天畠大輔氏は、発話が困難な重い身体障がいがあり、介助者との独自のコミュニケーションを使って意思を伝える政治家です。
政治の世界へ入る前には、大学進学、障害学研究、重度訪問介護を使った自立生活、介助事業所の運営を経験してきました。ここでは、14歳で生活が一変してから国会へたどり着くまでを、本人が残してきた言葉とともにたどります。
- 発話が困難な状態でも、独自の意思疎通方法を使いながら学びと研究を続けてきました。
- 介助を受ける側と支援を組み立てる側の両方を経験し、重度障がい者の社会参加を研究してきました。
- 国会では、自身の経験から制度の「使いにくさ」を具体的な法制度の論点として扱っています。
天畠大輔の生い立ち|呉市に生まれ、14歳で生活が一変
天畠大輔氏は1981年12月29日、広島県呉市に生まれました。小学校時代は千葉で過ごし、1994年3月に千葉大学教育学部附属小学校を卒業。同大学教育学部附属中学校へ進みます。
中学進学後には不登校を経験しました。1996年にはイギリスへ留学しましたが、体調を崩して2月に帰国しています。
同年4月、病院での医療ミスを経て心停止が起こり、ICUで約3週間の昏睡状態となりました。意識を取り戻した後には、四肢麻痺、視覚障がい、嚥下障がい、発話障がいなどが残ります。
14歳で、それまでとは大きく異なる生活を送ることになりました。視覚障がいは平面の文字などを認識することが難しい特徴があり、学習では主に耳から情報を得るようになります。
半年の沈黙から生まれた「あ・か・さ・た・な話法」
発話ができず、体も自由に動かせない状態になった当初、周囲との意思疎通はほとんどできませんでした。母親は声をかけ続け、天畠氏もわずかに動かせる部分でYes・Noを伝えようとしていました。
入院中、経管栄養が入っておらず空腹を訴えたかったとき、母親が五十音を順番に読み上げます。天畠氏はサインを返しながら「へ・つ・た」と三文字を選び、母親が「お腹が減った」という意味だと気付きました。
私の言いたいことが初めて母に伝わった瞬間でした。
出典:NHK厚生文化事業団「『あ・か・さ・た・な』で大学に行く」(公開日記載なし)
約半年ぶりに、自分の意思を具体的な言葉として伝えることができました。その後、この方式は現在使われる「あ、か、さ、た、な話法」へ発展していきます。
介助者が「あ、か、さ、た、な……」と五十音の各行を読み上げ、本人が伝えたい行で腕を引きます。次にその行の文字を読み上げ、もう一度合図して一文字を確定する方法です。
会話を速めるため介助者が単語や語尾を先読みすることもありますが、候補が合っているかは本人へ確認します。天畠氏は視覚障がいや不随意運動のため、文字盤やスイッチ式装置も試したものの実用には至らず、長く関わる介助者との共有知識を使う方式を選んできました。
1996年12月には千葉県立リハビリテーションセンターへ移り、当時の千葉県立袖ケ浦養護学校中学部へ転校。高等部へ進み、1999年からは自宅から通学し、2000年3月に卒業しました。
天畠大輔の学歴|受験を断られた末、ルーテル学院大学へ
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 千葉大学教育学部附属小学校 | ― | ― | ― |
| 中学校 | 千葉大学教育学部附属中学校/千葉県立袖ケ浦養護学校中学部 | ― | ― | 転校 |
| 高等部 | 千葉県立袖ケ浦養護学校高等部 | ― | 偏差値で比較する学校ではない | 卒業 |
| 大学 | ルーテル学院大学 | 総合人間学部社会福祉学科 | 旧学部・学科のため単純比較しない | 卒業 |
| 大学院 | 立命館大学大学院 | 先端総合学術研究科博士課程 | 大学院は偏差値で単純比較しない | 博士(学術) |
※特別支援学校・旧学部・大学院は一般的な偏差値で単純比較していません。
養護学校での生活を経て、天畠氏は大学進学を目指します。しかし、受験方法や入学後の支援をめぐって複数の私立大学へ相談したものの、受験そのものを断られる状況が続きました。
