亀井静香氏は、警察庁のキャリア官僚から衆議院議員へ転じ、閣僚や自民党の政策責任者、国民新党代表などを務めた政治家です。
この記事では、広島県北の山村で育った少年時代から、上京、警察官僚、国政、そして自民党を離れて新党へ進んだ歩みまでを、本人の言葉とともにたどります。
- 庄原の山村から上京し、東京大学を経て警察庁へ進んだ
- 警察官僚から国政へ転じ、閣僚・自民党政調会長まで務めた
- 郵政民営化をめぐって自民党を離れ、国民新党を率いた後、無所属で政治人生を締めくくった
亀井静香の生い立ち|庄原の山村で育ち、8歳で広島の閃光を見た
亀井静香氏は1936年11月1日、広島県比婆郡山内北村、現在の庄原市川北町に生まれました。島根県との県境に近い須川集落の農家で、4人きょうだいの末っ子として育っています。
家は裕福ではなく、父は戦後に炭袋を編み、母は養蚕や織物に働きました。それでも両親、とりわけ母は子どもたちに教育を受けさせることを譲らず、亀井氏も山を越えて川北小へ通いました。
1945年8月6日、国民学校3年生だった亀井氏は校庭のイモ畑で作業をしていました。広島市中心部から約80キロ離れた場所でしたが、突然の光と大きな音、その後に山の向こうへ立ち上るキノコ雲を目撃します。
やがて村には広島市内から負傷した人々が逃れてきました。8歳で広島への原爆投下を目撃した経験は、戦後80年を迎えた2025年のインタビューでも鮮明な記憶として語られています。
あの光景は忘れられない。
出典:朝日新聞「8歳で目撃したヒロシマ 戦後80年に抱く危機感とは 亀井静香氏」(2025年8月13日)
亀井静香の学歴|修道高校を離れて上京、都立大泉高校から東京大学へ
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 中学校 | 修道中学校 | ― | ― | ― |
| 高校 | 東京都立大泉高等学校 | ― | 現在は高校募集なし | 現行制度と異なる |
| 大学 | 東京大学 | 経済学部 | 67.5(文科二類・2027年度参考) | 卒業 |
※大泉高校は現在高校募集がないため高校受験偏差値を置いていません。
小学校を終えると広島市内の学校を受験し、修道中学校へ進みました。先に広島市内で学んでいた兄や姉と暮らし、当初は小さな貸間、その後は近所の大工が材木置き場を改造して貸してくれた6畳一間で生活しています。
修道高校在学中には、通学定期券に必要な証明書の発行に費用を上乗せする学校の対応に反発しました。抗議のビラを作って生徒に配ったところ学校側と衝突し、在学を続けるかビラ配りをやめるかという選択を迫られます。
亀井氏が選んだのは学校を離れる道でした。修道高校を離れ、兄を頼って上京し、東京都立大泉高等学校へ移りました。
大泉高校では成績上位に入り、1956年に東京大学経済学部へ進学します。大学では駒場寮で暮らし、奨学金だけでなく家庭教師や夜間の仕事などで生活費を補いました。
学生時代に熱中したものの一つが合気道です。道場で鍛錬を続け、卒業後も合気道との関わりは続きました。1960年3月、東京大学経済学部を卒業します。
亀井静香の経歴|会社員を1年で辞め、警察庁のキャリア官僚へ
大学卒業後は別府化学工業、現在の住友精化に入社しました。しかし会社員生活は約1年で終え、1961年に東京へ戻ります。
国家公務員上級試験と警察上級試験を目指し、東京大学の合気道部道場に泊まり込みながら勉強しました。通産省の面接では、会社を1年で辞めた経歴について質問された際、面接官との間でひと悶着が起きています。
俺の人生にけちをつけるな。不愉快だ
出典:中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター「『生きて』元自民党政調会長 亀井静香さん<7>警察キャリア官僚」(2020年2月12日朝刊掲載)
1962年に警察庁へ入庁しました。警察大学校と浅草署などでの実務修習を経て、最初の地方勤務では鹿児島県警察本部監察室長を務めています。
その後は鳥取県警察本部警務部長、埼玉県警察本部捜査二課長などを経験しました。警察庁警備局では極左事件対策に携わり、成田空港をめぐる事件、連合赤軍あさま山荘事件、日本赤軍によるテルアビブ空港事件などへの対応も経験します。
