近藤昭一氏は、愛知3区を政治基盤として長く国政に携わってきた政治家です。環境、平和、人権、立憲主義などを政治活動の柱としてきました。
政治家になる前には中日新聞社で文化事業に携わり、その前には中国留学や海外旅行も経験しています。この記事では、少年時代から政界入り、その後の政治人生までを時系列でたどります。
- 水泳と海外交流が身近にあった少年・学生時代を送りました。
- 中日新聞社の文化事業局から、新党運動を経て国政へ進みました。
- 環境政策と平和・立憲主義を長く政治活動の柱としてきました。
名古屋で育った水泳少年時代
近藤昭一氏は1958年5月26日、愛知県名古屋市に生まれました。母親の実家は、現在の南知多町にあたる旧内海町で薬局を営んでおり、幼い頃から海で泳いで過ごしていました。
本人は、旧内海町の海と豊かな自然を自身の「原点」としています。自然との距離が近い幼少期でした。
名古屋市立亀島小学校では5、6年生で水泳部に所属し、中日スイミングクラブから全国大会へ出場。リレーで3位に入りました。6年生の時には、指導教員のもとで小学校のアマチュア無線局を開局した経験もあります。
名古屋市立笈瀬中学校でも水泳を続け、3年生の時には名古屋市大会の100メートル自由形で2位となりました。この頃、名古屋市とロサンゼルス市の交流を通じて、アメリカ人高校生のホームステイも受け入れています。
千種高校から上智大学へ、北京留学で見た世界
1974年4月、愛知県立千種高等学校へ進学しました。高校でも水泳部に所属し、1年生の夏には初めて米国ロサンゼルスを訪れています。
高校卒業後は1年間の浪人生活を経て、1978年4月に上智大学法学部法律学科へ入学しました。大学ではアスペンスキークラブに所属し、学生インストラクターも経験。オールソフィアスキー大会の基礎の部で2回優勝しています。
大学在学中の1981年9月には休学して中国の北京語言学院へ留学しました。約1年半、語学だけでなく各国から集まった留学生と交流し、中国国内に加えてシベリア鉄道で当時のソ連やヨーロッパも回っています。
留学中、イスラエルとの紛争激化によってパレスチナから来ていた留学生が本国へ呼び戻される場面に接しました。本人は、この出来事が「平和」について考える機会になったと振り返っています。
中日新聞文化事業局で博覧会や展覧会を担当
1984年3月に上智大学を卒業すると、同年4月に中日新聞社へ入社しました。ただし、記者として取材現場を歩いた経歴ではなく、勤務先は文化事業局です。
名古屋デザイン博の「ガウディの城」、ぎふ未来博の「山東竜館」、黄河文明展などを担当しました。最後に準備した仕事は「パウル・クレー展」で、作品借用の交渉のためスイス・ベルンにも赴いています。
ところが展覧会が実際に開かれる頃には、近藤氏はすでに新聞社を離れていました。
一人でぽつんと残されたような感じになったときのギャップの大きさは、かなりつらいものがありました。
出典:近藤昭一公式サイト「略歴」(公開日記載なし)
新聞社を離れ、政治の渦中へ
近藤氏は入社から10年ほどで一度、自分の生き方を考えようとしていました。その時期に日本新党の結成など新党運動が起こり、日本政治が大きく動き始めます。
中日新聞社の加藤巳一郎会長に同行した約1週間の中国視察旅行でさまざまな話を聞いたことも、進路を考える材料になりました。父の近藤昭夫氏が名古屋市議だったことも政治への関心に影響していたと本人は記しています。
そして、1993年1月、中日新聞社を退社して国政参加に向けた活動を開始しました。
やはり政治を変えなくてはならない。そのためには傍観者ではなく、その渦の中でがんばりたい
出典:近藤昭一公式サイト「総論 オレンジ色のような『暖かい国・元気な国』へ」(2023年7月記)
近藤氏は武村正義氏を尊敬する政治家として挙げ、「環境主義」「民権政治」「行政改革」を理念として掲げました。1994年11月には、さきがけ愛知準備会代表として県支部づくりに携わります。
その後、1996年9月に民主党へ入党し、愛知県連副代表となりました。
1996年の初出馬、比例復活から始まった国政
1996年10月の第41回衆議院議員総選挙で、近藤氏は愛知3区から初めて立候補しました。小選挙区では3位でしたが、比例東海ブロックで復活し、初当選を果たします。
当時は中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へ移った最初の総選挙であり、近藤氏自身も新党さきがけから民主党へ移籍し、選挙区も直前に愛知5区から3区へ変更していました。
