北海道ニセコ町の職員から町長となり、その後、国政へ進んだ逢坂誠二氏。地方自治の現場と国会の両方を経験してきた政治家です。
政治家になることを前提に学生時代を送っていたわけではありません。大学では薬学を学び、研究者を目指していました。進路が変わった背景には、故郷ニセコと家族の事情がありました。
- ニセコ町で育ち、大学卒業後は地元の町役場で行政の現場を経験しました。
- 35歳でニセコ町長となり、情報共有と住民参加を軸にした自治体運営に取り組みました。
- 町長から国政へ転じ、衆議院議員を6期務めながら地方自治や民主主義、教育などを訴えてきました。
ニセコで家業を手伝いながら育った少年時代
逢坂誠二氏は1959年4月24日、北海道ニセコ町で生まれました。食品小売店を営む家庭の長男です。
小学校1年生から高校時代まで、学校へ通いながらヤクルトや牛乳の配達、集金など家業の仕事を手伝っていました。
地元のニセコ小学校、ニセコ中学校を経て北海道倶知安高等学校へ進みます。高校も故郷に近い後志地域で過ごしました。
北海道大学薬学部で研究者を目指した学生時代
高校卒業後は北海道大学薬学部へ進学しました。政治や行政ではなく、当時目指していたのは研究者の道でした。
ところが大学4年生の夏、父親が病気になります。家族の事情を受け、研究者への進路を断念しました。
転勤のない地元の仕事を選び、1983年にニセコ町役場へ入庁します。大学で学んだ薬学から地方行政へ、大きく進路が変わりました。
町職員として約11年、住民と行政の距離に向き合う
ニセコ町役場では約11年間勤務しました。行政内部で仕事をする中で、住民と役場の間にある距離や、職員という立場で実現できることの限界を感じるようになります。
地域を良くしたい、その思いで私は公務員をしていました。
出典:逢坂誠二「なぜ政治家になったか」(2026年1月25日)
本人は、上司の指示の範囲で仕事をするだけでは、自分が考える地域づくりを進めにくいと感じたと振り返っています。
やがて、行政職員として提案する側ではなく、住民から選ばれて判断を担う側へ進むことを考えるようになりました。
35歳でニセコ町長へ、情報共有と住民参加を進める
1994年、ニセコ町長選挙へ初めて立候補し、35歳で初当選しました。当時、全国で最も若い町長でした。
町長となって力を入れたのが、行政情報を住民へ開き、町政の意思決定へ住民が参加できる環境づくりです。
予算や事業を住民に分かりやすく伝え、行政内部だけで情報を抱え込まない町政を進めました。その考え方は、2001年4月に施行されたニセコ町まちづくり基本条例にもつながっています。
「賛成はできないが、理解はできる」
出典:龍谷大学社会科学研究所「民主主義を『生きた学び』に──逢坂誠二先生とともに考える」(2026年7月23日)
町長時代には、意見が割れる問題でも多数決だけで急いで結論を出すのではなく、公開の場で議論を重ねる方法を取りました。公共温泉施設をめぐる議論は、本人が後年、対話型の自治を説明する際にも紹介しています。
町長時代には情報発信にも積極的で、FMアップルで「逢坂誠二の丁々発止」というラジオ番組にも出演していました。2026年には当時の共演者と約25年ぶりに対談しています。
1998年、2002年の町長選はいずれも無投票で当選し、町長を3期務めました。
自治体の現場から国政を目指した理由
町長を続ける中で、国の政策が自治体財政や地域運営へ直接影響する場面にも直面します。
特に国の地方財政改革が進む中、自治体の側だけで努力しても解決できない問題があると感じ、国政へ軸足を移す決断をしました。
現場の実情を踏まえた政策をつくりたい
出典:逢坂誠二「なぜ政治家になったか」(2026年1月25日)
2005年の衆議院議員総選挙では民主党の比例北海道ブロックから立候補し、国政へ初当選しました。ニセコ町長3期目の途中での転身です。
北海道8区で当選し、総理大臣補佐官・総務大臣政務官へ
2009年の衆議院議員総選挙では北海道第8区から立候補し、小選挙区で当選しました。
民主党政権では、2009年12月から鳩山由紀夫内閣の内閣総理大臣補佐官、2010年6月から菅直人内閣でも内閣総理大臣補佐官を務めました。地域主権や地域活性化などを担当しています。
2010年9月には総務大臣政務官に就任。町職員、町長として長く携わってきた地方行政を、国の側から扱う立場となりました。
2012年の落選から北海道8区へ復帰
2012年の衆議院議員総選挙では北海道第8区で敗れ、比例復活もできず議席を失いました。
国会議員ではない期間を経て、2014年の衆議院議員総選挙で北海道第8区を制し、国政へ復帰します。
2017年の衆院選は無所属で立候補。北海道第8区で125,771票を得て4回目の当選を果たしました。
