笠井亮氏は、日本共産党の元衆議院議員・元参議院議員です。参議院1期、衆議院6期を務め、2024年には国会議員在職25年の永年在職表彰を受けました。
国会に入る前から国際青年運動や平和運動に携わり、ハンガリー・ブダペストでの海外勤務も経験しています。被爆した母を持つ被爆2世として非核・平和を継続して扱い、衆院では原発、気候変動、中小企業、外交などの問題にも取り組みました。
- 大阪市に生まれ、東京で育ち、安保・沖縄問題への関心から学生時代に政治活動へ進みました。
- 国際青年運動や党の国際・平和部門を経て、1995年に参院初当選、2005年から比例東京で衆院6期を務めました。
- 広島の被爆2世として非核・核軍縮を継続して扱い、2024年の議員退任後も党の国際委員会などで活動しています。
笠井亮の生い立ち|大阪に生まれ、4歳から東京で育つ
笠井亮氏は1952年10月15日、大阪市に生まれました。4歳のとき、父親の転勤に伴って東京へ移り、その後は東京都三鷹市で育ちました。
通ったのは三鷹市立第四小学校、東京教育大学附属駒場中学校・高等学校です。中学に入ったころ父親が再び大阪へ転勤しましたが、中高一貫校に通っていた笠井氏は東京に残り、その後4年余りを下宿で暮らしたと振り返っています。
高校卒業後は1年間の浪人生活を経て東京大学経済学部へ進学しました。経済学部卒業後には同大学農学部でも学んでいます。
笠井亮の学歴|安保と沖縄を考えた学生時代
高校から浪人期に重なったのが、1970年の日米安全保障条約をめぐる政治状況と沖縄返還問題でした。笠井氏の回想によると、高校でも安保や沖縄について議論が交わされ、集会やデモに参加する生徒がいました。
笠井氏自身も、浪人中に沖縄返還協定をめぐるデモへ参加しました。この時期に日本民主青年同盟へ入り、その後、日本共産党へ入党しています。
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 三鷹市立第四小学校 | ― | ― | 4歳で東京へ移住後に通学 |
| 中学校 | 東京教育大学附属駒場中学校 | ― | ― | 現在の筑波大学附属駒場中学校 |
| 高校 | 東京教育大学附属駒場高等学校 | ― | 77(後身・筑波大学附属駒場高校の2026年度参考値) | 現在の筑波大学附属駒場高等学校 |
| 大学 | 東京大学 | 経済学部 | 67.5(文科二類・2027年度の参考) | 卒業 |
| 大学 | 東京大学 | 農学部 | 学部への直接募集なし | 経済学部卒業後に学び、専従活動へ進むため中退 |
※偏差値・難易度は笠井氏の在学当時ではなく、現在の入試難易度の目安です。旧東京教育大学附属駒場高校は後身の筑波大学附属駒場高校の2026年度版を参考値として掲載。東京大学経済学部は科類制のため文科二類を参考値とし、農学部は学部への直接募集がないため数値を置いていません。
入党は私にとって自然の結論でした。
出典:笠井亮公式サイト「笠井亮物語」(2004年6月)
大学在学中には全日本学生自治会総連合(全学連)の副委員長を務めました。活動に専従する時期もあり、ベルリンで開かれた世界青年学生祭典には日本代表として参加しています。
ベルリンからブダペストへ、国際活動の経験
ベルリンへの渡航は、笠井氏にとって初めての海外経験でした。後年、本人はこの経験をその後の国際活動につながる出来事として振り返っています。
これがその後の国際活動の出発になったのでした。
出典:笠井亮公式サイト「政治家への道」(公開日記載なし)
東京大学経済学部を卒業した後は農学部でも学びましたが、日本民主青年同盟の専従者となるため中退しました。
1982年から3年間は、ハンガリーのブダペストにあった世界民主青年連盟本部に常駐しました。帰国後は日本共産党本部で、「しんぶん赤旗」外信部記者、平和運動局次長、日本平和委員会理事、日本原水協常任理事などを経験しています。
母の被爆体験と、被爆2世としての活動
笠井氏の母は、1945年8月6日の原爆投下から2日後、14歳で広島市内に入り被爆しました。本人の回想では、母は長い間、被爆者健康手帳を取得せず、周囲にも被爆体験をほとんど語っていませんでした。
