泉健太氏は、北海道で育ち、大学進学を機に京都へ移り、参議院議員秘書を経て国政へ進んだ政治家です。
学生時代には弁論だけでなく、阪神・淡路大震災や重油流出事故のボランティアにも参加しました。選挙では最初の落選から地域を歩き続け、やがて党代表を務めるまでになります。
- 北海道で少年時代を送り、進学した京都で弁論やボランティアに力を注ぎました。
- 国会議員秘書から衆院選へ挑み、最初の落選後も京都3区で活動を続けました。
- 民主党政権での政府経験、複数の政党再編を経て、立憲民主党代表も務めました。
札幌に生まれ、石狩で育った少年時代
1974年7月29日、札幌市の北海道大学病院で生まれました。4人兄弟の末っ子で、3歳ごろまでは札幌市北区屯田、その後は石狩の花川団地で育っています。
父は牧場を回って資料を販売する仕事をしており、幼い泉氏も車に乗って道南方面を回り、資料の入った箱を牛舎へ置く手伝いをしたことがありました。北海道の農業や畜産を身近に感じる家庭環境でもありました。
学校では学級委員や生徒会長を務めることがあり、歴史や時事ニュースにも関心を持っていました。スポーツでは野球に取り組み、高校まで甲子園を目指しています。
札幌開成高校で野球、京都の立命館大学へ
花川北中学校から北海道札幌開成高等学校へ進学しました。札幌開成を選んだ背景には、同校野球部が甲子園へ出場したことへの憧れもありました。
高校卒業後の1993年、京都市にある立命館大学法学部へ入学します。大学進学では貸与型奨学金を利用し、卒業すると返済が始まりました。
本当にローンですよ。
出典:泉健太公式サイト「誰が代表になっても奨学金政策は行う」(2021年11月21日)
後年、高校生から奨学金について尋ねられた際には、自身も卒業時に返済額の大きさを実感し、議員になってから返済を終えたと振り返っています。
大学では弁論とボランティア、京都で社会活動に関わる
立命館大学では弁論部で活動する一方、社会の現場へ足を運びました。1995年の阪神・淡路大震災では被災地支援に参加し、その後も日本海のナホトカ号重油流出事故、地球温暖化防止京都会議(COP3)などでボランティア活動を経験しています。
京都まつりや京都市長選挙の公開討論会では学生実行委員長を務め、大学から法学部長賞も受けました。政治家になる以前から、議論することと現場で動くことの両方に時間を使っています。
その後も災害支援、チャイルドライン、犯罪被害者支援、ホームレス支援などに関わり、消防団員としても長く活動してきました。
当事者の声に寄り添い、社会を変える
出典:泉健太公式サイト「経歴」(公開日記載なし)
福山哲郎参院議員の秘書から衆院選へ
1998年に立命館大学法学部を卒業すると、福山哲郎参議院議員の私設秘書として働き始めました。衆議院の公式プロフィールには福祉施設職員の経歴も記載されています。
2000年にはリクルート東京本社への採用が内定していましたが、民主党から出馬要請を受けました。25歳で京都3区から第42回衆院選へ初出馬します。
地盤、知名度、資金のいずれも十分ではない中、同世代のボランティアや地域の支援を受けて57,536票を獲得しました。しかし現職には届かず、最初の選挙は落選に終わります。
ここから京都3区で3年3か月にわたり活動を続け、2003年の総選挙へ再挑戦。前回から大きく票を伸ばし、84,052票で衆議院議員に初当選しました。
若手議員として当事者の声を議員立法へ
国会入り後は、内閣委員会理事や民主党政策調査会副会長などを経験しました。議員活動では、制度の利用者や被害当事者から聞いた声を法改正や運用改善へ結びつける取り組みも続けています。
その一つが過労死等防止対策推進法です。配偶者を過労死で亡くした遺族らの訴えを受け、超党派で成立を目指しました。このほか、子育て世帯から要望の強かった幼児2人同乗用自転車の利用環境整備や、電動アシスト自転車の基準見直しにも関わりました。
民主党政権で内閣府大臣政務官を経験
2009年の第45回衆院選では京都3区で121,834票を獲得して当選。民主党への政権交代後、鳩山内閣で内閣府大臣政務官に就任しました。
菅内閣でも大臣政務官を務め、政府側から政策を動かす経験を積みます。東日本大震災後には、与党震災ボランティア室の筆頭副室長として、被災地で活動する団体と政府との調整にも携わりました。
2012年、2014年の比例復活を経て京都3区補選で勝利
民主党が政権を失った2012年の衆院選では、京都3区でわずかな差で小選挙区を落としましたが、比例近畿ブロックで復活当選しました。2014年も小選挙区では2位となり、比例で議席を得ています。
2016年、自民党の宮崎謙介氏の辞職によって京都3区で補欠選挙が行われます。泉氏は民進党から立候補し、65,051票を獲得して当選。再び京都3区の小選挙区議席を得ました。
希望の党、国民民主党を経て新たな立憲民主党へ
