山下芳生の経歴・学歴と生い立ち|生協職員から参議院議員4期、書記局長・副委員長へ

山下芳生
ひと目でわかるプロフィール 山下芳生
やました よしき
出身地
香川県善通寺市
初当選
1995年(第17回参議院議員通常選挙)
最終学歴
鳥取大学農学部農業工学科卒業
主な前職
会社員
政界入り
政党職員から
生年月日 1960年2月27日
血液型 AB型

山下芳生氏は、生協職員や青年運動を経て国政へ進み、参議院議員を4期務めた日本共産党の政治家です。国会では災害、雇用、社会保障、平和、環境などを扱い、党では書記局長や副委員長を担ってきました。

政治家になる前にはどのような生活を送り、何をきっかけに政治へ進んだのか。香川県善通寺市での少年時代から鳥取大学、生協の配送現場、青年運動、国会での歩みへと時系列でたどります。

山下芳生氏を理解する3つのポイント
  1. 香川県から鳥取へ進学し、学生自治会活動のなかで社会や政治への関心を深めました。
  2. 就職後の職場経験と青年運動を経て国政選挙へ進み、参議院議員を4期務めました。
  3. 国会では雇用、災害、平和、環境などを扱い、党中央の運営にも長く携わってきました。

山下芳生の生い立ち|善通寺で祖母と過ごした少年時代

山下芳生氏は1960年2月27日、香川県善通寺市に生まれました。両親は共働きで、学校から帰ると祖母に面倒を見てもらう「おばあちゃん子」だったと振り返っています。

祖母から繰り返し聞かされた言葉は二つありました。一つは「人の役に立つ人間になれ」、もう一つは「共産党にはなったらいかん」。高校時代まで、人の役に立つ生き方とは何かを考えていたものの、本人によれば答えは見つからなかったといいます。

地元の香川県立善通寺第一高等学校を卒業したのは1978年。進学先には鳥取大学農学部を選び、故郷を離れました。

山下芳生の学歴|鳥取大学で広がった政治への関心

学歴一覧山下芳生の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校香川県立善通寺第一高等学校―現在の入試難易度を別年度データと混同しないため数値保留1978年卒業
大学鳥取大学農学部農業工学科学科再編のため単純比較不可1982年卒業

※本人在学時の学科と現在の組織が一致しないため、無理に現在の学科偏差値へ置き換えていません。最新の同一制度データが確認できる場合のみ数値を追加します。

大学へ入るときに決めていたのは、さまざまなことに挑戦してみることでした。入学式当日、誰も引き受けようとしなかった学生自治会のクラス委員に自ら手を挙げます。

その日の夕方、先輩から日本民主青年同盟を紹介されました。しかし、祖母の言葉を思い出した山下氏はその場を離れ、その後も何度か加入を断ったといいます。一方、自分で引き受けた自治会活動は続けました。

学費の値上げ、教育予算、軍事費などについて学び、学生の要求を集める署名活動にも参加します。民青の先輩たちと接するうちに考えが変わり、大学1年で民青に加入しました。

善通寺には自衛隊駐屯地があり、山下氏自身も災害救助に向かうヘリコプターを身近に見て育っています。大学では自衛隊と米軍、憲法との関係なども学びました。本人が日本共産党への見方を大きく変えた出来事として挙げているのが、戦前の歴史を学んだことでした。

鳥取大学農学部農業工学科を1982年に卒業。後年、同窓生との集まりでは大学時代について次のように語っています。

鳥取での4年間がなければ今の私はない

出典:しんぶん赤旗「山下書記局長を囲む会/鳥取大OBと歓談・交流」(2014年4月28日)

生協の配送現場で知った「昼休み」の重さ

大学卒業後は先輩の紹介で大阪かわち市民生協、現在の生活協同組合おおさかパルコープに入りました。仕事はトラックで商品を組合員の家庭へ届ける配送です。

荷物の多いコースでは午前の配送を終えて戻るころには昼を過ぎ、入金処理と午後便の積み込みをすると、昼食を急いで食べるだけで休憩が終わる状態でした。若い職員たちの不満を受け、労働組合で実態を調べることになります。

