久元喜造氏の歩みをたどると、神戸で過ごした少年期、東京で地方自治を学んだ学生時代、中央省庁と地方自治体を往復した行政官時代、そして故郷の市政へ戻るまでが一本の線につながります。
市長就任後の政策だけでなく、どのような生活や仕事を重ねて選挙に出る立場へ移ったのか。久元氏自身が残している回想も交えながら、その道のりを見ていきます。
- 神戸で育ち、大学卒業後は地方自治を担う旧自治省へ進んだ行政実務家です。
- 中央省庁だけでなく複数の自治体で勤務し、2012年に故郷・神戸の市政へ移りました。
- 初めて挑んだ市長選を制した後、都市交通、都心整備、空港、福祉など幅広い市政を担ってきました。
久元喜造の生い立ち|新開地で生まれ、鈴蘭台で育った少年時代
久元喜造氏は1954年2月1日、神戸市兵庫区の新開地界隈で生まれました。1960年に神戸市立川池小学校へ入学し、1964年に家族で鈴蘭台へ転居して神戸市立小部小学校へ転校しています。
当時の鈴蘭台周辺には田畑や山が身近にありました。友人と山中に基地をつくり、野山を歩き回り、近くの神社でも遊んでいたと振り返っています。
楽しい日々を送りました。
出典:久元喜造公式Webサイト「神戸での少年時代」(公開日記載なし)
山田中学校では生徒会長を務め、ため池で鮒を釣ることも好きだったそうです。身の回りでは、農村の生ごみに空き缶や即席麺の袋が混じり始めるなど、生活の変化も目にしていました。
中学3年生のときには母親が原因不明の病気で入院します。学校から病院へ見舞いに行き、東山商店街などで少しでも安い食材を買って帰宅し、弟と一緒に料理を作る生活が続きました。家庭の負担を抱えながら受験を続け、灘高等学校に合格しています。
久元喜造の学歴|灘高校から東京大学へ―住民参加を学んだ学生時代
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 神戸市立川池小学校/神戸市立小部小学校 | ― | ― | 転校 |
| 中学校 | 神戸市立山田中学校 | ― | ― | ― |
| 高校 | 灘高等学校 | ― | 79(2026年度版) | ― |
| 大学 | 東京大学 | 法学部 | 67.5(文科一類・2027年度参考) | 卒業 |
※偏差値・難易度は久元氏の在学当時ではなく現在の目安です。
1969年4月に灘高等学校へ入学しました。ベトナム反戦運動などで社会が揺れていた時代で、友人たちとは平和、国家、社会主義といった問題について議論したといいます。
1972年4月には東京大学文科一類へ進学。上京後は参宮橋駅近くにあった兵庫県育才会の尚志館で、兵庫県内の高校出身者たちと寮生活を送りました。
教養学部では平野健一郎氏の国際関係論ゼミに入り、政策決定過程を学びました。その後、本郷の法学部へ進み、行政学の西尾勝氏のゼミに入ります。
テーマは、住民参加でした。
出典:久元喜造公式Webサイト「東京での学生時代」(公開日記載なし)
さらに国際政治学者・坂本義和氏のゼミでも学びました。大学時代に行政学の「住民参加」を扱ったことは、久元氏の学生生活を示す具体的な研究テーマとして残っています。
自治省入り―国と自治体を往復した36年
石川県、消防庁、青森県で行政の現場を経験
東京大学法学部を卒業した1976年4月、旧自治省に入省しました。同年7月から石川県総務部地方課で勤務し、翌年には財政課へ移ります。
石川県時代には極めて長時間の勤務を経験し、仕事で分からなかったことを帰宅後に地方自治の参考書で調べてノートに書き込んでいました。後年は、このような働き方を若手職員にさせないことが大切だとも記しています。
1978年には消防庁防災課へ移り、大規模地震対策に関わりました。1981年からは青森県で企画や地方行政に携わり、県独自に導入されていた時刻制度の見直しなどにも関わっています。
京都府と札幌市で財政運営を担う
京都府では地方課長や財政課長を務めました。バブル期の1989年、将来の自然や文化遺産保全に備えるため、100億円規模の「緑と文化の基金」をつくる案を知事に提案し、認められたと振り返っています。
1992年4月には札幌市財政局長に就任しました。予算要求の一律的なシーリングに疑問を持ち、政策経費の要求枠を広げる方法へ調整したほか、地下鉄東西線の延伸、コンサートホール「Kitara」、札幌ドーム構想の具体化などにも関わりました。
