伊勢崎賢治氏は、国際紛争を研究してきただけでなく、内戦後の行政、武装解除、兵士の社会復帰といった現場を実際に担ってきた人物です。日本で政治家になるまでの歩みは、建築を学んだ青年時代から始まりました。
立川、インド、アフリカ、東ティモール、アフガニスタン、そして大学の教壇へ。そこから67歳で初めて国政選挙に立候補するまでをたどります。
- 建築を学んだ青年が、インドで社会問題と向き合うようになりました。
- 国際NGO、国連、日本政府の立場で紛争地の平和構築に携わりました。
- 大学で平和構築を教えた後、外交・安全保障の実務経験を国政へ持ち込みました。
伊勢崎賢治の生い立ち|米軍基地の町・立川で育ち、母のための家を思い描いた
伊勢崎賢治氏は1957年7月6日、東京都立川市に生まれました。当時の立川は米軍基地を抱える町で、本人によれば、小学校2年生ごろまでは米兵相手の飲食・娯楽産業で働く人々やバンドマンの家族などが暮らす安アパートで生活していました。
母子家庭で、母親はホステス向けの服を縫う仕事で生計を立てていました。台所とトイレを共同で使う四畳半で、経済的には厳しかった一方、住人同士が助け合う暮らしだったと後年振り返っています。
小学校中学年になると、同じ立川市内の砂川町へ移りました。米軍基地とはフェンス越しの距離で、基地返還前の立川を身近に見ながら高校時代まで過ごします。
東京都立立川高等学校では柔道に取り組み、本人の回想では学ランに高下駄という格好で登校していました。大学では極真空手も経験しています。
母子家庭の暮らしから「母に家を建てたい」と考えたことが、建築を志した最初の動機でした。
なんとかお袋に夢のマイホームを。これが建築学科を目指した最初の動機でした。
出典:学校法人明星学園「生意気な僕」(公開日記載なし)
早稲田大学理工学部建築学科へ進みましたが、学ぶうちに関心は有名建築家が手がける建物とは別の方向へ向かいます。ホームレスの人々や貧民街、雑然とした都市空間を観察し、建築が社会の豊かさや貧しさとどう結び付いているのかに目を向けるようになりました。
伊勢崎賢治の学歴|早稲田からインドへ――スラムで「造形」より社会の構造を見る
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 高校 | 東京都立立川高等学校 | ― | 70(2026年度版) | ― |
| 大学 | 早稲田大学 | 理工学部建築学科 | 旧学部・学科再編のため単純比較しない | 卒業 |
| 大学院 | ボンベイ大学大学院 | 社会科学 | 日本式の偏差値なし | 修了 |
| 大学院 | 早稲田大学大学院 | 理工学研究科都市計画専攻 | 大学院は偏差値で単純比較しない | 修了 |
※旧学部・海外大学院・大学院は現在偏差値へ単純換算していません。
大学では建築家の吉阪隆正氏の研究室に入りました。伊勢崎氏によれば、成績が振るわない中でも自身のデザインを認めてくれた数少ない教員でしたが、研究室に入った最初の年に吉阪氏が亡くなります。
その後、民族建築や自然に形成された都市空間へ関心を広げ、スラムを実際に見るためインドへ渡りました。この段階では、将来を国際協力の仕事に定めていたわけではありません。
当時は、「国際協力」という言葉自体も流通していなかったし、僕の意識にもありませんでした。
出典:SYNODOS「賢く怒れ!憤れ!――平和構築学とはなにか」(2014年5月12日)
ボンベイ大学ではソーシャルワークを学び、フィールド活動としてスラムに入りました。行政による強制撤去に対し、居住権を掲げて住民を組織する現地NGOの活動に参加します。
本人は、住民リーダーを育てながら約40万人規模の政治・社会運動を組織する黒子役を担ったと振り返っています。やがて公安当局から目を付けられ、約5年で帰国を余儀なくされました。
インドのスラムで、建築の「造形」から居住権や貧困など社会の構造そのものへ関心の軸が移っていきました。
1984年までにボンベイ大学大学院社会科学研究科でMaster of Social Workを取得し、1986年までに早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻を修了しています。
シエラレオネで開発援助に入り、内戦が近づく日々を経験
帰国後、インドでの活動を評価され、国際NGOプラン・インターナショナルで働き始めます。1988年に赴任したのが西アフリカのシエラレオネでした。
現地ではマケニの事務所長として、学校や道路の整備、保健サービス、農村開発などを担当しました。1989年には農業協同組合の設立にも携わっています。
当時、隣国リベリアから武力衝突が広がり、シエラレオネ国内でも治安が悪化していきました。伊勢崎氏は、戦争はある日突然始まるのではなく、戦火が徐々に生活圏へ近づき、人々が恐怖と疑心暗鬼に包まれていく過程を現地で経験したと語っています。
本部の指示で約4年の赴任を終えた後は、ケニア、エチオピアでも農村開発事業を担当しました。開発援助の仕事から、やがて紛争終結後の統治や武装解除を扱う仕事へ移っていきます。
伊勢崎賢治の経歴|東ティモールで県知事に――行政と治安の責任を負う
2000年、国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)に入り、上級民政官としてインドネシア国境に接するコバリマ県の県知事を務めました。本人は「一番難しい地域を担当したい」と希望したと振り返っています。
