馳浩氏は、教育現場、競技スポーツ、プロレス、国政、地方行政と、異なる世界を渡ってきた政治家です。肩書きの多さだけではなく、それぞれの時期に何を経験し、次の進路をどう選んだのかに人物像が表れています。
この記事では、少年時代から政治家になる前の歩みを厚く取り上げながら、国政で力を入れたスポーツ・教育政策、石川県政、2026年の退任までを時系列でたどります。
- 教育と競技スポーツの現場を自ら経験してから政治へ進んだ人物です。
- 国政ではスポーツ・教育分野を中心に、制度づくりと政府・党の役職を重ねました。
- 国政を離れて石川県政を担い、任期後半は能登の復旧・復興に向き合いました。
馳浩の生い立ち|小矢部の野山から金沢へ――環境が大きく変わった少年時代
馳浩氏は1961年5月5日、富山県小矢部市で生まれました。本人は幼い頃を振り返り、田畑や山のある環境で野球や鬼ごっこをして遊んでいたと語っています。
生活が大きく変わったのは小学校3年生の頃です。一人で金沢市へ移り、馳家で暮らし始めました。新しい土地で友人をつくる助けになればと、養父から勧められたのが剣道でした。
小学校4年生からスポーツ少年団で剣道に取り組み、中学では警察署の道場にも通いました。その後は相撲部にも入り、地域の大人たちから稽古を受けています。北陸鉄道の運転士らが仕事の合間に子どもたちを指導していたという経験も、本人の記憶に残っています。
私にとってのスポーツの原点は、保育園児や小学校低学年の頃に、野山を走り回っていたことにあります。
出典:笹川スポーツ財団「スポーツ立国の実現を目指して“スポーツ”と“政治”のあり方」(公開日記載なし)
2022年の石川県知事選を前に、本人は少年時代を描いた漫画を紹介しました。経歴一覧では見えにくい子どもの頃の経験を、自ら政治活動の中で発信した投稿です。
馳浩の学歴|星稜高校でレスリングに出会い、ロサンゼルス五輪を目指す
| 区分 | 学校名 | 学部・専攻 | 現在の偏差値・難易度 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 小学校 | 金沢市立千坂小学校 | ― | ― | 石川県金沢市 |
| 中学校 | 金沢市立鳴和中学校 | ― | ― | ― |
| 高校 | 星稜高等学校 | ― | 55〜67(2026年度版・現行コース) | ― |
| 大学 | 専修大学 | 文学部国文科 | 旧学科のため現行組織と単純比較しない | 卒業 |
※旧学科は現在の学科偏差値へ機械的に置き換えていません。
星稜高校へ進学した時点では、剣道を続けるつもりでした。ところが道場でレスリング部の上級生から声を掛けられ、練習へ参加するようになります。ここで始めたレスリングが、その後の進路を大きく広げました。
レスリング部の指導者からは、全国大会や大学進学、奨学金といった具体的な道筋を示されました。一方、野球部監督の山下智茂氏から捕手として誘われたこともあったと本人は振り返っていますが、選んだのはレスリングでした。
高校3年時には国民体育大会で優勝。卒業文集には1984年ロサンゼルスオリンピック出場を目標として書き、その後、専修大学文学部国文科へ進学しました。
大学ではレスリング部主将を務めながら教員免許を取得しました。実家ではリンゴやナシを栽培しており、当初は国語教師として働きながら家の仕事も手伝う人生を考えていたと語っています。
馳浩の経歴|国語教師、五輪代表、そしてプロレスラーへ
1984年3月に大学を卒業すると、母校の星稜高校で国語科教諭になりました。同年8月にはロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマン90kg級日本代表として出場しています。
五輪後には三つの道がありました。自衛隊のレスリング部で次のオリンピックを目指す道、大学院へ進み国文学を研究する道、そして長州力氏から誘われたプロレスの道です。
本人は、大学教員は年齢を重ねてからでも目指せる一方、プロレスには挑戦できる時期が限られると考えました。23歳で教員を辞める決断をし、1985年にジャパンプロレスへ入門します。
勝つためだけでなく、人に感動を与えるためにスポーツをしたい
出典:はせ浩(馳浩)公式サイト「プロフィール」(公開日記載なし)
その後は新日本プロレスでも中心選手の一人として活動し、若手選手の指導や選手と会社をつなぐ役割も担いました。プロレスラーとしての在籍は、国会議員になった後の2006年8月まで続きます。
