山本太郎の経歴・学歴と生い立ち|俳優から国会議員、れいわ新選組結成と政界引退まで

山本太郎
ひと目でわかるプロフィール 山本太郎
やまもと たろう
出身地
兵庫県宝塚市
初当選
2013年(第46回衆議院議員総選挙)
最終学歴
箕面自由学園高等学校中退
政界入り
市民活動から
生年月日 1974年11月24日
血液型 A型

山本太郎氏は、俳優としてテレビや映画に出演した後、東日本大震災を機に社会活動へ踏み出し、国会議員、そして自ら立ち上げた政党の代表へと歩んだ人物です。

芸能界から国政へ進んだ経緯には、2011年の反原発活動、最初の衆院選での落選、参院選での初当選、れいわ新選組の旗揚げなど、いくつもの大きな転換がありました。

山本太郎氏を理解する3つのポイント
  1. 高校時代のテレビ出演をきっかけに芸能界へ入り、俳優として映画・ドラマ・旅番組などで活動しました。
  2. 東日本大震災後に反原発活動を始め、2012年の衆院選落選を経て2013年に参議院議員へ初当選しました。
  3. 2019年にれいわ新選組を立ち上げて代表を務め、衆参両院で議員を経験した後、2026年に政界引退を表明しました。

宝塚で生まれ、高校時代にテレビで全国へ

山本太郎氏は1974年11月24日、兵庫県宝塚市に生まれました。1歳のときに父を亡くし、2人の姉とともに、ペルシャ絨毯の販売を手がけていた母親に育てられています。

本人は子どもの頃について、落ち着きがなく、学校で何か起こると最初に疑われるような子どもだったと振り返っています。小学5~6年生の頃には教会で過ごす時間も多かったと語っています。

これまでの人生のなかで打算的に動いたことはなかったんですよ

出典:GQ JAPAN「山本太郎──ザ・ファイター【前編】」(2019年12月1日)

箕面自由学園高等学校に進学しましたが中退。高校1年生だった1991年1月、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」に出場し、強烈なパフォーマンスで注目を集めました。

このテレビ出演から、高校時代に芸能界へ入ることになります。

俳優として映画・ドラマ・旅番組で活動

1991年には映画『代打教師 秋葉、真剣です!』で俳優デビュー。その後はNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』、大河ドラマ『新選組!』、映画『バトル・ロワイアル』『GO』などに出演しました。

俳優だけでなく、『世界ウルルン滞在記』などでは海外へ出向く体当たり型のリポーターとしても知られるようになります。

『光の雨』『GO』では2001年度日本映画批評家大賞助演男優賞、『MOON CHILD』『ゲロッパ』『精霊流し』では2003年度ブルーリボン賞助演男優賞を受賞しています。

東日本大震災後、反原発活動へ踏み出す

政治への進路を大きく変えたのが、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故でした。本人の公式プロフィールでは、同年4月から反原発活動を開始したとしています。

高円寺での反原発デモや文部科学省前での活動などに参加し、原発事故や放射線をめぐる問題について積極的に発言するようになりました。

5月27日には所属事務所を離れます。本人は当時のXで、周囲に迷惑をかけたくないという趣旨を自ら発信しました。

それまで20年近く芸能界を中心に活動してきた山本氏にとって、社会問題をめぐって自ら街頭へ出る生活へと変わった時期でした。

人生年表 山本太郎さんの歩み
1974年11月24日
兵庫県宝塚市で生まれる
1991年1月
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のダンス甲子園に出演
高校1年生で芸能界入り
1991年
映画「代打教師 秋葉、真剣です!」で俳優デビュー
2001年
日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞
「光の雨」「GO」で受賞
2003年
ブルーリボン賞助演男優賞を受賞
「MOON CHILD」「ゲロッパ」「精霊流し」で受賞
2011年4月
東日本大震災後に反原発活動を開始
2011年5月27日
所属事務所を離れる
社会活動を続ける中で本人から退所を申し出る
2012年12月
第46回衆議院議員総選挙へ初出馬
東京8区で落選
2013年7月
第23回参議院議員通常選挙で初当選
東京都選挙区
2015年1月
生活の党と山本太郎となかまたち共同代表に就任
2016年10月
自由党共同代表に就任
党名変更後も共同代表を務める
2019年4月
れいわ新選組を旗揚げ
代表に就任
2019年7月
第25回参議院議員通常選挙の比例代表に出馬
本人は落選、れいわ新選組は2議席を獲得し政党要件を満たす
2020年7月
東京都知事選挙に出馬
657,277票で落選
2021年10月
第49回衆議院議員総選挙で当選
比例東京ブロック
2022年4月19日
衆議院議員を辞職
参議院選挙への出馬に向けて辞職
2022年7月
第26回参議院議員通常選挙で当選
東京都選挙区
2026年1月21日
参議院議員を辞職
健康上の理由で活動休止
2026年7月9日
れいわ新選組代表辞任と政界引退を表明
国会議員を目指す取り組みからの引退も表明

