清水勇人の経歴・学歴と生い立ち|国際政治を志した学生時代から埼玉県議、さいたま市長へ

清水勇人
ひと目でわかるプロフィール 清水勇人
しみず はやと
出身地
埼玉県戸田市
初当選
2003年(埼玉県議会議員一般選挙)
最終学歴
日本大学法学部政治経済学科卒業
主な前職
会社経営者、国会議員秘書
政界入り
民間企業から
生年月日 1962年3月25日
血液型 AB型

清水勇人氏は、埼玉県議会議員を経て、さいたま市政を長く担ってきた政治家です。

その歩みをたどると、出発点にあったのは地方行政ではなく、戦争や飢え、国際政治への関心でした。学生時代の海外経験から松下政経塾、会社経営、国会議員秘書、県議へと進み、やがて政令指定都市の市長へと活動の舞台を移しています。

清水勇人氏を理解する3つのポイント
  1. 学生時代は国際政治を学び、難民キャンプや中東の現場にも足を運んだ
  2. 会社経営と国会議員秘書を経て、落選後の再挑戦で埼玉県議になった
  3. 県議からさいたま市長へ転じ、市民参加や共生、都市基盤整備を継続して扱ってきた

清水勇人の生い立ち|戸田から旧大宮へ――家庭の変化と野球少年時代

清水勇人氏は1962年3月25日、埼玉県戸田市に生まれました。小学2年生の時に両親が離婚し、旧大宮市立植水小学校へ転校しています。

中学時代は野球部に入り、サードやショートなど内野を守りました。本人は、レギュラーと補欠を行き来していた一方で、「練習だけは部の中でも最もやったと自負」と振り返っています。

中学2年生の時には母親がくも膜下出血で危篤状態となり、その後は半身不随の状態で約23年間の闘病生活を送りました。清水氏の公式プロフィールには、この家庭での出来事も少年期の経歴として記されています。

清水勇人の学歴|高校時代に向いた「世界」への関心

清水氏は明治学院中学校、明治学院東村山高等学校へ進みました。高校3年生の時、明石康氏の著書『国際連合』を読み、さらにベトナム戦争を取材したフリーカメラマンと出会います。

戦地を見てきた人物の話を聞いたことで、国際政治や戦争、飢餓の問題へ強く関心を向けるようになりました。

「地球上から戦争と飢えをなくしたい」

出典:清水はやと公式サイト「志の原点」(公開日記載なし)

卒業後に選んだのは日本大学法学部政治経済学科でした。ここから、清水氏の関心は本や講義だけでなく、海外の現場へ広がっていきます。

学歴一覧清水勇人の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校大宮市立植水小学校――現在のさいたま市
中学校明治学院中学校――中高一貫
高校明治学院東村山高等学校―65(2026年度版)―
大学日本大学法学部政治経済学科47.5(2027年度学部学科ランク)国際政治を学ぶ

※偏差値・難易度は清水氏の在学当時ではなく現在の目安です。高校は2026年度版、日本大学は河合塾Kei-Netの2027年度入試データを参照しています。

日本大学で国際政治を学び、難民キャンプと中東へ

1981年4月に日本大学へ入学すると、ゼミで国際関係論や国際政治学を学び、外政研究会では代表として活動しました。

大学1年生では、日本国際ボランティアセンター(JVC)の活動に参加するためタイへ向かいます。航空券代は、通学しながら深夜の工場などで働いて貯めました。

タイの難民キャンプで、カンボジアやラオス、ベトナムから逃れてきた人々と接した経験を、本人は後に「その後の人生に大きな影響を与えた」と記しています。

日本国際連合学生連盟では理事長を務め、ニューヨークの国連本部で行われた模擬国連に初の日本代表団を組織して参加しました。

大学4年時には1年間休学し、イラン、ヨルダン、シリア、イスラエル、エジプト、パキスタンなどを回りました。卒業論文のテーマを追いながら、戦争や紛争を抱える中東地域で取材を続けています。