知事選に挑んだ2022年には、星稜高校について、母校であるだけでなく国語教師として教壇に立った場所でもあることを自ら発信しています。
北朝鮮で感じた「国会議員の仕事」と1995年の初当選
政界入りの直前にあったのが、1995年4月に北朝鮮で開かれた「スポーツと平和の祭典」への参加でした。現地で人々と交流する一方、日本との国交がないことによる壁の大きさを実感したといいます。
現地の通訳と国交正常化の意味について話した際、本人は「これは国会議員の仕事だな」と感じました。帰国後、森喜朗氏の秘書を務めていた森祐喜氏から声を掛けられ、当時自民党幹事長だった森喜朗氏と面会します。
その席で突然、参議院選挙への出馬を勧められました。本人はその場で受諾し、1995年7月の参議院議員通常選挙で初当選します。石川県選挙区から無所属で立候補し、自民党の推薦を受けていました。初当選後に自民党へ入党しています。
参院から衆院へ、国政で積み重ねたスポーツ・教育政策
石川1区と比例復活を行き来した衆議院時代
参議院議員として約5年活動した後、2000年5月に辞職し、翌6月の衆議院選挙へ転じました。石川1区で当選し、その後は同選挙区を中心に衆議院議員として活動します。
2003年と2009年は石川1区で敗れましたが、いずれも比例北陸信越ブロックで復活当選しました。2005年、2012年、2014年、2017年は石川1区で議席を得ています。
政府では文部科学大臣政務官、文部科学副大臣を経験しました。党内でも副幹事長、文部科学部会長、広報本部長、自民党石川県連会長などを務めています。
国会議員となった後もリングに上がり続け、2006年8月にプロレスラーを引退しました。議員活動とプロレスラーとしての活動が約11年間重なる、珍しい政治経歴となりました。
スポーツを法律と財源の面から支える
競技者としての経験を持つ馳氏が国政で継続的に取り組んだ分野の一つがスポーツ政策です。2010年にはスポーツ基本法やスポーツ庁などに関する質問主意書を提出しました。
スポーツの振興を促進することは国の重要な責務である。
出典:衆議院「スポーツ基本法案に関する質問主意書」(2010年1月21日)
2011年にはスポーツ基本法が成立しました。馳氏は後年、遠藤利明氏らとともに、政治と日本スポーツ協会、JOC、JPC、各競技団体の間をつなぎながら、政治側が法律や財源を整える役割を担ってきたと説明しています。
大学スポーツにも関心を向けました。大学の運動部で重大事故が起きた場合の補償や、組織ごとに異なる運営体制を課題として挙げ、文部科学大臣時代には大学スポーツの振興を検討する動きを進めました。2019年には大学スポーツ協会「UNIVAS」が設立されています。
文部科学大臣として学校と地域の関係を考える
2015年10月、第3次安倍改造内閣で文部科学大臣・教育再生担当大臣に就任しました。高校で実際に教壇に立った経験を持つ人物が、国の教育行政を担う立場になりました。
チーム学校、コミュニティースクール、そして教職員の資質向上、この三点セット
出典:衆議院「第190回国会 文部科学委員会 第2号」(2016年3月9日)
この答弁では、教員だけで学校の課題を抱えるのではなく、スクールソーシャルワーカーなどの専門家や地域住民も関わる学校運営を取り上げました。学校を地域社会の拠点として位置づける発想も示しています。
国政を離れ、2022年に石川県知事へ
2017年の衆議院選挙で当選した後、2021年10月の任期満了で衆議院議員を退任しました。国会議員としての在職は参議院時代を含め約27年に及びます。
次に選んだのは国政への再挑戦ではなく、石川県知事選でした。2022年3月、元金沢市長の山野之義氏や元参議院議員の山田修路氏ら5人が立候補した選挙に臨み、196,432票で初当選しました。
投票日前日の発信では、衆議院議員の任期満了後に退路を断って知事選へ挑んだという自身の認識を示しています。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1995年 7月23日 | 第17回参議院議員通常選挙 自由民主党推薦。初当選後に自由民主党へ入党。 | 石川県 選挙区 | 無所属 | 当選 | 234,283票 1位 |
| 2000年 6月25日 | 第42回衆議院議員総選挙 参議院議員を辞職して衆議院へ転じた最初の選挙。 | 石川 1区 | 自由民主党 | 当選 | 107,179票 1位 |
