長島昭久氏は、外交・安全保障を中心に国政へ関わってきた政治家です。議員になる前には国会議員秘書を経験し、その後は米国へ渡って安全保障を研究しました。
政治の現場を一度離れて学び直し、最初の選挙では落選。それでも地域活動を続けて国会へ入り、民主党政権で防衛政策の実務を担った後、政党と選挙区を変えながら政治活動を続けてきました。
- 慶應義塾で学び、国際情勢への関心から政治を志した人物です。
- 国会議員秘書を経験した後、米国で外交・安全保障を学び直してから国政へ進みました。
- 民主党政権で防衛実務を担い、民進党・希望の党・無所属を経て自由民主党へ移りました。
長島昭久の生い立ち|慶應義塾で過ごした23年と、1979年の政治への原点
長島昭久氏は1962年2月17日、神奈川県横浜市港南区に生まれました。幼稚舎から大学院博士課程まで、本人が「23年間」と振り返るほど長く慶應義塾で学んでいます。
大学時代には応援指導部に所属しました。学ランを着て厳しい規律と練習の中で過ごした学生生活だったと振り返っています。
もう一つの原点として本人が挙げているのが、高校生活最後の1979年です。イラン革命、中越戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻、第二次オイルショックと国際情勢が大きく動く一方、日本国内では自民党内の派閥抗争が続いていました。
その光景を見て、1979年に本気で政治家を志したと本人は説明しています。
日本にも、国際政治をリードできるような政治家が必要だと、確信しました。
出典:長島昭久公式サイト「長島昭久の歩み」(公開日記載なし)
長島昭久の学歴|慶應義塾大学からジョンズ・ホプキンス大学SAISへ
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 慶應義塾幼稚舎 | ― | ― | ― |
| 大学 | 慶應義塾大学 | 法学部法律学科・政治学科 | 65.0〜67.5(法学部・2027年度) | 卒業 |
| 大学院 | 慶應義塾大学大学院 | 法学研究科修士課程 | 大学院は偏差値で単純比較しない | 修了 |
| 大学院 | ジョンズ・ホプキンス大学SAIS | 国際関係 | 日本式の偏差値なし | 修了 |
※大学院・海外大学院は日本式偏差値で単純比較していません。
慶應義塾大学では1984年に法学部法律学科を卒業し、さらに政治学科で学んで1986年に卒業。1988年には大学院法学研究科の修士課程を修了し、憲法学を専攻しました。
長島昭久の経歴|石原伸晃氏の初陣を手伝い、公設第一秘書へ
政治の現場へ入る機会が訪れたのは1990年でした。高校時代からの友人だった石原良純氏から、兄の石原伸晃氏が初めて衆院選へ挑戦するため手伝ってほしいと声をかけられます。
石原氏の選挙を支え、当選後は公設第一秘書となりました。地元事務所を預かり、後援会づくりなど選挙区での政治活動を一から経験しています。
一方で、自分自身がすぐ候補者になる道は選びませんでした。高校時代からの友人である伊藤達也氏から国政選挙への出馬を誘われた際も、自分はまだ「国際政治をリードできる政治家」になる準備ができていないと考え、誘いを断ったと振り返っています。
秘書として政治の日常を知ったからこそ、専門性を持たないまま議員になることへの迷いが強まりました。そこで選んだのが、政治の現場からいったん離れて国際政治を学び直す道でした。
1歳で米国へ、安全保障研究者として鍛えた7年半1993年、31歳で米国へ渡りました。最初から希望する大学院へ進めたわけではなく、英語力の壁に直面します。
安全保障研究者ジェームズ・アワー氏の下でヴァンダービルト大学の客員研究員となり、研究を続けながら約1年半かけて英語試験の準備を進めました。その後、ワシントンのジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)へ進学します。
SAISでは国際関係論と国際経済学を学び、1997年5月に修士課程を修了。同年8月には米国外交問題評議会(CFR)の研究員となり、アジアの安全保障政策を研究しました。
本人の回想では、CFRでの職を得たころには銀行口座の残高が600ドルほどまで減っていたといいます。その時期に応募した読売新聞の論壇新人賞で最高賞を受賞したことも、米国生活の節目となりました。
