赤羽一嘉氏は、国土交通大臣や財務副大臣、経済産業副大臣などを務めてきた政治家です。その歩みをさかのぼると、東京の小さなパン屋で育った少年時代、中国で働いた商社マン時代、そして神戸で自ら被災した阪神・淡路大震災へとつながります。
政治家になる前には三井物産で約10年間勤務しました。北京駐在中には天安門事件にも遭遇しています。会社員から国政へ進み、その後30年以上にわたって政治活動を続けてきた人生を見ていきます。
- パン屋を営む家庭で育ち、ラグビーや海外での学びを経て商社マンになりました。
- 中国駐在や大震災での被災など、現場で経験した出来事が政治活動にも深く関わっています。
- 防災、交通、復興、教育、税制まで幅広く携わり、国土交通大臣など政府の要職も経験しました。
新宿の小さなパン屋で育った少年時代
赤羽一嘉氏は1958年5月7日、東京都新宿区中落合で生まれました。両親は駅前で小さなパン屋を営み、早朝から深夜まで働いていました。
家族が暮らしていたのは、店の2階にある狭い二間です。クリスマスイブの前夜には、山積みになったクリスマスケーキの箱の間で眠ったこともあったと振り返っています。幼い頃から店番を手伝うのが好きな子どもでした。
小学生では少年野球、中学生では卓球に取り組みました。高校に入ると競技はラグビーへ変わります。
高校ではラグビー全日本高校選抜へ
東京都立青山高等学校ではラグビーに打ち込みました。高校3年生になると、全日本高校選抜に選ばれるまでに成長しています。
大学は慶應義塾大学法学部政治学科へ進学しました。小田英郎教授のゼミでは、南アフリカのアパルトヘイト政策を専攻しています。
大学3年の夏にはゼミの仲間と南アフリカ、ケニアを訪問しました。現地で人種差別政策を目の当たりにした旅について、本人はその後の人生に大きな影響を受けた経験だったと振り返っています。
複数の奨学金を受けながら大学で学ぶ
大学生活では、日本育英会奨学金、慶應義塾奨学金、旭硝子奨学金の支給を受けました。奨学金を受けるための条件が多く、本人にとって簡単な手続きではなかったといいます。
1983年3月に大学を卒業すると、三井物産へ入社しました。学生時代とは異なる形で、海外と関わる生活が始まります。
三井物産で約10年、台湾・北京・南京へ
三井物産では約10年間勤務しました。台湾で中国語を学んだ後、北京や南京の事務所にも駐在し、中国語と英語を使いながら仕事をしています。
北京駐在中の1989年には天安門事件が発生しました。緊迫した状況の中から脱出する経験もし、日本と中国の関係や中国社会の変化を商社マンとして目の当たりにしています。
国会議員になった後、当時の経験を振り返りながら日中関係についてこう語りました。
「やはり毅然として言うべきことは言う」
出典:国会会議録検索システム「第131回国会 衆議院外務委員会 第3号」(1994年11月28日)
中国駐在中には、生まれたばかりの長男と離れて単身赴任を続けた時期もありました。日本へ戻った後、1993年の衆議院議員総選挙へ挑みます。
35歳で初当選し、会社員から国会議員へ
1993年7月、第40回衆議院議員総選挙の兵庫県第1区に公明党から立候補しました。110,791票を得て35歳で初当選し、三井物産の会社員から国会議員へ転じます。
その約1年半後、政治家としての歩みに大きく影響する災害が起きました。
阪神・淡路大震災で自宅も被災
1995年1月17日の阪神・淡路大震災。赤羽氏自身も神戸市東灘区の自宅で家族とともに被災しました。
発災直後に家を飛び出し、その後は自宅へ戻らず、被災地を回って救援活動を続けました。本人のプロフィールでは、この期間に体重が15キロ減ったと記されています。
着の身着のままで東京へ向かい、1月26日の衆議院予算委員会に出席。政府の初動対応を厳しく追及する中で発した言葉が残っています。
「天災じゃない、人災だ。」
出典:赤羽かずよし公式ウェブサイト「衆議院予算委員会(1995年1月26日)」(1995年1月26日)
震災後、「真実は現場にあり」を自身の信条に掲げるようになりました。2001年には衆議院災害対策特別委員長を務めています。
財務副大臣を経て、2009年に初めて落選
1996年は新進党から兵庫2区で当選。その後は公明党から議席を重ね、2005年11月には財務副大臣に就任しました。
しかし2009年8月の第45回衆院選では、兵庫2区で88,502票を得たものの落選します。1993年の初当選から続いてきた国会議員生活が、ここでいったん途切れました。
再び国政へ戻ったのは2012年です。第46回衆院選の兵庫2区で当選し、衆議院議員6期目に入りました。
経済産業副大臣として福島復興に入る
国政復帰後の2012年12月、経済産業副大臣兼内閣府副大臣に就任しました。東京電力福島第一原発事故を受けた原子力災害現地対策本部長も務め、福島の被災地へ入ります。
この時期に取りまとめへ関わったのが「福島イノベーション・コースト構想」です。廃炉、ロボット、エネルギーなどの新産業を浜通り地域へ集積し、雇用を生み出す構想として進められました。
政府を離れた後も福島を訪れ、構想の進捗や廃炉、地域産業の状況を継続して確認しています。
2019年、国土交通大臣として初入閣
2018年には衆議院経済産業委員長を務め、翌2019年9月11日、国土交通大臣兼水循環政策担当大臣として初入閣しました。