| 2003年 11月9日 | 第43回衆議院議員総選挙 比例北陸信越ブロックで議席を維持。 | 石川 1区 | 自由民主党 | 小選挙区落選・比例北陸信越ブロック復活当選 | 97,075票 2位 |
| 2005年 9月11日 | 第44回衆議院議員総選挙 | 石川 1区 | 自由民主党 | 当選 | 129,142票 1位 |
| 2009年 8月30日 | 第45回衆議院議員総選挙 比例北陸信越ブロックで議席を維持。 | 石川 1区 | 自由民主党 | 小選挙区落選・比例北陸信越ブロック復活当選 | 117,168票 2位 |
| 2012年 12月16日 | 第46回衆議院議員総選挙 | 石川 1区 | 自由民主党 | 当選 | 99,544票 1位 |
| 2014年 12月14日 | 第47回衆議院議員総選挙 | 石川 1区 | 自由民主党 | 当選 | 76,422票 1位 |
| 2017年 10月22日 | 第48回衆議院議員総選挙 最後の衆議院選挙。 | 石川 1区 | 自由民主党 | 当選 | 112,168票 1位 |
| 2022年 3月13日 | 石川県知事選挙 日本維新の会推薦。5候補による選挙で初当選。 | 石川県 | 無所属 | 当選 | 196,432票 1位 |
| 2026年 3月8日 | 石川県知事選挙 自由民主党、日本維新の会推薦。山野之義氏が245,674票で当選。 | 石川県 | 無所属 | 落選 | 239,564票 2位 |
馳浩氏の国会発言をテーマ別に見る
記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。
スポーツを通じた地域活性化
「地域スポーツの活性化にも取り組んでいく」
馳氏は、地方公共団体、スポーツ団体、観光産業などが連携する地域スポーツコミッションを支援し、スポーツを地域活性化につなげる方針を説明した。
障害者スポーツの権利と環境整備
「障害者の方もスポーツを楽しむ」
障害の種類を問わずスポーツを楽しめる環境を整え、施設・指導者・国や自治体の支援を進めることをスポーツ基本法の意義として説明した。
文化芸術へのアクセシビリティ
「芸術創造・鑑賞活動に参加できるように」
障害者や児童養護施設の子ども、一人親家庭なども文化芸術に参加できるよう、字幕・音声ガイドや文化プログラムの充実を進める考えを示した。
※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。
石川の成長戦略と子育て支援
知事就任後の2023年9月には、県政運営の最上位計画として「石川県成長戦略」を策定しました。計画期間は2023年度から2032年度までの10年間です。
産業、農林水産業、地域交流、人づくり、社会福祉、安全・安心という六つの戦略に加え、デジタル活用とカーボンニュートラルを横断的な戦略に位置づけました。基本目標には「幸福度日本一に向けた石川の未来の創造」を掲げています。
子育て分野では、県内の協賛店舗でサービスを受けられる「プレミアム・パスポート」の対象を拡大しました。2025年11月から第1子世帯を含むすべての子育て世帯が対象となり、対象世帯は約9万1千世帯へ広がりました。
2026年の知事選期間中には、本人も1期目の子育て施策について発信しています。
能登半島地震と「創造的復興」
知事任期の後半を大きく占めたのが、2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震への対応です。同年2月には県の復旧・復興本部が動き始め、被災地住民へのヒアリングや有識者によるアドバイザリーボードで復興方針の検討が進められました。
2024年6月27日には「石川県創造的復興プラン」を策定しました。2032年度末までを計画期間とし、単なる原状回復だけではなく、地域が考える将来像を尊重しながら復興を進める方針を示しています。
財源面では、国から措置された特別交付税520億円と能登半島地震被災地支援宝くじの収益金約19.8億円を合わせ、総額約539.8億円の復興基金が設けられました。国の制度だけでは届きにくい支援を、複数年度で実施するための財源です。
さらに同年9月には奥能登豪雨が被災地を襲い、地震と豪雨が重なる状況となりました。馳氏は地震発生から半年の時点で、能登の復興と県全体の発展を結び付けて発信しています。
