金丸信の経歴・学歴と生い立ち|実業家から衆院12期、建設相・副総理を歴任

金丸信
ひと目でわかるプロフィール 金丸信
かねまる しん
出身地
山梨県中巨摩郡今諏訪村(現・南アルプス市)
初当選
1958年(第28回衆議院議員総選挙)
最終学歴
東京農業大学専門部卒業
主な前職
会社経営者、教員
政界入り
民間企業から
生年月日 1914年9月17日
血液型 O型
没年月日 1996年3月28日

昭和後期の自民党政治をたどると、金丸信氏の名前は国会運営、閣僚、党務、外交をめぐる折衝など、異なる場面に現れます。

その歩みは国会から始まったわけではありません。この記事では、山梨で過ごした青年期と教員・企業経営の時代から、長い国政生活、そして晩年までを時系列でたどります。

金丸信氏を理解する3つのポイント
  1. 政治家になる前に、教壇と地域企業の経営を経験した人物です。
  2. 国会対策、閣僚、党務を重ね、政府と自民党の複数の要職を経験しました。
  3. 1990年代初頭には、対北朝鮮の党間外交と政治資金をめぐる司法手続という性質の異なる出来事を経験しました。

金丸信の生い立ち|山梨・今諏訪村で生まれ育つ

金丸信氏は1914年9月17日、山梨県中巨摩郡今諏訪村に生まれました。現在の南アルプス市にあたる地域です。国政進出よりはるか前、少年期から青年期までの生活基盤は山梨にありました。

金丸信の学歴|東京農業大学専門部へ

学歴一覧金丸信の学校歴
横にスクロールできます
区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
大学東京農業大学専門部―現在の偏差値と単純比較困難1936年卒業

※金丸氏が学んだ専門部は現在の大学入試制度とは異なるため、現代の偏差値をそのまま当てはめていません。

金丸氏が学んだのは、現在の大学入試制度とは仕組みが異なる時代です。進学先は東京農業大学専門部で、1936年に卒業しています。

当時の専門部は、現在の学部・学科とそのまま対応するものではありません。そのため、現代の偏差値を当てはめて比較すると誤解を招くため、一覧では「比較困難」として扱います。

進学先は東京農業大学専門部でした。1936年に卒業し、学生生活を終えると故郷へ戻ります。

後年まとめられた自著『立ち技寝技―私の履歴書』にも、政治家になってからだけではなく、それ以前の生活が本人の回想として残されています。国政進出は、卒業からさらに20年以上後のことでした。

金丸信の経歴|中学教員を経て、地元で企業経営に携わる

大学卒業後は、まず故郷で中学教員を務めました。その後は家業の醸造業へ移り、教育の仕事とは異なる道を歩みます。

やがて日東工業を創設し、太平醸造、甲府コンクリートなど地域企業の経営に携わりました。山梨県立図書館の人物資料には、日東工業社長、太平醸造社長、甲府コンクリート社長のほか、テレビ山梨代表取締役を務めた経歴も記録されています。

企業だけではありません。白根町消防団長、山梨県消防協会副会長など、地元の消防関係でも役職を担いました。国政へ入る前には、教員、企業経営、地域活動という複数の現場を経験していました。

1958年、山梨県全県区から初めて国政へ

1958年5月の第28回衆議院議員総選挙で、自由民主党から山梨県全県区に立候補しました。初めての国政選挙で当選し、43歳で衆議院議員となります。

以後、1990年の第39回総選挙まで12回続けて議席を得ました。中選挙区制の山梨県全県区を政治活動の基盤としながら、国会と自民党内で役割を広げていきます。

後年、自身の政治哲学については四つの言葉にまとめています。

「スジを通す、人のために汗を流す、人間関係を大切にする、困る相談に乗る」

出典:南アルプス市立図書館「金丸四原則とは何か」(2017年3月14日更新)

国会対策を経て、建設・国土行政の閣僚へ

衆議院議員として経験を重ねるなかで、国会対策委員長など党の国会運営に関わる役職を務めました。その後、活動の範囲は政府へ移ります。

1972年12月、第2次田中角榮内閣で建設大臣として初入閣しました。建設大臣とあわせ、首都圏整備委員会委員長、近畿圏整備長官、中部圏開発整備長官も担当しました。

1974年12月に発足した三木内閣では国土庁長官に就任します。建設行政に続いて、国土利用や地域開発を所管する立場を担いました。

防衛庁長官、党総務会長・幹事長、そして副総理へ

1977年11月の福田赳夫改造内閣では防衛庁長官となりました。土地・建設、国土政策とは異なる安全保障分野を担当することになります。

1980年代に入ると政府だけでなく、自民党執行部での役割が続きました。1983年12月に総務会長、1984年10月には幹事長に就任し、幹事長は1986年7月まで務めています。

