大石賢吾の経歴・学歴と生い立ち|医師・厚労省から長崎県知事へ、1期4年の歩み

大石賢吾
ひと目でわかるプロフィール 大石賢吾
おおいし けんご
出身地
長崎県五島市富江町
初当選
2022年(長崎県知事選挙)
最終学歴
千葉大学大学院医学研究院 博士課程修了
主な前職
医師、大学教員・研究者、官僚・国家公務員
政界入り
官僚から、専門職から
生年月日 1982年7月8日

大石賢吾氏は、医師・医学博士として臨床や研究を経験し、厚生労働省で行政に携わった後、長崎県知事になった人物です。

五島での少年時代から米国留学、地域医療で政治を意識するまでの過程をたどると、医学と行政を行き来しながら県政へ向かった経歴が見えてきます。

大石賢吾氏を理解する3つのポイント
  1. 五島で育ち、本土での高校生活と米国留学を経て医学の道へ進みました。
  2. 地域医療で感じた制度上の限界から行政へ入り、厚生労働省勤務後に政界へ進みました。
  3. 初めての選挙で知事となり、1期4年を務めた後も医療と地域に関わる活動を続けています。

大石賢吾の生い立ち|五島・富江で育った少年時代

1982年7月8日、長崎県の五島列島にある現在の五島市富江町で生まれました。富江町立富江小学校、富江中学校へ進み、離島で少年時代を過ごしています。

中学生のころは野球に取り組んでいました。進学を機に生活は大きく変わり、中学卒業と同時に五島を離れ、本土で一人暮らしを始めました。

故郷とのつながりはその後も続きました。知事在任中の2025年末には、帰島時に立ち寄る五島うどんについて公式Xで発信しています。

大石賢吾の学歴|長崎北高のラグビーから米国留学へ

学歴一覧大石賢吾の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校富江町立富江小学校――現在の五島市
中学校富江町立富江中学校――現在の五島市
高校長崎県立長崎北高等学校―62(2026年度版)ラグビー部
大学カリフォルニア大学デービス校生化学・分子生物学日本式の偏差値なし米国
大学千葉大学医学部医学科67.5(2027年度参考)卒業
大学院千葉大学大学院医学研究院博士課程大学院は偏差値で単純比較しない修了

※偏差値・難易度は大石氏の在学当時ではなく現在の目安です。海外大学は日本式偏差値で比較せず、大学院も単純比較していません。

本土では長崎県立長崎北高等学校に進学しました。ラグビー部に入り、全国高校ラグビー大会、いわゆる「花園」に出場しています。

高校卒業後に選んだのは日本国内の大学ではありませんでした。英語に不安を抱えながらも、カリフォルニア大学デービス校へ渡ります。

世界最高水準の教育を見てみたい

出典:ちばだいプレス「医学部卒は現役知事で唯一。政治家としての原点は千葉大学医学部附属病院時代に取り組んだ地域医療」(2023年11月29日)

大学では生化学と分子生物学を専攻し、2006年にhighest honorsで卒業しました。基礎研究に打ち込んだ経験を経て帰国し、翌2007年には長崎大学熱帯医学研究所の感染症内科で働き始めます。

大石賢吾の経歴|研究者から医師へ、千葉大学で地域医療と向き合う

その後は医師免許の取得を目指し、学士編入学制度で千葉大学医学部医学科へ入りました。2012年に卒業し、千葉大学医学部附属病院などで臨床に携わります。

大学院では精神医学の研究にも取り組みました。2018年には千葉大学大学院医学研究院博士課程を修了し、医学博士となっています。

同年にはニュージーランド・オークランドで開かれた豪州・ニュージーランド精神医学会の年次総会に参加しました。患者や家族が精神科医療の意思決定に関わることをテーマに発表しています。

ニュージーランドでの経験はとても有意義なものでありました。

出典:日本精神神経学会「過去のRANZCP派遣者一覧」(公開日記載なし)

政治を意識する直接のきっかけは、研究ではなく地域医療の現場にありました。訪問診療をしていたころ、エレベーターのない集合住宅の上層階で高齢の夫婦が老老介護を続けている家庭と出会います。

医療上の処置はできても、住環境そのものは医師だけでは変えられません。利用できる福祉サービスが十分でなかったり、経済的に利用が難しかったりする現実にも直面しました。

行政の支援、公助の在り方を変える必要性を認識いたしました。

出典:長崎県「令和4年3月2日 大石知事就任式挨拶」(2022年3月2日)