馳浩氏をめぐる説明と司法上の整理
東京五輪招致をめぐる機密費発言
2013年に自民党の2020年オリンピック・パラリンピック東京招致推進本部長を務めた時期に関して、2023年11月、講演で内閣官房機密費を使いIOC委員向けのアルバムを作ったという趣旨の発言をしました。
翌日、馳氏は発言を「全面撤回」しました。石川県の記者会見でも撤回した立場を繰り返し、政府側も個別の官房機密費の使途については明らかにしていません。
馳氏が講演で述べた内容は本人が撤回しており、IOC委員向けアルバムに官房機密費が実際に使われたことが公的に確定した事実として確認されているわけではありません。
自民党派閥の政治資金をめぐる不記載
自民党安倍派の政治資金問題では、国会議員時代の2018年から2022年に計819万円のキックバックを受け、政治資金収支報告書に記載していなかったことを2024年1月に認めました。
私の監督不行き届きであります。
出典:MRO北陸放送「『期数上がるたびに責任重く』馳知事 国会議員時代にキックバック不記載 5年間で819万円」(2024年1月22日)
刑事手続では、東京地検特捜部が2024年に嫌疑不十分で不起訴としました。その後、検察審査会も2025年12月17日付で「不起訴相当」と判断し、その内容が2026年1月に明らかになっています。
026年知事選の敗北と1期での退任2026年3月8日の石川県知事選では、再選を目指す馳氏と、前金沢市長の山野之義氏ら3人が争いました。馳氏は239,564票、山野氏は245,674票で、6,110票差で再選を逃しました。
投開票翌日の投稿では、結果を自らの責任として受け止める言葉を発信しています。
3月26日、1期4年で石川県知事を退任しました。最後の記者会見では次の選挙については白紙としながら、能登の復興などへ関わる意思を示しています。
自分は、政治は諦めていません
出典:石川県「記者会見の要旨(質疑応答) – 令和8年3月26日 -」(2026年3月26日)
本人の政策説明を動画で見る
在任末期の政策を本人がまとまった時間で説明している動画です。文章や短いSNS投稿とは異なり、政策を説明するときの話し方や伝え方も確認できます。
馳浩氏の現在情報
2026年3月26日に石川県知事を1期で退任した。退任後も政治活動を続け、能登復興への関与を続ける意向を示している。
※商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。
- 出生地、学歴、教員歴、五輪出場、プロレス転身、国政経歴、政府・党役職、知事初当選を確認
- スポーツ基本法、スポーツ行政に対する馳氏の考えを確認
- 2023年策定の石川県成長戦略、計画期間、基本目標、主要戦略を確認
- 能登半島地震からの創造的復興プランの策定日、計画期間、復興方針を確認
- 復興基金の規模、財源構成、目的を確認
- 知事退任時の認識、退任後の政治活動、能登復興への関与意向を確認
- 1995年参議院議員通常選挙の得票数と結果を確認
- 衆議院議員総選挙の選挙結果を確認
- 2022年石川県知事選挙の結果を確認
- 2026年石川県知事選挙の得票数、順位、当落を確認
- 幼少期、学生時代、教員・五輪・プロレスへの進路、北朝鮮訪問、政界入り、スポーツ政策を確認
この記事の更新履歴
- 2026年10月2日 重複していた政策・政治姿勢H2を1本へ整理し、後続テーマをH3へ統合
- 2026年10月2日 学歴後の最初の職歴・政界入りを経歴H2へ再配置し、後続の経歴項目を人物固有H3へ整理
- 2026年10月2日 経歴の続きと重複政策H2をH3へ整理し、高橋光男・岸本周平記事と同じ見出し階層へ統一
- 2026年10月2日 本文内の手動管理ショートコードと監査用の汎用H3を撤去し、WordPress側の自動表示と内容に即した見出し構造へ整理
- 2026年10月2日 主要見出しを「生い立ち・学歴・経歴」の3本柱へ統一し、既存本文を維持したまま検索意図と読みやすさを整理
- 2026年10月2日 本文の重要な年月・当選・就任・退任などを赤文字で強調し、重要箇所の視認性を改善
- 2026年9月27日 本人の公式一次情報をテーマ別に確認できる一次情報深掘りセクションを追加・更新。
- 2026年9月4日 記事を新規作成。2026年石川県知事選の結果、知事退任、退任後の政治活動状況を含む現況情報を確認




















