青島幸男の経歴・学歴と生い立ち|放送作家から参議院議員、東京都知事まで

青島幸男
ひと目でわかるプロフィール 青島幸男
あおしま ゆきお
出身地
東京都中央区日本橋堀留町(当時:東京市日本橋区堀留町)
初当選
1968年(第8回参議院議員通常選挙)
最終学歴
早稲田大学第一商学部卒業
主な前職
テレビ・放送関係
政界入り
専門職から
生年月日 1932年7月17日
血液型 AB型
没年月日 2006年12月20日

青島幸男氏は、テレビ放送の草創期を支えた放送作家であり、作詞家、俳優、小説家としても活動した後、参議院議員、東京都知事を務めた人物です。

テレビの時事コントを書いていた青年は、やがて国会で政治資金や選挙制度を問い、さらに都庁へと舞台を移しました。創作の世界と政治の世界を行き来した歩みを、生い立ちからたどります。

青島幸男氏を理解する3つのポイント
  1. テレビ草創期に放送作家として時事コントを手掛け、作詞・出演・小説へ仕事を広げました。
  2. 国政では大政党に属さず、第二院クラブを軸に選挙制度や政治資金の問題を取り上げました。
  3. 東京都知事として都市博中止を決めた後、廃棄物・循環型社会や生活者を重視する都政にも取り組みました。

青島幸男の生い立ち|日本橋の仕出し料理店「弁菊」で育つ

青島幸男氏は1932年7月17日、東京・日本橋に生まれました。生家は堀留町で仕出し料理を営んでいた「弁菊」です。

日本橋堀留町は呉服問屋が並ぶ商業の町でした。家業には家族だけでなく働く人々も出入りし、青島氏はそうした下町の暮らしの中で成長しました。

のちに小説を書くようになった青島氏は、生家「弁菊」をモデルに『人間万事塞翁が丙午』を執筆しました。戦中から戦後へ移る日本橋の商家と、そこで暮らす人々を描いた作品です。

この作品は1981年に第85回直木三十五賞を受賞しました。政治家として活動していた時期にも、幼いころから知る日本橋の世界を小説として残しています。

青島幸男の学歴|学生時代の結核療養から放送作家へ

中学時代には、のちに作曲家「すぎやまこういち」として知られる椙山浩一氏と府立二十一中で同級でした。その後、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学第一商学部へ進みます。

大学在学中、青島氏は結核の療養生活を送りました。外へ働きに出にくい時期に、自宅でもできる仕事を探し、NHKの漫才台本コンクールへ作品を投稿します。療養中の台本投稿が、放送作家として仕事を始める入口になりました。

やがて、開局間もないフジテレビでディレクターをしていた旧友の椙山氏から声が掛かります。任されたのは、クレージーキャッツが出演していた昼の生放送番組『おとなの漫画』でした。

番組ではその日のニュースを材料にコントを作るため、朝刊を読んでから本番までの短時間で原稿を仕上げる必要がありました。当時の制作現場を、青島氏は後年こう振り返っています。

当日の朝刊から時事ネタを拾い、ようやく書き上げた原稿をフジテレビに持っていく。

出典:ビデオリサーチ「てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜『青島幸男』篇」(2025年10月7日)

『おとなの漫画』では画面に「作・青島幸男」と名前が出ることも、本人の知名度を高めました。裏方だった青島氏自身がテレビに出演するようになり、放送作家とタレントの境界を越えていきます。

作詞でも仕事を広げ、植木等氏が歌った『スーダラ節』などを手掛けました。俳優としては『意地悪ばあさん』で主演し、映画『鐘』では制作・脚本・監督・主演を担うなど、選挙へ出る以前から活動分野は一つに収まりませんでした。

青島幸男の経歴|人気放送作家から参議院議員へ

1968年、35歳の青島氏は第8回参議院議員通常選挙の全国区へ無所属で立候補しました。1,203,431票を得て2位で初当選し、初めて公職に就きます。

すでにテレビで広く顔と名前を知られていた一方、選挙では大規模な街頭活動に資金を投じる方法とは距離を置きました。1974年、1980年にも全国区で当選し、国政での活動を続けます。

自らの選挙方法について、1994年の参議院政治改革特別委員会では次のように発言しました。

私は公営選挙に徹して自分の金は一銭も使っていません。

出典:国会会議録「第128回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会 第7号」(1994年1月6日)

1983年から参議院比例代表に拘束名簿式が導入された後、青島氏は1986年の参院選で第二院クラブの名簿1位となりました。同団体は全国で1議席を獲得し、青島氏は4回目の当選を果たします。

第二院クラブで重視した「政党ではない」立場

参議院で青島氏が活動の足場としたのが第二院クラブでした。市川房枝氏ら無所属議員の流れを持つ政治団体・院内会派で、青島氏はのちに代表も務めています。

第二院クラブを通常の政党と同じものとして扱わないことは、青島氏自身が国会で明確にしていました。1992年の選挙制度特別委員会では、所属メンバーそれぞれの考え方を尊重する組織だと説明しています。