政策立案や予算、行政の仕組みを学ぶため、臨床の世界から厚生労働省へ進むことになります。

人生年表 大石賢吾さんの歩み
1982年7月8日
長崎県五島市富江町に生まれる
旧南松浦郡富江町
2001年
長崎県立長崎北高等学校を卒業
ラグビー部で全国高校ラグビー大会に出場
2006年
カリフォルニア大学デービス校を卒業
生化学・分子生物学を学びhighest honorsで卒業
2007年
長崎大学熱帯医学研究所に勤務
感染症内科
2012年
千葉大学医学部医学科を卒業
千葉大学医学部附属病院に勤務
2018年
千葉大学大学院医学研究院博士課程を修了
医学博士
2020年
厚生労働省に入局
医政局地域医療計画課の室長補佐として勤務
2021年
日本医療研究開発機構へ
革新基盤創成事業部事業推進課長
2022年2月20日
長崎県知事選挙で初当選
初出馬で現職を541票差で破る
2022年3月2日
長崎県知事に就任
1期目
2026年2月8日
長崎県知事選挙で落選
2期目を目指したが平田研氏に敗れる
2026年3月1日
長崎県知事を退任
1期4年で任期満了
2026年4月15日
政治団体「みんなのみらい」の設立を届け出る
代表者として長崎県選挙管理委員会に届け出

厚生労働省で政策を学び、県知事選へ

2020年に厚生労働省へ入り、医政局地域医療計画課の救急・周産期医療等対策室で室長補佐を務めました。新型コロナウイルス対策推進本部医療班も兼務しています。

2021年には日本医療研究開発機構(AMED)の革新基盤創成事業部事業推進課長となり、千葉大学精神神経科の非常勤講師も兼ねました。

転機が訪れたのは2021年末です。翌年の長崎県知事選への出馬を打診され、国政という選択肢も考えていたなかで、知事の裁量の大きさと故郷・長崎で取り組めることを考え、立候補を決めました。

2022年2月20日の知事選は、3期12年務めていた現職の中村法道氏との接戦になりました。大石氏は239,415票を獲得し、わずか541票差で初当選しました。

39歳で長崎県知事に就任

2022年3月2日、39歳で長崎県知事に就任しました。それまで選挙に立候補した経験はなく、厚生労働省などで行政を経験した医師が、そのまま県政トップへ移る形でした。

就任時は新型コロナウイルス感染症への対応が続いていた時期です。医療と経済活動の両立が求められるなか、地域医療や厚生労働省での実務経験を持って県政運営に入りました。

前県政から続く中長期の計画には継続性を持たせながら、新しい施策も進めるという姿勢を取りました。4年間では、子ども・医療、新産業、デジタル、平和、長年の県政課題など幅広い分野を扱っています。

知事時代に力を入れた政策・県政テーマ

子ども・医療

子ども・医療分野では、高校生世代までを対象とする医療費助成や、不妊治療の先進医療に対する助成などを進めました。子ども施策を継続的に支えるための基金も創設しています。

離島や人口減少地域を抱える長崎では、医療へのアクセスも県政課題です。自身が地域医療に携わった経歴を持つことから、医療提供体制は知事在任中も扱い続けた分野の一つでした。

半導体・スタートアップ

産業分野では半導体関連産業の育成を進めました。2025年に示した成長戦略では、2030年度の県内半導体関連製造品出荷額等を1兆206億円とする目標を掲げ、設備投資、技術開発、人材確保・育成などを支援する方針を示しています。

新しい企業を生み出す環境づくりでは、起業家や投資家、支援機関などを結ぶ「ミライ企業Nagasaki」などを展開しました。既存企業の誘致だけでなく、県内から新事業を育てる仕組みづくりにも取り組みました。

ドローンとDX

2024年6月には、長崎県と福島県が全国初の「新技術実装連携『絆』特区」に指定されました。ドローンのレベル4飛行などを念頭に、規制改革と新技術の社会実装を進める枠組みです。

知事退任後もデジタル技術への関心を発信しており、2026年7月には日本DX大賞に参加し、AIエージェントを日常的に利用していることなどを投稿しました。

被爆地からの平和発信と対話

米国留学中、近現代史の授業で原爆投下について議論した経験があります。周囲には戦争終結のため必要だったという意見が多かったものの、自身が長崎出身であることを明かし、長崎で学んだことを話すと、教室の空気や意見が変わったと振り返っています。