CFRでは朝鮮半島の安全保障や日米同盟などを扱い、研究だけでなく米国の政府関係者、研究者らとの人的ネットワークも築きました。後に国会で長く扱う外交・安全保障分野の専門的な土台は、この時期につくられています。
2000年の落選から3年、東京21区で初当選
2000年、アジアを訪問していた長島氏のもとへ、民主党から東京21区の衆議院補欠選挙への出馬要請が届きました。米国での研究生活を終えて帰国し、初めて選挙に挑みます。
結果は4候補中3位で落選しました。ここから約3年間、昼間は駅頭や地域回り、街頭活動、集会を続け、夜には東京財団で政策研究に取り組む生活を送ります。
研究機関で政策を考える一方、選挙区では有権者と直接会う。その二つを並行した末、2003年11月、41歳で衆議院議員に初当選しました。
最初の立候補から約3年を要した国政入りでした。その後は東京21区を主な地盤として当選を重ねていきます。
民主党政権で防衛政策の実務を担う
初当選後、民主党の「次の内閣」でネクスト防衛庁長官を務め、衆議院安全保障委員会でも外交・防衛分野の議論を担当しました。
2009年の政権交代後は防衛大臣政務官に就任。2011年9月には野田内閣で外交・安全保障担当の内閣総理大臣補佐官となり、2012年10月には防衛副大臣へ進みました。
防衛副大臣時代には日米防衛協力の指針、いわゆる「ガイドライン」の見直しに向けた作業にも関わりました。政権が交代した後も、安全保障政策では与野党の立場だけで判断しないという姿勢を繰り返し示しています。
外交、安全保障には与党も野党もない、あるのはただ国益だけだ
出典:衆議院「第189回国会 予算委員会 第13号」(2015年3月3日)
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2000年 10月22日 | 衆議院東京都第21区選出議員補欠選挙 初出馬。候補者4人。 | 東京 21区 | 民主党 | 落選 | 25,843票 3位 |
| 2003年 11月9日 | 第43回衆議院議員総選挙 衆議院初当選。 | 東京 21区 | 民主党 | 当選 (小選挙区) | 81,398票 1位 |
| 2005年 9月11日 | 第44回衆議院議員総選挙 小選挙区では落選し、比例東京ブロックで当選。 | 東京 21区 | 民主党 | 当選 (比例東京ブロック) | 98,749票 2位 |
| 2009年 8月30日 | 第45回衆議院議員総選挙 3期目。 | 東京 21区 | 民主党 | 当選 (小選挙区) | 142,418票 1位 |
| 2012年 12月16日 | 第46回衆議院議員総選挙 4期目。 | 東京 21区 | 民主党 | 当選 (小選挙区) | 82,831票 1位 |
| 2014年 12月14日 | 第47回衆議院議員総選挙 小選挙区では落選し、比例東京ブロックで当選。 | 東京 21区 | 民主党 | 当選 (比例東京ブロック) | 82,351票 2位 |
| 2017年 10月22日 | 第48回衆議院議員総選挙 民進党離党後、希望の党から出馬。 | 東京 21区 | 希望の党 | 当選 (小選挙区) | 92,356票 1位 |
| 2021年 10月31日 | 第49回衆議院議員総選挙 小選挙区では菅直人氏に次ぐ2位。比例東京ブロックで7期目の当選。 | 東京 18区 | 自由民主党 | 当選 (比例東京ブロック) | 115,881票 2位 |
| 2024年 10月27日 | 第50回衆議院議員総選挙 新設された東京30区から初めて出馬。小選挙区では五十嵐えり氏に次ぐ2位。 | 東京 30区 | 自由民主党 | 当選 (比例東京ブロック) | 91,798票 2位 |
| 2026年 2月8日 | 第51回衆議院議員総選挙 東京30区で小選挙区当選し9期目。 | 東京 30区 | 自由民主党 | 当選 (小選挙区) | 110,453票 1位 |
長島昭久氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
安全保障環境と防衛戦略
「我が国を取り巻く戦略環境は、昨今、急速に悪化」
