舩後靖彦氏は、会社員として海外を飛び回った経験を持ち、40代で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した後、福祉事業、講演、執筆、そして政治の世界へ進んだ人物です。
声を発することや身体を動かすことが難しくなってからも、意思伝達装置などを使って社会へ発信を続けました。この記事では、音楽に熱中した学生時代から商社勤務、ALSとの生活、地方選挙への挑戦、参議院議員としての6年間までをたどります。
- 音楽を愛する学生時代を経て、卒業後は時計や宝飾品を扱う商社で働きました。
- ALS発症後は講演、執筆、福祉事業などへ活動の場を広げ、自らの経験を社会へ伝えてきました。
- 地方選挙での落選を経て、2019年に参議院議員となり、教育や障害者政策を中心に活動しました。
舩後靖彦の生い立ち|岐阜の長良川近くで生まれ、10歳ごろから千葉へ
舩後靖彦氏は1957年10月4日、岐阜県岐阜市に生まれました。幼少期を過ごしたのは、鵜飼で知られる長良川に近い地域です。
本人は子どものころを振り返り、一人で遊ぶ時間が多かったと語っています。10歳ごろになると生活の場所は千葉市へ移りました。
「一人遊びが好きで、友達といえば野良犬くらいのものでした」
出典:舩後靖彦 Official Site「プロフィール」(シルバー新報2015年10月9日掲載発言を紹介)
舩後靖彦の学歴|高校・大学ではギターに熱中、ミュージシャンを志した
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 高校 | 千葉県立千葉南高等学校 | ― | 最新同年度値を確認できた場合のみ数値掲載 | ― |
| 大学 | 拓殖大学 | 政経学部 | 37.5〜40.0(現行政経学部・2027年度) | 卒業 |
※偏差値・難易度は舩後氏の在学当時ではなく現在の目安です。拓殖大学政経学部は河合塾Kei-Netの2027年度入試データを参照しています。
千葉県立千葉南高等学校ではギターに熱中し、友人たちとバンドを組んで演奏を続けました。長髪で音楽に明け暮れる高校生活だったとされています。
一時はミュージシャンを本気で目指しましたが、左腕の麻痺が生じたため断念しました。
1976年に拓殖大学政経学部へ進学します。大学でもバンド活動を続けながら、肉体労働や家庭教師のアルバイトを経験し、大型二種免許とけん引二種免許も取得しました。
大学卒業時にも再び音楽の道を考えましたが、左腕の状態からプロのミュージシャンになることは断念しました。
舩後靖彦の経歴|商社マンとして海外を飛び回った会社員時代
大学卒業後しばらくして、1982年に酒田時計貿易株式会社へ入社しました。時計やダイヤモンドなどを輸入する商社で、海外にも足を運ぶ仕事を担いました。
音楽の道を離れた後は、「一流のサラリーマン」になることを新たな目標に置き、会社では副社長まで昇ることを目指していたと振り返っています。
長く続いた会社員生活に変化が現れたのは1999年です。箸や歯ブラシ、ペンをうまく握れないといった異変が出始めました。
42歳でALSの告知、生きるかどうかを迫られた時期
2000年、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されました。全身の筋力が次第に低下する難病で、同年、勤めていた会社を退職します。
病状が進行すると、自力での呼吸も難しくなりました。人工呼吸器を装着するかどうかは、本人にとって文字どおり生死を分ける選択でした。
一時は人工呼吸器を装着せず死を選ぶことも考えました。しかし家族や同じ病気の人たちへの思いを経て、2002年に人工呼吸器を装着して生きることを選びました。胃ろうの手術も受けています。
「人工呼吸器装着で延命したからこそ、『いまの私がある』」
出典:アビリティーズ・ケアネット「憲政史上初、ALS・呼吸器使用の舩後靖彦 参議院議員に聞く」(2020年)
その後、身体の麻痺はさらに進み、2008年には最後まで動かしていた右手中指も動かなくなりました。現在使っている方法の一つが、歯でセンサーを操作してパソコンへ文字を入力する仕組みです。
療養だけにとどまらず、講演・執筆・創作へ
ALS発症後の舩後氏は、病気そのものを語るだけでなく、障害のある人が地域や社会の中で生きることをテーマに講演を重ねました。
大学などで講義を行い、詩歌や童話も制作しています。2006年には共著『生きる力』、2012年には童話『三つ子になった雲』を刊行しました。
2014年には時事通信社配信の「ALSそろり社会参加」、翌年には日本経済新聞の「患者の目」などでも文章を発表しています。
「命ある限り、道は拓かれる」
出典:舩後靖彦 Official Site「2023年6月21日 世界ALSデーに寄せて」(2023年6月21日)
介護を通じた出会いから株式会社アースへ
