辻元清美氏は、市民活動の世界から国政へ入り、衆議院と参議院の両方で議席を得てきた政治家です。
一方、その道のりは一直線ではありません。国会議員になる前の活動、議員辞職と裁判、国政復帰、政府内での仕事、野党の国会運営、そして衆議院から参議院への転身まで、政治人生にはいくつもの大きな節目がありました。
- 奈良に生まれ、大阪を中心に育ち、学生時代から市民運動や国際交流へ参加しました。
- NGO活動から国会へ入り、議員立法、政府側の実務、野党の国会運営まで幅広く経験しています。
- 議員辞職や選挙での落選も経験しながら国政へ戻り、のちに衆議院から参議院へ活動の場を移しました。
奈良に生まれ、大阪を中心に育った子ども時代
辻元氏は1960年4月28日、奈良県吉野郡大淀町に生まれました。本人は生まれた場所を吉野郡大淀町下渕と振り返っており、その後は大阪を中心に育っています。
2024年に出版した児童向けの著書『女の子でも総理大臣になれる? 国会への道』では、自身を「小さなうどん屋の娘」として紹介しています。政治家の家に生まれ、家業を継ぐ形で国政へ進んだ人物ではありません。
本人の回想では、子どものころに在日韓国・朝鮮人への差別を目にし、中学校では社会科の教員から差別や戦争について学びました。高校生のころには作家・市民運動家の小田実氏と出会い、その後の市民活動にも関わるようになります。
早稲田大学で市民運動へ、ピースボートを設立
20歳だった1980年に上京し、早稲田大学教育学部で学びました。大学生活と並行して市民運動に参加し、反核運動などにも関わっています。
転機となったのが、1980年代初めの歴史教科書問題でした。若者たちがアジアの現場を自分たちで訪ね、直接話を聞こうと考えたことから、1983年にピースボートの設立に参加します。
船を借りる交渉では、最初は相手にされず、何度も企業を訪ねたと本人は振り返っています。その後も寄港先との交渉を重ね、異なる政治体制の国々を含む各地を訪問しました。
不可能を可能にする手段、それが政治ですよね。
出典:つじもと清美公式サイト「新しい政治の波を起こす起爆剤、接着剤でありたい」(2010年9月17日)
1992年の国連地球サミットにも足を運び、海外ではNGOが政府代表団とともに政策形成へ参加する姿を見ました。阪神・淡路大震災が起きた1995年には、ピースボートも支援物資の輸送やボランティア活動に取り組みます。
1996年の衆院選への立候補にあたり、辻元氏はピースボートのすべての役職から退きました。
1996年、市民活動から衆議院へ
政治家になることを以前から計画していたわけではありません。1996年の総選挙直前、社会民主党党首に復帰した土井たか子氏から出馬を求められ、短期間で立候補を決断します。
第41回衆議院議員総選挙の比例近畿ブロックで初当選。市民活動を続けてきた立場から、国会で法律をつくる側へ移りました。
最初の衆院在職期に深く関わったのがNPO制度です。1996年の選挙ではNPO法と情報公開法の制定を公約に掲げ、その後、特定非営利活動促進法の成立に取り組みました。
被災者生活再建支援法、情報公開法、男女共同参画社会基本法、児童買春・児童ポルノ禁止法などにも関わっています。2000年の衆院選では、大阪10区から出馬して小選挙区で再選しました。
2002年の議員辞職と裁判、2005年の国政復帰
2002年3月、政策秘書給与をめぐる問題が表面化し、辻元氏は衆議院議員を辞職しました。
2003年7月には詐欺容疑で逮捕され、その後起訴されました。裁判では詐欺の事実を認め、2004年2月、東京地方裁判所から懲役2年、執行猶予5年の有罪判決を受けます。控訴せず、判決は確定しました。
同年7月には無所属で参議院大阪府選挙区に立候補しましたが、定数3に対して4位となり落選。718,125票を得ましたが、議席には届きませんでした。
翌2005年、社会民主党から衆議院大阪10区へ立候補。小選挙区では2位だったものの、比例近畿ブロックで復活し、約3年半ぶりに国会へ戻りました。
政権交代で国土交通副大臣へ
2009年の衆院選では大阪10区で当選。民主党を中心とする政権へ交代すると、連立政権に加わった社会民主党から国土交通副大臣に就任しました。
担当したのは運輸、交通、観光、危機管理などです。交通基本法、ダムだけに頼らない治水、バリアフリー、住宅政策、関西の空港問題、JAL再建など、国土交通行政の内側で政策実務に関わりました。
国交省が変われば日本が変わる
出典:つじもと清美公式サイト「つじとも通信 VOL.18」(2010年6月10日)
2010年5月、普天間飛行場移設問題をめぐり社会民主党が連立政権を離脱すると、国土交通副大臣を辞任。同年7月には社会民主党を離党し、その後は無所属を経て民主党へ入りました。
東日本大震災で災害ボランティア担当の首相補佐官
2011年3月の東日本大震災後、菅直人内閣で災害ボランティア活動担当の内閣総理大臣補佐官に就任しました。
政府、自治体、自衛隊だけでなく、NPOやボランティアをどう連携させるかを調整する役割です。ピースボートや阪神・淡路大震災での経験とは異なり、このときは政府側から民間支援との接点をつくる立場になりました。