警備局理事官や長官官房調査官などを経た後、1977年に警察庁を退官し、国政への挑戦を選びます。退職金を選挙資金の土台とし、自らポスターを貼りながら地元を回るところから準備を始めました。
1979年、泡沫候補と呼ばれた初挑戦から国会へ
初めて実際の衆院選に立候補したのは1979年です。旧広島3区から自由民主党公認で出馬し、定数5の最後の議席を獲得しました。
得票は59,350票、順位は5位。選挙戦前には当選圏外とみられることもありましたが、1979年の衆院選で初当選し、警察官僚から国会議員へ立場を変えました。
中選挙区時代の広島3区には宮沢喜一氏ら有力政治家もいました。亀井氏は1980年、1983年と議席を守り、1986年と1990年には同区トップで当選するまでになります。
運輸相・建設相、自民党政調会長へ
当選を重ねる中で、自民党内でも政策や党運営を担う役職へ進みました。運輸政務次官、衆議院農林水産委員長、自民党政務調査会の部会長や政調会長代理などを経験します。
1994年6月に成立した村山内閣では運輸大臣として初入閣しました。自民党、社会党、新党さきがけによる連立政権の時代です。
小選挙区制が導入された1996年の衆院選では広島6区から当選。同年11月に発足した第2次橋本内閣では建設大臣に就きました。
その後は自由民主党政務調査会長を務め、党の政策決定に関わります。2003年には志帥会会長となり、自民党総裁選にも立候補しましたが、小泉純一郎氏に敗れました。
郵政民営化反対で自民党を離れ、国民新党を結成
小泉政権が進めた郵政民営化は、亀井氏の所属政党そのものを変える出来事になりました。郵政民営化関連法案に反対し、2005年に自民党を離党して国民新党の結成に参加します。
直後の衆院選では広島6区から国民新党公認で出馬しました。選挙区にはライブドア社長だった堀江貴文氏が無所属で立候補し、全国的な注目を集めます。
雨の中でも傘を差さずに街頭演説を続ける姿について、後年のインタビューでは演出ではないと話しました。
有権者と同じ立場、同じ目線に立ってこそ、政治を語れるんじゃねえか。
出典:中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター「『生きて』元自民党政調会長 亀井静香さん<17>郵政解散」(2020年2月28日朝刊掲載)
この選挙で10期目の当選を果たしました。自民党の閣僚・政策責任者だった政治家が、新党側から自民党政権と向き合う時代に入ります。
政権交代で金融・郵政改革担当相に
2009年の衆院選で11期目の当選を果たすと、民主党、社会民主党、国民新党による連立政権が発足しました。国民新党代表となっていた亀井氏は、9月16日に内閣府特命担当大臣(金融)・郵政改革担当へ就任します。
国民新党は国会全体では小規模な政党でしたが、連立政権の中では独自政策の実現を求めました。亀井氏自身は、少数政党の交渉のあり方を次のような言葉で表現しています。
相手の懐にすっと飛び込んでいってね。短刀を突きつける。
出典:PRESIDENT Online「大臣を直撃!なぜ少数政党が多数派を圧倒できるのか」(PRESIDENT 2010年7月5日号)
鳩山由紀夫首相が退陣して菅直人内閣が発足した後も担当相に再任されましたが、郵政改革法案が国会で成立しないまま会期末を迎えることに反発し、2010年6月11日に辞任しました。
2011年6月には菅内閣で内閣総理大臣補佐官となり、内閣の重要政策全般を担当しました。閣僚を離れた後も、連立政権の政策調整に関わる立場が続きました。
国民新党離党から無所属13選、そして政界引退へ
2012年、野田政権が消費税率引き上げを進める中、亀井氏は連立離脱を主張しました。党内の多数派は連立維持を選び、代表交代をめぐる混乱の末、亀井氏は4月に国民新党を離れます。
その後は日本未来の党から2012年衆院選に出馬して12期目の当選を果たし、みどりの風にも参加しました。同党の解散後は無所属となります。
2014年の衆院選では無所属で広島6区から出馬し、13期目の当選を果たしました。これが最後の選挙となります。
2017年9月28日の衆議院解散で議員としての在職を終え、10月5日、広島県尾道市で次期衆院選に出馬しないことを正式に表明しました。13期、約38年に及んだ国会議員生活を終え、政界を引退しました。
政治から身を引く。一緒にやっていく相棒がいない。1人では何もできない