2017年の衆院選では希望の党から京都3区に立候補し、小選挙区で当選しました。党では国会対策委員長を務めます。
2018年に国民民主党が発足すると国会対策委員長となり、2019年には政務調査会長へ。2020年9月、旧立憲民主党と旧国民民主党の一部などによる新たな立憲民主党が発足すると、泉氏は政務調査会長に就きました。
野党のあり方については以前から「提案」を前面に出す考えを発信しています。2020年の新党代表選の時期にも、自身のXで「提案型野党」について説明しました。
2021年、立憲民主党代表に選出
2021年10月の衆院選後、枝野幸男代表が辞任を表明すると、泉氏は代表選へ立候補しました。逢坂誠二氏、小川淳也氏、西村智奈美氏との4人による選挙です。
11月30日の第1回投票では189ポイントを獲得してトップとなりました。過半数には届かなかったため逢坂氏との決選投票となり、205ポイントを得て立憲民主党代表に選出されます。
気持ちをしっかり前に向けて、われわれは国民のために働く。
出典:立憲民主党「両院総会で、泉健太新代表」(2021年12月2日)
新執行部では、自身と代表選を争った候補者も主要役職に起用しました。代表就任後は「政策立案型政党」を掲げ、政策提案と行政監視を並行して行う路線を打ち出しています。
「普通の安心が得られる社会」を掲げた党代表時代
代表選で示した社会像は「普通の安心が得られる社会」でした。雇用、医療、介護、子育て、教育などを安定させ、中間層を厚くする政策を訴えています。
権力者が元気ではなく、庶民が元気な国にしていく。
出典:泉健太公式サイト「普通の安心が得られる社会・公正な政治行政」(2021年11月23日)
党代表としては2022年参院選、2023年統一地方選、衆参補欠選挙などを率いました。2024年には衆院3補選で立憲民主党候補が3選挙区すべてで勝利する一方、9月には代表任期満了に伴う党代表選が行われました。
2024年代表選で「日本を伸ばす」を掲げる
2024年9月の代表選には、現職代表として再選を目指して立候補しました。野田佳彦氏、枝野幸男氏、吉田はるみ氏との4人による選挙です。
代表選前夜には、自宅でスーツにアイロンをかける様子をXに投稿しています。党首選の最中にも日常の一面をそのまま発信する投稿でした。
基本コンセプトは、前向きに「日本を伸ばす」
出典:立憲民主党「代表選挙2024 泉健太候補」(公開日記載なし)
「人を伸ばす」「産業を伸ばす」「消費を伸ばす」を経済政策の柱とし、食料・エネルギーの国産化、格差是正、堅守防衛、教育無償化、安心、多様性の6分野を打ち出しました。
9月23日の第1回投票では143ポイントで3位となり、決選投票には進めませんでした。野田佳彦氏が新代表となり、泉氏は約3年間務めた代表を退任。新執行部では常任顧問となりました。
2026年、中道改革連合から10期目の当選
2026年の衆院選では、中道改革連合から京都3区に立候補しました。開票は接戦となりましたが、68,533票を獲得して小選挙区を制しています。
当選確実が伝えられたのは日付が変わった2月9日未明でした。本人はXでも京都3区での当選を報告しています。
衆院選後には中道改革連合の代表選が行われましたが、自身は出馬しない意向を表明しました。
泉健太氏が重視してきた政策・政治姿勢
人への投資と「日本を伸ばす」経済政策
経済政策では、企業の数字だけでなく「人」を起点にした成長を訴えてきました。教育や研究開発、人材育成への投資を増やし、産業の成長と所得向上、消費拡大へつなげる考えです。
2024年の代表選では、中小・地域企業を含む産業育成、可処分所得の増加、研究開発などを組み合わせた「人からはじまる経済再生」を掲げました。
教育無償化と子育て支援
教育では、学校給食や学費の負担軽減、給付型奨学金の拡充などを訴えてきました。若い世代の生活費負担を軽減し、親の所得に左右されず学べる環境を広げる方針です。
子育て政策では、児童手当や保育、働きながら子どもを育てられる環境の整備を重視しています。
食料・エネルギーの国産化
2024年に示した政策では、食料自給率とエネルギー自給率の向上を「国産化推進」として掲げました。海外依存を減らし、国内産業や地域の雇用につなげる構想です。
2026年3月の衆院予算委員会では、警察などが使用するドローンについても、セキュリティと国内生産基盤の観点から国産品導入を提案しました。
国産に切り替えていくべきではないか
出典:中道改革連合「衆院予算委 集中審議で泉、早稲田、吉田各議員が質問」(2026年3月12日)
対話外交と現実的な安全保障
外交・安全保障では「堅守防衛」という言葉を使い、日米同盟を基軸としながら、対話外交と現実的な防衛力整備を組み合わせる立場を示しています。
党代表を退いた後も、安全保障環境の変化に対応した政策について自ら発信しています。
防災と「安心社会」
災害対策では、避難場所の整備、独居世帯や介護施設を含む避難体制、インフラの強靱化などを重視しています。大学時代から災害ボランティアに関わってきた経験とは別に、政策として防災を社会の基盤に置いています。
2024年代表選では、災害だけでなく犯罪や病気への備えまで含めて「安心」を政策分野の一つに掲げました。
ジェンダー平等と多様性
選択的夫婦別姓、同性婚を可能とする法制度、差別解消など、多様な生き方を認める制度づくりも政策に掲げています。党代表時代には女性議員・役員の登用についても数値を示して取り組みました。
2025年には、政党の女性支持率をめぐる他党代表の発言に対し、女性側へ責任を求める考え方を明確に否定しています。
泉健太氏の現在情報
2026年3月の衆院予算委員会では、政府法案を国益・人権・平和・国民生活の観点から判断する姿勢を示し、警察等で使用するドローンの国産化などを提案しています。6月には教育予算拡充に関する団体要請にも参加しました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2000年 6月25日 |
第42回衆議院議員総選挙
初出馬
|
京都府 第3区 | 民主党 | 落選 | 57,536票 2位 |
| 2003年 11月9日 |
第43回衆議院議員総選挙
初当選
|
京都府 第3区 | 民主党 | 当選 | 84,052票 1位 |
| 2005年 9月11日 |
第44回衆議院議員総選挙
小選挙区当選
|
京都府 第3区 | 民主党 | 当選 | 92,249票 1位 |
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
小選挙区当選
|
京都府 第3区 | 民主党 | 当選 | 121,834票 1位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
比例近畿ブロックで復活当選
|
京都府 第3区 | 民主党 | 当選 | 58,735票 2位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
比例近畿ブロックで復活当選
|
京都府 第3区 | 民主党 | 当選 | 54,900票 2位 |
| 2016年 4月24日 |
衆議院京都府第3区選出議員補欠選挙
京都3区補欠選挙
|
京都府 第3区 | 民進党 | 当選 | 65,051票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
小選挙区当選
|
京都府 第3区 | 希望の党 | 当選 | 63,013票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
小選挙区当選
|
京都府 第3区 | 立憲民主党 | 当選 | 89,259票 1位 |
| 2024年 10月27日 |
第50回衆議院議員総選挙
9期目
|
京都府 第3区 | 立憲民主党 | 当選 | 82,823票 1位 |
| 2026年 2月8日 |
第51回衆議院議員総選挙
10期目
|
京都府 第3区 | 中道改革連合 | 当選 | 68,533票 1位 |
泉健太氏の政策構想を動画で見る
2024年の立憲民主党代表選への出馬会見では、「日本を伸ばす」を軸に、経済、教育、安全保障、国産化などの政策構想を本人がまとめて説明しています。
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2026年8月時点の党役職を確認
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第1回投票189ポイント、決選投票205ポイントで泉健太氏が代表に選出されたことを確認
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日本を伸ばす、国産化、格差是正、堅守防衛、教育無償化、安心、多様性などの政策構想を確認
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泉健太候補143ポイント、野田佳彦氏の新代表選出、泉氏の代表退任を確認
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京都3区で泉健太氏が小選挙区当選したことを確認
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2026年の国会活動、政府法案への判断姿勢、ドローン国産化提案を確認
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2003年以降の衆議院京都3区各選挙、2016年補欠選挙、2026年衆院選の公式結果を確認
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