笠井氏が参議院議員に初当選した1995年9月、車いす生活を送っていた母とともに広島を訪問しました。原爆資料館や平和記念公園を訪れ、母は被爆から50年を経て被爆者健康手帳を取得したといいます。
2024年6月、国会議員在職25年の表彰に際して笠井氏は、自身の政治活動の原点について次のように述べました。
私の政治活動の原点は、広島の被爆2世としての非核平和の思いです。
出典:日本共産党東京都委員会「議員生活25年の永年在籍議員表彰 共産党・笠井氏が謝辞」(2024年6月19日)
笠井亮の経歴|1992年の初出馬、3年後に参議院へ
笠井氏が初めて国政選挙へ立候補したのは1992年の参議院選挙です。当時は党本部で平和・反核運動を担当しており、本人によれば、選挙直前に日本共産党が比例候補を25人に増やした際、その一人として名簿25位に入りました。
この選挙では落選しましたが、1995年の第17回参議院議員通常選挙で比例代表から初当選しました。参議院では沖縄及び北方問題特別委員長などを務めています。
2001年の参院選では18,235票を得ましたが落選。2004年にも比例代表から立候補して56,963票を得たものの、日本共産党が獲得した4議席には届きませんでした。
005年、比例東京から衆議院へ国会へ戻ったのは2005年の第44回衆議院議員総選挙です。日本共産党の比例東京ブロック名簿に登載され、衆議院議員へ初当選しました。
その後、2009年、2012年、2014年、2017年、2021年の総選挙でも比例東京ブロックから当選。衆議院では6期連続で議席を得ました。
参院1期と衆院6期を合わせた国会在職期間は25年に達します。委員会活動では経済産業、原子力、外交など幅広い分野を扱いました。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1992年 7月26日 | 第16回参議院議員通常選挙 初出馬。本人の回想では党が比例候補を25人に増やした際に候補となり、名簿最下位の25位だった。 | 比例代表 | 日本共産党 | 落選 | 個人票なし(拘束名簿式) 名簿25位 |
| 1995年 7月23日 | 第17回参議院議員通常選挙 初当選。参議院議員1期。 | 比例代表 | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(拘束名簿式) 名簿4位 |
| 2001年 7月29日 | 第19回参議院議員通常選挙 非拘束名簿式。日本共産党は比例4議席を獲得し、笠井氏は当選圏に届かなかった。 | 比例代表 | 日本共産党 | 落選 | 18,235票 日本共産党候補内7位 |
| 2004年 7月11日 | 第20回参議院議員通常選挙 日本共産党は比例4議席。笠井氏は党候補中5位だった。 | 比例代表 | 日本共産党 | 落選 | 56,963票 日本共産党候補内5位 |
| 2005年 9月11日 | 第44回衆議院議員総選挙 衆議院初当選。日本共産党は比例東京で1議席を獲得。 | 比例東京ブロック | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(日本共産党586,017票) 名簿2位・当選 |
| 2009年 8月30日 | 第45回衆議院議員総選挙 衆議院2期目。 | 比例東京ブロック | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(日本共産党665,462票) 名簿1位・当選 |
| 2012年 12月16日 | 第46回衆議院議員総選挙 衆議院3期目。 | 比例東京ブロック | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(日本共産党484,365票) 名簿1位・当選 |
| 2014年 12月14日 | 第47回衆議院議員総選挙 衆議院4期目。日本共産党は比例東京で3議席を獲得。 | 比例東京ブロック | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(日本共産党885,927票) 名簿1位・当選 |