県知事として行政だけでなく、約1500人の平和維持部隊、文民警察、行政官が関わる地域の治安にも責任を持つ立場でした。独立反対派民兵の越境活動が続き、インドネシア国軍との協議も必要でした。
任期中にはPKF兵士が戦闘で死亡し、国連側の軍事行動によって民兵側にも死者が出ました。文民責任者として武器使用を認めた自身の判断について、国際法上正当だったのかをその後も問い続けていると語っています。
この時の情景は今も夢に出て来ます。
出典:AAR Japan「『紛争屋』が見た世界の現実 伊勢崎 賢治 さん」(2020年8月12日)
シエラレオネとアフガニスタンで武装解除を指揮
2001年には国連シエラレオネ派遣団(UNAMSIL)の武装解除部長として、9年ぶりに同国へ戻りました。以前一緒に働いていた現地職員の中には、内戦で死亡した人や行方が分からなくなった人もいました。
ロメ和平合意に基づく武装解除では、約5万人の武装勢力が対象となりました。当時約7000人いた少年兵の中には14歳の司令官もいたといい、銃を回収するだけでなく、共同生活や農業、建設、機械整備などの職業訓練につなげる社会復帰事業も組み込まれていました。
武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)を一体で進めるDDRが、その後の伊勢崎氏を代表する実務分野になります。
2003年からはアフガニスタン武装・動員解除の日本政府特別顧問として、軍閥・武装勢力の武装解除に関わりました。小銃だけでなく重火器や戦車を含む装備を把握し、ドスタム将軍ら各勢力との交渉に臨んでいます。
現場では米軍やCIAとも調整し、武装解除後に新しい国軍・警察へ再雇用する仕組みとの整合を図りました。一方、伊勢崎氏自身は後年、武器を減らす技術的な作業と、その後の政治的な和平が同じではないことをアフガニスタンの経験から繰り返し論じています。
紛争地の経験を大学と自衛隊幹部教育へつなぐ
海外での実務を経て、2002年から立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、2006年から東京外国語大学教授を務めました。東京外国語大学では2023年3月まで教壇に立ち、その後は名誉教授となっています。
研究・教育の中心に置いたのは平和構築や紛争予防です。同時に、2005年5月から2025年9月まで防衛省統合幕僚学校高級課程で自衛隊の幹部教育にも携わりました。
国連平和大学でも客員教授を務め、2018年からはフィリピンのAteneo de Manila大学でも教育に携わっています。
2001年、シエラレオネ勤務中に部下が聴いていたジャズに惹かれ、2003年のアフガニスタン赴任時にトランペットを購入しました。演奏を続け、2010年にはプロとしてデビューしています。
大学退職後も、安全保障や平和構築をテーマに各地で講演を行っています。
67歳で初出馬、翌年の参院選で初当選
長く実務家・研究者として政治や安全保障を論じてきましたが、2024年に自ら選挙へ出ます。2024年10月の第50回衆議院議員総選挙で、れいわ新選組の比例東京ブロック単独候補として初出馬しました。
候補予定者として初めて臨んだ記者会見では、国連、日本政府、東京外国語大学、統合幕僚学校での経験を紹介したうえで、自身が政治で取り組む対象を次のように表現しました。
非戦、つまり戦争に抗い、いかに戦争を回避するか
出典:れいわ新選組「次期衆院選 公認候補予定者17名発表」(2024年10月7日)
比例東京ブロックでは名簿順位3位でしたが、議席には届きませんでした。
2025年6月、今度は参議院比例代表の特定枠候補として擁立されます。本人はその会見で、自衛隊幹部を長年教えてきた経験を挙げ、政治判断によって自衛隊員を犠牲にしてはならないという危機感を出馬理由として語りました。
中立性をかなぐり捨てて、あえて政治の世界に身を投じる決心をいたしました。
出典:れいわ新選組「次期参院選 公認候補予定者発表 伊勢崎賢治」(2025年6月23日)
2025年7月20日の第27回参議院議員通常選挙で初当選し、比例代表選出の参議院議員となりました。
伊勢崎賢治氏の政策・政治姿勢
「命どぅ宝」を軸にした人道外交
基本政策の第一に掲げるのが、沖縄で受け継がれてきた「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」です。国家の立場の違いより、人の生命と尊厳を守ることを外交上の共通基盤に置き、避難、医療、停戦仲介、人道回廊などで超党派の合意をつくる方針を示しています。
日米地位協定と「自由なき駐留」
在日米軍そのものの撤退ではなく、駐留軍にも受け入れ国の法令や環境基準を適用し、基地への立ち入り、事件・事故、横田空域などで日本側の主権と権限を確保する「自由なき駐留」を提唱しています。
その根拠として重視するのが「互恵性(reciprocity)」です。米軍を受け入れながらも、日本側が自国領域での活動を統制できる対等な関係への変更を求めています。
装備だけでなく「法的対処能力」を整える
防衛装備や弾薬だけを「継戦能力」とみなすのではなく、国際人道法違反が疑われた際に日本自身が調査、捜査、立件、処罰、説明責任を果たせる国内法制を整える必要があると主張しています。
