泉房穂の経歴・学歴と生い立ち|NHK・弁護士を経て明石市長、参議院議員へ

泉房穂
ひと目でわかるプロフィール 泉房穂
いずみ ふさほ
出身地
兵庫県明石市二見町
初当選
2003年(第43回衆議院議員総選挙)
最終学歴
東京大学教育学部卒業
主な前職
テレビ・放送関係、国会議員秘書、弁護士
政界入り
国会議員秘書から、専門職から
生年月日 1963年8月19日
血液型 B型

泉房穂氏は、兵庫県明石市長を12年間務め、子どもや障害者、犯罪被害者などへの支援策で全国的に知られるようになった政治家です。2025年には参議院議員となり、再び国政の舞台へ戻りました。

その歩みをたどると、明石の漁師町で過ごした少年時代から、東京大学、テレビ制作、石井紘基氏との出会い、弁護士、衆議院議員、市長へと、何度も立場を変えながら政治に関わってきた経歴が見えてきます。

泉房穂氏を理解する3つのポイント
  1. 明石市二見町の漁師町で育ち、東京大学卒業後はNHKなどテレビ制作の現場へ進んだ。
  2. 石井紘基氏の選挙を支えた経験を経て弁護士となり、2003年に衆議院議員へ転身した。
  3. 2011年から12年間明石市長を務め、2025年に参議院議員として国政へ戻った。

二見の漁師町で育った少年時代

泉房穂氏は1963年8月19日、兵庫県明石市二見町に生まれました。漁師の家庭の長男で、二見小学校、二見中学校へ進み、海の近い明石で少年時代を過ごしています。

野球やサッカー、柔道、ラグビーなどに取り組む一方、生徒会活動にも参加しました。本人のプロフィールでは、少年時代についてスポーツと生徒会に「明け暮れる」生活だったと紹介されています。

家庭には4歳下の弟がおり、弟は脳性小児まひで生まれました。泉氏は後年、障害のある弟との経験が、自身にとって障害者福祉を考える原点だったと振り返っています。

私にとって障害者福祉っていうのは4つ下の弟の存在から始まっているから。

出典:週プレNEWS「政治家引退を表明! 兵庫県明石市の名物市長・泉 房穂の『これまで』と『これから』」(2023年2月24日)

弟が地元の小学校へ通うまでには家族と行政とのやり取りもありました。市長在任中の2022年には、その当時を振り返る投稿を本人公式Xに残しています。

明石西高校から東京大学へ

中学校卒業後は兵庫県立明石西高等学校へ進学しました。高校でも生徒会活動に力を入れ、生徒会長の任期を終えた3年生の5月になってから、東京大学を受験すると周囲に宣言したと本人は振り返っています。

そこから受験勉強に集中し、東京大学へ現役で合格しました。上京後は家からの仕送りを受けず、授業料免除、奨学金、アルバイトを組み合わせて学生生活を送り、駒場寮では寮長も務めています。

大学では当初、お金の流れや経済への関心を持って学び、その後、教育学部で教育哲学を学びました。1987年に東京大学教育学部を卒業しています。

NHKから石井紘基氏の選挙、そして弁護士へ

大学卒業後の1987年、泉氏はNHKに入局し、ディレクターとして番組制作に携わりました。ただしNHKには長く在籍せず、翌1988年に退局。その後は民放の番組制作にも関わり、「朝まで生テレビ!」などの制作現場を経験しています。

テレビ制作に携わっていた20代半ば、高田馬場の書店で石井紘基氏の著書を手に取ったことが、政治との距離を縮めるきっかけになりました。面識のなかった石井氏へ手紙を送り、1990年の衆議院選挙では石井氏の選挙を支え、秘書として活動します。

その後は司法試験へ挑戦し、1997年に弁護士登録。2000年には故郷の明石へ戻り、「いずみ法律事務所」を開設しました。地域の市民運動を支えながら、法律家として市民から相談を受ける立場になります。

2007年には社会福祉士の資格も取得しました。放送、政治家秘書、法律、福祉と異なる分野を経験したことが、泉氏の政治家になる前の職歴を形づくっています。

石井紘基氏の遺志を継ぎ2003年に衆議院議員へ

石井紘基氏は国会議員となった後も泉氏の師となりましたが、2002年10月、自宅前で襲われて亡くなりました。泉氏は後年、翌年の国政進出について「遺志を継ぐ形」で国会に議席を得たと語っています。

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では民主党から兵庫2区へ立候補。小選挙区では2位となったものの、比例近畿ブロックで復活当選し、初めて国会議員となりました。