その後は立憲民主党で政務調査会長、予算委員会野党筆頭理事、北海道連代表などを歴任します。
立憲民主党代表選への挑戦と党代表代行
2021年11月には立憲民主党代表選挙へ立候補しました。
代表選で前面に出したテーマの一つが、教育と人への投資です。
もっとも力を入れなければならないのは教育、人への投資だ
出典:立憲民主党「代表選挙」関連発信(2021年11月19日)
代表には選ばれませんでしたが、その後は立憲民主党代表代行に就任し、2024年9月まで務めました。
2024年の衆議院議員総選挙では北海道第8区から6回目の当選。同年11月には衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長となり、2025年9月には立憲民主党選挙対策委員長に就きました。
2026年の衆院選で議席を失い、政治活動を継続
2026年1月、逢坂氏は中道改革連合で選挙対策委員会事務局長、北海道第8区総支部長となりました。
同年2月8日の衆議院議員総選挙では北海道第8区から立候補。87,526票を得ましたが、自由民主党の向山淳氏に敗れ、比例復活もありませんでした。
衆議院議員としての6期目を終え、再び議席のない立場となりました。
選挙翌日の発信では、政治活動そのものを続ける考えを示しました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1994年 10月 |
ニセコ町長選挙
35歳で初当選。当時全国最年少の町長と本人公式プロフィールに記載。
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北海道 ニセコ町 | 無所属 | 当選 | 1位 |
| 1998年 10月 |
ニセコ町長選挙
無投票で再選
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北海道 ニセコ町 | 無所属 | 当選 | 無投票 |
| 2002年 10月 |
ニセコ町長選挙
無投票で3選
|
北海道 ニセコ町 | 無所属 | 当選 | 無投票 |
| 2005年 9月11日 |
第44回衆議院議員総選挙
比例単独候補として衆議院議員に初当選
|
比例北海道ブロック | 民主党 | 当選 | 民主党比例名簿による当選 |
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
小選挙区で初当選、衆議院議員2期目
|
北海道 第8区 | 民主党 | 当選 | 171,114票 1位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
自由民主党候補に敗れ、比例復活もならず議席を失う
|
北海道 第8区 | 民主党 | 落選 | 77,402票 2位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
国政へ復帰、衆議院議員3期目
|
北海道 第8区 | 民主党 | 当選 | 97,745票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
無所属で立候補し当選、衆議院議員4期目
|
北海道 第8区 | 無所属 | 当選 | 125,771票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
衆議院議員5期目
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北海道 第8区 | 立憲民主党 | 当選 | 112,857票 1位 |
| 2024年 10月27日 |
第50回衆議院議員総選挙
衆議院議員6期目
|
北海道 第8区 | 立憲民主党 | 当選 | 97,758票 1位 |
| 2026年 2月8日 |
第51回衆議院議員総選挙
自由民主党の向山淳氏108,229票に敗れ、比例でも議席を得なかった
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北海道 第8区 | 中道改革連合 | 落選 | 87,526票 2位 |
地方自治と対話を政治の土台に置く
逢坂氏の政治活動で長く続いているテーマの一つが地方自治です。国が一律に決めるだけではなく、地域が自ら判断できる仕組みを重視してきました。
2026年には龍谷大学で民主主義をテーマに講義し、多数決で結論を出すことだけでなく、異なる立場の人が対話を重ねる過程そのものを重視する考えを示しています。