私ども二院クラブは政党ではございませんので、それぞれ自分が考えていること、その主張をお互いに侵さない

出典:国会会議録「第125回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第2号」(1992年12月8日)

国会では、選挙制度や政治資金、参議院の役割などを繰り返し取り上げました。大政党を前提にした制度が少数の政治勢力や市民グループの参入を難しくしないかという問題意識も、後年の政治改革審議で示しています。

1989年の議員辞職、落選を経て国政へ戻る

4期目途中の1989年4月28日、自民党が1989年度予算案を衆議院本会議で単独採決した日に、青島氏は抗議する形で議員辞職を表明しました。参議院は6月2日に辞職を許可しています。

長く保持してきた参議院議席を自ら離れるという選択でした。

翌月の第15回参院選には第二院クラブの比例名簿2位で立候補しましたが、同団体の獲得議席は1。名簿1位の下村泰氏が当選し、青島氏は落選しました。

国政へ戻ったのは1992年です。第16回参院選で第二院クラブ代表として比例名簿1位に登載され、同団体が1議席を獲得したことで5回目の当選となりました。

復帰後には政治改革をめぐる国会審議に参加しました。企業献金や選挙制度の議論では、制度変更より先に政治腐敗への対応を重視する立場を示しています。

腐敗防止ということをまず最重点にやるべき

出典:国会会議録「第128回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会 第7号」(1994年1月6日)

参議院から東京都知事選へ

1995年、青島氏は東京都知事選への立候補を決めます。3月23日、知事選への立候補に伴い、公職選挙法第90条の規定によって参議院議員を退職しました。

知事選で前面に出した政策の一つが、翌1996年に臨海副都心で予定されていた世界都市博覧会の中止でした。

4月9日の東京都知事選で1,700,993票を得て初当選。4月23日から第13代東京都知事となり、翌24日に初登庁しました。

就任直後も都市博についての姿勢を変えず、開催の是非が都政最初の大きな判断となりました。

中止の方向で進めていきたい

出典:テレビ朝日「“変わるお台場の街” 構想から40年…設計者と振り返る『臨海副都心の街づくり』」(2025年10月18日)
人生年表 青島幸男さんの歩み
1932年7月17日
東京市日本橋区堀留町で生まれる
仕出し料理店「弁菊」の家に育つ
1951年
早稲田大学高等学院を卒業
新制高等学院2期生
1955年
早稲田大学第一商学部を卒業
学生時代に結核療養を経験
1959年
フジテレビ「おとなの漫画」の放送作家として活動
時事ニュースを題材にした生放送コントを担当
1961年
「スーダラ節」を作詞
放送作家・作詞家・出演者として活動領域を広げる
1968年7月
第8回参議院議員通常選挙で初当選
全国区2位、無所属
1981年
『人間万事塞翁が丙午』で第85回直木三十五賞を受賞
生家「弁菊」をモデルにした小説
1986年7月
参議院比例代表で4選
第二院クラブ名簿1位
1989年6月2日
参議院議員を辞職
同年7月の参議院選挙では落選
1992年7月
参議院議員に返り咲く
第二院クラブ名簿1位で5選
1995年3月23日
参議院議員を退職
東京都知事選立候補に伴う公職選挙法第90条による退職
1995年4月
東京都知事選で初当選
4月23日に第13代東京都知事へ就任
1995年5月31日
世界都市博覧会の開催中止を最終決定
臨海副都心開発そのものは継続して見直し
1999年4月22日
東京都知事を退任
1期4年で任期満了
2001年7月
参議院比例代表へ立候補
第二院クラブ、落選
2004年7月
参議院東京選挙区へ立候補
無所属、次点で落選
2006年12月20日
死去
74歳

青島都政で進めた政策

世界都市博覧会の中止と臨海副都心の見直し

就任から約1か月後の1995年5月31日、世界都市博覧会の中止が最終決定されました。すでに1996年3月からの開催に向けて準備が進んでいた事業でした。

一方、都市博の中止と臨海副都心開発そのものの中止は同じではありません。開発は継続され、同年9月には臨海副都心開発懇談会を設置。1996年7月には、その後の開発について「臨海副都心開発の基本方針」が決まりました。

新しい方針では、業務機能を中心とした従来構想だけでなく、職住の均衡や生活者の視点を取り入れ、「生活都市東京」の形成に役割を持たせる方向が示されました。

ごみ減量とリサイクル

青島都政で継続的に扱われたテーマの一つが、ごみの減量と資源循環でした。1996年には「東京ルール」を検討した懇談会が最終報告をまとめ、同年12月には事業系ごみの全面有料化を実施しています。

