青島幸男氏は、テレビ放送の草創期を支えた放送作家であり、作詞家、俳優、小説家としても活動した後、参議院議員、東京都知事を務めた人物です。
テレビの時事コントを書いていた青年は、やがて国会で政治資金や選挙制度を問い、さらに都庁へと舞台を移しました。創作の世界と政治の世界を行き来した歩みを、生い立ちからたどります。
- テレビ草創期に放送作家として時事コントを手掛け、作詞・出演・小説へ仕事を広げました。
- 国政では大政党に属さず、第二院クラブを軸に選挙制度や政治資金の問題を取り上げました。
- 東京都知事として都市博中止を決めた後、廃棄物・循環型社会や生活者を重視する都政にも取り組みました。
青島幸男の生い立ち|日本橋の仕出し料理店「弁菊」で育つ
青島幸男氏は1932年7月17日、東京・日本橋に生まれました。生家は堀留町で仕出し料理を営んでいた「弁菊」です。
日本橋堀留町は呉服問屋が並ぶ商業の町でした。家業には家族だけでなく働く人々も出入りし、青島氏はそうした下町の暮らしの中で成長しました。
のちに小説を書くようになった青島氏は、生家「弁菊」をモデルに『人間万事塞翁が丙午』を執筆しました。戦中から戦後へ移る日本橋の商家と、そこで暮らす人々を描いた作品です。
この作品は1981年に第85回直木三十五賞を受賞しました。政治家として活動していた時期にも、幼いころから知る日本橋の世界を小説として残しています。
青島幸男の学歴|学生時代の結核療養から放送作家へ
中学時代には、のちに作曲家「すぎやまこういち」として知られる椙山浩一氏と府立二十一中で同級でした。その後、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学第一商学部へ進みます。
大学在学中、青島氏は結核の療養生活を送りました。外へ働きに出にくい時期に、自宅でもできる仕事を探し、NHKの漫才台本コンクールへ作品を投稿します。療養中の台本投稿が、放送作家として仕事を始める入口になりました。
やがて、開局間もないフジテレビでディレクターをしていた旧友の椙山氏から声が掛かります。任されたのは、クレージーキャッツが出演していた昼の生放送番組『おとなの漫画』でした。
番組ではその日のニュースを材料にコントを作るため、朝刊を読んでから本番までの短時間で原稿を仕上げる必要がありました。当時の制作現場を、青島氏は後年こう振り返っています。
当日の朝刊から時事ネタを拾い、ようやく書き上げた原稿をフジテレビに持っていく。
出典:ビデオリサーチ「てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜『青島幸男』篇」(2025年10月7日)
『おとなの漫画』では画面に「作・青島幸男」と名前が出ることも、本人の知名度を高めました。裏方だった青島氏自身がテレビに出演するようになり、放送作家とタレントの境界を越えていきます。
作詞でも仕事を広げ、植木等氏が歌った『スーダラ節』などを手掛けました。俳優としては『意地悪ばあさん』で主演し、映画『鐘』では制作・脚本・監督・主演を担うなど、選挙へ出る以前から活動分野は一つに収まりませんでした。
青島幸男の経歴|人気放送作家から参議院議員へ
1968年、35歳の青島氏は第8回参議院議員通常選挙の全国区へ無所属で立候補しました。1,203,431票を得て2位で初当選し、初めて公職に就きます。
すでにテレビで広く顔と名前を知られていた一方、選挙では大規模な街頭活動に資金を投じる方法とは距離を置きました。1974年、1980年にも全国区で当選し、国政での活動を続けます。
自らの選挙方法について、1994年の参議院政治改革特別委員会では次のように発言しました。
私は公営選挙に徹して自分の金は一銭も使っていません。
出典:国会会議録「第128回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会 第7号」(1994年1月6日)
1983年から参議院比例代表に拘束名簿式が導入された後、青島氏は1986年の参院選で第二院クラブの名簿1位となりました。同団体は全国で1議席を獲得し、青島氏は4回目の当選を果たします。
第二院クラブで重視した「政党ではない」立場
参議院で青島氏が活動の足場としたのが第二院クラブでした。市川房枝氏ら無所属議員の流れを持つ政治団体・院内会派で、青島氏はのちに代表も務めています。
第二院クラブを通常の政党と同じものとして扱わないことは、青島氏自身が国会で明確にしていました。1992年の選挙制度特別委員会では、所属メンバーそれぞれの考え方を尊重する組織だと説明しています。
私ども二院クラブは政党ではございませんので、それぞれ自分が考えていること、その主張をお互いに侵さない
出典:国会会議録「第125回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第2号」(1992年12月8日)