出典:神戸新聞NEXT「亀井静香氏が政界引退を表明」(2017年10月5日)
政界引退後の2019年には旭日大綬章を受章しました。さらに2026年3月21日、出身地の庄原市が市制施行20周年記念式典で名誉市民として顕彰しています。
亀井静香氏が重視してきた政策・政治姿勢
郵便局ネットワークとユニバーサルサービス
金融・郵政改革担当相だった2009年10月、政府は「郵政改革の基本方針」を閣議決定しました。国民生活の確保と地域社会の活性化を掲げ、日本郵政グループのサービスや経営を見直す方針です。
亀井氏は株式や資産の処分をいったん止め、新たな組織体制を検討する考えを示しました。都市部だけでなく地方でも郵便、貯金、保険のサービスへアクセスできる仕組みを維持することを重視していました。
中小企業金融と返済条件の変更
金融行政では、厳しい経営環境に置かれた中小企業や住宅ローン利用者への対応を進めました。2009年に成立した中小企業金融円滑化法では、金融機関に対し、借り手から返済条件変更などの申し込みを受けた場合にできる限り応じるよう努力義務を課しました。
この政策の土台は政権交代前から民主党、社会民主党、国民新党の共通政策に含まれており、亀井氏一人が突然考案したものではありません。金融担当相として、その方針を実際の法案・制度として進める役割を担いました。
地方の交通・生活基盤
亀井氏の出身地である庄原市は、名誉市民とする際の功績として、中国横断自動車道や国道をはじめとする交通網、国営備北丘陵公園など地域基盤の整備への尽力を挙げています。
国政では運輸、建設、農林水産など地方の生活や産業に関係する分野を長く歩きました。大都市への集中よりも、人口の少ない地域でも生活条件を保てる政治を重視する姿勢は、政界引退時の発言にも表れています。
警察官僚時代から続いた死刑廃止論
治安行政を経験した一方で、亀井氏は死刑廃止を主張してきました。2001年には死刑廃止を求める議員連盟の会長を引き受けています。
私は、警察におりましたころから死刑は廃止すべきだと思っていました。
出典:アムネスティ日本「著名人メッセージ:亀井静香さん」(公開日記載なし・2001年12月4日インタビュー)
亀井氏は犯罪抑止力への疑問に加え、警察で取り調べの現場を経験した立場から冤罪の可能性を理由に挙げました。刑事司法の実務を知ったうえで死刑制度に反対する立場を取った政策テーマです。
福島第一原発事故後の脱原発と再生可能エネルギー
原子力政策では、2011年の福島第一原発事故を境に立場を変えました。それ以前の原発容認から脱原発へ転じ、太陽光やバイオマスなど再生可能エネルギーの普及を訴えるようになります。
政界を離れた後もエネルギー分野への関与を続けています。株式会社ジェイ・エス・エスは福島第一原発事故を受けて再生可能エネルギー事業へ参入し、MJSソーラーを通じた太陽光発電やバイオマス発電に取り組んでいます。
政界引退後も再生可能エネルギーについて発信しており、2019年には本人Xで再生可能エネルギーをテーマにしたテレビ出演を案内しています。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1979年 10月7日 | 第35回衆議院議員総選挙 新人、初当選 | 旧広島 3区 | 自由民主党 | 当選 | 59,350票 5位 |
| 1980年 6月22日 | 第36回衆議院議員総選挙 2期目 | 旧広島 3区 | 自由民主党 | 当選 | 86,562票 2位 |
| 1983年 12月18日 | 第37回衆議院議員総選挙 3期目 | 旧広島 3区 | 自由民主党 | 当選 | 73,862票 5位 |
| 1986年 7月6日 | 第38回衆議院議員総選挙 4期目 | 旧広島 3区 | 自由民主党 | 当選 | 116,514票 1位 |
| 1990年 2月18日 | 第39回衆議院議員総選挙 5期目 | 旧広島 3区 | 自由民主党 | 当選 | 97,433票 1位 |
| 1993年 7月18日 | 第40回衆議院議員総選挙 6期目 | 旧広島 3区 | 自由民主党 | 当選 | 91,064票 2位 |
| 1996年 10月20日 | 第41回衆議院議員総選挙 小選挙区制移行後の広島6区で当選、7期目 | 広島 6区 | 自由民主党 | 当選 | 122,071票 1位 |