就任直後から台風などの災害が相次ぎ、防災・減災、国土強靱化、公共交通、観光、バリアフリーといった幅広い行政を担当しました。2020年9月に発足した菅内閣でも国土交通大臣に再任されています。
大臣就任時には、自身の仕事の進め方について次のように話しました。
「現場の声が政策に反映されたと皆さまが実感できるよう」
出典:赤羽かずよし公式ウェブサイト「命を守る防災・減災に総力」(2019年9月17日)
2019年10月には北海道で開かれたG20観光大臣会合の議長を務めました。新型コロナウイルス感染拡大後は、交通・観光業界が大きな打撃を受ける中で事業継続策にも携わりました。
9期、10期と兵庫2区で議席を重ねる
国土交通大臣を退任した後、2021年10月の第49回衆院選では兵庫2区で99,455票を得て9回目の当選。2024年10月の第50回衆院選でも同区を制し、当選回数は10回となりました。
党内では幹事長代行などを経て、2024年9月に公明党副代表へ就任。兵庫県本部の代表として地元政治にも関わってきました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1993年 7月18日 |
第40回衆議院議員総選挙
35歳で初当選
|
兵庫県 第1区(中選挙区) | 公明党 | 当選 | 110,791票 1位 |
| 1996年 10月20日 |
第41回衆議院議員総選挙
小選挙区制導入後の兵庫2区で当選
|
兵庫県 第2区 | 新進党 | 当選 | 63,676票 1位 |
| 2000年 6月25日 |
第42回衆議院議員総選挙
衆議院議員3期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 79,750票 1位 |
| 2003年 11月9日 |
第43回衆議院議員総選挙
衆議院議員4期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 83,379票 1位 |
| 2005年 9月11日 |
第44回衆議院議員総選挙
衆議院議員5期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 106,056票 1位 |
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
初当選以来5期務めた衆議院の議席を失う
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 落選 | 88,502票 2位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
3年余りを経て国政へ復帰。衆議院議員6期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 87,969票 1位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
衆議院議員7期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 78,131票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
衆議院議員8期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 89,349票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
衆議院議員9期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 99,455票 1位 |
| 2024年 10月27日 |
第50回衆議院議員総選挙
衆議院議員10期目
|
兵庫県 第2区 | 公明党 | 当選 | 70,018票 1位 |
| 2026年 2月8日 |
第51回衆議院議員総選挙
小選挙区から比例代表へ移り、11回目の当選
|
比例近畿ブロック | 中道改革連合 | 当選 | 個人得票なし(比例代表) 中道改革連合比例名簿1位 |
2026年、中道改革連合の結党に参加
2026年1月22日、中道改革連合の結党大会が開かれました。赤羽氏は副代表に就任し、新しい政党で活動を始めます。
同年2月8日の第51回衆院選では、それまで長く戦ってきた兵庫2区ではなく、比例近畿ブロックから立候補。比例名簿1位で11回目の当選となりました。
赤羽一嘉氏が取り組んできた政策
国会議員としての活動は、防災だけに限りません。学生時代の経験と結び付いた教育費負担、交通のバリアフリー、神戸・西宮の交通網、物流、社会保障と税制などにも長く関わってきました。
被災者生活再建支援法の改正
2007年の被災者生活再建支援法改正では、住宅の再建方法に応じて支援金を支給する制度へ見直されました。本人の実績ページでは、使途の自由化、所得制限を設けない仕組み、罹災証明に基づく迅速な支給を重視したとしています。
阪神・淡路大震災から年月がたっても、能登半島地震など各地の被災地へ足を運び、住まいやなりわいの再建を政策課題として扱っています。
自身も利用した奨学金制度の拡充
教育分野では、奨学金を受けた自身の学生時代とは別に、制度そのものの見直しを国会で取り上げてきました。
