米山隆一の経歴・学歴と生い立ち|医師・弁護士から新潟県知事、国政へ

米山隆一
ひと目でわかるプロフィール 米山隆一
よねやま りゅういち
出身地
新潟県北魚沼郡湯之谷村七日市新田(現・魚沼市)
初当選
2016年(新潟県知事選挙)
最終学歴
東京大学大学院医学系研究科 単位取得退学
主な前職
医師、大学教員・研究者、弁護士
政界入り
専門職から、政治家の後継として
生年月日 1967年9月8日

米山隆一氏は、医師、医学研究者、弁護士、新潟県知事、衆議院議員と、異なる分野を歩いてきた政治家です。

その経歴だけを見ると一直線に進んできたようにも見えますが、政治の世界では長い落選期を経験しました。魚沼で過ごした少年時代から、医療と法律の世界、幾度もの選挙を経た政治人生までをたどります。

米山隆一氏を理解する3つのポイント
  1. 魚沼の農家に生まれ、医師・研究者・弁護士を経て政治へ進みました。
  2. 国政選挙で4度落選した後、新潟県知事選で初めて公職を得ました。
  3. 知事辞職後に選挙政治へ戻り、衆議院議員を2期務めました。

魚沼の養豚農家で育った少年時代

米山氏は1967年9月、新潟県北魚沼郡湯之谷村七日市新田、現在の魚沼市に生まれました。実家は養豚農家で肉屋も営み、子どもたちも畑仕事や家業を手伝う家庭でした。

外で遊ぶより本を読むことを好み、図書館だけでなく書店でも多くの本を買ってもらったと振り返っています。決して豊かな家計ではなかったものの、両親は教育に必要なお金を惜しまなかったといいます。

地元の湯之谷村立井口小学校から、新潟大学教育学部附属長岡中学校へ進学しました。きっかけは、小学校の教師が附属中への進学を勧めたことでした。

あのまま湯之谷にいたら、私はそこまで勉強しようとは思わなかったと思います。

出典:マイ・スキップ「長岡あれこれ情報誌 マイ・スキップ」(2005年12月15日)

長岡で受験を身近に感じるようになった米山氏は、中学卒業後、新潟を離れて兵庫県の灘高等学校へ進みます。

灘高校から東京大学医学部へ

灘高校を卒業した1986年、東京大学教養学部理科三類に入学し、医学部医学科へ進学しました。1992年3月に医学部を卒業し、同年5月に医師免許を取得しています。

高校時代には政治家への関心もありましたが、当時は政治家になる具体的な道筋が見えていませんでした。職業として仕事内容を想像しやすく、人の役に立てる仕事として医学を選んだと語っています。

今振り返ってみれば、ひたすら政治家になりたかったなと思います。

出典:m3.com「医師から弁護士、そして政治家へ – 米山隆一・新潟県知事に聞く◆Vol.1」(2017年9月4日)

医学部卒業後は東京大学大学院経済学系研究科に進み、その後、医学系研究科にも在籍しました。医療だけでなく経済や制度にも関心を広げ、1997年には司法試験にも合格します。

本人は、法律を学ぶ中で、法案はわずかな文言の違いによって意味が変わることを意識するようになったと2005年のインタビューで話しています。後に国会の法務委員会で理事を務めることになりますが、法律との接点は政界入りより前から続いていました。

医師・研究者から弁護士へ広がった職歴

大学院在籍後は放射線医学総合研究所で研究に携わりました。1999年9月に茨城県東海村でJCO臨界事故が発生した際には同研究所の当直医で、被ばくした患者が搬送された現場にいました。ただし、重症患者は別の病院へ移され、米山氏自身は直接診療していないと説明しています。

2003年には米国へ渡り、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院の研究員となりました。同年、MRI撮像法に関する研究で医学博士号を取得しています。

2005年からは東京大学先端科学技術研究センターの医療政策人材養成講座で特任講師を務めました。2011年には医療法人社団太陽会の理事長となり、同年、おおたか総合法律事務所の代表弁護士にも就任しています。

2016年の知事選前には、週の前半を東京で弁護士として働き、後半は魚沼へ戻って訪問診療を行う生活を続けていました。

2005年、突然始まった最初の衆院選

米山氏の最初の立候補は、2005年の第44回衆議院議員総選挙でした。以前から交流のあった元衆議院議員の星野行男氏とは、将来の立候補について話をしていたといいます。

衆議院解散後、米国にいた米山氏は星野氏へ選挙を手伝うと連絡しました。ところが星野氏から返ってきたのは、自分を手伝わなくてよい、今回は自分が手伝うという趣旨の言葉でした。

予定より早く政治への入口が開き、自由民主党公認で新潟5区から初出馬します。しかし、田中眞紀子氏に敗れました。

衆院・参院で4度の落選を経験

最初の敗戦で政治を諦めることはありませんでした。2009年の衆院選にも自民党から新潟5区で出馬しましたが、再び田中眞紀子氏に敗れます。

その後は日本維新の会へ移り、2012年の衆院選に新潟5区から出馬。翌2013年には参議院新潟県選挙区にも挑戦しましたが、いずれも議席には届きませんでした。2005年から数えて国政選挙で4度続けて落選したことになります。