衆議院議員時代には犯罪被害者支援などに取り組み、2004年に成立した犯罪被害者等基本法の議員立法にも携わりました。弁護士として接してきた問題を、法律や制度そのものから変える立場へ移った時期です。

2005年の第44回衆議院議員総選挙では兵庫2区から再び立候補しましたが落選。その後は明石で弁護士業務を再開しました。

69票差から始まった明石市長12年

国政を離れてから約6年後の2011年、泉氏は明石市長選挙へ無所属で立候補します。結果は54,062票。次点候補の53,993票との差はわずか69票でした。

69票差での初当選から、明石市長としての12年間が始まります。2015年に再選し、子どもを軸とした施策を市政の前面に置きました。

市長時代には、子どもの医療費、第2子以降の保育料、中学校給食など、子育て世帯の負担を軽くする施策を段階的に実施しました。明石市が「5つの無料化」と呼んだ取り組みのほか、養育費、犯罪被害者支援、障害者への合理的配慮、無戸籍者支援などにも対象を広げています。

人口や市民サービスに関する数字だけではなく、子ども、障害者、犯罪被害者、離婚後の親子など、それぞれ異なる事情を抱える人を行政の対象として具体的に制度へ組み込んでいったことが、泉市政の大きな柱でした。

2019年の辞職と出直し選挙での再選

市長在任中には、言動をめぐる問題も繰り返し起きています。2019年1月、道路拡幅事業の用地取得を担当していた職員に対し、2017年に強い暴言を浴びせていたことが表面化しました。

泉氏は発言について謝罪し、2019年2月2日付で明石市長を辞職します。しかし、市民による再出馬を求める署名活動などを経て、翌3月の出直し市長選へ立候補しました。

出直し選では80,795票を獲得して再選。さらに、もともと予定されていた同年4月の市長選では無投票で当選しました。

2025年、参院選で明石駅前に立った際には、辞職後に同じ場所で始まった市民の署名活動を振り返っています。

2022年の問責決議と市長退任

2022年には、市議会との関係をめぐって再び大きな問題が起きました。明石市議会は同年10月12日、泉市長の言動や議会対応などを問題視し、問責決議を賛成多数で可決しています。

泉氏は同じ時期、市議らへの発言を認めたうえで、2023年4月の任期満了をもって市長を退任し、政治家を引退する考えを表明しました。

その後、2023年4月末で12年間務めた明石市長を退任しました。退任にあたり、市の広報紙には今後について次の言葉を残しています。

明石で出来たことを全国に広げていく活動を頑張っていきたい

出典:明石市「広報あかし 2023年(令和5年)4月15日号」(2023年4月15日)

2022年の市議への発言をめぐっては、2025年に強要未遂容疑で刑事告発を受け、兵庫県警が書類送検しましたが、神戸地検は2025年9月19日に嫌疑不十分で不起訴としました。明石市議会による問責決議という政治上の評価と、刑事司法上の判断は別です。

人生年表 泉房穂さんの歩み
1963年8月19日
兵庫県明石市二見町で生まれる
漁師の長男として育つ
1982年3月
兵庫県立明石西高等学校を卒業
1987年3月
東京大学教育学部を卒業
1987年
NHKに入局
ディレクターとして番組制作に携わる
1988年
NHKを退局
その後は民放の番組制作にも携わる
1990年
石井紘基氏の衆議院選挙を支援
秘書として選挙活動に携わる
1997年
弁護士登録
2000年
明石で法律事務所を開設
地域の市民運動を弁護士として支援
2003年11月
第43回衆議院議員総選挙で初当選
兵庫2区で落選後、比例近畿ブロックで復活当選
2005年9月
第44回衆議院議員総選挙で落選
2007年
社会福祉士の資格を取得
2011年4月
明石市長選挙で初当選
69票差の接戦を制する
2011年5月
明石市長に就任
2019年2月2日
職員への暴言問題を受け明石市長を辞職
2019年3月
出直し明石市長選挙で再選
80,795票を獲得
2019年4月
明石市長選挙で無投票当選
2022年10月
明石市議会が問責決議を可決
任期満了での退任と政治家引退を表明
2023年4月
明石市長を退任
12年間の市政を終える
2025年7月
第27回参議院議員通常選挙で当選
兵庫県選挙区で822,407票を獲得
2026年7月
地域政党「ひろゆき&いずみ新党(仮)」の共同代表に就任
7月27日に東京都選挙管理委員会へ政治団体設立を届け出る