知事就任後の2022年8月には、広島県知事とともにNPT再検討会議に参加しました。被爆地の知事がそろってNPT再検討会議に参加するのは初めてで、現地でシンポジウムを開き、共同メッセージを発信しています。

私はやはり対話はとても大切だなと思っています。

出典:RECNA対話プロジェクト「インタビュー 大石賢吾さん(長崎県知事)に聞く」(2025年5月16日)

西九州新幹線と石木ダム

長年続く県政課題にも判断を求められました。西九州新幹線については、武雄温泉―長崎間だけで完結させず、全線をつなげることの実現を求める立場を取りました。

石木ダムについては、知事として事業を進め、退任時にも早期完成を目指すという自身の判断を改めて示しています。

選挙歴 大石賢吾の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
長崎県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
中村法道氏に541票差
長崎県 無所属 当選 239,415票 1位
長崎県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
平田研氏に6,788票差
長崎県 無所属 落選 280,346票 2位

大石賢吾氏の記者会見をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の記者会見まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

子ども政策と居場所づくり

産業振興と県民所得

非核三原則と被爆県の立場

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

政治資金をめぐる問題と司法判断

知事在任中には、2022年の知事選をめぐる2,000万円の資金処理が問題になりました。選挙運動費用収支報告書には自己資金として記載されていた一方、その後、後援会側では大石氏からの借入金として処理されていました。

後援会から大石氏には2023年3月に460万円、2024年3月に195万2,000円が支払われました。大石氏側は2024年7月までに計655万2,000円を後援会へ戻し、同年8月に関連する政治資金収支報告書を訂正しています。

正確に出すべきものが不正確になったところは事実です

出典:長崎県「令和8年2月27日 記者会見」(2026年2月27日)

刑事手続では、長崎地方検察庁が2025年9月12日に嫌疑不十分で不起訴としました。その後、長崎検察審査会は同年12月17日付で「不起訴相当」と議決しています。

2025年12月の「不起訴相当」は刑事手続上の判断です。政治的な説明責任や選挙での評価とは別の論点です。

2026年知事選で敗れ、1期で退任

2026年には2期目を目指して知事選へ立候補しました。選挙戦では、公式Xにスタッフからの投稿も掲載されています。

2月8日の投開票では大石氏が280,346票、平田研氏が287,134票を獲得しました。6,788票差で平田氏が当選し、大石氏は2期目に届きませんでした。

任期は3月1日で終了し、翌2日に平田氏へ県政が引き継がれました。大石氏の知事在任期間は1期4年です。

退任後の6月には、公式Xで新しい活動に向けた発信を始めました。

医療分野での発信も続いています。2026年7月には、長崎大学での講義予定について公式Xで知らせました。

地域で人と接点を持つ活動も行っています。7月には長崎スタジアムシティで開かれた交流会への参加を発信しました。

1期4年の県政や退任時の考えを本人の話し方や表情も含めて確認できる映像として、長崎県が退任記者会見を公開しています。

大石賢吾氏の現在情報

2026年9月4日 時点
現在の所属 無所属
現在の主な役職
政治団体「みんなのみらい」代表

知事退任後は医師として医療現場に戻り、長崎大学での講義や地域交流などを通じて医療・地域に関わる活動を続けています。

政治人生の転機 大石賢吾の政治人生の転機
01
2012年前後
地域医療の現場から政治を意識
訪問診療で、医療だけでは患者の生活環境を改善できない事例に直面しました。
なぜ転機なのか 関心が診療から公的支援や制度のあり方へ広がり、政治を志す原点になりました。
02
2020年
厚生労働省へ入局
臨床・研究の現場から厚生労働省に入り、地域医療政策や新型コロナ対策に携わりました。
なぜ転機なのか 医師・研究者から、政策を立案・実行する行政の側へ立場を移しました。
03
2022年2月
初出馬で長崎県知事に当選
初めての選挙となった長崎県知事選で239,415票を獲得し、現職を541票差で破りました。
なぜ転機なのか 行政官から選挙で選ばれる政治家へ進み、県政を担う立場になりました。
04
2026年3月~4月
知事退任後、医療現場へ戻り新たな政治活動へ
知事選での落選後に任期を終え、医療現場へ復帰。政治団体「みんなのみらい」の設立を届け出ました。
なぜ転機なのか 公職を離れ、医師として働きながら別の形で地域と政治に関わる段階へ移りました。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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