長島氏は、北朝鮮の核・ミサイル、中国の軍事活動などを背景に、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているとの認識を示した。
日米同盟と政権交代
「新しい方向性を模索する」
政権交代直後の日米関係について、既存政策の継続・見直しを日米双方が確認する移行期にあり、新しい関係性を模索していると説明した。
国防の使命
「国民の生命と財産を守り、国家の生存と繁栄を保障する」
防衛副大臣として、自衛隊と防衛行政の基本的な使命を国民の生命・財産と国家の生存・繁栄を守ることと位置付けた。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
民進党離党、希望の党を経て自民党へ
2017年4月、長島氏は民進党へ離党届を提出しました。本人は、共産党との選挙協力を含む野党共闘の方針を受け入れられないことを離党理由として説明しています。
同年には小池百合子氏らが立ち上げた希望の党へ参加し、第48回衆院選では東京21区から小選挙区当選。党では政策調査会長も務めました。
しかし希望の党は翌2018年、民進党系勢力との再編によって解党します。長島氏は再編後の新党には加わらず、無所属となりました。
次に選んだのは、以前は政府与党として対峙していた自由民主党でした。本人は政策を実現するための選択として入党を決断し、2019年6月に自由民主党へ入党しました。
東京21区にはすでに自民党の現職候補がいたため、入党に伴って同じ選挙区から出馬しないことも受け入れました。長く築いてきた地盤を離れ、新しい地域で政治活動を始めることになります。
東京18区から新設の東京30区へ
自民党入り後に活動拠点としたのが東京18区でした。武蔵野市、府中市、小金井市を区域とする選挙区で、2021年の衆院選では元首相の菅直人氏と争います。
小選挙区では菅氏に敗れましたが、比例東京ブロックで復活当選し7期目に入りました。旧来の東京21区を離れて迎えた最初の衆院選でした。
その後の衆院小選挙区の区割り変更で、新たに府中市、多摩市、稲城市からなる東京30区が設けられました。2023年には自民党東京30区支部の発足会を開き、この3市を新しい活動地域とします。
2024年の第50回衆院選では東京30区の小選挙区で敗れ、比例東京ブロックで8期目の当選。続く2026年2月の第51回衆院選では東京30区で小選挙区当選し、9期目に入りました。
長島昭久氏の政策・政治姿勢
日米同盟を軸にした安全保障
外交・安全保障では、日米同盟を基軸にしながら、日本自身の防衛力を強化する立場を取っています。2026年の政策では、宇宙、ミサイル防衛、電磁波、無人装備など新しい領域への対応や、同志国との安全保障ネットワーク拡大を掲げています。
自民党安全保障調査会が2026年6月にまとめた新たな国家安全保障戦略等への提言では、外交、防衛、経済、技術、情報、人材を連動させた総合的な安全保障体制を求めました。長島氏も調査会の副会長として政策議論に加わっています。
安全保障と権力統制
防衛力の強化を主張する一方、政府が扱う安全保障情報や権限については、行政側だけで完結させず、誤りを是正できる仕組みを置く必要があるとも論じてきました。
権力が間違う可能性があるということについての謙虚な姿勢だと思うんです。
出典:国会会議録検索システム「第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第16号」(2013年11月20日)
自衛権については、憲法9条の下で使われてきた「必要最小限度」の考え方そのものを政策論として検討する発信も続けています。
人権外交と議員外交
安全保障だけでなく、人権問題を外交政策として扱う活動にも参加しています。「人権外交を超党派で考える議員連盟」では共同代表を務め、日本版マグニツキー法を含む人権侵害への対応を議論してきました。
日米、日韓、台湾、モンゴルなどとの議員間交流にも継続して関わっており、政府間外交とは別の議員外交も活動の一つになっています。
児童虐待・貧困対策とネウボラ
外交・安全保障とは異なる分野で長く扱っているのが、こども政策です。本人は、地域の児童養護施設の関係者から「地元の子どもたちにも目を向けてほしい」という趣旨の指摘を受けたことを、取り組みを深めるきっかけの一つとして振り返っています。