2012年の衆院選は落選、翌年の参院選で初当選

初めて選挙に立候補したのは2012年12月の第46回衆議院議員総選挙です。無所属で東京8区から出馬し、71,028票を獲得しましたが、自民党の石原伸晃氏に届かず落選しました。

再挑戦は翌2013年7月の参議院議員通常選挙でした。東京都選挙区で666,684票を獲得し、4位で参議院議員へ初当選します。

議員となってからは原発・エネルギー、貧困、奨学金、社会保障、災害対応などを国会で取り上げました。2015年の内閣委員会では子どもの貧困と生活保護、奨学金制度をテーマに質疑しています。

生活の党から自由党へ、国政政党の共同代表に

2014年12月には「生活の党と山本太郎となかまたち」に合流し、2015年1月に共同代表へ就任しました。

2016年10月に党名が自由党へ変わった後も共同代表を務め、小沢一郎氏らと政治活動を続けています。

無所属で初当選した山本氏が、既存政党の共同代表を担うところまで政治上の立場を広げた時期です。

2019年、れいわ新選組をひとりで旗揚げ

2019年、自由党と国民民主党の合流には参加せず、4月にれいわ新選組を立ち上げて代表となりました。

同年の参院選では、自身の議席を守るだけではなく、比例代表の「特定枠」を使ってALS患者の舩後靖彦氏と重度障害のある木村英子氏を優先する候補者名簿を組みました。

日本を守るとは、あなたを守ることから始まる。

出典:れいわ新選組「政見放送・れいわ新選組代表 山本太郎」(2019年7月10日)

山本氏自身は992,267票を集めながら落選しました。一方で、れいわ新選組は舩後氏と木村氏の2議席を獲得し、得票率でも政党要件を満たしました。

2019年参院選の比例代表では、特定枠の候補者が個人票の多い一般の名簿登載者より優先して当選します。山本氏は特定枠の2人が当選した後の順位となったため、約99万票を得ても本人は落選しました。

開票後、本人は「山本太郎に関しては」負けだとしながら、2議席を得たれいわ新選組としては大きな成果だったという認識を示しています。

都知事選を経て、2021年に衆議院へ

2020年には東京都知事選挙にれいわ新選組公認で立候補しました。657,277票を獲得したものの、小池百合子氏、宇都宮健児氏に次ぐ3位で落選しています。

翌2021年の衆院選では比例東京ブロックの名簿順位1位で立候補。れいわ新選組が同ブロックで360,387票を得て1議席を確保し、山本氏は衆議院議員に当選しました。

ただし衆議院議員としての在職期間は短く、2022年4月15日に辞表を提出し、4月19日の本会議で辞職が許可されています。

2022年、東京選挙区から再び参議院へ

衆議院を辞職した理由は、同年夏の参議院選挙へ立候補するためでした。2022年7月、東京都選挙区から出馬して565,925票を獲得し、定数6の最後の議席となる6位で当選しました。

こうして山本氏は、参議院議員、衆議院議員、再び参議院議員と、衆参両院で議席を経験することになります。

選挙歴 山本太郎の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬
東京 8区 無所属 落選 71,028票 2位
第23回参議院議員通常選挙
定数:5 比例復活:該当なし
参議院議員初当選
東京都 選挙区 無所属 当選 666,684票 4位
第25回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
舩後靖彦氏、木村英子氏を特定枠に配置。本人は落選したが、れいわ新選組は2議席を獲得し政党要件を満たした
比例代表 れいわ新選組 落選 992,267票 党内3番目の当選順位(特定枠2人を優先)
東京都知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
東京都 れいわ新選組 落選 657,277票 3位
第49回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:比例単独当選
比例単独候補のため候補者個人の得票数はなし。れいわ新選組が東京ブロックで1議席を獲得
比例東京ブロック れいわ新選組 当選 れいわ新選組360,387票(政党得票) 名簿順位1位
第26回参議院議員通常選挙
定数:6 比例復活:該当なし
参議院議員2回目の当選
東京都 選挙区 れいわ新選組 当選 565,925票 6位