受験を認めたのがルーテル学院大学でした。2003年2月、読み上げや回答記入など特別な配慮を受けて受験しますが、このときは不合格となります。
大学側から1年間の聴講を提案され、再受験に備えました。そして2004年4月、ルーテル学院大学への入学を果たします。
入学後は社会福祉を学び、同時に大学生活で必要な介助をどう確保するかという問題にも直面しました。当初は周囲の学生らに支援を頼み、やがて個人的なつながりだけでは継続が難しいと考えるようになります。
2006年には、障がい学生の大学生活を支援するLSS(ルーテル・サポート・サービス)を立ち上げました。本人の体験記では、学生らとの関係が広がり、支援に関わる人が約100人規模になった時期も記されています。
2008年9月、総合人間学部社会福祉学科を卒業。同年には、自身の大学進学までをつづった「『あ・か・さ・た・な』で大学に行く」で第43回NHK障害福祉賞優秀賞を受賞しました。
大学院で「介助者との協働」を研究
2010年4月、立命館大学大学院先端総合学術研究科へ進学します。京都へ毎回移動するのではなく、Skypeを使った遠隔受講も取り入れながら研究を続けました。
研究対象の一つが、発話が困難な人と介助者・通訳者との関係です。「あ、か、さ、た、な話法」では、介助者が天畠氏の言葉を先読みしたり、文章作成で意見を交わしたりします。博士論文の執筆過程そのものも研究対象になりました。
これは自分の思考なのか,介助者の思考なのか,切り分けが困難である事実に気がついた.
出典:J-STAGE『社会学評論』「『発話困難な重度身体障がい者』の論文執筆過程の実態」(2021年12月31日J-STAGE公開)
2012年度から2014年度までは日本学術振興会特別研究員DC1に採用され、「コミュニケーションが極めて難しい重度障がい者の『通訳者』」をテーマに研究しました。
2019年3月、立命館大学大学院の一貫制博士課程を修了し、博士(学術)を取得。同年4月からは日本学術振興会特別研究員PDとして中央大学で研究を続けました。
一人暮らしと介助事業づくり
研究と並行して進めたのが、家族だけに頼らない生活の構築です。2015年9月、重度訪問介護を利用しながら東京都内で一人暮らしを始めました。
重度訪問介護は地域生活を可能にする一方、就労中には利用できないという制約がありました。研究者として働く本人にとって、生活と仕事の境目で介助制度が分断される問題は日常の課題でもありました。
2017年10月には指定障害福祉サービス事業所を運営する株式会社Dai-job highを設立して代表取締役に就任。2019年3月に代表を退いた後、2020年3月には一般社団法人わをんを設立し、代表理事となりました。
わをんでは、重度障がい当事者への支援に加え、本人の経験や語りを長編インタビューとして残す活動にも取り組みました。研究だけでなく、介助者を確保し働くための仕組みを自ら運営する経験を重ねていきます。
天畠大輔の経歴|2022年参院選への立候補と初当選
政治参加への関心を強める契機の一つになったのが、2019年参院選で重い身体障がいのある舩後靖彦氏と木村英子氏が国会議員になったことでした。天畠氏は後年、障がいなどで社会の周縁に置かれた当事者自身が政治を行う姿勢にひかれたと振り返っています。
2022年6月、れいわ新選組から参議院議員通常選挙への立候補を発表しました。全国比例の特定枠候補として名簿の優先順位1位に置かれます。
だから、私は国会議員になって、誰にでも「居場所のある社会」をつくりたい。
出典:れいわ新選組「天畠大輔 てんばただいすけ」(2022年6月17日)
2022年7月10日の第26回参議院議員通常選挙で初当選。研究者、介助サービスの運営者、障がい当事者として制度と向き合ってきた立場から、国会で政策を扱うことになります。
国会の議事運営に合理的配慮を組み込む
議員になると、まず選挙や国会の制度そのものが天畠氏の意思疎通方法に対応していない場面が現れました。
