笠井亮の経歴・学歴と生い立ち|被爆2世から参院、衆院6期と国際活動まで

笠井亮
ひと目でわかるプロフィール 笠井亮
かさい あきら
出身地
大阪府大阪市
初当選
1995年(第17回参議院議員通常選挙)
最終学歴
東京大学経済学部卒業
主な前職
政党職員、新聞記者・ジャーナリスト
政界入り
政党職員から
生年月日 1952年10月15日

笠井亮氏は、日本共産党の元衆議院議員・元参議院議員です。参議院1期、衆議院6期を務め、2024年には国会議員在職25年の永年在職表彰を受けました。

国会に入る前から国際青年運動や平和運動に携わり、ハンガリー・ブダペストでの海外勤務も経験しています。被爆した母を持つ被爆2世として非核・平和を継続して扱い、衆院では原発、気候変動、中小企業、外交などの問題にも取り組みました。

笠井亮氏を理解する3つのポイント
  1. 大阪市に生まれ、東京で育ち、安保・沖縄問題への関心から学生時代に政治活動へ進みました。
  2. 国際青年運動や党の国際・平和部門を経て、1995年に参院初当選、2005年から比例東京で衆院6期を務めました。
  3. 広島の被爆2世として非核・核軍縮を継続して扱い、2024年の議員退任後も党の国際委員会などで活動しています。

笠井亮の生い立ち|大阪に生まれ、4歳から東京で育つ

笠井亮氏は1952年10月15日、大阪市に生まれました。4歳のとき、父親の転勤に伴って東京へ移り、その後は東京都三鷹市で育ちました。

通ったのは三鷹市立第四小学校、東京教育大学附属駒場中学校・高等学校です。中学に入ったころ父親が再び大阪へ転勤しましたが、中高一貫校に通っていた笠井氏は東京に残り、その後4年余りを下宿で暮らしたと振り返っています。

高校卒業後は1年間の浪人生活を経て東京大学経済学部へ進学しました。経済学部卒業後には同大学農学部でも学んでいます。

笠井亮の学歴|安保と沖縄を考えた学生時代

高校から浪人期に重なったのが、1970年の日米安全保障条約をめぐる政治状況と沖縄返還問題でした。笠井氏の回想によると、高校でも安保や沖縄について議論が交わされ、集会やデモに参加する生徒がいました。

笠井氏自身も、浪人中に沖縄返還協定をめぐるデモへ参加しました。この時期に日本民主青年同盟へ入り、その後、日本共産党へ入党しています。

学歴一覧笠井亮の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校三鷹市立第四小学校――4歳で東京へ移住後に通学
中学校東京教育大学附属駒場中学校――現在の筑波大学附属駒場中学校
高校東京教育大学附属駒場高等学校―77(後身・筑波大学附属駒場高校の2026年度参考値)現在の筑波大学附属駒場高等学校
大学東京大学経済学部67.5(文科二類・2027年度の参考)卒業
大学東京大学農学部学部への直接募集なし経済学部卒業後に学び、専従活動へ進むため中退

※偏差値・難易度は笠井氏の在学当時ではなく、現在の入試難易度の目安です。旧東京教育大学附属駒場高校は後身の筑波大学附属駒場高校の2026年度版を参考値として掲載。東京大学経済学部は科類制のため文科二類を参考値とし、農学部は学部への直接募集がないため数値を置いていません。

入党は私にとって自然の結論でした。

出典:笠井亮公式サイト「笠井亮物語」(2004年6月)

大学在学中には全日本学生自治会総連合(全学連)の副委員長を務めました。活動に専従する時期もあり、ベルリンで開かれた世界青年学生祭典には日本代表として参加しています。

ベルリンからブダペストへ、国際活動の経験

ベルリンへの渡航は、笠井氏にとって初めての海外経験でした。後年、本人はこの経験をその後の国際活動につながる出来事として振り返っています。

これがその後の国際活動の出発になったのでした。

出典:笠井亮公式サイト「政治家への道」(公開日記載なし)

