後藤田正純の経歴・学歴と生い立ち|三菱商事から衆院8期、徳島県知事まで

後藤田正純
ひと目でわかるプロフィール 後藤田正純
ごとうだ まさずみ
出身地
東京都
初当選
2000年(第42回衆議院議員総選挙)
最終学歴
慶應義塾大学商学部
主な前職
会社員、国会議員秘書
政界入り
民間企業から
生年月日 1969年8月5日
血液型 B型

後藤田正純氏は、三菱商事での会社員生活を経て衆議院議員となり、国政で8期を務めた後、徳島県政へ活動の場を移した政治家です。

政治家の親族がいる家庭環境の中で早くから政界を意識していましたが、大学卒業後はすぐ政治家になるのではなく民間企業へ進みました。この記事では、その少年時代から商社勤務、国政での歩み、徳島県知事になるまでをたどります。

後藤田正純氏を理解する3つのポイント
  1. 幼い頃から政治家を志していましたが、大学卒業後は三菱商事で社会経験を積みました。
  2. 衆議院議員を8期務め、金融政策、行政監視、復興政策、内閣府の幅広い分野に関わりました。
  3. 国政終盤に徳島県政との距離が大きな政治テーマとなり、2023年に衆院から知事へ転身しました。

後藤田正純の生い立ち|政治を身近に感じて育った少年時代

後藤田正純氏は1969年8月5日、東京都で生まれました。本籍地は徳島県吉野川市美郷です。

親族には大叔父の後藤田正晴氏や、社会党の衆議院議員だった井上普方氏がいました。本人は幼い頃から政治に関心を持ち、国会議事堂にも足を運んでいたと振り返っています。

小学校6年生の卒業文集には、すでに政治家になりたいと書いていました。

小学校6年生のときの卒業文集に、政治家になりたいと書きました。

出典:私のカクゴ「衆議院議員 後藤田正純 ごとうだまさずみの私のカクゴ」(公開日記載なし)

政治家という職業を後から知ったのではなく、少年期の段階から将来の進路として意識していたことが分かります。

後藤田正純の学歴|筑駒から慶應へ 「社会を知れ」で選んだ商社勤務

学歴一覧後藤田正純の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
中学校筑波大学附属駒場中学校――中高一貫
高校筑波大学附属駒場高等学校―77(2026年度版)―
大学慶應義塾大学商学部65.0〜67.5(商学部・2027年度参考)卒業

※偏差値・難易度は後藤田氏の在学当時ではなく現在の目安です。

筑波大学附属駒場中学校、筑波大学附属駒場高等学校を経て、慶應義塾大学商学部へ進学しました。

大学時代には、大叔父・後藤田正晴氏の秘書を約1年間経験しています。政治家を目指していた後藤田氏に対し、正晴氏が伝えたのが「社会を知れ」という言葉でした。

後藤田氏自身は、この助言を受けて商社勤務を選んだ時期を人生のターニングポイントとして挙げています。

1993年3月に慶應義塾大学を卒業すると、同年4月に三菱商事へ入社しました。政治家の秘書からそのまま選挙へ進むのではなく、企業社会へ身を置いたことになります。

三菱商事では約5年間勤務し、1998年に退社しました。翌1999年には自由民主党徳島県第3選挙区支部長となり、本格的に国政選挙への準備へ入ります。

後藤田正純の経歴|徳島3区から始まった国政22年

初めて国政選挙へ立ったのは2000年6月の第42回衆議院議員総選挙でした。徳島3区から自由民主党公認で出馬し、77,301票を獲得します。

30歳で初当選し、衆議院議員としての政治生活が始まりました。

2003年、2005年と連続当選し、自民党が大きく議席を減らした2009年総選挙でも徳島3区の議席を守りました。この選挙では民主党の仁木博文氏との差が1,222票まで縮まっています。