国会では、選挙制度や政治資金、参議院の役割などを繰り返し取り上げました。大政党を前提にした制度が少数の政治勢力や市民グループの参入を難しくしないかという問題意識も、後年の政治改革審議で示しています。
1989年の議員辞職、落選を経て国政へ戻る
4期目途中の1989年4月28日、自民党が1989年度予算案を衆議院本会議で単独採決した日に、青島氏は抗議する形で議員辞職を表明しました。参議院は6月2日に辞職を許可しています。
長く保持してきた参議院議席を自ら離れるという選択でした。
翌月の第15回参院選には第二院クラブの比例名簿2位で立候補しましたが、同団体の獲得議席は1。名簿1位の下村泰氏が当選し、青島氏は落選しました。
国政へ戻ったのは1992年です。第16回参院選で第二院クラブ代表として比例名簿1位に登載され、同団体が1議席を獲得したことで5回目の当選となりました。
復帰後には政治改革をめぐる国会審議に参加しました。企業献金や選挙制度の議論では、制度変更より先に政治腐敗への対応を重視する立場を示しています。
腐敗防止ということをまず最重点にやるべき
出典:国会会議録「第128回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会 第7号」(1994年1月6日)
参議院から東京都知事選へ
1995年、青島氏は東京都知事選への立候補を決めます。3月23日、知事選への立候補に伴い、公職選挙法第90条の規定によって参議院議員を退職しました。
知事選で前面に出した政策の一つが、翌1996年に臨海副都心で予定されていた世界都市博覧会の中止でした。
4月9日の東京都知事選で1,700,993票を得て初当選。4月23日から第13代東京都知事となり、翌24日に初登庁しました。
就任直後も都市博についての姿勢を変えず、開催の是非が都政最初の大きな判断となりました。
中止の方向で進めていきたい
出典:テレビ朝日「“変わるお台場の街” 構想から40年…設計者と振り返る『臨海副都心の街づくり』」(2025年10月18日)
青島都政で進めた政策
世界都市博覧会の中止と臨海副都心の見直し
就任から約1か月後の1995年5月31日、世界都市博覧会の中止が最終決定されました。すでに1996年3月からの開催に向けて準備が進んでいた事業でした。
一方、都市博の中止と臨海副都心開発そのものの中止は同じではありません。開発は継続され、同年9月には臨海副都心開発懇談会を設置。1996年7月には、その後の開発について「臨海副都心開発の基本方針」が決まりました。
新しい方針では、業務機能を中心とした従来構想だけでなく、職住の均衡や生活者の視点を取り入れ、「生活都市東京」の形成に役割を持たせる方向が示されました。
ごみ減量とリサイクル
青島都政で継続的に扱われたテーマの一つが、ごみの減量と資源循環でした。1996年には「東京ルール」を検討した懇談会が最終報告をまとめ、同年12月には事業系ごみの全面有料化を実施しています。
1997年には循環型社会づくり推進本部を設置し、青島氏自身が本部長を務めました。資源の分別回収、事業者による自己回収、ペットボトルの回収システムなどを「東京ルール」として進めています。
私は「リサイクルの青島」と贈られたいです。
出典:幸田シャーミンのエコインタビュー「青島幸男さん」(公開日記載なし)
「生活都市東京」と子育て・高齢社会
1997年2月には「生活都市東京構想」を策定しました。臨海副都心の見直しでも使われた「生活都市」という考え方を、都政全体の方向として打ち出したものです。
同年には「子供が輝くまち東京プラン~少子化社会への対応のために」を発表。1998年には「東京都高齢社会対応住宅計画」を策定しました。大型開発だけではなく、少子化や高齢化といった生活に近い課題も都政の計画に組み込まれています。
開かれた都政と情報公開
1995年4月の初登庁時、東京都は青島都政の出発点を「開かれた都政の実現」と記録しています。青島氏の任期末にあたる1999年3月には、従来の公文書開示条例を全面改正した東京都情報公開条例が公布されました。
条例は、公文書の開示を求める都民の権利を明記し、都政の説明責任、公正で透明な行政、都民参加を目的に掲げました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1968年 7月7日 | 第8回参議院議員通常選挙 初当選 | 全国区 | 無所属 | 当選 | 1,203,431票 2位 |
| 1974年 7月7日 | 第10回参議院議員通常選挙 2選 | 全国区 | 無所属 | 当選 | 1,833,618.051票 3位 |
| 1980年 6月22日 | 第12回参議院議員通常選挙 3選 | 全国区 | 無所属 | 当選 | 2,247,157票 2位 |