| 2017年 10月22日 | 第48回衆議院議員総選挙 衆議院5期目。日本共産党は比例東京で2議席を獲得。 | 比例東京ブロック | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(日本共産党618,332票) 名簿1位・当選 |
| 2021年 10月31日 | 第49回衆議院議員総選挙 衆議院6期目。日本共産党は比例東京で2議席を獲得。笠井氏にとって最後の国政選挙となった。 | 比例東京ブロック | 日本共産党 | 当選 | 個人票なし(日本共産党670,340票) 名簿1位・当選 |
衆院6期で取り上げた政策・政治テーマ
非核・核軍縮
被爆2世としての非核・核軍縮は、笠井氏が長期にわたり扱ってきたテーマです。国際会議にも参加し、核兵器禁止条約や核不拡散条約(NPT)をめぐる議論について発信してきました。
2022年には核兵器禁止条約の締約国会議に参加するためウィーンを訪れたことを本人Xで報告しています。
2022年にはニューヨークの第10回NPT再検討会議に参加しました。2024年の永年在職表彰時にも、核兵器禁止条約を採択した国連会議への参加を自身の国際活動の一つとして挙げています。
国際活動中には、ニューヨーク市内のPCR検査体制について現地の様子を本人Xで紹介したこともあります。
原発政策と原子力規制
衆院では経済産業委員会や原子力問題調査特別委員会に所属し、原発政策と原子力規制を継続して取り上げました。
2024年にも、原発からの撤退や再生可能エネルギーへの転換、「原発ゼロ基本法」の制定などを求める請願の紹介議員となっています。5月31日の原子力問題調査特別委員会では、原子力規制行政をめぐって参考人らに質問しました。
気候変動と再生可能エネルギー
気候変動については、2008年に日本共産党の欧州調査団長としてドイツ、イギリス、ベルギーを訪問。政府機関、産業界、EU、再生可能エネルギー関連施設などを調査しました。
帰国後は、中長期の削減目標や政府と産業界の協定、排出量取引、環境税などとともに、再生可能エネルギーの拡大を提案しました。
法的拘束力のある数値目標をもつべきだ
出典:笠井亮公式サイト「温暖化対策 共産党欧州調査団が報告会」(2008年4月18日)
中小企業と資金繰り
経済産業委員会では中小企業金融も扱いました。2023年5月の審議では、信用保証制度について、小規模事業者の利用状況や100%保証の扱いを取り上げ、政府に制度運用を確認しています。
感染症流行期には、持続化給付金の支給状況や中小企業支援について政府へ対応を求めたことを本人Xで発信しています。
この審議で政府側は、感染症や地震など突発的災害時に発動する一部のセーフティーネット保証について、100%保証を維持する方針を答弁しました。
外交、沖縄、文化財をめぐる国会審議
参院時代には沖縄及び北方問題特別委員長を務めました。衆院では外務委員会などで外交案件も扱っています。
2021年には国民投票法改正案をめぐる国会対応について、本人Xで自身の立場を発信しています。
2011年の日韓図書協定の審議では、日本政府が保管していた朝鮮王朝儀軌など朝鮮半島由来の図書の韓国への引き渡しをめぐり、協定の対象や経緯について政府に質問しました。
国会議員在職25年、2024年に議員生活へ区切り
2024年6月18日、衆議院本会議は笠井氏の国会議員在職25年の永年在職表彰を全会一致で決定しました。参院1期、衆院6期を合わせた在職期間によるものです。
その年の秋、次の総選挙には立候補せず、2024年10月で衆議院議員の任を終えました。
今回をもちまして議員としては区切りですが、新しい挑戦のスタートに立ったという思いです。
出典:笠井亮公式サイト「議員団総会で退任あいさつ」(2024年10月9日)
国会議員退任後も国際・非核分野で活動
2026年4月にはベルギー・ブリュッセルで開かれた欧州左翼党第8回大会へ出席し、日本共産党を代表して来賓あいさつを行いました。大会期間中には欧州各国の政党関係者との懇談も行っています。