1986年3月、日本大学法学部政治経済学科を卒業しました。

清水勇人の経歴|松下政経塾と会社経営――「地域」へ視点を移す

大学卒業後の1986年4月、清水氏は松下政経塾へ第7期生として入塾します。工場や販売店での実習を経験し、その後は地域の国際化、環太平洋経済圏、教育などを研究しました。

国内各地を歩く中では、人口流出や地域経済、教育など、日本国内にも地域ごとに異なる課題があることを知ったと振り返っています。

「地域から世界を変えよう」

出典:清水はやと公式サイト「志の原点」(公開日記載なし)

1988年の卒塾後は埼玉へ戻り、自治体や企業のマーケティング、地域開発、コンサルティングなどを手掛ける会社を経営しました。国際問題への関心から出発した進路が、地域を活動の単位として考える仕事へ移っていきます。

3歳の初出馬は落選――秘書経験を経て県議へ

1995年、33歳で埼玉県議会議員選挙に初めて立候補しました。選挙区は上尾市を区域とする当時の南第6区でしたが、結果は落選でした。

その後は衆議院議員秘書、公設第一秘書として活動します。本人のプロフィールでは、国会と岩槻、蓮田地域を担当していたことが明らかにされています。

再び県議選へ出たのは2003年です。南第6区がさいたま市見沼区となった選挙で、18,658票を獲得し、1位で初当選しました。

県議時代には、防犯やスポーツ振興をテーマとする条例の議員提案にも取り組みました。2007年の県議選では自由民主党から出馬し、22,561票で再びトップ当選しています。

県議からさいたま市長へ

県議として住民相談を受ける中、清水氏は政令指定都市への権限移譲によって、地域の多くの課題が県ではなく市の所管になっていることを意識するようになったと説明しています。

さいたま市は浦和、大宮、与野の3市合併で誕生し、その後に岩槻市と合併しました。清水氏は、各地域の歴史や特性を生かしながら、市としての一体感をつくることを市長選への問題意識として挙げています。

「その時から最終的には首長になるということを意識していました」

出典:NPO法人ドットジェイピー「Vol.084 清水 勇人 さいたま市長」(2012年10月3日)

2009年5月のさいたま市長選では無所属で立候補しました。6人が争った選挙で、155,966票を獲得して初当選し、県議から政令指定都市の首長へ転じました。

再選を重ね、長期市政へ

市長就任後は2013年、2017年、2021年と再選を重ねました。2017年には203,953票、2021年には216,768票を得ています。

2025年5月25日の市長選では5人が立候補し、清水氏は177,217票で5選しました。5期目の初登庁は同月27日です。

「市民一人ひとりがしあわせを実感できる都市を実現したい」

出典:さいたま市「市民の皆様へ(令和7年5月27日)」(2025年5月27日)

5期目に際しては、人口減少を見据えた市政運営へ軸足を移し、「安全で強靱な都市」「誇りあふれる都市」「誰一人取り残さないしあわせ実感都市」「絆で支えあう都市」という4方向の「シンカ」を掲げました。

清水市政の主な政策と政治姿勢

「現場主義」と市民参加

清水氏が市政運営で掲げてきた基本姿勢は、「責任と共感・共汗」「徹底した現場主義」「公平・公正・開かれた市政」の3つです。

「徹底した現場主義」

出典:清水はやと公式サイト「志の原点」(公開日記載なし)

2025年のインタビューでは、市長就任後の現場訪問は1000回以上、10区で実施してきたタウンミーティングは200回を超え、市民提案も2万件以上を施策へ反映したと説明しています。

同年度からは、時間や場所に左右されず政策について市民と行政が意見を交わせるデジタルプラットフォームも導入しました。対面型の現場訪問に加え、オンラインでの市民参加を組み合わせています。