その後、フィンランドを訪れて、妊娠期から出産、子育てまで切れ目なく家族を支える「ネウボラ」の仕組みも調査しました。
こどもはこの国の未来そのものです。
出典:長島昭久公式サイト「基本理念」(公開日記載なし)
2026年6月には、こどもの貧困対策、児童養護、ネウボラの三つの超党派議員連盟から政府へ提言を提出しました。給食がない夏休みの困窮家庭への支援、家庭的な社会的養護、妊娠期からの予防的支援などを求めています。
全ての家庭に予防的な伴走型支援の仕組みを整えて参ります。
出典:長島昭久公式サイト「超党派こども政策3議連の提言を黄川田こども担当大臣に申し入れ」(2026年6月20日)
環境・技術と経済政策
環境・産業分野では、脱炭素を経済成長や技術革新と結びつける政策を掲げています。水素や合成燃料などの技術、デジタル化とグリーン投資を組み合わせた産業転換を重視する立場です。
経済政策では、雇用の安定と所得の向上を重視し、財政・金融政策を成長や雇用確保に使う考えを示しています。これらは本人が掲げる政策方針であり、個別の経済指標を長島氏自身の政策成果として扱っているわけではありません。
憲法改正と皇位継承をめぐる立場
憲法については改正に積極的で、緊急事態への対応、憲法9条と自衛権、参議院を含む国会制度、地方分権などを論点として挙げています。
皇位継承については男系継承を維持する立場から発信しています。2024年10月には、当時の石破茂首相の立場についても自身の認識をXで説明しました。
2026年に公表した旧統一教会との過去の関係
2026年1月、週刊文春の報道を受け、長島氏は学生時代の旧統一教会との関わりについて自ら説明しました。
長島氏によると、学生時代に反共思想へ関心を持ち、国際勝共連合の集会へ参加するようになった後、統一教会との関係を知り、教会の集まりにも参加しました。現在の妻とはその時期に出会ったとしています。
週刊文春が報じた教団側文書にある「元々マッチング家庭(会員)だった」とする部分については事実だと認めました。一方、本人は妻とともに30年以上前に脱会し、それ以降は一切の関係を断ったと説明しています。
同じ教団側文書に記された、後年に再び団体とつながり支援を受けたという趣旨の記述については、団体へ接触したことも、選挙支援を依頼したことも、支援を受けた事実もないと否定しました。
動画で見る長島昭久氏
自由民主党公式チャンネルでは、国会や安全保障政策をテーマに長島氏本人が話す長めの動画も公開されています。
長島昭久氏の現在情報
拉致問題、国家安全保障、こども政策、人権外交、日韓・日米などの議員外交を継続して扱っている。
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- 現職、選挙区、所属会派、委員長職、出生地、学歴、主要経歴、当選回数を確認
- 所属政党、東京30区、当選回数、生年月日、主要経歴、公式SNS等を確認
- 学歴、政治経歴、東京30区、国会・党役職、議員連盟等を確認
- 慶應義塾時代、石原伸晃氏秘書、米国留学、研究者時代、初出馬、初当選、政党移籍の経緯を確認
- 大学・大学院の卒業年月、SAIS修了、米国外交問題評議会、防衛大臣政務官、総理大臣補佐官、防衛副大臣等を確認
- 外交・安全保障、こども、環境・技術、経済、憲法に関する政策姿勢を確認
- こどもの貧困、児童養護、ネウボラに関する2026年の政策活動を確認
- 第51回衆議院議員総選挙東京30区の得票数、順位、小選挙区当選を確認
- 第50回衆議院議員総選挙東京30区の得票数、順位を確認
- 2000年10月の東京21区補欠選挙への初出馬と選挙結果を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ整理し、既存本文を維持したまま検索意図を明確化
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月28日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月6日 記事を新規作成。現況情報を確認




