山本太郎氏が重視してきた政策・政治姿勢

山本氏の政治活動では、2011年から続く原発・エネルギー問題に加え、生活困窮への支援、消費税廃止、積極的な財政政策、障害当事者の政治参加、災害対応などが繰り返し扱われてきました。

消費税廃止と暮らしへの財政支出

れいわ新選組結成時から前面に掲げた政策の一つが消費税の廃止です。2019年の政見放送では、所得税の累進性強化、法人課税の見直しなどを財源策として説明し、デフレ期には新規国債も活用する考えを示しました。

その後も物価高や実質賃金の問題と結び付けながら、消費税廃止を訴え続けています。

反原発から続いたエネルギー政策

政治活動の出発点となった反原発は、国会議員になった後も扱い続けたテーマです。原発事故への備え、避難、原子力政策、エネルギー安全保障などを国会質疑で取り上げました。

2022年にはウクライナ侵攻で原発が攻撃された事例を挙げ、日本の原発が武力攻撃を受けた場合の想定を政府に質問しています。

障害当事者を国会へ送る候補者戦略

2019年の参院選では、舩後靖彦氏と木村英子氏を特定枠に置きました。山本氏は政見放送で、当事者のニーズを最も理解しているのは当事者だとして、障害や難病のある人自身が国会で議論する必要性を訴えています。

自身の再選より2人の優先当選を先に置いた候補者名簿は、れいわ新選組の最初の国政選挙を象徴する選択になりました。

災害現場へ足を運び、国会で取り上げる姿勢

山本氏は災害時に被災地へ入り、支援団体や被災者から聞き取った課題を国会やSNSで取り上げる活動も続けました。

2024年1月の能登半島地震では、現地で活動するNPOから直接話を聞くため能登町へ入ったことをXで報告し、避難所の食事や支援体制について発信しています。

政治人生の転機 山本太郎の政治人生の転機
01
2011年
東日本大震災後、俳優から社会活動へ
東日本大震災と福島第一原発事故の後、4月から反原発活動を始め、5月には所属事務所を離れた。
なぜ転機なのか 20年近く続けてきた芸能活動を中心とする生活から、社会問題について自ら発信・行動する道へ大きく軸足を移したため。
02
2013年7月
参議院議員へ初当選
前年の衆院選東京8区での落選後、東京都選挙区から参院選に出馬し666,684票で初当選した。
なぜ転機なのか 市民活動と選挙運動を経て、国会議員として政治に直接関わる立場になったため。
03
2019年4月~7月
れいわ新選組を旗揚げし国政政党へ
自由党を離れてれいわ新選組を立ち上げ、参院選では本人は落選した一方、党として2議席を獲得して政党要件を満たした。
なぜ転機なのか 一議員から、自ら立ち上げた国政政党を率いる代表へ政治活動の形が変わったため。
04
2026年1月~7月
議員辞職から代表辞任、政界引退へ
健康上の理由で1月21日に参議院議員を辞職。7月9日にはれいわ新選組代表辞任と、国会議員を目指す取り組みからの引退を表明した。
なぜ転機なのか 国会議員と国政政党代表として続けてきた政治活動に区切りをつけたため。

2026年、健康上の理由で参議院議員を辞職

2026年1月21日、山本氏は健康上の問題を理由に参議院議員を辞職し、無期限で表の活動を休止すると発表しました。

この時点では、れいわ新選組代表の職にはとどまる意向を示していました。参議院の歴代議員記録にも「辞職(令8.1.21)」と残っています。

代表辞任を表明し、国政を目指す活動から引退

その後の2026年7月3日、れいわ新選組は山本氏の道路交通法違反を公表しました。2025年10月、法定速度80kmの区間を149kmで走行したとして検挙され、2026年4月に罰金9万円の刑事処分、5月に90日間の免許停止という行政処分を受けています。

7月9日の記者会見で本人は速度超過を謝罪したうえで、辞任を決めた理由はこの問題だけではなく健康上の事情もあると説明しました。

私、山本太郎は、れいわ新選組の代表を辞任します。

出典:れいわ新選組「不定例記者会見」(2026年7月11日公開)

同じ会見では、国政政党の代表と、再び国会議員を目指す取り組みから引退することも明言しました。

2026年8月5日には山本ジョージ氏を代表とする新体制が決まり、翌6日には、山本太郎氏が2019年に立ち上げたれいわ新選組から「いのちの党」への党名変更が決定されました。

2026年8月時点では山本太郎氏に国会議員などの公職はなく、本人の公式プロフィールも「前参議院議員、前れいわ新選組代表、俳優」としています。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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