自身の動画企画でも「村の寄り合い」を入り口に政治とは何かを語っており、国政だけを政治と捉えない姿勢が表れています。
公文書と情報公開を民主主義の問題として捉える
情報公開や公文書管理も継続して取り上げてきたテーマです。
日本の公文書管理制度をしっかりさせたい
出典:選挙ドットコム「立憲民主党代表選・逢坂誠二氏インタビュー」(2021年11月26日)
行政がどのように判断したのかを後から検証できる記録を残し、主権者が政治を判断するための情報へアクセスできることを重視しています。
教育と「人への投資」を重視
教育政策では、学校教育だけでなく、人材を育てるための公的投資そのものを重視しています。
2021年の立憲民主党代表選でも教育投資を主要テーマに掲げました。学校現場については教育予算の充実や教職員の環境改善などを訴えています。
子どもの社会参加についても関心があり、ニセコ町長時代には子ども議会を実施しました。子ども自身の提案が行政に反映される経験を、民主主義への参加につなげる考えです。
地域経済と第一次産業を支える政策
北海道を活動基盤としてきたことから、農林水産業や地域経済に関する政策も継続的に扱っています。
農林水産業については、生産者の所得を確保する仕組み、新規就業者への支援、生産施設への投資などを掲げています。地域で暮らし続けられる所得と仕事を確保することを政策の柱に据えています。
議席を離れた後も函館や道南地域で地域住民と接する活動を続けています。
原発依存を減らし再生可能エネルギーを進める立場
エネルギー政策では、原発への依存を減らし、再生可能エネルギーを拡大する立場を取っています。
北海道に近い青森県の大間原子力発電所については建設中止を求めており、国会議員時代には「原発ゼロ基本法案」の提出者にも加わりました。
生活者の負担と財政運営をどう両立させるか
家計政策では食料品の消費税負担、社会保険料、物価高への対応などを掲げています。一方で、歳出だけを拡大するのではなく財政運営の持続性も論点として発信しています。
政治の役割は、皆さんの命と暮らしを守ることです。
出典:逢坂誠二公式サイト(公開日記載なし)
逢坂誠二氏の現在情報
2026年2月の衆議院議員総選挙で議席を失った後も、道南を中心に政治活動を継続しています。
動画で語る「民主主義の原動力は情報」
逢坂氏は自身のYouTubeでも政治や民主主義について発信しています。2025年5月の動画では、主権者が判断するための情報と情報公開について、自身の考えを直接説明しています。
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生年月日、生い立ち、学歴、ニセコ町役場入庁、町長歴、国政経歴、政策、公式SNSを確認
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前衆議院議員6期、北海道第8区、所属、党役職、主要経歴を確認
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学歴、ニセコ町職員、ニセコ町長、衆議院議員、政府・党役職を確認
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町職員時代の問題意識、政治家を目指した理由、国政へ進んだ理由を確認
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地方自治、対話、民主主義に関する本人発言とニセコ町長時代の事例を確認
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政治活動、地域活動、政策発信を確認
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政治、民主主義、情報公開等に関する本人の動画発信を確認
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2026年衆院選北海道第8区の候補者、党派、得票数、結果を確認
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教育、人への投資、公文書管理などの政策姿勢を確認
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2005年9月11日の比例北海道ブロックからの初当選を確認
この記事の更新履歴
- 2026年8月28日 記事を新規作成。現況情報を確認

















































