1997年には循環型社会づくり推進本部を設置し、青島氏自身が本部長を務めました。資源の分別回収、事業者による自己回収、ペットボトルの回収システムなどを「東京ルール」として進めています。

私は「リサイクルの青島」と贈られたいです。

出典:幸田シャーミンのエコインタビュー「青島幸男さん」(公開日記載なし)

「生活都市東京」と子育て・高齢社会

1997年2月には「生活都市東京構想」を策定しました。臨海副都心の見直しでも使われた「生活都市」という考え方を、都政全体の方向として打ち出したものです。

同年には「子供が輝くまち東京プラン~少子化社会への対応のために」を発表。1998年には「東京都高齢社会対応住宅計画」を策定しました。大型開発だけではなく、少子化や高齢化といった生活に近い課題も都政の計画に組み込まれています。

開かれた都政と情報公開

1995年4月の初登庁時、東京都は青島都政の出発点を「開かれた都政の実現」と記録しています。青島氏の任期末にあたる1999年3月には、従来の公文書開示条例を全面改正した東京都情報公開条例が公布されました。

条例は、公文書の開示を求める都民の権利を明記し、都政の説明責任、公正で透明な行政、都民参加を目的に掲げました。

選挙歴 青島幸男の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第8回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
初当選
全国区 無所属 当選 1,203,431票 2位
第10回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
2選
全国区 無所属 当選 1,833,618.051票 3位
第12回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
3選
全国区 無所属 当選 2,247,157票 2位
第14回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
拘束名簿式。第二院クラブは1議席を獲得し、名簿1位の青島幸男が4選。
比例代表 第二院クラブ 当選 候補者個人票なし(第二院クラブ全国得票1,455,532票) 名簿順位1位
第15回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
第二院クラブは1議席を獲得したが、名簿1位の下村泰が当選。
比例代表 第二院クラブ 落選 候補者個人票なし(第二院クラブ全国得票1,250,022票) 名簿順位2位
第16回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
第二院クラブ代表。3年ぶりに国政復帰し、通算5選。
比例代表 第二院クラブ 当選 候補者個人票なし(第二院クラブ全国得票1,321,639票) 名簿順位1位
第13回東京都知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
東京都知事初当選
東京都 無所属 当選 1,700,993票 1位
第19回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
第二院クラブの全国得票総数669,872.559票。獲得議席0。
比例代表 第二院クラブ 落選 284,745.692票 第二院クラブ内得票順位1位
第20回参議院議員通常選挙
定数:4 比例復活:該当なし
次点。青島幸男にとって最後の実出馬。
東京都 選挙区 無所属 落選 596,272票 5位

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一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

簡易保険と健康サービス

参議院選挙制度

通信ネットワークと情報セキュリティ

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

1期で都庁を離れ、再び参院選へ

青島氏は1999年の東京都知事選には立候補しませんでした。4月22日に任期を終え、東京都知事は1期4年で退任します。

その後、国政への挑戦を再開しました。2001年には第二院クラブ代表として参議院比例代表に立候補し、個人名票では同団体の候補者中最多でしたが、第二院クラブ自体が議席を獲得できず落選しました。

2004年には無所属で参議院東京都選挙区へ立候補。定数4の選挙で5位となり、議席には届きませんでした。これが青島氏にとって最後の実出馬です。

2006年12月20日、74歳で死去しました。最後の公職となった東京都知事退任後も、二度の参院選を通じて国政への復帰を目指していました。

関連書籍
青島幸男さんの著書・関連書籍
人間万事塞翁が丙午
書籍
人間万事塞翁が丙午
著者:青島幸男 / 出版社:新潮社 / 発売日:2007年01月17日頃
人間万事塞翁が丙午
書籍
人間万事塞翁が丙午
著者:青島幸男 / 出版社:パロディー社 / 発売日:1995年03月
ちょっとまった!青島だァ
書籍
ちょっとまった!青島だァ
著者:青島幸男 / 出版社:岩波書店 / 発売日:2006年12月

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政治人生の転機 青島幸男の政治人生の転機
01
1968年7月
放送作家から参議院へ
参議院全国区へ無所属で初出馬し、2位で初当選。
なぜ転機なのか テレビ・文筆の世界から初めて公職に就いたため。
02
1989年6月
参議院議員を辞職
4月に辞職を表明し、6月2日に参議院が辞職を許可。
なぜ転機なのか 4期目途中で議席を離れ、直後の参院選でも落選したため。
03
1992年7月
第二院クラブで国政復帰
第二院クラブ代表・比例名簿1位として参院選に当選。
なぜ転機なのか 1989年の辞職・落選から3年後に国政へ戻ったため。
04
1995年3~4月
参議院から東京都知事へ
知事選への立候補に伴って参議院議員を退職し、4月9日の東京都知事選で当選。
なぜ転機なのか 国会議員から首都東京の行政トップへ立場が変わったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
報道・インタビュー
その他の参考資料

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