ストップウォッチを使い、職員一人ひとりの作業時間を分単位で記録しました。その結果、帰着後は入金だけを済ませて先に休憩し、午後便の積み込みを全員で行う方法に変更。職場全体で昼休みを確保できる働き方へ変えました。

山下氏は後年、この経験を自身の「労働者としての原点」と位置づけています。

ええなあ、これが昼休みなんやなあ

出典:山下よしき公式ブログ「これが昼休みなんや!」(2012年6月3日)

青年運動の専従へ、反核・平和活動を重ねる

生協勤務を経て、1984年には日本民主青年同盟の専従者となりました。北河内地区委員長、大阪府副委員長などを務め、青年運動や反核・平和、食の安全をめぐる活動に携わります。

1980年代半ばには、高校生らとともに核兵器廃絶を求める署名活動にも取り組みました。生協で働いていた時期とは活動の場が変わりましたが、若者や地域住民と直接話しながら運動を組み立てる生活が続きます。

1992年の第16回参議院議員通常選挙では、日本共産党の比例名簿に入り初めて国政選挙へ立候補しましたが、名簿順位23位で落選。1994年には日本共産党大阪府副委員長となり、次の参院選では大阪府選挙区から議席を目指しました。

山下芳生の経歴|阪神・淡路大震災の半年後、35歳で参議院へ

参院大阪選挙区の候補として活動していた1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。大東市の自宅も激しく揺れ、眠っていた家族の上へ倒れそうになったたんすを押さえたと本人は記しています。

近所の一人暮らしの高齢者を訪ねた後、大阪府内の被災状況を調べ、西淀川、此花、豊中などを回りました。街頭で集まった1,000万円の募金を兵庫県庁へ届ける際には、渋滞する被災地を大阪から9時間かけて進んだといいます。

その半年後、1995年7月の参議院大阪府選挙区で35歳にして初当選しました。災害対策特別委員会に入り、被災者の生活や住宅再建への公的支援を国会で求めます。

国会議員ってこんなにも無力なのか

出典:山下よしき公式ブログ「阪神淡路大震災が問いかけたもの」(2012年6月2日)

その後、被災住民やボランティア、作家の小田実氏らと被災者支援法をつくる運動に参加しました。党派を越えて議員へ働きかけ、6会派39人の議員による法案を1997年に参議院へ提出しています。

1997年に山下氏ら超党派議員が提出した法案と、1998年に成立した被災者生活再建支援法は同一内容ではありません。

参院国対委員長と33分の本会議討論

初当選後は議院運営委員会理事、予算委員会、経済産業委員会などを経験し、1998年には38歳で日本共産党の参議院国会対策委員長に就任しました。

本人の略歴では、最初の6年間に法案提出23件、国会での発言109回と記録されています。2000年10月には、選挙制度をめぐる参院本会議で原稿を用いず33分間の反対討論に立ちました。

2001年の落選、国会の外で向き合った雇用問題

2001年7月の参院大阪府選挙区では4位となり、議席を失いました。その後は日本共産党の「リストラ反対・雇用を守る闘争本部」事務局長として、大企業の工場閉鎖や事業所再編が起きた地域を回ります。

国会議員ではない時期に、企業の配置転換や事業所閉鎖、失業問題を現場で調査しました。党代表団の一員として2002年にキューバ、2006年には中国も訪問しています。

国政復帰までの間には衆議院にも挑戦しました。2003年、2005年の総選挙では大阪5区から比例近畿ブロックとの重複で立候補しましたが、いずれも議席には届きませんでした。

2007年、比例代表で6年ぶりの国政復帰

2007年7月の参院選比例代表で当選し、6年ぶりに国政へ復帰しました。個人名票は55,912票で、日本共産党候補のうち3番目でした。

2013年の参院比例代表では129,149票を得て3選。雇用、社会保障、災害、行政監視など、初当選期から関わってきた分野に加えて、党中央での役割も大きくなっていきます。