2000年、2003年、2005年と愛知3区で当選を重ねます。2003年には民主党「次の内閣」の環境大臣、2005年には衆議院青少年問題特別委員長、2007年には衆議院外務委員会筆頭理事を務めました。
2009年の衆院選では5回目の当選。同年9月、政権交代後の国会で衆議院総務委員長に就任しました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1996年 10月20日 |
第41回衆議院議員総選挙
初出馬・初当選
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 38,351票 3位 |
| 2000年 6月25日 |
第42回衆議院議員総選挙
衆議院議員2期目
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 95,533票 1位 |
| 2003年 11月9日 |
第43回衆議院議員総選挙
衆議院議員3期目
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 105,017票 1位 |
| 2005年 9月11日 |
第44回衆議院議員総選挙
衆議院議員4期目
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 110,799票 1位 |
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
衆議院議員5期目
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 153,735票 1位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
衆議院議員6期目
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 73,927票 2位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
衆議院議員7期目
|
愛知 3区 | 民主党 | 当選 | 82,422票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
衆議院議員8期目
|
愛知 3区 | 立憲民主党 | 当選 | 98,595票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
衆議院議員9期目
|
愛知 3区 | 立憲民主党 | 当選 | 121,400票 1位 |
| 2024年 10月27日 |
第50回衆議院議員総選挙
衆議院議員10期目
|
愛知 3区 | 立憲民主党 | 当選 | 103,624票 1位 |
| 2026年 2月8日 |
第51回衆議院議員総選挙
比例名簿同順位グループで惜敗率71.62%。衆議院の議席を失う
|
愛知 3区 | 中道改革連合 | 落選 | 70,464票 2位 |
環境副大臣として政策執行の側へ
近藤氏は初当選後、長く国会の環境分野に携わってきました。環境副大臣への就任会見では、初当選から約14年間のうち、およそ10年間を環境委員会で活動してきたと説明しています。
2010年9月、環境副大臣に就任。ちょうど同年10月には名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議、COP10が開かれる時期でした。
環境の課題というのは本当に、人類にとって非常に重要な問題だというふうに思っております。
出典:環境省「近藤副大臣就任記者会見録」(2010年9月21日)
就任後は地球温暖化、生物多様性、自然環境などを所管する政府側の立場となりました。2011年に副大臣を離れた後も、衆議院環境委員会筆頭理事などを務めています。
民主党、民進党、立憲民主党を経て10期へ
2012年の衆院選では愛知3区で2位となりましたが、比例東海ブロックで復活して6選。2014年には小選挙区で議席を取り戻しました。
党内では2015年に民主党幹事長代理、2016年に民進党副代表を務めます。2017年には立憲民主党の結党に参加し、副代表に就任しました。