その後の国会活動でも、防災時に行政と市民セクターが協力する仕組みやNPO政策を扱い続けています。
政党再編の中で民主党から立憲民主党へ
2012年の衆院選では大阪10区で敗れたものの、比例近畿ブロックで復活当選。2014年には大阪10区で小選挙区の議席を取り戻しました。
民主党から民進党へと政党再編が続いた後、2017年には立憲民主党の立ち上げに参加します。同年の衆院選でも大阪10区で当選しました。
結党後は、野党第一党で女性初となる国会対策委員長を務めます。与野党間の日程調整や法案審議、国会運営の交渉を担う役職で、約2年間担当しました。
立憲民主党では、その後も代表代行、衆議院予算委員会の野党筆頭理事、憲法審査会の野党筆頭幹事などを歴任しています。
2021年の衆院落選から参議院の全国比例へ
2021年10月の第49回衆院選では、大阪10区で2位となり、比例復活もできず落選しました。1996年の初当選から数えて衆議院議員は7期。長く活動してきた衆議院から、いったん離れることになります。
翌2022年1月、地元の高槻市で開いた報告会で、参議院の全国比例代表へ挑戦する意思を表明しました。
私は、どちらかというと山あり谷ありの議員活動でした。
出典:つじもと清美公式サイト「やっぱり、黙ってられへん。全国の声を国政へ。」(2022年2月2日)
大阪10区という一つの地域ではなく、全国を回る選挙へ変更。7月の第26回参院選では428,859.769票を得て、比例代表で参議院議員に初当選しました。
辻元清美氏が取り組んできた政策と政治姿勢
NPO・市民セクターを政策形成へつなぐ
政界入り以前から続くテーマが、市民団体やNPOを行政・政治と結び付ける仕組みづくりです。初当選後はNPO法の成立に携わり、法人格を持つ非営利団体が活動しやすい制度づくりを進めました。
政党側でもNPO関連予算の公開ヒアリングなどに関わり、各省庁の制度や予算へ市民団体がアクセスできる接点づくりを続けています。
みなさんの声をしっかり受け止めて、辻元の政策を作っていきたい。
出典:つじもと清美公式サイト「政治・民主主義編|つじもと清美が答える、みんなからの『これおかしくない?』」(2022年5月31日)
交通・住宅を生活インフラとして考える
国土交通分野では、鉄道や道路といった施設だけでなく、暮らしを支える交通や住まいを政策対象としてきました。副大臣時代には交通基本法、バリアフリー、公共交通、住宅のセーフティネットなどに取り組んでいます。
特に住宅では、独居高齢者や子育て世帯などが無理のない負担で住み続けられる仕組みを、厚生労働分野とも連携して整える考えを示しました。
ジェンダー平等と女性の政治参加
男女共同参画社会基本法の成立に関わったほか、女性議員を増やす取り組み、選択的夫婦別姓、政治分野のジェンダー格差などを継続的に扱ってきました。
2024年には、子ども向けに政治家の仕事や国会の仕組みを説明する本を出版しています。タイトルに「女の子でも総理大臣になれる?」と掲げ、女性が政治家を目指すこともテーマにしました。
子どもの権利や命をめぐる活動についても発信しており、2024年末には親子の心中や子どもの命を扱った報道と絵本の活動を自身のXで紹介しました。
憲法は国家権力を制限するルールという立場
憲法については、2000年代から衆議院の憲法調査会・特別委員会などで議論に参加してきました。2005年の委員会では、憲法を国家権力の行使に限界を設けるものと位置付けています。
憲法とは国民から国家に突きつけられたルールである
出典:つじもと清美公式サイト「2005年10月6日 日本国憲法調査特別委員会」(2005年10月6日)
参議院へ移ってからも憲法審査会に所属しています。憲法の条文だけでなく、国会議員の政治資金や審査会の運営も含め、議論の前提となる政治への信頼を問題として取り上げています。
戦争を防ぐ外交と平和構築
安全保障では、武力行使を抑え、外交、対話、紛争予防を重視する立場を取ってきました。ピースボート時代には、政治体制の異なる国への寄港交渉や、紛争当事者間の民間交流にも関わっています。
家族の戦争体験についても語っています。父方の祖父は太平洋戦争で亡くなり、遺骨も戻らなかったといい、祖母から戦時中に反対の声を出しにくかった社会の様子を聞いたと説明しています。
今回は「絶対に、黙っとられへん」。
出典:つじもと清美公式サイト「辻元清美は、なぜ戦争に反対するのか。」(2022年3月1日)
外交・安全保障をめぐっては、政府答弁が従来の政府見解と整合するか、法制度上の根拠がどこにあるかを国会質問やSNSでも取り上げています。
情報公開と政治の説明責任
初当選当時から情報公開法の制定を掲げ、国民が行政情報へアクセスできる仕組みを政治課題としてきました。国会では「知る権利」を法制度へどう反映するかについても発言しています。
インターネット上の情報をめぐる問題にも直面しています。2025年には、自身と当時の自民党総裁を写したように見えるAI生成の偽画像が拡散し、本人がXでフェイク画像だと否定しました。