書記局長から副委員長へ、党運営の中枢に

2014年1月、日本共産党書記局長に就任しました。国会活動に加えて、党中央の実務と対外的な党運営を担う立場になります。

2016年4月には副委員長へ移り、その後も参議院での活動を続けました。2017年11月の代表質問後には、首相答弁について自身のXで発信しています。

2019年7月の参院比例代表では4選。党内では党建設を担当する役割も担い、国会と党中央の双方で活動しました。

4期24年の参院在職を終えた2025年参院選

2025年7月20日の第27回参議院議員通常選挙では、比例代表に日本共産党から立候補しました。個人名票は32,576票で党候補中3位となりましたが、日本共産党の比例獲得議席は2議席で、当選には届きませんでした。

これにより、1995年から2001年、2007年から2025年にわたる参議院議員4期、通算24年の在職を終えました。

人生年表 山下芳生さんの歩み
1960年2月27日
香川県善通寺市で生まれる
1978年3月
香川県立善通寺第一高等学校を卒業
1978年4月
鳥取大学農学部に入学
学生自治会活動を通じて民青・日本共産党と出会う
1982年3月
鳥取大学農学部農業工学科を卒業
1982年
大阪かわち市民生協に入職
配送業務や労働組合活動を経験
1984年
日本民主青年同盟の専従者となる
北河内地区委員長、大阪府副委員長などを歴任
1992年7月
参議院比例区に初出馬
第16回参院選は落選
1994年
日本共産党大阪府副委員長
1995年1月
阪神・淡路大震災の被災地支援に取り組む
大阪選挙区候補として被災地を回る
1995年7月
参議院大阪府選挙区で初当選
35歳
1998年
日本共産党参議院国会対策委員長
2001年7月
参議院大阪府選挙区で落選
党の雇用対策活動で全国の職場・地域を回る
2007年7月
参議院比例代表で国政復帰
2013年7月
参議院比例代表で3選
2014年1月
日本共産党書記局長
2016年4月
日本共産党副委員長
2019年7月
参議院比例代表で4選
2025年7月
第27回参議院議員通常選挙で落選
参議院議員4期24年の在職を終える

山下芳生氏が取り組んできた政策・政治姿勢

被災後の生活再建と防災

災害政策では、被災者の生活再建に加えて、危険を未然に減らす対策にも取り組んできました。2018年6月の大阪府北部地震後には高槻市の学校現場を訪れ、児童が亡くなったブロック塀の安全問題を調査しています。

ブラック企業と過労、雇用ルール

2013年8月には日本共産党が設置した「ブラック企業・雇用問題対策チーム」の責任者となりました。若者を使い捨てるような働かせ方や長時間労働について、実態調査、当事者・専門家との懇談、法規制の検討を進める体制でした。

ブラック企業の根絶、雇用問題の解決のために政治を動かす役割が強く期待されている

出典:しんぶん赤旗「ブラック企業・雇用問題対策チームを発足」(2013年8月8日)

2018年には、過労死遺族が国会で訴えるなか、働き方改革関連法案の審議について発信しました。制度をめぐる論戦でも、労働時間と働く人の命を結び付けて扱っています。

格差と経済のルール

経済をめぐっては、市場の働きだけに任せず、格差の拡大や労働条件に社会的なルールを設けるべきだという立場を示してきました。2018年6月には資本主義と格差を扱った記事を紹介しながら、自身の考えを記しています。

生活保護とセーフティネット

生活保障では、生活保護を必要とする人が申請段階で利用を妨げられる問題を取り上げてきました。2021年には、申請を抑制する「水際作戦」や扶養照会の運用について発信しています。

平和・核兵器廃絶

核兵器をめぐっては、青年運動時代から反核活動に関わり、国政でも核兵器禁止条約への日本政府の対応を問題にしてきました。2018年8月の広島では、核兵器禁止条約に背を向ける日本政府の姿勢について発信しています。

安全保障政策では軍備拡大による抑止に反対する立場です。2026年1月31日に大阪府内で行った演説では、次の言葉を使いました。

ミサイルで平和をつくることはできない

出典:しんぶん赤旗「ブレない共産党 今こそ/山下副委員長、大阪駆ける」(2026年2月1日)