2022年参院選の比例代表政見放送では、当初「あ、か、さ、た、な話法」の通訳と原稿の代読が認められませんでした。党と本人側の交渉を経て、総務省が実施規程を変更し、通訳・代読を使った政見放送が可能になります。
国会質疑では、あらかじめ作成した質問を秘書が代読し、政府答弁を聞いてその場で再質問するときに「あ、か、さ、た、な話法」を使う方法が採られました。
当初の厚生労働委員会では、このやり取りを行う間は「速記止め」とされ、インターネット中継の音声も止まっていました。第212回国会からは速記を止めている間も中継音声が流れる運用に変更されました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2022年 7月10日 | 第26回参議院議員通常選挙 れいわ新選組の特定枠候補として優先順位1位で名簿登載され当選。特定枠候補者名で投じられた票は政党等の有効投票として扱われるため、候補者個人の得票数は集計されない。 | 比例代表 (全国) | れいわ新選組 | 当選 | ― 特定枠1位 |
天畠大輔氏が取り組む政策・政治姿勢
介助付き就労・就学――仕事と生活で介助を分けない
重度訪問介護は、自宅での身体介護や外出支援などを行う障害福祉サービスですが、厚生労働省告示第523号によって就労中など一部の場面は対象外とされています。
政府は2020年、重度障害者等就労支援特別事業を設けました。天畠氏は、生活では重度訪問介護、仕事では別事業という制度分断により、自治体によっては本人負担が双方で発生する問題を国会で追及しています。
負担感、と気持ちの問題にしないでください。
出典:天畠大輔公式サイト「2026年4月7日 予算委員会質疑『仕事と生活の介助わけるな!』」(2026年4月8日)
2026年2月には、首相との面会で障がい福祉の課題を直接伝え、障がいの有無にかかわらず学び、働けるための具体策を求めました。
精神医療を「本人目線」へ
精神科病院での虐待や長期入院、退院支援も継続して扱っているテーマです。2023年には、滝山病院からの退院・転院支援などを求める「滝山病院問題を考える市民と議員の連絡会議」で事務局を担いました。
この問題に向き合う際、自身が10代に施設で生活した経験にも触れています。
管理の中で「無力化しかけた」経験から、精神科病院での虐待は人ごとではありません。
出典:天畠大輔公式サイト「第12回DPI障害者政策討論集会の権利擁護分科会」(2023年12月5日)
退院・転院を希望する患者への地域移行支援、虐待が生じた際の仕組み、強制入院や身体拘束のあり方などを国会質問や当事者・支援者との活動につなげています。
旧優生保護法と優生思想
旧優生保護法をめぐっては、2024年7月3日に最高裁大法廷が同法を違憲と判断しました。同年、被害者への補償制度を整備する法案づくりでは超党派のプロジェクトチームが設置され、天畠氏は木村英子氏、舩後靖彦氏とともに補償水準や救済対象などの議論に参加しました。
天畠氏は、過去の強制不妊手術の救済だけでなく、障がいや病気のある人の生命を能力や生産性で評価する考え方を政策課題として扱っています。
医療的ケアと災害時支援
医療的ケアを必要とする人が成人した後も、本人が地域での暮らし方を選べる制度づくりにも関わっています。
2026年7月には、医療的ケア児への支援を成人や重症心身障害者へ広げる法改正をめぐり、超党派医療的ケア児者支援議員連盟の一員として議論に参加しました。
家族の負担軽減はもちろん重要だが、あくまでも本人を中心に据えた支援のあり方をより強調すべきだ
出典:天畠大輔公式サイト「2026年7月14日 厚生労働委員会質疑」(2026年7月16日)
法改正は7月24日に参議院本会議で可決され、7月31日に法律第77号として公布されました。対象には成人した医療的ケア児や重症心身障害者が加わり、本人の意思を尊重した地域生活、就労、住居、ピアサポートなども施策に盛り込まれています。