1986年7月22日に成立した第3次中曽根内閣では国務大臣となり、内閣法第9条による指定を受けました。首相官邸の歴代内閣資料で「いわゆる副総理」と説明される立場です。

竹下登を軸に進んだ自民党内の再編

1980年代半ば、自民党田中派の内部では次の党総裁をめぐる動きが具体化しました。1985年2月には竹下登氏を中心とする創政会が発足し、金丸氏もその動きに加わります。

当時を取材した日本記者クラブの長田達治氏は、金丸氏、小沢一郎氏、梶山静六氏、羽田孜氏らが竹下氏を独自の総裁候補として擁立するため創政会をつくったと振り返っています。

1987年7月には田中派から竹下派が独立しました。金丸氏はその後、竹下派会長を担い、党執行部や内閣の役職とは別に、自民党内の派閥運営にも深く関わるようになります。

1990年の訪朝と三党共同宣言

1990年9月、金丸氏は自由民主党代表団の団長として北朝鮮を訪問しました。日本社会党代表団も訪朝し、朝鮮労働党を含めた三党間で会談が行われます。

9月28日には、金丸氏、社会党の田辺誠氏、朝鮮労働党の金勇淳氏がそれぞれの党を代表して「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」に署名しました。

宣言では日朝間の関係正常化、政治・経済・文化面での交流、政府間交渉の開始へ働きかけることなどが盛り込まれました。これは日本政府と北朝鮮政府が締結した条約ではなく、三党代表団による共同宣言です。

1992年、政治資金規正法違反と議員辞職

1992年1月、金丸氏は自由民主党副総裁に就任しました。しかし同年、東京佐川急便元社長から5億円の献金を受けていた問題が表面化します。

衆議院に提出された政府答弁書によると、金丸氏は政治資金規正法22条の2第3項に違反して寄付を受けたことを認める上申書を提出しました。東京地検は9月28日、東京簡易裁判所へ略式起訴しています。

東京簡裁は罰金20万円の略式命令を出し、正式裁判の請求がなかったため10月14日に確定しました。党ではこれに先立つ8月に副総裁を辞任していました。

10月14日に衆議院議員の辞職を表明し、辞職願を提出します。10月21日に辞職が正式に認められ、1958年から続いた衆議院議員としての在職が終わりました。

所得税法違反事件は判決前に公訴棄却

政治資金規正法違反事件の後も捜査は続き、1993年3月6日、東京地検は金丸氏を所得税法違反の容疑で逮捕しました。その後、起訴されて裁判が進められます。

金丸氏は公判中だった1996年3月28日に死去しました。81歳でした。本人に対する所得税法違反事件は、死亡に伴って公訴棄却となっています。

1992年の政治資金規正法違反では罰金20万円の略式命令が確定しました。一方、1993年に起訴された所得税法違反事件は、公判中の1996年に金丸氏が死去したため公訴棄却となり、本人について判決は確定していません。

人生年表 金丸信さんの歩み
1914年9月17日
山梨県中巨摩郡今諏訪村に生まれる
現在の南アルプス市
1936年
東京農業大学専門部を卒業
卒業後は故郷で中学教員を務める
1958年5月22日
第28回衆議院議員総選挙で初当選
山梨県全県区・自由民主党
1972年12月22日
建設大臣に就任
第2次田中角榮内閣
1974年12月9日
国土庁長官に就任
三木内閣
1977年11月28日
防衛庁長官に就任
福田赳夫改造内閣
1981年
衆議院行財政改革に関する特別委員長を務める
行政改革関連の国会審議を主宰
1983年12月26日
自由民主党総務会長に就任
1984年10月31日
自由民主党幹事長に就任
1986年7月22日
第3次中曽根内閣の国務大臣に就任
内閣法第9条の指定を受けたいわゆる副総理
1990年9月
自民党代表団長として北朝鮮を訪問
9月28日に自民党・日本社会党・朝鮮労働党の三党共同宣言へ署名
1992年1月
自由民主党副総裁に就任
1992年8月
自由民主党副総裁を辞任
東京佐川急便からの5億円献金問題を受けて辞任
1992年10月21日
衆議院議員を辞職
10月14日に辞職を表明し、21日に正式に議員資格を失う
1993年3月
所得税法違反事件で逮捕・起訴
東京地検による捜査を経て起訴
1996年3月28日
死去
公判中だった所得税法違反事件は公訴棄却

金丸信の政策と政治姿勢

土地を「商品」だけでは扱えないとした住宅政策

建設大臣時代の金丸信氏は、地価高騰と住宅難を一体の問題として捉えていました。1973年の衆議院建設委員会では、住宅を建てたくても土地を確保できない状況を前提に、土地の公共性を強く意識した答弁をしています。

「土地は公共に優先すべきである」

出典:国会会議録検索システム「第71回国会 衆議院建設委員会 第15号」(1973年5月9日)

