仲井眞弘多氏は、通商産業省の技術系官僚から沖縄電力の経営者、沖縄県副知事を経て、2006年から2014年まで沖縄県知事を2期務めた人物です。
沖縄の産業行政と経済界の双方を歩いた後、60代後半で初めて選挙に挑みました。知事在任中には沖縄振興、観光、雇用、空港整備を進める一方、普天間飛行場移設をめぐる判断が県政の大きな論点となりました。
- 工学を学び、通産官僚から沖縄電力の経営者へ進んだ経歴を持ちます。
- 沖縄県副知事を経験した後、2006年の知事選で初当選し、2期8年にわたり県政を担いました。
- 沖縄振興と経済基盤整備を進める一方、普天間飛行場と辺野古移設をめぐる判断が大きな政治課題となりました。
仲井眞弘多の生い立ち|大阪で生まれ、戦後の那覇で育つ
仲井眞弘多氏は1939年8月19日、大阪市で生まれました。公的プロフィールには「出身地・沖縄県」または「沖縄県那覇市」と記されることもありますが、人物資料では戦後の1946年に両親の郷里である沖縄へ移り、那覇で育ったとされています。
沖縄県立那覇高等学校を経て、本土の大学へ進学しました。選んだのは東京大学工学部機械工学科です。
1961年3月に東京大学工学部機械工学科を卒業。政治や法律ではなく、工学を専門に学んだことが、その後の通商産業行政へ続く最初の職業的な基盤となりました。
仲井眞弘多の学歴|東京大学から通商産業省へ|技術系官僚として26年
大学卒業翌月の1961年4月、通商産業省に入りました。以後、工業技術院や機械情報産業局などで産業・技術政策に携わります。
1978年には工業技術院総務部機械規格課長、1980年には沖縄開発庁沖縄総合事務局通商産業部長、1982年には通商産業省機械情報産業局通商課長を務めました。
沖縄総合事務局通商産業部長として勤務した時期には、中央官庁の職員という立場で沖縄の産業行政に直接関わっています。1986年には工業技術院総務部技術審議官となりました。
通商産業省での勤務は、沖縄電力へ移る1987年まで続きました。国の産業政策を担当した後、活動の軸を沖縄の企業経営へ移していきます。
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 高校 | 沖縄県立那覇高等学校 | ― | 最新同年度値を確認できた場合のみ数値掲載 | 沖縄で学ぶ |
| 大学 | 東京大学 | 工学部機械工学科 | 科類制のため学部への単純換算はしない | 1961年3月卒業 |
※偏差値・難易度は仲井眞氏の在学当時ではなく現在の目安です。東京大学は科類制のため、本人の入学科類を確認できない状態で工学部へ単一の偏差値を割り当てていません。
仲井眞弘多の経歴|沖縄電力の経営と沖縄県副知事を経験
1987年10月、沖縄電力の理事に就任しました。翌1988年に取締役、1989年に常務取締役となり、官僚から地元企業の経営側へ立場を変えます。
そこから再び行政へ移ったのが1990年12月です。沖縄県副知事に就任し、大田昌秀県政の下で県政運営に携わりました。
副知事を退いた後は沖縄電力へ戻り、1993年に代表取締役副社長、1995年に代表取締役社長となります。2001年には那覇商工会議所会頭、2003年には沖縄電力代表取締役会長に就きました。
知事選へ進む直前の仲井眞氏は、国の官僚というよりも、沖縄の電力会社と経済団体を率いてきた経済界の人物として活動していました。
67歳で初出馬|2006年の沖縄県知事選
2006年、沖縄県知事選に立候補します。仲井眞氏にとって、これが初めての公選選挙でした。
11月19日の投票で347,303票を獲得し、309,985票だった糸数慶子氏らを上回って初当選。67歳で沖縄県知事となりました。
選挙当時の普天間飛行場移設問題では、政府が進めていた現行のV字型案のままでは賛成できないとの立場を示していました。就任後も、まず普天間飛行場の危険性を除くことを政府へ求めています。
「沖縄の現実に正面から向きあい、未来に向かって果敢に挑戦していく」
出典:沖縄県議会「平成18年第5回(定例会)知事就任あいさつ」(2006年12月13日)
知事として向き合う課題は基地問題だけではありませんでした。県内経済、雇用、観光、交通インフラなど、沖縄の自立的な経済基盤をどう整えるかも県政の柱になります。
再選後に明確になった普天間飛行場の県外移設要求
2010年11月28日の県知事選で再選し、335,708票を獲得しました。
2期目へ向かう過程では、普天間飛行場について県外移設と早期返還を政府に求める姿勢をより明確にします。