それでも国政を目指した理由について、2016年の取材では「制度を作りたい」という考えを語っています。医療、年金、介護、雇用などを個別の問題としてではなく、国の制度から変えることに関心を持っていました。

維新系政党の再編を経て、2016年には民進党に所属していました。ところが同年、新潟県政をめぐる状況が急変します。

人生年表 米山隆一さんの歩み
1967年9月
新潟県北魚沼郡湯之谷村七日市新田に生まれる
現・魚沼市
1980年3月
湯之谷村立井口小学校を卒業
1983年3月
新潟大学教育学部附属長岡中学校を卒業
1986年3月
灘高等学校を卒業
1992年3月
東京大学医学部医学科を卒業
1992年5月
医師免許を取得
1997年10月
司法試験に合格
1999年9月
JCO臨界事故発生時、放射線医学総合研究所で当直医
被ばく患者を直接診療はしていないと後年説明
2003年1月
ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院研究員
2003年3月
医学博士号を取得
2005年9月
第44回衆議院議員総選挙に初出馬
新潟5区・自由民主党公認、落選
2011年10月
おおたか総合法律事務所代表弁護士に就任
2016年10月
新潟県知事選挙で初当選
公選第20代新潟県知事
2018年4月
新潟県知事を辞職
2021年10月
第49回衆議院議員総選挙で国政初当選
新潟5区・無所属
2022年9月
立憲民主党に所属
新潟県連幹事長などを歴任
2024年10月
第50回衆議院議員総選挙で再選
新潟4区
2026年1月
中道改革連合に参加
2026年2月
第51回衆議院議員総選挙で落選
新潟4区

2016年、新潟県知事選へ進路を変える

2016年8月、当時の泉田裕彦知事が次の知事選への出馬を取りやめると表明しました。民進党は独自候補の擁立を断念し、自主投票を決定。一方、市民団体や共産党、生活の党、社民党などは、柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な候補者を探していました。

そこで出馬を求められたのが米山氏でした。県知事選へ出れば、所属していた民進党を離れ、長く目指してきた国政への道からもいったん離れることになります。

でも目の前に求められていることがあった

出典:withnews「医師で弁護士で新潟知事 米山さんって何者? 落選4回の過去も」(2016年10月25日)

立候補表明前夜のXには、進路を変えて県知事選へ挑む覚悟を短歌で投稿しました。

米山氏は民進党を離党し、無所属で立候補。柏崎刈羽原発について泉田県政の慎重な姿勢を引き継ぐ考えを掲げました。

10月16日の投開票で森民夫氏らを破り、5度目の選挙挑戦で初当選。公選第20代新潟県知事に就任しました。

2018年、任期途中で新潟県知事を辞職

知事就任から約1年半後の2018年4月、過去の女性との交際をめぐり、金銭の授受があったことが週刊誌で報じられました。米山氏は金銭の授受があった事実を認め、自身は交際の中でのことと考えていた一方、異なる受け止め方をされる余地があったと説明しました。

報道によって県政に混乱を生じさせたこと、自らの行動にけじめをつけることを理由に、2018年4月18日に辞表を提出しました。県議会は同月27日、退職に全会一致で同意しています。

本当に多くの方の負託、多くの方の信頼を裏切った

出典:新潟県「平成30年4月18日 新潟県知事 臨時記者会見」(2018年4月18日)

2021年、5回目の国政選挙で衆議院議員へ

知事辞職後、米山氏は再び選挙政治へ戻ります。2021年の第49回衆議院議員総選挙では、新潟5区から無所属で出馬しました。

この選挙で泉田裕彦氏、森民夫氏を上回り、衆議院議員として初当選。2005年の最初の衆院選から16年を経て、初めて国会の議席を得ました。

2022年9月には立憲民主党に所属し、新潟県連幹事長を務めました。国会では法務委員会理事、憲法審査会理事をはじめ、予算委員会、財務金融委員会、原子力問題調査特別委員会などで活動しています。

選挙区の区割りが変わった2024年の衆院選では、新潟4区から立憲民主党公認で出馬しました。選挙期間中には、本人のXでも投票を呼びかけています。

新潟4区では自由民主党の鷲尾英一郎氏、無所属の泉田裕彦氏との選挙戦を制し、衆議院議員として2期目の当選を果たしました。

選挙歴 米山隆一の選挙歴
横にスクロールできます
年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬。田中眞紀子氏が当選。
新潟 5区 自由民主党 落選 82,993票 2位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
田中眞紀子氏が当選。
新潟 5区 自由民主党 落選 86,453票 2位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
長島忠美氏が当選。
新潟 5区 日本維新の会 落選 35,720票 3位
第23回参議院議員通常選挙
定数:2 比例復活:該当なし
塚田一郎氏、風間直樹氏が当選。
新潟県 選挙区 日本維新の会 落選 107,591票 4位
新潟県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
新潟県知事に初当選。
新潟県 無所属 当選 528,455票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
衆議院議員として初当選。
新潟 5区 無所属 当選 79,447票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
衆議院議員として2期目の当選。
新潟 4区 立憲民主党 当選 93,764票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:比例北陸信越ブロックでも議席獲得なし
自由民主党の鷲尾英一郎氏が当選。
新潟 4区 中道改革連合 落選 62,446票 2位