2012年にも徳島3区で当選。衆議院の選挙区定数削減に伴う区割り変更後は徳島1区へ移り、2014年と2017年の総選挙でも議席を得ました。

貸金業制度改正で譲らず、政務官を辞任

国政時代の行動をよく表している出来事の一つが、2006年の内閣府大臣政務官辞任です。

2005年11月、経済財政政策・金融を担当する内閣府大臣政務官に就任しました。当時、消費者金融などの貸金業制度をめぐって、利息制限法の上限を超えるいわゆる「グレーゾーン金利」の見直しが進んでいました。

後藤田氏は上限金利引き下げを進める立場でしたが、金融庁案に特例金利や長い経過措置が盛り込まれたことに反発します。

中途半端な結論と妥協は政治家として容認できず

出典:J-CASTニュース「メガバンク空前の利益 これは『金利談合』だ 後藤田正純・衆議院議員インタビュー」(2006年9月16日)

辞意を示した後、2006年9月8日に政務官を正式に免官されました。その後は一議員として貸金業制度の議論に関わりました。

人生年表 後藤田正純さんの歩み
1969年8月5日
東京都で生まれる
本籍地は徳島県吉野川市美郷
1985年3月
筑波大学附属駒場中学校を卒業
1988年3月
筑波大学附属駒場高等学校を卒業
1993年3月
慶應義塾大学商学部を卒業
大学時代に大叔父・後藤田正晴氏の秘書を約1年経験
1993年4月
三菱商事株式会社に入社
1998年
三菱商事株式会社を退社
1999年
自由民主党徳島県第3選挙区支部長に就任
2000年6月
第42回衆議院議員総選挙で初当選
徳島県第3区
2005年11月
内閣府大臣政務官に就任
経済財政政策・金融担当
2006年9月8日
内閣府大臣政務官を辞任
貸金業制度見直しをめぐり辞意を示し正式に免官
2009年
自由民主党徳島県支部連合会会長に就任
2012年10月
衆議院決算行政監視委員長に就任
2012年12月
衆議院東日本大震災復興特別委員長に就任
2013年9月30日
内閣府副大臣に就任
2014年12月
徳島県第1区から衆議院選挙に当選
区割り変更後の選挙区
2021年10月
第49回衆議院議員総選挙で比例復活当選
徳島1区では敗れ、比例四国で8期目
2023年1月
衆議院議員を辞職
徳島県知事選への出馬に向け国政を離れる
2023年4月9日
徳島県知事選挙で初当選
130,993票
2023年5月18日
徳島県知事に就任

委員長・内閣府副大臣として広がった政策分野

国会では金融だけでなく、行政監視や震災復興、雇用、ITなどへ活動分野を広げました。

2012年10月に衆議院決算行政監視委員長、同年12月には東日本大震災復興特別委員長を務めました。

2013年9月には第2次安倍内閣で内閣府副大臣に就任。沖縄・北方対策、科学技術、宇宙政策、IT政策、規制改革など内閣府が所管する幅広い分野を担当しました。

党内では政調会長代理、副幹事長なども経験しています。徳島では2009年に自民党徳島県支部連合会会長となりました。

徳島県政との対立が表面化した国政終盤

国政で当選を重ねる一方、徳島では県政や自民党県連との距離が目立つようになります。

2019年の徳島県知事選では、自民党県連が現職の飯泉嘉門氏を推薦する中、後藤田氏は別の候補を支援しました。その後も飯泉県政への批判を続け、県連との対立が深まります。

2021年の衆院選を前に、自民党徳島県連は後藤田氏を公認しないよう党本部へ申し入れました。最終的には党本部が公認しましたが、徳島1区では無所属の仁木博文氏が99,474票、後藤田氏は77,398票でした。

2021年は徳島1区では落選しましたが、比例四国ブロックで復活当選し、衆議院議員としては8期目となりました。

2000年の初当選以来、初めて小選挙区で議席を得られなかった選挙でした。

翌2022年には、翌春の徳島県知事選について問われ、国政から県政へ軸足を移す考えを具体的に語り始めます。

一歩先の日本を徳島から実証する

出典:MBSニュース「自民・後藤田正純氏が徳島県知事選に“関心示す”」(2022年10月16日)

衆議院を辞め、徳島県知事選へ

2023年1月、後藤田氏は衆議院議員を辞職しました。1月6日の記者会見では、徳島県知事選へ無所属で立候補することを正式に表明します。

徳島再生、県政刷新が大きなテーマ。

出典:徳島新聞「後藤田氏が知事選出馬表明『徳島再生、県政刷新』 新ホールは見直し」(2023年1月7日)

選挙には後藤田氏のほか、元参議院議員の三木亨氏、5期20年知事を務めていた飯泉嘉門氏、共産党新人の古田元則氏が立候補しました。保守系候補が複数立つ構図です。

後藤田氏は130,993票を獲得して初当選し、2023年5月18日に徳島県知事へ就任しました。

初日の記者会見では、国会議員と首長の違いについて、生活上の困難を抱える人へ直接対応できることを挙げています。

県知事という立場ですぐに手を差し伸べることができる

出典:徳島県「令和5年5月18日 臨時記者会見 フルテキスト版」(2023年5月18日)

県政の軸は「安心度・魅力度・透明度UP」

知事就任後に策定した「徳島新未来創生総合計画」では、「未来に引き継げる徳島」を基本理念に掲げています。

2026年度版は「安心度UP」「魅力度UP」「透明度UP」の3つをミッションとし、17の戦略、75の戦術、93のKPIを設定しています。

後藤田氏が国政から地方行政へ移った背景には、22年間の国会議員経験から持つようになった地方政策への考えがあります。

地方が動かなければなにも変わらない

出典:自治体通信Online「変化を恐れず、未来志向の挑戦を重ね、『地方創生戦国時代』を勝ち抜く」(2024年8月9日)

行政改革と「透明度UP」

県政運営では、自らの知事在任を最長3期12年とし、退職金を受け取らない制度を導入しました。

県庁内部では、初めての当初予算編成に合わせて特別会計を20から16へ整理し、審議会等の削減や組織再編、職員の超過勤務対策にも着手しました。

賃上げと地域経済

地域経済では賃金、企業の生産性、新事業創出を一体で扱い、中小企業支援やM&A、スタートアップ支援を進めています。

県民所得や最低賃金など、暮らしと企業活動の双方に関わる数字を自ら発信している点も、県政での経済政策の見せ方の一つです。

「徳島バッテリーバレイ構想」

産業政策で象徴的なのが、蓄電池関連企業の集積を目指す徳島バッテリーバレイ構想です。

2030年を目標年として、関連産業の製造品出荷額等を2022年の1,603億円から3,000億円へ、従業員数を4,232人から5,000人へ増やすKPIを設定しました。

方策には生産性向上、人材育成・確保、新事業展開・企業誘致、情報発信を置き、国への制度要望や関連企業との連携も進めています。

既存の蓄電池産業を県の産業集積政策へ発展させる取り組みとして位置付けられています。

教育・子育てと若い世代の参加

「安心度UP」では、子育て支援、教育、医療・福祉、防災など生活基盤に近い政策をまとめています。

学校の校則を生徒自身が考えて変える取り組みを発信するなど、若い世代を行政サービスの受け手だけでなく、地域や学校のルールづくりに参加する主体として扱う姿勢も示しています。

観光と徳島の外への発信

「魅力度UP」では、国内外から徳島を訪れる人を増やすため、航空路線、観光コンテンツ、県産品の販路拡大などを進めています。

2026年6月には徳島阿波おどり空港の利用実績について、国際線利用者の増加や年間利用者100万人超が3年続いたことを発信しました。

県南部では海や自然そのものを観光資源として扱い、地域ごとに異なる魅力の発信にも力を入れています。

文化と広域交通

阿波おどりをはじめとする文化資源についても、観光や地域経済と結び付けながら発信しています。

交通インフラでは四国の新幹線実現へ向け、四国各県や経済界と国への要望を続けています。2026年度には基本計画路線を対象とした国の調査をめぐる動きもありました。

県立新ホールの見直しと県議会で生まれた論点

知事選で具体的な争点となった一つが、新しい県立ホールの整備でした。後藤田氏は2023年の出馬表明時、従来計画を白紙から見直す方針を示しています。

知事就任後は事業費や工期を再検証し、従来とは異なる藍場浜公園西エリアでの新ホール整備へ計画が進みました。

一方、事業をめぐる後藤田氏自身のSNS発信は県議会で問題となりました。2024年10月8日には「後藤田正純知事に対する問責決議案」が提出され、賛成25、反対25、退席1で否決されています。