2011年12月の沖縄県議会では、日米両政府が辺野古移設を進めている状況について、日本国内の他都道府県への移設が合理的で、早期解決につながるとの認識を示しました。
「県外を探したほうが早いというのが私の意見です」
出典:沖縄県議会「平成23年第8回定例会 第6号」(2011年12月6日)
辺野古への移設を軸とする日米両政府と、県外移設を求める県との間には隔たりが残りました。この問題は2期目後半に、仲井眞県政の進路を左右する政治課題となっていきます。
沖縄が主体となる新しい振興計画を策定
2期目には、沖縄振興の制度も大きな節目を迎えました。2012年の沖縄振興特別措置法の枠組みでは、国の基本方針を踏まえながら、沖縄県自身が振興計画の策定主体となりました。
県は2012年5月15日、「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を決定しました。「沖縄らしい優しい社会の構築」と「強くしなやかな自立型経済の構築」を基軸として、沖縄の将来像と施策の方向を示した計画です。
新しい制度の下では、沖縄振興一括交付金など、地域側が使途を組み立てる余地を広げる仕組みも導入されました。仲井眞氏は制度設計の段階から政府との協議に参加し、県議会でも一括交付金の実現に向けた交渉経過を説明しています。
013年の辺野古埋立承認と県議会の辞任要求2013年12月27日、沖縄県は名護市辺野古沿岸部について国が提出していた公有水面埋立承認申請を承認しました。仲井眞氏は、公有水面埋立法などの関係法令に基づいて審査し、承認基準に適合すると判断したと説明しました。
一方、普天間飛行場の県外移設を求めてきた経緯との整合性をめぐって県内では強い議論が起こります。2014年1月10日、沖縄県議会は「仲井眞弘多沖縄県知事の公約違反に抗議し、辞任を求める決議」を多数で可決しました。
仲井眞氏は県議会で、埋立承認と普天間飛行場の早期の危険性除去は別の手続・課題として説明し、5年以内の運用停止と、そのための県外移設を引き続き政府へ求めると答弁しました。
014年知事選で敗れ、2期8年で退任「公約を貫いております。」
出典:沖縄県議会「平成26年第2回定例会 第7号」(2014年3月5日)
2014年11月16日の沖縄県知事選では3選を目指して立候補しました。結果は仲井眞氏261,076票、翁長雄志氏360,820票で、翁長氏が当選しました。
仲井眞氏は2014年12月9日、2期8年で沖縄県知事を退任しました。
退任後も沖縄の政界・経済界との関わりは続きます。2020年9月には自由民主党沖縄県連が最高顧問の続投を発表。同年11月には旭日大綬章を受章しました。
仲井眞県政が取り組んだ政策・政治姿勢
観光を「誰もが楽しめる」産業へ
観光は仲井眞県政が重視した産業分野の一つです。2007年2月には沖縄県として観光バリアフリー宣言を行い、高齢者、障がいのある人、子ども連れ、外国人を含め、幅広い旅行者が利用しやすい観光地づくりを掲げました。
「誰もが楽しめる、やさしい観光地」
出典:沖縄県「沖縄観光バリアフリー宣言」(2007年2月14日)
雇用を県民運動として進める
雇用面では「みんなでグッジョブ運動」を展開しました。行政だけで雇用問題を扱うのではなく、企業、教育機関、家庭、地域を巻き込み、若年者の職業意識や就業を支える取り組みを進めています。
県議会では、児童・生徒が企業の仕事を体験するジョブシャドウイングなどにも触れ、学校段階から仕事や職業への理解を深める施策を説明しました。
IT産業を沖縄の新しい成長分野に
情報通信産業では、IT津梁パークや国際通信網などの基盤整備を進め、企業集積と雇用の拡大を図る政策を掲げました。
観光だけに依存しない産業構造をつくることは、自立型経済を掲げた仲井眞県政の政策体系の一部でした。IT関連企業の誘致、人材育成、国際通信基盤の整備を組み合わせる方針が取られています。
那覇空港の滑走路増設を国へ要請
離島県である沖縄にとって、航空交通は観光だけでなく県民生活と物流を支える基盤です。仲井眞氏は那覇空港の処理能力や、滑走路が1本しかないことによるリスクを挙げ、滑走路増設の早期事業化を国へ求めました。
「平成25年度の新規事業化、事業期間の短縮を図ること。」
出典:沖縄県「那覇空港滑走路増設の早期整備について(要請)」(2013年1月8日)
滑走路増設事業は2013年度に新規事業化され、2014年には工事に着手しました。国が管理する空港事業であり、県単独の事業ではありませんが、県政側から早期整備を継続して求めた案件でした。