東京大学経済学部を卒業した後は農学部でも学びましたが、日本民主青年同盟の専従者となるため中退しました。

1982年から3年間は、ハンガリーのブダペストにあった世界民主青年連盟本部に常駐しました。帰国後は日本共産党本部で、「しんぶん赤旗」外信部記者、平和運動局次長、日本平和委員会理事、日本原水協常任理事などを経験しています。

母の被爆体験と、被爆2世としての活動

笠井氏の母は、1945年8月6日の原爆投下から2日後、14歳で広島市内に入り被爆しました。本人の回想では、母は長い間、被爆者健康手帳を取得せず、周囲にも被爆体験をほとんど語っていませんでした。

笠井氏が参議院議員に初当選した1995年9月、車いす生活を送っていた母とともに広島を訪問しました。原爆資料館や平和記念公園を訪れ、母は被爆から50年を経て被爆者健康手帳を取得したといいます。

2024年6月、国会議員在職25年の表彰に際して笠井氏は、自身の政治活動の原点について次のように述べました。

私の政治活動の原点は、広島の被爆2世としての非核平和の思いです。

出典:日本共産党東京都委員会「議員生活25年の永年在籍議員表彰 共産党・笠井氏が謝辞」(2024年6月19日)
人生年表 笠井亮さんの歩み
1952年10月15日
大阪府大阪市で生まれる
4歳のとき父の転勤で東京へ移る
中学進学後
父の大阪転勤後も東京に残り下宿生活
中高一貫校に通いながら4年余り下宿する
1970年前後
安保・沖縄問題への関心を深める
浪人中に沖縄返還協定をめぐるデモへ参加
1970年代
東京大学経済学部を卒業
その後、同大学農学部でも学ぶ
1970年代
日本民主青年同盟の専従者となる
全学連副委員長も務める
1982年
世界民主青年連盟本部に赴任
ハンガリー・ブダペストで3年間活動
1980年代後半
日本共産党本部で国際・平和分野に携わる
しんぶん赤旗外信部記者、平和運動局次長などを歴任
1992年7月
参院選比例代表に初出馬
日本共産党名簿25位で落選
1995年7月
参院選比例代表で初当選
参議院議員を1期務める
2001年7月
参院選比例代表で落選
参議院議員の任期を終える
2005年9月
衆院選比例東京ブロックで初当選
以後6期連続で当選
2024年6月
衆議院永年在職議員表彰を受ける
国会議員在職25年
2024年10月
衆議院議員を退任
次の総選挙には立候補せず
2026年9月
日本共産党の党活動を継続
幹部会委員、国際委員会副責任者として活動

笠井亮の経歴|1992年の初出馬、3年後に参議院へ

笠井氏が初めて国政選挙へ立候補したのは1992年の参議院選挙です。当時は党本部で平和・反核運動を担当しており、本人によれば、選挙直前に日本共産党が比例候補を25人に増やした際、その一人として名簿25位に入りました。

この選挙では落選しましたが、1995年の第17回参議院議員通常選挙で比例代表から初当選しました。参議院では沖縄及び北方問題特別委員長などを務めています。

2001年の参院選では18,235票を得ましたが落選。2004年にも比例代表から立候補して56,963票を得たものの、日本共産党が獲得した4議席には届きませんでした。