災害政策では、障がいの種類や年齢といった属性だけで支援対象を分類するのではなく、避難時に実際に生じる「アクセス・機能上のニーズ」に着目する考え方も取り上げました。2026年6月の災害復興特別委員会では、車いす利用者だけでなく、高齢者や妊産婦などにも共通する移動上の障壁を例に政府へ対応を求めています。
障がい当事者の政治参加とバリアフリー
障がいのある人が政治の意思決定過程へ直接参加することも、天畠氏が繰り返し発信するテーマです。議場に入れるだけでなく、本人が使う意思疎通方法で質問できること、選挙運動や議会活動で必要な合理的配慮を受けられることまでを政治参加の条件として扱っています。
公共交通や建物のバリアフリーについても、特定の障がい者だけの利便性ではなく、高齢者、けがをした人、妊産婦、子どもを連れた人などを含めて利用しやすいインフラという視点を示しています。
核兵器廃絶と「対話」
障害福祉以外では、核兵器廃絶にも取り組んでいます。父方の祖母が被爆者で、自身を被爆3世と位置付けています。
2025年3月にはニューヨークの国連本部で開かれた第3回核兵器禁止条約締約国会議と関連会合に参加。日本政府のオブザーバー参加や条約批准、北東アジアの非核化を求めました。
天畠大輔氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
高等教育と重度障害者の生活介助
「設備のバリアフリーだけでなく、通学のための移動介助やトイレ、食事といった生活介助が必要」
天畠氏は、重度障害者が大学などで学ぶには設備面だけでなく、通学・食事・排せつ等の生活介助も不可欠だとして、重度訪問介護の利用範囲の見直しを求めた。
介護保険優先原則と障害福祉
「介護保険優先原則の問題が障害者の生活を脅かしています」
65歳到達時に障害福祉サービスから介護保険へ移行する際、必要な介助量が確保できなくなる可能性を指摘し、一律移行を避ける制度運用を求めた。
障害年金と社会参加
「障害認定基準だけが時代から取り残されています」
障害福祉サービスの充実で重度障害者の社会参加が広がっている一方、障害年金の認定基準が古い生活像を前提としているとして見直しを求めた。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
動画で見る「あ、か、さ、た、な話法」
本人公式サイトでは、介助者とのやり取りのテンポや、文字を確定していく実際の様子を紹介する動画が公開されています。
天畠大輔氏の現在情報
障害福祉、介助付き就労・就学、医療的ケア、優生思想、精神医療、災害時支援などを国会で継続して扱っています。
※商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。
- 氏名、生年月日、出身地、学歴、比例代表選出、当選回数、所属会派、委員会所属を確認
- 公式ローマ字表記、生年月日、学歴、比例代表選出を確認
- 生い立ち、障がいを負った経緯、学校・大学・大学院歴、自立生活、事業・研究歴、2022年当選、2026年共同代表就任を確認
- 在学当時の正式校名が千葉県立袖ケ浦養護学校であることを確認
- 2022年立候補時の所属、経歴、政治参加の背景、公式SNSを確認
- 2026年時点の共同代表、参議院議員としての所属と公式リンクを確認
- 2026年8月6日の党名変更を確認
- 重度訪問介護、介助付き就労・就学、精神医療、医療的ケア、優生思想、政治参加などの政策活動を確認
- 第26回参議院議員通常選挙の比例代表選挙結果と特定枠での当選を確認
- 障がいを負った後の生活、母との最初の意思疎通、養護学校時代、大学進学を確認
- あ・か・さ・た・な話法、介助者との協働執筆、研究内容を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の経歴上重要な年月日を赤文字で補強し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月7日 記事を新規作成。現況情報を確認し、いのちの党への党名変更と共同代表就任を反映




