| 2000年 6月25日 | 第42回衆議院議員総選挙 8期目 | 広島 6区 | 自由民主党 | 当選 | 138,790票 1位 |
| 2003年 11月9日 | 第43回衆議院議員総選挙 9期目 | 広島 6区 | 自由民主党 | 当選 | 117,659票 1位 |
| 2005年 9月11日 | 第44回衆議院議員総選挙 郵政民営化法案への反対で自民党を離党後に出馬。無所属の堀江貴文氏らを破り10期目 | 広島 6区 | 国民新党 | 当選 | 110,979票 1位 |
| 2009年 8月30日 | 第45回衆議院議員総選挙 11期目、小選挙区当選 | 広島 6区 | 国民新党 | 当選 | 137,287票 1位 |
| 2012年 12月16日 | 第46回衆議院議員総選挙 12期目、小選挙区当選 | 広島 6区 | 日本未来の党 | 当選 | 91,078票 1位 |
| 2014年 12月14日 | 第47回衆議院議員総選挙 13期目、最後の衆院選 | 広島 6区 | 無所属 | 当選 | 89,756票 1位 |
亀井静香氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
郵政改革の基本方針
「民営化以前の姿に戻すという気はございません」
郵政改革について単純な国営・公社時代への回帰ではなく、全国の郵便局ネットワークを地域や国家のために活用する方向で見直す考えを説明した。
中小企業金融と資金繰り
「金繰りを少しでも楽にしてあげる」
中小・零細企業や個人の資金繰りを支えるため、金融円滑化法や金融機関の支援機能を活用する考えを説明した。
内需拡大と仕事の創出
「問題は、新しい仕事を含めて、仕事がない」
資金繰り支援だけでは中小企業の問題は解決せず、需要と仕事そのものを生み出すための内需拡大策が必要だと述べた。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
本人の語りを動画で見る
政界引退後の亀井氏が長時間語る映像として、2026年3月収録の文藝春秋PLUSのインタビューがあります。文章だけでは分からない話し方や間合いも確認できます。
亀井静香氏の現在情報
2017年に政界を引退し、2026年3月21日に庄原市名誉市民として顕彰されました。政界引退後も再生可能エネルギー事業に関わっています。
※商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。
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@kamei_shizuka の公式Xを見る- 生年月日、学歴、会社員・警察庁経歴、主要政治経歴、政界引退までの年表を確認
- 出生地、生年月日、主要経歴、議員歴、政界引退、旭日大綬章、庄原市名誉市民、2026年時点の役職を確認
- 1994年6月30日の運輸大臣就任を確認
- 1996年11月7日の建設大臣就任を確認
- 2009年の郵政改革基本方針と金融・郵政改革担当相としての政策を確認
- 広島県内の衆議院議員総選挙結果を確認
- 庄原での出生、家庭環境、幼少期を確認
- 修道中学校進学、修道高校在学中の出来事、上京までの経緯を確認
- 会社退職後の公務員試験、警察庁入庁、警察官僚としての経歴を確認
- 自民党総裁選、郵政民営化反対、自民党離党、国民新党、2005年衆院選を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 本文内の公式X投稿が5件未満の記事について、既存の関連投稿を保持したまま本人公式Xの最新投稿で不足分を補完
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ整理し、既存本文を維持したまま検索意図を明確化
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月29日 本人公式Xの投稿を、再生可能エネルギーに関する本文の補足として追加。
- 2026年9月27日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月5日 記事を新規作成。現況情報を確認



