005年、比例東京から衆議院へ

国会へ戻ったのは2005年の第44回衆議院議員総選挙です。日本共産党の比例東京ブロック名簿に登載され、衆議院議員へ初当選しました。

その後、2009年、2012年、2014年、2017年、2021年の総選挙でも比例東京ブロックから当選。衆議院では6期連続で議席を得ました。

参院1期と衆院6期を合わせた国会在職期間は25年に達します。委員会活動では経済産業、原子力、外交など幅広い分野を扱いました。

選挙歴 笠井亮の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第16回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
初出馬。本人の回想では党が比例候補を25人に増やした際に候補となり、名簿最下位の25位だった。
比例代表 日本共産党 落選 個人票なし(拘束名簿式) 名簿25位
第17回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
初当選。参議院議員1期。
比例代表 日本共産党 当選 個人票なし(拘束名簿式) 名簿4位
第19回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
非拘束名簿式。日本共産党は比例4議席を獲得し、笠井氏は当選圏に届かなかった。
比例代表 日本共産党 落選 18,235票 日本共産党候補内7位
第20回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
日本共産党は比例4議席。笠井氏は党候補中5位だった。
比例代表 日本共産党 落選 56,963票 日本共産党候補内5位
第44回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:該当なし(比例単独)
衆議院初当選。日本共産党は比例東京で1議席を獲得。
比例東京ブロック 日本共産党 当選 個人票なし(日本共産党586,017票) 名簿2位・当選
第45回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:該当なし(比例単独)
衆議院2期目。
比例東京ブロック 日本共産党 当選 個人票なし(日本共産党665,462票) 名簿1位・当選
第46回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:該当なし(比例単独)
衆議院3期目。
比例東京ブロック 日本共産党 当選 個人票なし(日本共産党484,365票) 名簿1位・当選
第47回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:該当なし(比例単独)
衆議院4期目。日本共産党は比例東京で3議席を獲得。
比例東京ブロック 日本共産党 当選 個人票なし(日本共産党885,927票) 名簿1位・当選
第48回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:該当なし(比例単独)
衆議院5期目。日本共産党は比例東京で2議席を獲得。
比例東京ブロック 日本共産党 当選 個人票なし(日本共産党618,332票) 名簿1位・当選
第49回衆議院議員総選挙
定数:17 比例復活:該当なし(比例単独)
衆議院6期目。日本共産党は比例東京で2議席を獲得。笠井氏にとって最後の国政選挙となった。
比例東京ブロック 日本共産党 当選 個人票なし(日本共産党670,340票) 名簿1位・当選

衆院6期で取り上げた政策・政治テーマ

非核・核軍縮

被爆2世としての非核・核軍縮は、笠井氏が長期にわたり扱ってきたテーマです。国際会議にも参加し、核兵器禁止条約や核不拡散条約(NPT)をめぐる議論について発信してきました。

2022年には核兵器禁止条約の締約国会議に参加するためウィーンを訪れたことを本人Xで報告しています。

2022年にはニューヨークの第10回NPT再検討会議に参加しました。2024年の永年在職表彰時にも、核兵器禁止条約を採択した国連会議への参加を自身の国際活動の一つとして挙げています。

国際活動中には、ニューヨーク市内のPCR検査体制について現地の様子を本人Xで紹介したこともあります。

原発政策と原子力規制

衆院では経済産業委員会や原子力問題調査特別委員会に所属し、原発政策と原子力規制を継続して取り上げました。

2024年にも、原発からの撤退や再生可能エネルギーへの転換、「原発ゼロ基本法」の制定などを求める請願の紹介議員となっています。5月31日の原子力問題調査特別委員会では、原子力規制行政をめぐって参考人らに質問しました。

気候変動と再生可能エネルギー

気候変動については、2008年に日本共産党の欧州調査団長としてドイツ、イギリス、ベルギーを訪問。政府機関、産業界、EU、再生可能エネルギー関連施設などを調査しました。

帰国後は、中長期の削減目標や政府と産業界の協定、排出量取引、環境税などとともに、再生可能エネルギーの拡大を提案しました。

法的拘束力のある数値目標をもつべきだ

出典:笠井亮公式サイト「温暖化対策 共産党欧州調査団が報告会」(2008年4月18日)

中小企業と資金繰り

経済産業委員会では中小企業金融も扱いました。2023年5月の審議では、信用保証制度について、小規模事業者の利用状況や100%保証の扱いを取り上げ、政府に制度運用を確認しています。