問責決議案では、議会審議中の新ホールについてSNSで発信した姿勢などが批判されました。これは問責決議が可決された事例ではなく、決議案が提出され、採決で否決された出来事です。

その後も整備手続きは進み、2026年7月には基本・実施設計業務の公募型プロポーザルで優先交渉権者が選定されました。

国政時代から行政の支出や制度を問題にしてきた後藤田氏にとって、大型公共施設の見直しは県政でも具体的な政策判断となりました。同時に、その進め方や情報発信は県議会との関係を問われるテーマにもなっています。

動画で聞く、国政から県政へ移る理由

衆議院議員を辞職して徳島県知事選へ向かった理由は、本人が2023年2月に公式YouTubeでまとまった形で説明しています。

後藤田正純氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

独立行政法人のガバナンス

研究開発と人材流動化

多重債務と消費者保護

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

後藤田正純氏の現在情報

2026年9月4日 時点
現在の公職 徳島県知事
現在の所属 自由民主党
選挙区・選出地域 徳島県
現在の期・任期 徳島県知事1期目
現在の主な役職
全国知事会 理事 関西広域連合 広域医療担当委員

2026年8月28日の定例会見で、2027年春に見込まれる徳島県知事選への再選出馬に意欲を示しました。2026年9月4日時点で正式な出馬表明時期は確認できません。

関連書籍
後藤田正純さんの著書・関連書籍
政治家の覚悟国民の覚悟
書籍
政治家の覚悟国民の覚悟
著者:後藤田正純 / 出版社:扶桑社 / 発売日:2008年06月10日頃

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選挙歴 後藤田正純の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬・初当選
徳島県 第3区 自由民主党 当選 77,301票 1位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
2期目
徳島県 第3区 自由民主党 当選 85,671票 1位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
3期目
徳島県 第3区 自由民主党 当選 88,581票 1位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
民主党候補の仁木博文氏との差は1,222票
徳島県 第3区 自由民主党 当選 81,581票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
5期目
徳島県 第3区 自由民主党 当選 70,197票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
区割り変更後、徳島1区から立候補
徳島県 第1区 自由民主党 当選 92,166票 1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
7期目
徳島県 第1区 自由民主党 当選 90,281票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり(比例四国ブロック)
小選挙区では仁木博文氏に敗れ、比例四国ブロックで8期目の当選
徳島県 第1区 自由民主党 比例復活当選 77,398票 2位
徳島県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
新人4人による選挙で初当選
徳島県 無所属 当選 130,993票 1位
政治人生の転機 後藤田正純の政治人生の転機
01
大学時代~1993年
大叔父の秘書経験から三菱商事へ
大叔父・後藤田正晴氏の秘書を約1年間経験し、「社会を知れ」と勧められた後、三菱商事へ入社しました。
なぜ転機なのか 幼少期から政治を志しながら、政界へ直行せず民間企業で働く進路を選んだため。
02
2000年6月
徳島3区で衆議院議員に初当選
第42回衆議院議員総選挙へ自民党から立候補し、77,301票で初当選しました。
なぜ転機なのか 三菱商事勤務を経て国政へ進み、以後8期にわたる衆議院議員生活が始まったため。
03
2021年10月
小選挙区敗北と比例復活
徳島1区で仁木博文氏に敗れましたが、比例四国ブロックで復活当選しました。
なぜ転機なのか 2000年の初当選以来初めて小選挙区で議席を得られず、その後の県政転身へ向かう時期と重なったため。
04
2023年
衆院8期から徳島県知事へ
衆議院議員を辞職して徳島県知事選へ立候補し、4月9日に初当選しました。
なぜ転機なのか 20年以上続けた国政を離れ、行政の執行責任を担う首長へ政治活動の軸を移したため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー
その他の参考資料

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