米山隆一氏が取り組んできた政策・政治姿勢

物価高対策と雇用制度

経済政策では物価高を抑えることを前面に掲げ、金融政策だけに依存するのではなく、教育、研究開発、産業育成による成長を主張しています。

雇用では原則正規雇用化を掲げ、安定した雇用と所得を確保する制度改革を政策の柱に置いてきました。

医療・介護・年金などの社会保障

医師としての経歴を持つ米山氏が継続して扱ってきた分野が社会保障です。地方の医師確保、医療・介護・年金制度の持続性を政策課題に挙げています。

2025年4月のXでは、保険組合の統合や医療DXの活用によって、患者負担をできるだけ抑えながら医療費の伸びを抑制する案を示しました。

政治資金制度と民主的な政治

政治資金制度については透明性を高める改革を掲げています。憲法については、日本国憲法の下で平和、自由、民主主義を守り、一人ひとりが政治へ参加できる社会を政策として示してきました。

教育と選択的夫婦別姓などの多様性政策

教育では家庭の経済状況に左右されず学べる環境を掲げ、教育費負担の軽減を主張しています。多様性に関する政策として、選択的夫婦別姓、同性婚、LGBTQや性暴力被害者への支援も掲げています。

2025年6月には、立憲民主党が提出した選択的夫婦別姓法案の提出者として衆議院法務委員会で答弁しました。家族の姓と個人のアイデンティティーをめぐる制度設計について、法案提出者の立場から議論しています。

柏崎刈羽原発と防災・減災

原発政策は、新潟県知事選へ進む過程から長く扱ってきたテーマです。公式政策では、事故の検証や避難体制などを重視し、原発依存からの転換と防災・減災対策の強化を掲げています。

柏崎刈羽原発をめぐる状況が変化した後も発信を続けており、2026年8月3日のXでは、再稼働後も事故リスクや避難の問題が残っているとの認識を示しました。

農業の所得と持続性

農業政策では、資材・燃料費の上昇や担い手の高齢化を踏まえ、個別所得補償制度を通じて農業経営を支える考えを掲げています。

2026年8月には備蓄米の買い戻しと農家経営への支援についても発信しており、米どころ新潟の農業をめぐる価格と所得の問題を取り上げています。

政治人生の転機 米山隆一の政治人生の転機
01
2016年10月
4度の国政選挙落選から新潟県知事へ
国政選挙で4度落選した後、新潟県知事選に無所属で出馬し初当選。
なぜ転機なのか 初めて選挙で公職を得て、議員ではなく地方行政のトップとなったため。
02
2018年4月
新潟県知事を辞職
過去の交際をめぐる金銭の授受が報じられ、県政の混乱と自らの行動への責任から辞職。
なぜ転機なのか 知事としての任期途中で公職を離れることになったため。
03
2021年10月
衆議院議員へ初当選
新潟5区から無所属で出馬し、国政選挙5回目の挑戦で初めて衆議院議席を獲得。
なぜ転機なのか 知事辞職後に選挙政治へ復帰し、長く目指してきた国会議員となったため。
04
2026年2月
衆院選落選で議席を失う
中道改革連合から新潟4区に出馬したが落選し、衆議院議員としての2期の在職を終えた。
なぜ転機なのか 国会議員の立場を離れ、再び議席を持たない政治活動へ移ったため。

2026年、中道改革連合から衆院選に挑む

2026年1月、米山氏は中道改革連合へ参加しました。同年2月の第51回衆議院議員総選挙では、新潟4区から同党公認で出馬します。

選挙では自由民主党の鷲尾英一郎氏が当選し、米山氏は小選挙区で落選し、比例でも議席を得られませんでした。これにより、2021年から続いた衆議院議員としての在職はいったん終わります。

いずれにせよ、いいチャンスがあれば何であれやる

出典:日刊スポーツ「落選の米山隆一氏『いいチャンスがあれば何であれやる』今後は国政も自治体選挙も前向きに」(2026年2月15日)

落選後も新潟県内での政治活動は続きました。2026年7月のXでは、選挙を経験した仲間と再起を期す様子を投稿しています。

米山隆一氏の現在情報

2026年8月27日 時点
現在の所属 中道改革連合
現在の主な役職
中道改革連合新潟県第4区総支部代表

2026年2月の衆議院議員総選挙で落選後も、新潟県内で街頭活動や国政報告会などの政治活動を継続しています。

公式動画で見る2026年衆院選の米山隆一氏

本人事務所が運営する公式YouTubeでは、2026年衆院選の豪雪下で街頭演説や選挙活動を続ける様子を記録した密着動画が公開されています。文章だけでは分かりにくい話し方や地元での活動風景を確認できます。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー
その他の参考資料

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です