| 1986年 7月6日 | 第14回参議院議員通常選挙 拘束名簿式。第二院クラブは1議席を獲得し、名簿1位の青島幸男が4選。 | 比例代表 | 第二院クラブ | 当選 | 候補者個人票なし(第二院クラブ全国得票1,455,532票) 名簿順位1位 |
| 1989年 7月23日 | 第15回参議院議員通常選挙 第二院クラブは1議席を獲得したが、名簿1位の下村泰が当選。 | 比例代表 | 第二院クラブ | 落選 | 候補者個人票なし(第二院クラブ全国得票1,250,022票) 名簿順位2位 |
| 1992年 7月26日 | 第16回参議院議員通常選挙 第二院クラブ代表。3年ぶりに国政復帰し、通算5選。 | 比例代表 | 第二院クラブ | 当選 | 候補者個人票なし(第二院クラブ全国得票1,321,639票) 名簿順位1位 |
| 1995年 4月9日 | 第13回東京都知事選挙 東京都知事初当選 | 東京都 | 無所属 | 当選 | 1,700,993票 1位 |
| 2001年 7月29日 | 第19回参議院議員通常選挙 第二院クラブの全国得票総数669,872.559票。獲得議席0。 | 比例代表 | 第二院クラブ | 落選 | 284,745.692票 第二院クラブ内得票順位1位 |
| 2004年 7月11日 | 第20回参議院議員通常選挙 次点。青島幸男にとって最後の実出馬。 | 東京都 選挙区 | 無所属 | 落選 | 596,272票 5位 |
青島幸男氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
簡易保険と健康サービス
「健康管理を主体とするような、あるいはそういう医療をメインとするようなもの」
簡易保険の保養施設について、単なる保養より健康管理や医療サービスを充実させる方向を検討すべきだと提案した。
参議院選挙制度
「自由な発想と行動が保障されている人」
参議院全国区制度の見直しをめぐり、参議院の独自性や候補者個人の自由な政治活動を重視すべきだと主張した。
通信ネットワークと情報セキュリティ
「コンピューターから情報を盗んだりという事件もさまざま起こっている」
コンピューターと通信回線の普及を踏まえ、不正アクセスや情報窃取への対策を進めなければ通信への信頼を損なうと警鐘を鳴らした。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
1期で都庁を離れ、再び参院選へ
青島氏は1999年の東京都知事選には立候補しませんでした。4月22日に任期を終え、東京都知事は1期4年で退任します。
その後、国政への挑戦を再開しました。2001年には第二院クラブ代表として参議院比例代表に立候補し、個人名票では同団体の候補者中最多でしたが、第二院クラブ自体が議席を獲得できず落選しました。
2004年には無所属で参議院東京都選挙区へ立候補。定数4の選挙で5位となり、議席には届きませんでした。これが青島氏にとって最後の実出馬です。
2006年12月20日、74歳で死去しました。最後の公職となった東京都知事退任後も、二度の参院選を通じて国政への復帰を目指していました。
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- 第13代東京都知事、在任期間1995年4月23日から1999年4月22日、1期を確認
- 参議院議員歴、通常選挙回次、辞職・退職を含む議員履歴を確認
- 1995年4月24日の青島知事初登庁、都市博中止、開かれた都政の方針を確認
- 世界都市博覧会の中止決定、臨海副都心開発の継続・見直し、1996年基本方針を確認
- 都市博中止、東京ルール、少子化対応プラン、高齢社会対応住宅計画など青島都政期の主要事項を確認
- 第二院クラブについての本人説明、選挙制度に対する考え方を確認
- 結核療養中の漫才台本投稿、椙山浩一との関係、『おとなの漫画』の制作現場、本人回想を確認
- 東京ルール、循環型社会づくり推進本部、ごみ政策・リサイクルに関する本人発言を確認
- 出生地、学歴、放送作家・作詞家歴、1968年初当選、直木賞、東京都知事歴、死亡日を確認
- 生家「弁菊」をモデルにした作品であること、第85回直木三十五賞受賞を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ個別整理し、既存本文を維持したまま構成を統一
- 2026年10月2日 本文の経歴上重要な年月日を赤文字で補強し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 本人の国会会議録による一次情報をテーマ別に確認し、一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月17日 記事を新規作成。現況情報、経歴、全選挙歴、主要政策を確認




