札幌で見た阪神・淡路大震災の神戸
1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生時、久元氏は札幌市にいました。テレビで被災地の映像を見続け、幼いころに通った川池小学校の校区にある上沢や松本通が火に包まれる光景も目にしました。
涙が止まりませんでした。
出典:久元喜造公式Webサイト「平成の自治体・霞が関勤務」(公開日記載なし)
同年7月には東京へ戻り、内閣官房内政審議室の内閣審議官となりました。地方分権の推進や沖縄県との調整など、府省横断の仕事を担当します。
2000年には国土庁地方振興局総務課長へ出向しました。翌年の中央省庁再編を前に、国土庁の地方振興関係業務を別の府省へ引き継ぐ仕事にも携わっています。
久元喜造の経歴|総務省で地方自治制度を担い、東日本大震災に対応
2001年の省庁再編後は総務省で勤務しました。自治行政局行政課長などを経て、地方独立行政法人制度、指定管理者制度、市町村合併をめぐる制度改正など地方自治の仕組みに関わります。
その後、大臣官房審議官や選挙部長を歴任し、2008年7月に総務省自治行政局長へ就任しました。外国人住民を住民基本台帳の対象に組み入れる制度改正などを進め、2009年には改正住民基本台帳法が成立しました。
2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、自治行政局長として被災自治体への対応に入ります。住民情報が失われた自治体への支援、全国の自治体からの職員派遣調整、避難先自治体での行政サービス確保などが課題になりました。
全国各地へ避難した人の所在を避難元自治体へ伝える「全国避難者情報システム」を構築し、原発事故による避難者が避難先でも行政サービスを受けられるよう「原発避難者特例法」の立案にも携わりました。
2012年9月11日に総務省を辞職します。本人の記録では、1976年の入省から36年5か月余りの公務員生活で、国家公務員として24年8か月余り、地方自治体の地方公務員として11年9か月勤務しました。
30年ぶりの神戸へ―副市長就任から出馬まで
転機が訪れたのは2012年8月です。総務省自治行政局長として勤務していた久元氏は、上司から生まれ故郷の神戸市で仕事をする意思があるかと打診されました。
総務省を辞職した後は、自分で神戸市政の状況を調べました。市会の同意を経て同年11月1日に神戸市副市長へ就任し、市民参画推進局、産業振興局、消防局などを担当します。神戸で暮らすのは約40年ぶりでした。
当初から選挙を目指して故郷へ戻ったわけではありません。初めての市長選から10年が過ぎた2023年、当時の進路について本人はこう振り返りました。
選挙に出ることは考えていませんでした。
出典:久元喜造note「最初の選挙から10年が経ちました。」(2023年10月27日)
2013年3月、矢田立郎市長が4期目へ立候補しない意向を表明します。その後、各方面から出馬を求める声を受け、久元氏は6月6日に副市長を辞職。翌7日に記者会見を開き、神戸市長選への立候補を表明しました。
2013年の初当選―敗戦を覚悟した開票の夜
初めての選挙戦は2013年10月13日に始まりました。久元氏のほか4人が立候補し、久元氏は無所属で、自民党、公明党、民主党の推薦を受けて選挙に臨みました。
本人は選挙期間中から厳しい戦いだと感じていたと振り返っています。投票日の出口調査や開票序盤でも対立候補が先行しているとの情報を受け、敗戦の弁を考えていたところ、午後11時を過ぎて当選確実の連絡が入りました。
最終結果は久元氏が161,889.094票、樫野孝人氏が156,214票。約5,675票差で初めての神戸市長選を制しました。
同年11月20日、第16代神戸市長に就任しました。中央省庁や自治体で制度を運用する側にいた久元氏が、選挙で選ばれた首長として神戸市政を担うことになりました。
再選を重ね、指定都市の代表役へ
2017年の神戸市長選では2選、2021年には3選を果たしました。2022年4月1日には指定都市市長会会長に就任し、神戸市政だけでなく政令指定都市に共通する制度や政策課題を扱う立場にも就きます。