2012年、訪問看護を通して看護師の佐塚みさ子氏と出会います。佐塚氏は介護関連事業を行う株式会社アースを経営していました。
誘いを受けて同社の取締役となり、2014年には副社長に就任しました。重度障害のある利用者としてだけでなく、福祉サービスを運営する側にも立つようになります。
施設で暮らした経験も持つ舩後氏は、介助する側とされる側の関係について繰り返し発言してきました。
「命の価値は横一列」
出典:舩後靖彦 Official Site「相模原市障害者施設殺傷事件の判決を受けて」(2020年3月16日)
2014年、松戸市議選で初めて政治に挑戦
社会活動を続ける中で、2014年11月の松戸市議会議員選挙へ無所属で立候補しました。政治家としての最初の選挙です。
828票を獲得しましたが当選には届きませんでした。この時点では議席を得られず、その後も福祉事業や講演、執筆を中心に活動しました。
山本太郎氏からの要請で2019年参院選へ
再び選挙に出る機会が訪れたのは2019年でした。れいわ新選組を立ち上げた山本太郎氏から参議院選への立候補を打診されます。
候補となったのは比例代表です。れいわ新選組は、優先的に当選者を決められる「特定枠」の1位に舩後氏、2位に木村英子氏を置きました。
党が比例代表で2議席を獲得したため、舩後氏は参議院議員に初当選しました。人工呼吸器を使用し、常時介助を必要とするALS当事者が国政の議席を持つことになりました。
初登院に向けては国会側にも対応が求められ、車いすで利用できる議席の整備や、介助者を伴った活動の方法などが検討されました。
文字盤や意思伝達装置を使った国会活動
舩後氏は声を出すことができないため、国会での質問には事前に作成した文章の読み上げや意思伝達装置を用いました。場面によっては、わずかな顔の動きやまばたきを介助者が読み取る文字盤も使っています。
質問に時間を要すること自体が、従来の国会運営では想定されにくかった参加の形でした。
教育を中心に据えた6年間の政策活動
国会議員として特に継続して扱った分野の一つが教育です。学校で合理的配慮を受けられない問題、障害のある生徒の高校入試、学校施設のバリアフリー化、インクルーシブ教育などを重点課題に掲げました。
障害のある子どもが一般の教育環境から分けられる仕組みについても繰り返し問題提起し、障害の有無によって学ぶ場所を分けない方向への制度転換を求めています。
また、障害のある教員志望者や現職教員への合理的配慮、高等教育や生涯教育へのアクセス、病気のある子どもの教育なども政策項目に含めました。
学校のバリアフリー化については、議員任期最後となった2025年6月12日の文教科学委員会質疑でも取り上げました。
障害者政策と「命の選別」への反対
教育と並んで一貫していたのが、生命の価値を能力や生産性で順位づけしないという立場です。
相模原市の障害者施設殺傷事件、新型コロナウイルス流行時に人工呼吸器などの医療資源が不足した場合の配分、政治家による障害者や性的少数者をめぐる発言などについて声明や国会質問を行いました。
「どなたでも、その価値は同一です」
出典:舩後靖彦 Official Site「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う『命の選別』への声明」(2020年4月)
医療・介護分野では、人工呼吸器を装着して地域生活を送る本人の経験を背景に、重度訪問介護、医療的ケア、訪問看護、障害福祉サービスなどの制度にも取り組みました。
「障害者が国会にいる」ことから制度の課題を可視化
舩後氏と木村英子氏が当選した2019年には、重度訪問介護サービスを仕事中に利用できないという制度上の問題が表面化しました。
議員活動は公務でありながら、それまでの仕組みでは必要な介助費用を障害福祉サービスとして支給しにくい状態がありました。二人の当選によって、重度障害者が働き、議員活動をする際の介助を誰がどの制度で保障するのかが国会で具体的な課題となりました。
舩後氏自身も、国会へ入った後の経験を通じて、制度が想定していなかった当事者が意思決定の場へ参加することを示しました。
音楽は政治家になってからも続いた
高校、大学時代に熱中したギターは、身体の麻痺が進んだ後も完全に生活から消えたわけではありません。
自身で通常のギター演奏ができなくなった後、技術者らの協力を得ながら身体のわずかな動きで演奏できる仕組みに取り組み、「全身まひでも弾けるギター」を使ったライブにも出演しました。
政治、福祉、教育だけでなく、創作や音楽を活動の一部として持ち続けているところにも、舩後氏の人生のもう一つの軸があります。
2025年、参院選不出馬と政界引退を決断
1期6年の任期が終わりに近づいた2025年6月17日、次の参議院選挙には立候補しないと発表しました。
記者会見で「政界引退という理解でよいか」と質問されると、本人は代読を通して「はい」と回答しました。