気候変動とPFAS

参議院環境委員会では、気候変動や化学物質をめぐる問題も取り上げました。2024年4月の委員会ではPFASについて、本人事務所で関連事業所がある自治体と環境省の測定結果を照合した調査を示し、排出源を把握する調査の強化を政府へ求めています。

同年12月の環境委員会では、温室効果ガス削減目標をIPCCが示す1.5度目標に整合させることや、気候政策の決定過程に若者が参加できる仕組みも論点にしました。

公文書と民主主義

2018年3月の参議院総務委員会では、森友学園をめぐる決裁文書の改ざん問題を取り上げました。公文書管理と国民主権との関係について、当時の総務相に認識をただしています。

民主主義の根幹を揺るがす、私はもう破壊することだと思います

出典:国会会議録検索システム「第196回国会 参議院 総務委員会 第3号」(2018年3月23日)
選挙歴 山下芳生の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第16回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
日本共産党は4議席を獲得
比例区 日本共産党 落選 個人得票なし(拘束名簿式) 23位(日本共産党名簿順位)
第17回参議院議員通常選挙
定数:3 比例復活:該当なし
初当選
大阪府 選挙区 日本共産党 当選 497,549票 2位
第19回参議院議員通常選挙
定数:3 比例復活:該当なし
大阪府 選挙区 日本共産党 落選 594,063票 4位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
比例近畿ブロック重複立候補
大阪府 第5区(比例近畿ブロック重複) 日本共産党 落選 37,694票 3位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
比例近畿ブロック重複立候補
大阪府 第5区(比例近畿ブロック重複) 日本共産党 落選 43,189票 3位
第21回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
6年ぶりに国政復帰
比例代表 日本共産党 当選 55,912票 日本共産党内3位
第23回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
3選
比例代表 日本共産党 当選 129,149票 日本共産党内2位
第25回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
4選
比例代表 日本共産党 当選 48,932.480票 日本共産党内2位
第27回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
日本共産党の比例獲得議席は2
比例代表 日本共産党 落選 32,576票 日本共産党内3位

山下芳生氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

災害時の住宅支援

消費税と国民健康保険

罹災証明と被災者支援

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

動画で見る山下芳生氏

党中央の会議では、党組織や活動方針についてまとまった報告を行う機会があります。2025年11月の全国都道府県委員長会議では、山下氏自身による報告が公式チャンネルで公開されています。

山下芳生氏の現在情報

2026年9月12日 時点
現在の所属 日本共産党
現在の主な役職
日本共産党幹部会副委員長(筆頭) 日本共産党常任幹部会委員

2025年参院選後も党中央で政治活動を継続しており、2026年9月の第9回中央委員会総会では常任幹部会の確認内容を報告しています。

政治人生の転機 山下芳生の政治人生の転機
01
1978年~大学時代
鳥取大学で民青・日本共産党と出会う
学生自治会のクラス委員を引き受け、学費や教育、平和などの問題を学ぶなかで民青に加入し、その後日本共産党員となった。
なぜ転機なのか 祖母から「共産党にはなったらいかん」と教えられて育った山下氏が、自ら学んだ末に政治運動へ踏み出したため。
02
1995年
阪神・淡路大震災と参議院初当選
参院大阪選挙区候補として被災地支援に入り、同年7月に初当選。国会では被災者の生活再建支援に取り組んだ。
なぜ転機なのか 被災者と超党派議員による立法活動が、国会活動の重要な原点となったため。
03
2001年~2007年
議席喪失と6年後の国政復帰
2001年参院選で落選後、雇用・リストラ問題の調査で全国の職場や地域を回り、2007年に比例代表で参院へ復帰した。
なぜ転機なのか 国会外での6年間を経て、再び国政へ戻るまでの政治活動の軸が雇用現場へ広がったため。
04
2014年
日本共産党書記局長に就任
党の書記局長となり、2016年には副委員長へ就任した。
なぜ転機なのか 国会議員としての活動に加え、党中央の運営を担う立場へ移ったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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