アジア・太平洋へ開く沖縄を構想
沖縄21世紀ビジョンでは、沖縄の地理的位置や海外県系人とのネットワークを、経済・学術・文化交流へ生かす方向も打ち出しました。
「世界に開かれた交流と共生の島」
出典:自治体国際化協会「自治体国際化フォーラム278号」(2012年12月)
2012年に沖縄で開かれた太平洋・島サミットや、世界各地に広がる県系人ネットワークを挙げながら、沖縄を日本国内だけで完結する地域ではなく、アジア・太平洋との交流拠点として位置づけました。
仲井眞弘多氏の議会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の議会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
情報通信産業の振興
「IT津梁パーク整備事業や沖縄GIX構築事業等を展開いたしております。」
情報通信産業の高付加価値化を進める施策として、IT津梁パーク整備や沖縄GIX構築を県政の具体策に位置付けていました。
沖縄振興一括交付金
「我々は2300億円でずっととまって減らされてきていたものを3000億と言っています。」
新たな沖縄振興制度をめぐり、自由度の高い一括交付金と沖縄振興予算の規模拡大を政府に求めていたことを説明しています。
普天間飛行場の県外移設
「日本国内の他の都道府県への移設が合理的かつ早期に課題を解決できる方策であると考えております。」
普天間飛行場について、県外移設と早期返還を日米両政府に求める県の立場を明確にしています。
辺野古埋立承認後の普天間飛行場5年以内運用停止
「公約を貫いております。」
辺野古の埋立承認申請は関係法令に基づいて審査したと説明する一方、普天間飛行場の5年以内の運用停止と、その実現に向けた県外移設を引き続き求める考えを示しました。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
仲井眞弘多氏の現在情報
元沖縄県知事。2025年現在の沖縄懇話会公式役員一覧では顧問として掲載されています。2020年には自民党沖縄県連最高顧問でしたが、2026年4月更新の現行県連役員一覧には掲載されていません。
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| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2006年 11月19日 | 第10回沖縄県知事選挙 初当選 | 沖縄県 | 無所属 | 当選 | 347303 1 |
| 2010年 11月28日 | 第11回沖縄県知事選挙 再選、2期目 | 沖縄県 | 無所属 | 当選 | 335708 1 |
| 2014年 11月16日 | 第12回沖縄県知事選挙 3選を目指して立候補。翁長雄志氏が360,820票で当選 | 沖縄県 | 無所属 | 落選 | 261076 2 |
- 生年月日、大学、通商産業省、沖縄総合事務局、沖縄電力、副知事、経済団体での経歴を確認。
- 氏名読み、生年月日、元沖縄県知事であること、主要略歴を確認。
- 知事就任時の県政姿勢、普天間飛行場の危険性除去に対する立場を確認。
- 2006年知事選時の辺野古V字型案への立場など、普天間移設問題の時系列を確認。
- 2014年1月10日の辺野古移設断念要求意見書、仲井眞知事の辞任要求決議を確認。
- 埋立承認についての本人説明、5年以内運用停止、県外移設、公約に関する答弁を確認。
- 2012年5月15日の基本計画策定を確認。
- 仲井眞知事による2013年度新規事業化と事業期間短縮の要請を確認。
- 2025年現在、仲井眞氏が顧問として掲載されていることを確認。
- 2006年、2010年、2014年の沖縄県知事選、党派、得票数、当落を確認。
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 副知事就任・2006年知事選・2010年知事再選の重要箇所を赤文字で強調し、本文の視認性を改善
- 2026年9月27日 新規記事を作成。人物基本情報、全県知事選挙歴、知事在任期間、退任後の確認可能な役職、公式リンク、政策・基地問題に関する一次資料を確認。
- 2026年9月27日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。




