ノーマライゼーション条例と地域共生

障害者政策では、2011年3月に「さいたま市誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例」、いわゆるノーマライゼーション条例を制定しました。

全国の政令指定都市に先駆けた条例で、制定過程では「条例について話し合う100人委員会」を開き、市民が議論へ参加しました。後にこの場は「誰もが共に暮らすための市民会議」となり、障害者施策について意見を交わす仕組みが続いています。

教育・子育てへの取り組み

2025年のマニフェストでは、教育環境と子育て支援を大きな政策群として掲げました。公立学校トイレの完全洋式化、小中学校の体育館・特別教室への空調整備、学びの多様化学校や特別支援学校の整備などです。

同じマニフェストには、国と連携した学校給食無償化、市独自の奨学金制度、第2子保育料のさらなる負担軽減、子どもの権利条例の制定なども盛り込まれています。これらは2025年選挙時に掲げた政策・目標であり、実施済みの施策とは区別して見る必要があります。

地下鉄7号線、大宮・浦和の都市基盤整備

都市基盤では、地下鉄7号線の延伸、大宮駅周辺の「大宮GCS構想」、浦和駅周辺の再開発、道路や東西交通の整備などを政策に位置付けています。

2025年マニフェストでは、地下鉄7号線延伸について同年度中の事業実施要請を掲げ、大宮GCS構想と「(仮称)バスタ大宮」の整備推進も盛り込みました。鉄道だけでなく、道路、バス、LRTなどを含む交通体系を一体的な都市政策として扱っています。

東日本の自治体をつなぐ広域連携

清水氏が市域を越えて進めてきた取り組みの一つが「東日本連携・創生フォーラム」です。2015年の発足時には清水氏が座長を務めました。

大宮駅東口には、各地域の食や産業を紹介する「東日本連携センター(まるまるひがしにほん)」が設けられています。2026年のインタビューで清水氏は、フォーラムへの参加が38自治体まで広がったと説明しました。

「東日本全体を活性化させていく役割が求められている」

出典:自治体通信Online「『量から質』への転換で市政を充実させ、『理想の都市像』の実現へと邁進する」(2026年4月28日)

東京へ人や物を送り出すだけでなく、大宮を結節点として東北、北陸、上信越などの都市間交流を生み出すことを、さいたま市の役割の一つとしています。

脱炭素・環境政策と見沼田んぼ

環境分野では、温室効果ガス削減、省エネ・創エネ、公共・民間施設のZEB・ZEH化、再資源化などを政策として掲げています。

2025年マニフェストでは、2030年度までに温室効果ガスを2013年度比51%削減する目標を示しました。見沼田んぼの保全活用やグリーンインフラ、生物多様性の保全も同じ政策群に置いています。

さいたま市秘書課が運用する市長公式Xでは、市長が参加した環境関連行事などの活動記録も発信されています。

2025年以降の政策では、DXによる窓口改革、地域アプリやデジタル地域通貨、移動支援なども盛り込み、行政手続だけでなく暮らしや地域活動へデジタル技術を広げる方針を示しています。

人生年表 清水勇人さんの歩み
1962年3月25日
埼玉県戸田市で生まれる
小学2年生の時に旧大宮市へ転居
1981年4月
日本大学法学部政治経済学科に入学
国際政治を学び、タイの難民キャンプでボランティア活動
1986年3月
日本大学法学部政治経済学科を卒業
1986年4月
松下政経塾へ第7期生として入塾
工場・販売店実習や地域の国際化などを研究
1988年
松下政経塾を卒塾
その後、地域開発・コンサルティング等の会社を経営
1995年4月
埼玉県議会議員選挙へ初出馬
南第6区(上尾市)で落選
1990年代後半
衆議院議員秘書・公設第一秘書を務める
国会と岩槻・蓮田地域を担当
2003年4月
埼玉県議会議員に初当選
南第6区(さいたま市見沼区)でトップ当選
2009年5月
さいたま市長選で初当選
155,966票を獲得
2011年3月
ノーマライゼーション条例を制定
障害のある人もない人も共に暮らせる地域社会を目指す条例
2025年5月
さいたま市長選で5選
177,217票を獲得