「今後は民間の立場から」
出典:舩後靖彦 Official Site「2025年6月17日 舩後靖彦からの大切なお知らせ」(2025年6月17日)
2025年7月28日に参議院議員としての任期を満了し、株式会社アース副社長へ復帰しました。
本人の言葉で振り返る6年間
不出馬表明では、2019年に山本太郎氏から特定枠での立候補を勧められた際、6年間生きて任期をまっとうすることを一つの目標にしたとも明かしました。
人工呼吸器を使用するALS当事者として国会へ入り、教育、障害福祉、医療、差別などを取り上げた6年間を終えた後も、本人が長く掲げてきた言葉そのものは変えていません。
「この活動は、終わりはないものと見ています」
出典:舩後靖彦 Official Site「2025年6月17日 舩後靖彦からの大切なお知らせ」(2025年6月17日)
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2014年 11月16日 | 松戸市議会議員一般選挙 初出馬。株式会社アース取締役副社長として立候補。 | 千葉県 松戸市 | 無所属 | 落選 | 828票 54位 |
| 2019年 7月21日 | 第25回参議院議員通常選挙 れいわ新選組の比例代表名簿で特定枠1位。党が2議席を獲得したため当選。個人得票による順位ではなく特定枠による優先当選。 | 比例代表 | れいわ新選組 | 当選 | 4,151票 特定枠1位 |
舩後靖彦氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
一票の較差と地域代表
「一票の較差の是正は、憲法十四条の平等原則から導かれるもの」
選挙区定数の見直しに関する討論で、一票の較差是正の必要性を認めつつ、地方の代表性が弱まることへの懸念を示した。
読書バリアフリー
「自分でページをめくって本を読むことができません」
自身の読書障害の経験を示しながら、書籍のテキストデータ提供など多様な読書ニーズに対応する仕組みの整備状況を質問した。
大学・研究環境への支援
「安心して研究に取り組める環境整備に今すぐ取り組むことが必要」
大学ファンド創設法案の討論で、学生、大学院生、ポスドクの負担や雇用環境を挙げ、現在の研究環境への直接支援を優先すべきだと主張した。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
舩後靖彦氏の活動を映像で見る
政界引退を発表した2025年6月17日の記者会見では、本人が6年間の議員生活や不出馬を決めた理由、今後について説明しています。
舩後靖彦氏の現在情報
2025年の参議院議員任期満了後は政界を引退し、民間の立場から講演や創作活動などを続けています。
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本文内の関連投稿に加えて、本人の公式Xから最新の投稿を表示しています。
@yasuhikofunago の公式Xを見る- 出生、学歴、会社員時代、ALS発症、人工呼吸器装着、株式会社アース、政治経歴、創作活動を確認
- 現在の所属、顧問、元参議院議員、株式会社アース副社長、公式SNS・YouTubeを確認
- 参議院比例代表選出歴と2025年7月28日の任期満了を確認
- 2025年参院選不出馬、政界引退、6年間の議員活動、任期満了後の方針を確認
- 政界引退の明示と民間での活動方針を確認
- インクルーシブ教育、合理的配慮、学校バリアフリー、高等教育、障害教職員などの政策を確認
- ALS発症後の葛藤、施設生活、地域生活、人生観を確認
- 2014年松戸市議選の得票数、順位、結果を確認
- れいわ新選組の獲得議席、舩後靖彦氏の特定枠当選、個人得票を確認
- 人工呼吸器装着の決断、ALS発症後の人生、国会議員となってからの本人認識を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 H2過多を整理し、主要章はH2、経歴イベント・政策細目はH3へ統一。本文内容は削除せず維持
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 本文内の公式X投稿が5件未満の記事について、既存の関連投稿を保持したまま本人公式Xの最新投稿で不足分を補完
- 2026年10月2日 生い立ち・学歴・経歴の本文に人物固有のH3小見出しを追加し、長文の視認性と検索意図の整理を改善
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の経歴上重要な年月日を赤文字で補強し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月10日 記事を新規作成。現況情報を確認



