戦争犯罪や人道に対する罪を国内法上どう扱うか、上官が違法行為を知りながら止めなかった場合の「指揮官責任」をどう規定するかなどを具体的な論点にしています。
ジェノサイド条約と国内法制
ジェノサイド条約の締結を求める一方、国内での言論規制を広く設けるのではなく、現実の差別、敵意、暴力につながる危険性の高い「扇動」を国際基準に照らして限定的・厳格に扱う考えを示しています。
2026年3月17日には「集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の批准等に関する質問主意書」を参議院へ提出しました。政府は同月27日の答弁書で、条約が求める犯罪化と国内法制との関係について、関係省庁で締結の可否を含めた議論を深めていると回答しています。
北東アジアの危機管理と非核兵器地帯
北朝鮮、台湾海峡、米中関係を含む北東アジアでは、最初から非核化を交渉の前提とせず、ホットライン、軍事行動の事前通報、偶発衝突を避けるルールなど、危機管理から始める段階的な枠組みを提案しています。
その先の到達点として北東アジア非核兵器地帯を置き、沖縄を軍事上の「最前線」ではなく外交・信頼醸成の拠点にする構想です。台湾については政治的地位を先に決めず、台湾海峡の安定に不可欠な当事者として実務的な参加方法を探る考えを示しています。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2024年 10月27日 | 第50回衆議院議員総選挙 比例東京ブロック単独候補として初出馬 | 比例東京ブロック | れいわ新選組 | 落選 | 個人得票なし(れいわ新選組の比例東京ブロック得票451,865.000票) 名簿順位3位 |
| 2025年 7月20日 | 第27回参議院議員通常選挙 比例代表の特定枠で初当選 | 比例代表 | れいわ新選組 | 当選 | 個人得票による当選順位決定の対象外(特定枠候補) 特定枠 |
伊勢崎賢治氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
国家情報機関と民主的統制
「強大な情報機関は、外の脅威だけでなく、国内の批判や市民運動に向かい得る」
国家情報局設置法案に反対し、情報機関が国内監視へ拡張される危険性や、情報公開・記録保存の制度的担保を求めた。
大学研究と安全保障
「大学で行われているあらゆる研究に防衛資金を流し込んで」
AIや量子、バイオなどのデュアルユース技術を理由に大学研究へ安全保障上の制約を広げることに警戒感を示し、学問の自由を守る法的担保を求めた。
公務員の労働基本権
「公務員の労働基本権を制限する理由」
人事院勧告制度の歴史的経緯を取り上げ、占領期に形成された公務員の労働基本権制限の制度を再検討する必要性を問題提起した。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
国会質疑を動画で見る
本人公式YouTubeでは参議院での質疑も公開されています。2026年7月14日の内閣委員会での質問では、文章だけでは分かりにくい質疑の進め方や説明の仕方を確認できます。
伊勢崎賢治氏の現在情報
参議院では内閣委員会、決算委員会、沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会、国際問題に関する調査会に所属。2026年3月にはジェノサイド条約の批准等に関する質問主意書を提出するなど、外交・安全保障、国際人道法に関する国会活動を行っている。
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- 生年月日、出身地、当選年・当選回数、比例代表、所属会派、委員会所属、主要経歴を確認
- 学歴、大学・統合幕僚学校等の在任期間、国連・日本政府での経歴を確認
- 人道外交、日米地位協定、国際人道法、ジェノサイド条約、北東アジア政策を確認
- 党役職、参議院議員の肩書、公式サイト、公式X、公式YouTubeを確認
- 2026年8月のれいわ新選組からいのちの党への党名変更を確認
- 早稲田大学、ボンベイ大学の学歴、国際NGO・大学・国連等の経歴を確認
- 2025年参議院議員通常選挙の特定枠候補としての擁立と本人の出馬理由を確認
- 2026年3月の質問主意書提出とジェノサイド条約をめぐる国会活動を確認
- 2024年衆議院議員総選挙比例東京ブロックの選挙結果を確認
- インドのスラム活動、シエラレオネの開発援助、東ティモール、DDRの実務経験を確認
- 建築家志望、吉阪隆正研究室、インド留学、社会問題へ関心を移した経緯を確認
- 母子家庭での生い立ち、建築学科を志望した理由、ジャズ・トランペットの経歴を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ整理し、既存本文を維持したまま検索意図を明確化
- 2026年10月2日 本文の経歴上重要な年月日を赤文字で補強し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 本人の国会会議録による一次情報をテーマ別に確認し、一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月10日 記事を新規作成。現況情報を確認




