清水勇人氏の政策を動画で見る

2025年の市長選を前に行った臨時記者会見では、自身の政策方針を動画で説明しています。

本人の公式Xで見る最近の発信

本人公式Xでは、政策や地域活動について継続的に発信しています。以下は本人アカウントで確認できる投稿です。

日々の政策・地域活動に関する本人の発信です。

日々の政策・地域活動に関する本人の発信です。

日々の政策・地域活動に関する本人の発信です。

日々の政策・地域活動に関する本人の発信です。

清水勇人氏の公式発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の公式発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

次の25年を見据えた都市づくり

待機児童ゼロと子育て環境

自然災害と都市強靱化

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

清水勇人氏の現在情報

2026年9月12日 時点
現在の公職 さいたま市長
現在の所属 無所属
選挙区・選出地域 埼玉県さいたま市
現在の期・任期 さいたま市長5期目
現在の主な役職
指定都市市長会副会長 指定都市市長会 国際連携(Urban7)担当市長 自転車を活用したまちづくりを推進する全国市区町村長の会 会長

5期目では人口減少への備えを見据えた4つの「シンカ」を掲げ、都市基盤、教育・子育て、共生、DX、環境などを政策領域に位置付けています。

選挙歴 清水勇人の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
埼玉県議会議員一般選挙
比例復活:対象外
33歳で初出馬。得票数、順位、定数、党派は今回確認した公開一次資料では未確定。
南第6区(上尾市) 落選
埼玉県議会議員一般選挙
定数:2 比例復活:対象外
初当選。トップ当選。
南第6区(さいたま市見沼区) 無所属 当選 18,658票 1位
埼玉県議会議員一般選挙
定数:2 比例復活:対象外
2期目。トップ当選。
南第6区(さいたま市見沼区) 自由民主党 当選 22,561票 1位
さいたま市長選挙
定数:1 比例復活:対象外
市長初当選。
さいたま市 無所属 当選 155,966票 1位
さいたま市長選挙
定数:1 比例復活:対象外
2期目。本人公式プロフィールの171,870票ではなく、埼玉県選挙管理委員会の公式結果171,876票を採用。
さいたま市 無所属 当選 171,876票 1位
さいたま市長選挙
定数:1 比例復活:対象外
3期目。
さいたま市 無所属 当選 203,953票 1位
さいたま市長選挙
定数:1 比例復活:対象外
4期目。
さいたま市 無所属 当選 216,768票 1位
さいたま市長選挙
定数:1 比例復活:対象外
5期目。
さいたま市 無所属 当選 177,217票 1位
政治人生の転機 清水勇人の政治人生の転機
01
1986~1988年
松下政経塾で「地域から世界へ」という視点を得る
第7期生として入塾し、工場・販売店実習や地域の国際化、教育などを研究しました。
なぜ転機なのか 国際政治を中心に考えていた清水氏が、日本の地域社会に目を向け、卒塾後の地域開発・コンサルティング事業へ進む節目となりました。
02
1995年
33歳で県議選へ初挑戦
上尾市を区域とする埼玉県議選に初出馬しましたが、落選しました。
なぜ転機なのか 自ら候補者として政治に挑んだ最初の選挙で、その後は衆議院議員秘書を経験して再挑戦しました。
03
2003年4月
埼玉県議に初当選
さいたま市見沼区の南第6区で18,658票を獲得し、トップで初当選しました。
なぜ転機なのか 1995年の落選から8年を経て初めて公選職を得ました。
04
2009年5月
県議からさいたま市長へ
さいたま市長選へ出馬し、155,966票で初当選しました。
なぜ転機なのか 県議会議員から、政令指定都市の行政を担う首長へ政治活動の立場が変わりました。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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