本人の実績として、奨学金の学力基準撤廃を訴え、当時の受給学生を約40万人から約140万人へ拡大したことや、返済不要の給付型奨学金の導入に関わったことを挙げています。
バリアフリーを「一人の声」から制度へ
車いすを利用する友人から、駅員に介助を頼む負担や周囲の視線について聞いたことを契機に、交通施設のバリアフリー化へ取り組みました。
駅のエレベーター整備などを進める交通バリアフリー法や、建築物の利用環境を改善するハートビル法に関わり、その後も新幹線の車いすスペースや障害者向け交通サービスを取り上げています。
神戸・西宮の交通網整備
地元では北神急行線の市営化、新神戸トンネルの阪神高速道路への移管による料金引き下げ、国道176号名塩道路の整備などに関わってきました。
神戸の将来について、2014年の当選後には次のように語っています。
「神戸で生まれ育った子が、神戸で働き、生活できるようにする。」
出典:神戸新聞NEXT「【当選者に聞く】赤羽一嘉さん 神戸ブランド世界へ」(2014年12月18日)
神戸空港についても、国際化や関西3空港の連携を含め、長期にわたって地域の交通政策として扱っています。
物流の人手不足と省人化
物流分野では、ドライバー不足や労働時間規制への対応として、自動化設備を導入する物流施設も視察してきました。2024年には作業工程の自動化や配送量の平準化について事業者から聞き取りを行っています。
「国民生活に支障が生じないよう、省人化に対する支援を進めていく」
出典:赤羽かずよし公式ウェブサイト「担い手不足 自動化で対応」(2024年2月21日)
米国関税への対応と国内事業者支援
2025年には米国の関税措置が日本企業へ及ぼす影響を調査し、自動車関連企業をはじめとする事業者の資金繰りや価格転嫁を政策課題として扱いました。
給付付き税額控除と勤労世帯への支援
2026年には、給付付き税額控除の具体化を議論する社会保障国民会議に参加しました。所得と社会保険料負担の関係を分析し、中間所得層より下の勤労世帯への支援を論点にしています。
「社会保険料の負担が重く、十分な支援が行き届いていない現状がある」
出典:中道改革連合「中道・立憲・公明の3党が『社会保障国民会議』に初参加」(2026年3月25日)
赤羽一嘉氏の現在情報
2026年8月時点では、社会保障・税制改革の協議に加え、福島や能登など被災地域の復興課題を継続して扱い、現地での調査や関係者との意見交換も続けている。
国会質疑で赤羽一嘉氏の議論を見る
公式YouTubeチャンネルには、2026年3月9日の衆議院予算委員会での質疑が公開されています。福島復興、能登半島地震からの復旧、物価高などを取り上げた約30分の質疑で、本人が国会でどのように論点を組み立てるのかを確認できます。
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出生地、学歴、三井物産勤務、国土交通大臣・副大臣歴、衆議院委員長歴、当選11回、選出地域を確認
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少年時代、家庭環境、高校時代のラグビー、大学生活、奨学金、三井物産、中国駐在、阪神・淡路大震災での被災を確認
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被災者生活再建支援法、奨学金制度、バリアフリー、北神急行線、新神戸トンネルなどの政策・実績を確認
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慶應義塾大学卒業、三井物産入社、衆議院当選歴、財務副大臣、経済産業副大臣兼内閣府副大臣、国土交通大臣就任を確認
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2019年9月11日の国土交通大臣就任、防災・減災、国土強靱化など就任時の政策課題を確認
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阪神・淡路大震災で家族と被災した事実、救援活動、国会での発言を確認
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北京・南京での商社マン駐在経験、天安門事件当時の経験、対中関係に関する本人発言を確認
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2026年の比例近畿選出、衆議院議員11期、副代表、税制調査会長、東日本大震災復興加速化本部本部長を確認
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2026年8月19日時点の副代表、税制調査会長、東日本大震災復興加速化本部本部長を確認
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神戸の地域政策、福島復興、地方創生などについての本人発言を確認
この記事の更新履歴
- 2026年8月28日 記事を新規作成。現況情報を確認

















































