同年の第48回衆院選で8選、2021年に9選。エネルギー政策では党エネルギー調査会会長、2022年には「次の内閣」のネクスト環境大臣として原子力問題を担当しています。
2024年10月の第50回衆院選で10回目の当選を果たし、翌11月には衆議院環境委員長に就任。2025年には立憲民主党代表代行を務めました。
2026年、中道改革連合への参加と議席喪失
2026年1月、衆院選を前に立憲民主党と公明党を母体とする中道改革連合が発足します。近藤氏も参加し、結党時の副代表に就任しました。
政治家としての果たすべき役割に向き合い、最大限の挑戦をするしかないと考えています。
出典:近藤昭一公式サイト「中道勢力を結集し、分断と対立の社会から共生と包摂の社会へ!」(2026年1月21日)
2月8日の第51回衆院選では中道改革連合から愛知3区に立候補しましたが、自民党の水野良彦氏に敗れました。比例東海ブロックにも重複立候補していたものの復活には届かず、10期続いた衆議院の議席を失いました。
選挙後は、党の結集過程や選挙結果について自ら検証する文章も公表しています。
中道惨敗という結果の責任の一因は私にあります。
出典:近藤昭一公式サイト「お詫びと今後への誓い」(2026年5月25日)
議席を失った後も、地元での街頭活動や会合を続けています。国会審議をオンラインで確認し、議員との意見交換も続けていると報告しています。
近藤昭一氏が重視してきた政策・政治姿勢
近藤氏の基本政策では、平和外交、経済と暮らし、原発ゼロ、環境保全、子ども・教育、人権と多様性を主要な柱として掲げています。
武力に依存しない平和外交と核廃絶
外交・安全保障では、武力による対立よりも外交と対話を重視してきました。核兵器禁止条約をめぐっても、日本政府による署名・批准を求める立場を示しています。
日本は唯一の被爆国として核廃絶を主導すべきだ。
出典:立憲民主党「日本被団協の『共同提出のつどい』に、近藤昭一代表代行らが出席」(2025年11月26日)
立憲主義と草の根民主主義
立憲主義については、憲法によって政治権力を制約する考え方を重視しています。また、政治の役割を市民の声を受け止めて政策へ反映することと位置付け、地元での対話型集会も続けています。
原発ゼロと再生可能エネルギー
エネルギー分野では原発に依存しない社会と再生可能エネルギーの拡大を掲げています。2022年には立憲民主党のネクスト環境大臣として原子力問題も担当しました。
環境保全を政策全体に
環境政策は、国政入り後から継続してきた分野です。地球温暖化対策、生物多様性、自然環境に加え、近年はPFASやアスベストなど健康に関わる環境問題についても政策課題として掲げています。
子どもと教育を社会全体で支える
子育てと教育では、人への投資を重視し、教育・子育て支援や奨学金返済支援を掲げています。医療、介護、保育、障害福祉など、生活を支えるサービスへの投資も政策に含めています。
人権・多様性と沖縄
人権政策ではジェンダー平等、選択的夫婦別姓、多様な人々が共に暮らせる社会を掲げています。沖縄の基地問題についても継続して発信しており、辺野古新基地建設などをめぐる党内議論を求めています。
近藤昭一氏の現在情報
2026年2月の衆院選で議席を失った後も、愛知3区を拠点に街頭活動、国政報告、若者との対話、平和・人権・環境を軸とした政治活動を継続しています。
本人の発信を動画で見る
本人の話し方や発信の様子を確認できる公式YouTube動画です。
-
生年月日、出生地、学歴、中国留学、中日新聞社勤務、政界入り、歴代役職、当選歴を確認
-
政界入りの理由、基本理念、主要政策を確認
-
環境副大臣就任と環境政策への本人発言を確認
-
2025年の立憲民主党代表代行職と核廃絶に関する発言を確認
-
中道改革連合への参加に関する本人の説明を確認
-
2026年1月の中道改革連合結党時に副代表へ就任したことを確認
-
2026年8月時点の現行党役員を確認
-
衆院選落選後の政治活動継続、街頭活動、総支部情報を確認
-
2026年衆院選の愛知3区投開票結果を確認
-
比例東海ブロックの名簿順位、惜敗率、比例復活の有無を確認
この記事の更新履歴
- 2026年8月28日 記事を新規作成。現況情報を確認

















































