2025年参院選で国政へ復帰

市長を退任した後は、講演や執筆、テレビ・ラジオなどでの発信を続けました。当初は政治家引退を表明していましたが、2025年には再び選挙へ挑むことを決めます。

2025年7月20日の第27回参議院議員通常選挙に、兵庫県選挙区から無所属で立候補しました。結果は822,407票を獲得して13候補中1位で当選。2005年に衆議院議員の議席を失って以来、約20年ぶりに国会議員へ戻りました。

参院選期間中には、自身の政治姿勢について「光の当たらないところに光を当てたい」と公式Xで発信しています。

選挙歴 泉房穂の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
兵庫2区では赤羽一嘉氏に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで当選
兵庫2区/比例近畿ブロック 民主党 比例復活当選 80,061票 2位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
重複立候補した比例近畿ブロックでも当選せず
兵庫2区/比例近畿ブロック 民主党 落選 83,380票 2位
明石市長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
次点候補との差は69票
兵庫県 明石市 無所属 当選 54,062票 1位
明石市長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
再選
兵庫県 明石市 無所属 当選 51,000票 1位
明石市長選挙(出直し選挙)
定数:1 比例復活:該当なし
2019年2月の辞職に伴う出直し選挙
兵庫県 明石市 無所属 当選 80,795票 1位
明石市長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
無投票当選
兵庫県 明石市 無所属 当選 無投票のため得票数なし 1位
第27回参議院議員通常選挙
定数:3 比例復活:該当なし
13候補中1位。本人公式プロフィールでは選挙区の全国最多得票と記載
兵庫県 選挙区 無所属 当選 822,407票 1位

参議院では子ども政策と司法分野にも取り組む

2026年8月時点では、参議院の法務委員会、行政監視委員会、こども・子育て・若者活躍に関する特別委員会、国民生活・経済に関する調査会に所属しています。

明石市長時代から続く子ども・子育て分野は、国会でも扱うテーマの一つです。2025年10月には、こども・子育て・若者活躍に関する特別委員会への所属を公式Xで知らせています。

弁護士、社会福祉士として携わってきた分野では、成年後見制度についても国会で取り上げています。2026年には、制度を利用する本人への支援を重視する立場から法務委員会で質問を行いました。

司法分野では、再審制度の見直しをめぐる議論にも参加しました。2026年7月17日の参議院本会議では政府提出の刑事訴訟法改正案に反対する立場で討論し、冤罪被害者の救済を訴えています。

えん罪の被害者救済は、与野党対決のテーマではない。

出典:いずみふさほWEB「7月17日 参議院本会議にて再審法改正案について反対の立場から訴え」(2026年7月18日)
政治人生の転機 泉房穂の政治人生の転機
01
1990年
石井紘基氏との出会いと選挙支援
テレビ番組制作に携わっていた時期に石井紘基氏の著書を読み、本人へ手紙を送り、1990年衆院選の選挙活動を支援した。
なぜ転機なのか 放送の現場から政治活動へ直接関わる最初の機会となり、その後の司法・政治への進路につながる人物との出会いになった。
02
2011年4月
69票差で明石市長に初当選
明石市長選に無所属で出馬し、次点候補を69票差で破って初当選した。
なぜ転機なのか 国会議員、弁護士を経て、故郷の自治体行政を直接担う首長へ立場が変わった。
03
2019年2月~3月
辞職から出直し選挙での再選
職員への暴言問題を受けて市長を辞職したが、翌月の出直し市長選に立候補し80,795票で再選した。
なぜ転機なのか 一度公職を失った後、市民の選挙によって再び市長職へ戻るという大きな転換が生じた。
04
2025年7月
政治家引退表明を経て国政へ復帰
2022年に政治家引退を表明し2023年に市長を退任した後、2025年参院選兵庫県選挙区へ無所属で出馬し822,407票で当選した。
なぜ転機なのか 市長退任後の発信・講演活動から再び公職へ戻り、約20年ぶりに国会議員となった。

2026年8月時点では地域政党の共同代表にも就任

2026年8月時点では、泉氏は兵庫県選挙区選出の参議院議員1期目で、国政上は無所属です。参議院では「立憲民主・無所属」会派に所属しています。

一方、2026年7月には実業家の西村博之氏と地域政党「ひろゆき&いずみ新党(仮)」を立ち上げ、共同代表となりました。7月27日には東京都選挙管理委員会へ政治団体の設立を届け出ています。

同団体は2027年春の統一地方選を見据え、東京都内の区長選をはじめ、全国の首長選で候補者を公募・擁立する方針です。本人公式サイトでは、生活費の負担軽減や教育の充実などを念頭に、10月以降の候補者公募を予定しています。

新しい政治団体を立ち上げた理由や今後の方向については、2026年7月30日に本人公式YouTubeでも詳しく説明しています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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