生成AIによって政治家の行動そのものを偽装できる時代になり、政治情報の真偽確認という新しい課題も表面化しています。
辻元清美氏の現在情報
参議院では国土交通分野の委員会運営を担い、党ではジェンダー平等政策や、市民・NPO・党員等との接点をつくる活動に関わっています。2026年にもNPO関連予算の公開ヒアリングなど、市民セクターと行政を結ぶ取り組みに参加しています。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1996年 10月20日 |
第41回衆議院議員総選挙
比例単独候補として初当選
|
比例近畿ブロック | 社会民主党 | 当選 | 該当なし 社会民主党名簿1位 |
| 2000年 6月25日 |
第42回衆議院議員総選挙
小選挙区で当選
|
大阪府 第10区 | 社会民主党 | 当選 | 55,839票 1位 |
| 2004年 7月11日 |
第20回参議院議員通常選挙
上位3候補が当選
|
大阪府 選挙区 | 無所属 | 落選 | 718,125票 4位 |
| 2005年 9月11日 |
第44回衆議院議員総選挙
比例近畿ブロックで復活当選
|
大阪府 第10区 | 社会民主党 | 当選 | 68,614票 2位 |
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
小選挙区で当選
|
大阪府 第10区 | 社会民主党 | 当選 | 109,693票 1位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
比例近畿ブロックで復活当選
|
大阪府 第10区 | 民主党 | 当選 | 65,411票 2位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
小選挙区で当選
|
大阪府 第10区 | 民主党 | 当選 | 61,725票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
小選挙区で当選
|
大阪府 第10区 | 立憲民主党 | 当選 | 75,788票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
比例近畿ブロックでも当選に至らず
|
大阪府 第10区 | 立憲民主党 | 落選 | 66,943票 2位 |
| 2022年 7月10日 |
第26回参議院議員通常選挙
参議院初当選
|
比例代表 | 立憲民主党 | 当選 | 428,859.769票 立憲民主党候補者中1位 |
本人の言葉で25年の政治活動を振り返る
2025年12月の公式YouTube「清美チャンネル」では、国会議員としての在職25年をテーマに、これまでの政治活動を本人が振り返っています。
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生年月日、出生地、学歴、衆議院7期、参議院当選、政府・党役職、現在の委員会・公職を確認
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生い立ち、早稲田大学、ピースボート、市民活動、国政入り、主要な政治経歴・立法活動を確認
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2026年8月時点のジェンダー平等推進本部長、つながる本部長代行を確認
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2026年7月時点の国土交通委員長を確認
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秘書給与事件の認定内容と2004年2月12日の判決を確認
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1983年設立の背景、初航海、国際交流活動を確認
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参議院1期、比例代表、党役職、委員会、学歴、主要経歴、公式SNSを確認
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2004年参院大阪府選挙区の得票数、順位、定数を確認
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過去の衆議院大阪10区選挙結果を確認
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懲役2年・執行猶予5年の判決と、控訴せず確定したことを確認
この記事の更新履歴
- 2026年8月27日 記事を新規作成。現況情報を確認

















































































