少子化対策と社会保険料

非正規雇用と社会保険

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

動画で見る足立康史氏

2025年6月23日には、自身の公式YouTubeチャンネルで視聴者から寄せられた質問に答える長時間の生配信を行いました。街頭演説とは異なる形で、本人の話し方や質問への応答を見ることができます。

足立康史氏の現在情報

2026年9月6日 時点
現在の公職 参議院議員
現在の所属 国民民主党
選挙区・選出地域 比例代表(全国)
現在の期・任期 参議院議員1期目
現在の主な役職
国民民主党 政務調査会筆頭副会長 国民民主党 地方制度調査会長 国民民主党大阪府連 代表代行

2024年の政治家引退表明後、2025年の参議院選で国政へ復帰。政策立案や地方制度を主要テーマとして政治活動を続けています。

関連書籍
足立康史さんの著書・関連書籍
お待たせ!永田町アホばか列伝
書籍
お待たせ!永田町アホばか列伝
著者:足立康史 / 出版社:ワック / 発売日:2025年01月28日頃
国会という茶番劇 維新が拓く日本の新しい政治
書籍
国会という茶番劇 維新が拓く日本の新しい政治
著者:足立康史 / 出版社:ワニブックス / 発売日:2019年09月
足立無双の逆襲 永田町アホばか列伝2「懲罰されてもブレません!」
書籍
足立無双の逆襲 永田町アホばか列伝2「懲罰されてもブレません!」
著者:足立康史 / 出版社:悟空出版 / 発売日:2018年06月11日頃

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政治人生の転機 足立康史の政治人生の転機
01
2011年3月
経産官僚から政治の世界へ
東日本大震災と福島第一原発事故を機に経済産業省を退官。
なぜ転機なのか 21年間の官僚生活を終え、自ら選挙へ挑む道に進んだため。
02
2012年12月
大阪9区で衆議院初当選
日本維新の会から第46回衆院選に出馬し、小選挙区で初当選。
なぜ転機なのか 初めて国会議員の議席を得たため。
03
2024年10月
衆院選撤退と政治家引退を表明
次期衆院選への不出馬と政治家引退を公表。
なぜ転機なのか 12年間続いた衆議院議員としての政治活動にいったん区切りを付けたため。
04
2025年7月
国民民主党から参議院へ
参院選比例代表で当選し国政へ復帰。
なぜ転機なのか 所属政党と議院を変え、再び公職を得たため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
報道・インタビュー

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