2025年10月26日の神戸市長選には4人が立候補し、久元氏は275,273票を得て4回目の当選を果たしました。翌27日の記者会見では、冒頭で短く心境を述べています。
身が引き締まる思いをしております。
出典:神戸市「臨時会見 2025年10月27日」(2025年10月27日)
この会見では、4期目となることから多選への批判があるのは当然だとの認識も示しました。そのうえで、市民参画と地域協働を重視し、地域が抱える課題に対して市政がコーディネーターの役割を果たす考えを語っています。
久元市政で進んだ5つの政策領域
久元氏は政治理念として、市民の知恵を集めて形にすること、スピード感を持って実現すること、公正な行政を掲げています。市長就任後の施策は都市整備から交通、空港、福祉まで幅広く展開されてきました。
都心・三宮の再整備
神戸市は2015年9月、「神戸の都心の未来の姿[将来ビジョン]」と三宮周辺地区の「再整備基本構想」を策定しました。新神戸から三宮、元町、神戸・ハーバーランドまでを視野に入れながら、三宮では駅と街を一体的につなぐ都市空間の再編を進めています。
公共施設だけで完結させるのではなく、民間の建築や開発とも連動させながら長期的に都心機能を更新する計画です。神戸市は2030年度頃までの事業と、その先を見据えた整備を段階的に進めています。
北神線を市営化し、谷上―三宮間を値下げ
交通政策では、北神急行電鉄の北神線を神戸市が譲り受け、2020年6月1日に市営地下鉄北神線として運行を開始しました。
市営化によって谷上―三宮間の大人普通運賃は550円から280円へ低下しました。既存の鉄道インフラを生かし、北神地域の交通利便性を高めながら持続可能な鉄道ネットワークをつくる施策として実施されたものです。
神戸空港の国際化
2022年9月の関西3空港懇談会では、神戸空港について2025年から国際チャーター便を受け入れ、国内線の発着枠を拡大し、2030年前後から国際定期便の運用を始める方向が合意されました。
2025年4月18日には第2ターミナルが開業し、国際チャーター便の運用が始まりました。神戸市は2030年前後の国際定期便運用を見据えて空港機能の強化を続けています。
全国初の「認知症神戸モデル」
福祉分野では、認知症の早期受診を支える「診断助成制度」と、認知症の人が外出時などに事故に遭った場合の「事故救済制度」を組み合わせた「認知症神戸モデル」を導入しました。
神戸市はこの仕組みを全国初の制度と位置づけています。財源には個人市民税均等割への年間400円の上乗せを用い、2024年の条例改正によって実施期間は2027年度まで延長されています。
高校3年生までを対象とするこども医療費助成
子育て分野では、所得制限なしで0歳から高校3年生相当までをこども医療費助成の対象としています。2026年4月時点では、0~2歳の外来・入院は自己負担なしです。
3歳から高校生相当までは、入院時の自己負担がなく、外来は2割負担のうち1医療機関・薬局につき1日最大400円を月2回までとし、3回目以降は自己負担なしとする仕組みです。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2013年 10月27日 | 第18回神戸市長選挙 新人。自由民主党・公明党・民主党推薦。5人が立候補。 | 神戸市 | 無所属 | 当選 | 161,889.094票 1位 |
| 2017年 10月22日 | 第19回神戸市長選挙 2選。自由民主党・公明党・民進党推薦。4人が立候補。衆議院議員総選挙と同日選挙。 | 神戸市 | 無所属 | 当選 | 340,064票 1位 |
| 2021年 10月31日 | 第20回神戸市長選挙 3選。5人が立候補。衆議院議員総選挙と同日選挙。 | 神戸市 | 無所属 | 当選 | 439,749票 1位 |
| 2025年 10月26日 | 第21回神戸市長選挙 4選。4人が立候補。自民党兵庫県連・立憲民主党兵庫県連・国民民主党兵庫県連・公明党推薦。 | 神戸市 | 無所属 | 当選 | 275,273票 1位 |
久元喜造氏の公式発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の公式発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