議員在職中の党活動では、オンライン企画へのメッセージ動画なども本人Xで紹介していました。
同年9月には、核兵器禁止条約第1回再検討会議などをめぐる「核兵器をなくす日本キャンペーン」と党執行部の懇談に、国際委員会副責任者として同席しました。国会議員としての任期を終えた後も、長く担当してきた国際・非核分野での活動が続いています。
笠井亮氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
核兵器禁止条約・核軍縮
「本来、被爆国政府こそ交渉の議論をリードする役割を果たすべきだ」
核兵器禁止条約の交渉会議をめぐり、被爆国である日本政府が交渉に参加し、核兵器国と非核兵器国の間で役割を果たすべきだとの立場を示した。
原発・原子力規制
「最悪を想定することが福島第一原発事故の最も大きな教訓ではないのか」
福島第一原発事故の教訓と能登半島地震後の原発安全を取り上げ、原子力規制では重大事故を想定した安全確保を重視すべきだと主張した。
気候変動・再生可能エネルギー
「省エネ、再エネの普及によって気候危機打開に全力を挙げるべきだ」
IPCC第6次統合報告書を踏まえて温室効果ガス削減目標を議論し、省エネルギーと再生可能エネルギーの普及を重視する立場を示した。
中小企業金融・信用保証
「中小・小規模事業者の資金繰りを支えるセーフティーネットの役割を果たしてきました。」
信用保証制度と政府系金融機関を中小・小規模事業者の資金繰りを支える仕組みと位置付け、信用保険制度と商工中金改革について議論した。
日韓図書協定・文化財協力
「文化財をめぐって可能な限り韓国との間でも誠意ある対応をしていく」
日韓図書協定の審議で、朝鮮王朝儀軌など引き渡し対象図書の範囲や過去の文化財協力の経緯を確認し、文化財をめぐる対応と日韓関係について政府見解を求めた。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
笠井亮氏の現在情報
2024年10月に衆議院議員を退任後も、党の国際・非核・エネルギー分野で活動を継続している。2026年4月には欧州左翼党大会に出席し、9月には核兵器をなくす日本キャンペーンとの懇談に参加した。
- 生年月日、学歴、参院1期、衆院6期、主要経歴を確認。
- 出生地、東京への転居、学生時代、東京大学、民青、国際青年運動、ブダペスト赴任、母の被爆体験、1992年初出馬を確認。
- 2024年6月18日の永年在職25年表彰、本人謝辞、国会活動を確認。
- 第17回参院選比例代表での当選と参議院議員歴を確認。
- 日本共産党での幹部会委員、国際委員会副責任者等の役職を確認。
- 2026年4月時点の元衆院議員、国際委員会副責任者、幹部会委員としての活動を確認。
- 中小企業の信用保証制度、商工中金、政府系金融機関をめぐる質疑を確認。
- 原発からの撤退、再生可能エネルギーへの転換、原発ゼロ基本法等の請願紹介を確認。
- 日韓図書協定、朝鮮王朝儀軌など朝鮮半島由来図書をめぐる質疑を確認。
- 2024年10月で衆議院議員の任を終えたことを確認。
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 本文内の公式X投稿が5件未満の記事について、既存の関連投稿を保持したまま本人公式Xの最新投稿で不足分を補完
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月29日 本人公式Xを再確認。本文との関連性が十分な投稿を確認できなかったため、数合わせの埋め込みは行わず見送り理由を品質管理に記録。
- 2026年9月27日 現況情報と本文構成を再確認し、表示内容を整理
- 2026年9月26日 記事を新規作成。生い立ち・学歴、参院1期・衆院6期の選挙歴、政策・国会活動、2024年の議員退任、2026年9月時点の現況情報を確認。
- 2026年9月26日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。




