感染症流行期には、持続化給付金の支給状況や中小企業支援について政府へ対応を求めたことを本人Xで発信しています。

この審議で政府側は、感染症や地震など突発的災害時に発動する一部のセーフティーネット保証について、100%保証を維持する方針を答弁しました。

外交、沖縄、文化財をめぐる国会審議

参院時代には沖縄及び北方問題特別委員長を務めました。衆院では外務委員会などで外交案件も扱っています。

2021年には国民投票法改正案をめぐる国会対応について、本人Xで自身の立場を発信しています。

2011年の日韓図書協定の審議では、日本政府が保管していた朝鮮王朝儀軌など朝鮮半島由来の図書の韓国への引き渡しをめぐり、協定の対象や経緯について政府に質問しました。

国会議員在職25年、2024年に議員生活へ区切り

2024年6月18日、衆議院本会議は笠井氏の国会議員在職25年の永年在職表彰を全会一致で決定しました。参院1期、衆院6期を合わせた在職期間によるものです。

その年の秋、次の総選挙には立候補せず、2024年10月で衆議院議員の任を終えました。

今回をもちまして議員としては区切りですが、新しい挑戦のスタートに立ったという思いです。

出典:笠井亮公式サイト「議員団総会で退任あいさつ」(2024年10月9日)

国会議員退任後も国際・非核分野で活動

2026年4月にはベルギー・ブリュッセルで開かれた欧州左翼党第8回大会へ出席し、日本共産党を代表して来賓あいさつを行いました。大会期間中には欧州各国の政党関係者との懇談も行っています。

議員在職中の党活動では、オンライン企画へのメッセージ動画なども本人Xで紹介していました。

同年9月には、核兵器禁止条約第1回再検討会議などをめぐる「核兵器をなくす日本キャンペーン」と党執行部の懇談に、国際委員会副責任者として同席しました。国会議員としての任期を終えた後も、長く担当してきた国際・非核分野での活動が続いています。

笠井亮氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

核兵器禁止条約・核軍縮

原発・原子力規制

気候変動・再生可能エネルギー

中小企業金融・信用保証

日韓図書協定・文化財協力

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

笠井亮氏の現在情報

2026年9月26日 時点
現在の所属 日本共産党
現在の主な役職
幹部会委員 国際委員会副責任者 原発・気候変動・エネルギー問題対策委員会責任者

2024年10月に衆議院議員を退任後も、党の国際・非核・エネルギー分野で活動を継続している。2026年4月には欧州左翼党大会に出席し、9月には核兵器をなくす日本キャンペーンとの懇談に参加した。

政治人生の転機 笠井亮の政治人生の転機
01
1970年前後
安保・沖縄問題への関心から政治活動へ
高校から浪人期にかけて安保や沖縄返還問題に関心を持ち、日本民主青年同盟、のちに日本共産党へ参加した。
なぜ転機なのか 政治を職業とする前に、本人の政治活動の入口となった時期だから。
02
1995年7月
参議院議員へ初当選
1992年の初出馬・落選を経て、第17回参院選比例代表で初当選した。
なぜ転機なのか 党・平和運動を中心とした活動から国会議員としての政治活動へ移ったため。
03
2005年9月
衆議院比例東京で初当選
参院選での二度の落選後、第44回衆院選比例東京ブロックで当選。その後2021年まで6期連続で議席を得た。
なぜ転機なのか 参院議員退任後の再挑戦を経て衆議院へ活動の場を移し、約19年間の衆院議員歴が始まったため。
04
2024年10月
国会議員生活に区切り
2024年10月に衆議院議員を退任し、次の総選挙には立候補しなかった。
なぜ転機なのか 参院・衆院を合わせて25年に及んだ国会議員としての活動を終え、党の国際・政策分野を中心とする活動へ移ったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報

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