人口減少と若年世代の定着
「人口減少時代に対応した政策を展開する」
少子高齢化と東京一極集中を踏まえ、切れ目ない子育て支援や暮らしの質向上を通じて若い世代に選ばれる都市を目指す考えを示した。
産業創出とスタートアップ
「スタートアップ施策や企業誘致」
人口減少下でも都市の活力を維持するため、スタートアップ支援や企業誘致を進め、魅力ある雇用と産業を生み出す方針を示した。
神戸空港の国際化と都市成長
「神戸は新たな国際都市としての可能性」
神戸空港の国際化を都市成長の機会と捉え、空港島の将来構想やターミナル機能の強化を進める考えを示した。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
2023年にSNSから撤退―情報発信との距離を変える
久元氏は市長としてTwitter、Facebook、Instagramを使い、市政情報や自身の考えを発信していた時期があります。しかしTwitterは2022年春、Facebookは同年夏に利用を終え、2023年4月にはInstagramのアカウントも削除しました。
2023年5月のnoteでは、反応を気にすることで時間や集中力が奪われる感覚があったことなどを説明しています。その文章の中で、今後の情報との向き合い方をこう記しました。
現実の世界を大事にしたいと思います。
出典:久元喜造note「SNSとの訣別」(2023年5月6日)
その後もnoteや公式Webサイトでは文章による発信を続けています。本人公式WebサイトにはYouTubeへの導線も設けられ、映像による政策説明も行っています。
動画で見る久元喜造氏の政策説明
2025年9月29日の公約記者会見は、久元氏本人が約37分にわたって政策を説明する動画です。文章では分かりにくい話し方や政策説明の組み立てを確認できるため掲載します。
久元喜造氏の現在情報
4期目では、自動運転の実証拡大や神戸医療産業都市の研究開発拠点構想、中学校部活動の地域展開など新たな施策にも着手しています。
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- 生年月日、出身地、学歴、行政官経歴、副市長就任、市長当選歴、4期目、主な現職役職を確認
- 氏名読み、公式ローマ字表記、学校歴、行政官経歴、市長就任歴を確認
- 新開地での出生、川池小学校、小部小学校、鈴蘭台での生活、山田中学校、母親の入院、灘高校進学を確認
- 東京大学入学、尚志館での寮生活、国際関係論・行政学・国際政治のゼミ活動を確認
- 自治行政局長就任、住民基本台帳制度改正、東日本大震災対応、全国避難者情報システム、総務省退職、公務員勤務期間を確認
- 神戸への転身、副市長就任、市長選出馬までの経緯を確認
- 都心将来ビジョン、三宮周辺地区再整備基本構想、官民連携による整備方針を確認
- 2020年6月1日の北神線市営化、谷上―三宮間の運賃低減、政策目的を確認
- 2025年の国際チャーター便運用、第2ターミナル、2030年前後の国際定期便運用方針を確認
- 診断助成制度と事故救済制度、全国初の制度、市民税年間400円の超過課税、2027年度までの実施を確認
- 対象年齢、所得制限、0~2歳および3歳~高校生相当の自己負担制度を確認
- 2013年、2017年、2021年、2025年の神戸市長選挙結果資料を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 重複していた政策・政治姿勢H2を1本へ整理し、後続テーマをH3へ統合
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の経歴上重要な年月日を赤文字で補強し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 自治体公式の市長発言・記者会見等を一次情報としてテーマ別に確認し、一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月11日 記事を新規作成。現況情報を確認



