同じ時期、金丸氏は大都市圏の住宅不足を「緊急な課題」と位置づけ、宅地造成と住宅供給を進める必要性を繰り返し説明しています。道路や国土開発だけではなく、地価・土地利用・住宅供給を結びつけて考えていた点が、建設行政を担った時期の特徴でした。

土地・住宅政策では「底辺」を見る政治を語る

建設大臣だった1973年2月、衆議院内閣委員会では地価上昇や住宅問題について答弁しました。土地を「国民の共有する領土」とする考えも示しています。

「底辺を見て考えるということが政治だろう。」

出典:国会会議録検索システム「第71回国会 衆議院 内閣委員会 第5号」(1973年2月27日)

地域格差への国土政策

国土庁長官としては、離島などと本土との地域格差について国会で議論しています。1975年の参議院建設委員会では、条件が遅れている地域への重点的な投資について自らの考えを述べました。

「非常におくれておるところへ集中的に金をつぎ込むということも私は民主主義だと思う」

出典:国会会議録検索システム「第75回国会 参議院 建設委員会 第8号」(1975年3月27日)

行財政改革の国会審議

1981年には衆議院の行財政改革に関する特別委員会委員長を務めました。同年10月には行政改革をめぐる委員会審議や公聴会を主宰し、政府提出法案や行政機構の見直しに関する国会審議を進めています。

防衛庁長官として示したシビリアンコントロール観

防衛庁長官在任中の1978年には、自衛隊と政治の関係をめぐる国会審議が続きました。8月の衆議院内閣委員会で、金丸氏はシビリアンコントロールを次のように表現しています。

「シビリアンコントロールとは政治優先ということであります。」

出典:国会会議録検索システム「第84回国会 衆議院 内閣委員会 第27号」(1978年8月16日)

党内人事をめぐって語った判断基準

同じ1978年、参議院内閣委員会では自民党総裁選と派閥の関係について質問を受けました。特定の派閥を基準にするのではなく、政治家として誰を選ぶのかという問いに対する答弁です。

「私は日本のためになる、国民のためになる、こういう人を選ぶことが私は政治家としてやる道だ」

出典:国会会議録検索システム「第85回国会 参議院 内閣委員会 第3号」(1978年10月19日)

金丸信氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

自衛隊と国民的合意

都市交通と都市環境

アジア安全保障と日中関係

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

PR|関連書籍
金丸信さんの著書・関連書籍
立ち技寝技 私の履歴書
書籍
立ち技寝技 私の履歴書
著者:金丸信 / 出版社:日経BPM(日本経済新聞出版本部) / 発売日:1988年08月
民主党亡国論 金丸信・大久保利通・チャーチルの霊言
書籍
民主党亡国論 金丸信・大久保利通・チャーチルの霊言
著者:大川隆法 / 出版社:幸福の科学出版 / 発売日:2010年05月
捨身の首領(ドン)金丸信
書籍
捨身の首領(ドン)金丸信
著者:大下英治 / 出版社:徳間書店 / 発売日:1991年10月01日頃

PR:商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。

選挙歴 金丸信の選挙歴
横にスクロールできます
年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第28回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
初当選(1回目)
山梨県 全県区 自由民主党 当選 69,354.920票 1位
第29回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選2回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 71,435.510票 1位
第30回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選3回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 62,206.630票 4位
第31回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選4回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 71,339.110票 2位
第32回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選5回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 68,660.620票 2位
第33回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選6回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 102,954.790票 1位
第34回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選7回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 67,609票 3位
第35回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選8回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 92,007票 1位
第36回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選9回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 86,919票 1位
第37回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選10回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 96,449票 1位
第38回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選11回目
山梨県 全県区 自由民主党 当選 112,530票 1位
第39回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:該当なし
当選12回目。最後の衆議院議員総選挙
山梨県 全県区 自由民主党 当選 101,756票 1位
政治人生の転機 金丸信の政治人生の転機
01
1958年
山梨県全県区から衆議院へ初当選
第28回衆議院議員総選挙へ自由民主党から立候補し、初当選しました。
なぜ転機なのか 企業経営を中心とした生活から国政へ活動の場が移ったため。
02
1972年12月
建設大臣として初入閣
第2次田中角榮内閣で建設大臣に就任しました。
なぜ転機なのか 国会・党務中心の経歴から政府の政策執行を担う閣僚へ進んだため。
03
1986年7月
第3次中曽根内閣で副総理
国務大臣となり、内閣法第9条による指定を受けた「いわゆる副総理」を務めました。
なぜ転機なのか 自民党幹事長を経て、政府内でも首相を補佐する位置に就いたため。
04
1992年
副総裁辞任から衆議院議員辞職へ
5億円献金をめぐる政治資金規正法違反事件の後、副総裁を辞任し、10月に衆議院議員も辞職しました。
なぜ転機なのか 34年間続いた衆議院議員としての活動が終わったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
その他の参考資料

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA