中川昭一の経歴・学歴と生い立ち|日本興業銀行から衆議院8期、農水・経産・財務相まで

中川昭一
ひと目でわかるプロフィール 中川昭一
なかがわ しょういち
出身地
東京都渋谷区宮代町
初当選
1983年(第37回衆議院議員総選挙)
最終学歴
東京大学法学部政治学科卒業
主な前職
会社員、金融関係
政界入り
政治家の後継として、民間企業から
生年月日 1953年7月19日
血液型 A型
没年月日 2009年10月3日

中川昭一氏は、北海道・十勝を政治活動の基盤とし、衆議院議員を8期務めた政治家です。農林水産、通商・産業、財政・金融まで複数の政策分野を担当し、自由民主党では政務調査会長も経験しました。

政治家になる前は日本興業銀行に勤務していました。この記事では、東京で生まれた少年時代から銀行員時代、父・中川一郎氏の死を経た政界入り、閣僚としての歩み、2009年に議席を失うまでをたどります。

中川昭一氏を理解する3つのポイント
  1. 東京で育ち、麻布中・高、東京大学を経て日本興業銀行に勤務した。
  2. 1983年に北海道から国政へ入り、その後8回連続で衆議院議員に当選した。
  3. 農政、通商・資源、安全保障、財政・金融など幅広い政策分野を担当した。

中川昭一の生い立ち|東京で生まれ、政治が身近にあった家庭

中川昭一氏は1953年7月19日、東京都渋谷区宮代町に生まれました。本籍は北海道広尾郡広尾町。父は後に農林水産大臣などを務める中川一郎氏です。幼少期から政治と北海道とのつながりが身近にある家庭環境で育ちました。

中川昭一の学歴|麻布中学・高校から東京大学へ

学歴一覧中川昭一の学歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校新宿区立落合第一小学校――卒業
中学校麻布中学校―中学受験は別指標中高一貫校
高校麻布高等学校―高校募集なし中高一貫校
大学東京大学法学部政治学科67.5(文科一類・2027年度)1978年3月卒業

※東京大学の数値は本人の在学当時ではなく、現在の入試難易度の目安です。麻布高等学校は高校募集を行わないため、高校受験偏差値を掲載していません。

中川氏は新宿区立落合第一小学校から麻布中学校・高等学校へ進み、東京大学法学部政治学科を卒業しました。中高一貫校から東京大学で政治学を学ぶ流れです。

麻布高等学校は現在、高校からの募集を行わない中高一貫校のため、高校受験の偏差値を単純に掲載するのは適切ではありません。東京大学については、法学部の指定科類である文科一類の2027年度ボーダー偏差値67.5を参考表示します。

新宿区落合第一小学校を卒業後、麻布中学校、麻布高等学校へ進学しました。最終的に東京大学法学部政治学科で学び、1978年3月に卒業しています。

後年の公式プロフィールには、読書、テニス、庭いじりのほか「部屋の掃除」も趣味として記されていました。政治家としての政策や役職とは違う、本人の日常が見える記録です。

中川昭一の経歴|日本興業銀行で5年間働いた会社員時代

大学卒業翌月の1978年4月、中川氏は日本興業銀行に入行しました。政治家の家庭に生まれましたが、卒業後すぐに国会議員秘書などへ進んだわけではありません。

銀行には約5年間在籍し、1983年2月に退行しました。同じ1983年、妻の郁子氏は夫の政治活動を支えるため北海道帯広市へ転居しています。

銀行員から政治の世界へ進路が切り替わったのが1983年です。父・中川一郎氏が死去した後、昭一氏はその政治基盤があった北海道で初めての衆議院選挙に臨みます。

1983年、北海道5区から初出馬してトップ当選

1983年12月の第37回衆議院議員総選挙では、旧北海道5区から自由民主党公認で立候補しました。父の秘書を長く務めていた鈴木宗男氏も同じ選挙区から出馬し、後継をめぐる競争になりました。

中川氏は163,755票を得て、定数5の選挙区で1位当選。30歳で衆議院議員としての政治生活を始めました。鈴木氏も無所属で当選しています。

その後も1986年、1990年、1993年の総選挙で北海道5区から連続当選しました。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年からは北海道11区へ移り、以後も議席を維持します。

農政を足場に国会と自民党で役職を重ねる

初当選後は大蔵委員会、地方行政委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会などに所属しました。1989年には農林水産政務次官に就任しています。

1990年代には衆議院農林水産委員会の理事、自民党農林部会長、総合農政調査会の米価小委員長、農業基本政策小委員長などを歴任。WTOをめぐる農産物貿易問題にも関わりました。

そして1998年7月、小渕内閣で農林水産大臣として初入閣します。翌1999年1月の改造後も留任し、同年10月まで務めました。

経済産業相から再び農林水産相へ

2003年9月には経済産業大臣に就任しました。2003年11月の総選挙後も続投し、2004年9月、2005年9月の内閣改造でも留任しています。

経済産業相在任中は、通商政策、エネルギー、資源政策などを所管しました。2005年10月には再び農林水産大臣となり、今度は第3次小泉改造内閣で農政を担当します。

国会議員として農政に長く関わりながら、経済産業相として通商と資源を扱い、再び農水相へ戻る経歴でした。

人生年表 中川昭一さんの歩み
1953年7月19日
東京都渋谷区宮代町で生まれる
本籍地は北海道広尾郡広尾町
1966年3月
新宿区落合第一小学校を卒業
1969年3月
麻布中学校を卒業
1972年3月
麻布高等学校を卒業
1978年3月
東京大学法学部政治学科を卒業
1978年4月
日本興業銀行に入行
1983年2月
日本興業銀行を退行
父・中川一郎の死後、政界進出へ
1983年12月
第37回衆議院議員総選挙で初当選
北海道第5区、自由民主党
1989年6月
農林水産政務次官に就任
1998年7月
農林水産大臣に就任
小渕内閣
2003年9月
経済産業大臣に就任
小泉内閣
2005年10月
農林水産大臣に再び就任
第3次小泉改造内閣
2006年9月
自由民主党政務調査会長に就任
2008年9月
財務大臣・金融担当大臣に就任
麻生内閣
2009年2月
財務大臣・金融担当大臣を辞任
ローマG7後の記者会見をめぐり辞任
2009年8月
第45回衆議院議員総選挙で落選
北海道第11区
2009年10月3日
死去
56歳

自民党政調会長として政策全般を担う

2006年9月、安倍晋三総裁のもとで自由民主党政務調査会長に就任しました。個別の省庁を所管する大臣とは異なり、党の政策全般を取りまとめる役職です。

この時期に特に強く発信したテーマの一つが安全保障でした。北朝鮮による核実験後、核抑止をめぐる議論そのものは必要だとの立場を示し、非核三原則の扱いを含めて議論を呼びました。

「私は核保有議論はしていません。核の議論をしましょうと言ったのです。」

出典:中川昭一ライブラリ「週刊文春 『核議論』は絶対に撤回しない! インタビュー記事」(2006年11月2日)

また、2002年から「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」の会長を務め、拉致問題にも継続して関わっていました。

「政府は、我が国の最重要政策の一つとして認識し、国の威信をかけて取り組んでいくべきです。」

出典:中川昭一ライブラリ「衆議院本会議での代表質問(1月29日)」(2007年1月29日)

財務大臣・金融担当大臣として世界金融危機に直面

75兆円規模の国内対策とIMF最大1,000億ドル支援

リーマン・ショック後の世界金融危機に対し、中川昭一氏は財務・金融担当大臣として、国内の景気下支えと国際金融安定化を同時に進めました。2009年1月の財政演説では、財政面で約12兆円、金融面で約63兆円、合計約75兆円規模の経済対策を説明しています。

国際面では、2008年11月の金融・世界経済首脳会合で、日本がIMFに最大1,000億ドル相当の融資を行う用意を表明したことにも触れました。国内の金融機能強化だけでなく、国際金融システムの安定化にも日本が積極的に関与する方針でした。

「IMFに対し最大一千億ドル相当の融資を行う用意」

出典:財務省「第171回国会における中川財務大臣の財政演説」(2009年1月28日)

2008年9月24日に発足した麻生内閣で、中川氏は財務大臣と内閣府特命担当大臣(金融)を兼務しました。リーマン・ショック直後で、世界の金融市場と日本経済が急速に悪化していた時期です。

財務相就任前から、中川氏はデフレから十分に脱していない中で物価や生活コストが上がる状況を問題視し、景気への積極的な対応を主張していました。

「所得を上げる思い切った経済対策、財政対策、税制対策」

出典:中川昭一ライブラリ「日本の実力Vol.4〈終〉」(2011年1月26日公開、講演は2008年6月29日)

2009年ローマG7後の会見と大臣辞任

2009年2月、ローマで開かれたG7財務相・中央銀行総裁会議の後、中川氏は記者会見で受け答えや発音が不明瞭な状態を見せ、その映像が大きく報道されました。

帰国後の2月17日、中川氏は会見について謝罪し、病院で腰痛、風邪、疲労がたまっているとの診断を受けたと説明しました。当初は予算案の衆議院通過後に辞任する考えを示しましたが、同日夕方に判断を変更しています。

記者会見時の状態の原因については、本人が体調不良や疲労などを説明しています。映像から原因を断定するのではなく、本人の公式説明と確認できる事実を分けて扱います。

同日午後6時過ぎに麻生太郎首相へ辞表を提出し、受理されたと自ら記者会見で発表しました。財務・金融担当相の在任は2009年2月17日までとなり、後任は与謝野馨氏が兼務しました。

選挙歴 中川昭一の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第37回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:対象外
初当選。中選挙区制。
北海道 第5区 自由民主党 当選 163,755票 1位
第38回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:対象外
2期目。
北海道 第5区 自由民主党 当選 118,149票 1位
第39回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:対象外
3期目。
北海道 第5区 自由民主党 当選 110,781票 1位
第40回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:対象外
4期目。中選挙区制最後の総選挙。
北海道 第5区 自由民主党 当選 110,832票 1位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
5期目。小選挙区比例代表並立制導入後、北海道11区から当選。
北海道 第11区 自由民主党 当選 97,428票 1位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
6期目。
北海道 第11区 自由民主党 当選 112,297票 1位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
7期目。
北海道 第11区 自由民主党 当選 112,210票 1位
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
8期目。
北海道 第11区 自由民主党 当選 107,056票 1位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
民主党の石川知裕が118,655票で当選。中川氏は議席を失った。
北海道 第11区 自由民主党 落選 89,818票 2位

中川昭一氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

WTO農業交渉と食料安全保障

農政の価格政策から所得政策への転換

農業者年金の財政安定

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

農業・食料を安全保障の問題として考える

中川氏の政策活動で長く続いた分野が農業と通商です。1998年に農林水産大臣となった際には、ウルグアイ・ラウンドで受け入れたコメのミニマム・アクセスについて、それ以上の義務的輸入拡大を避け、関税化へ移る判断に関わったと後年の講演で説明しています。

「農業というのは大事なんですよ、我々の食べ物なんですから。」

出典:中川昭一ライブラリ「わが国の安全保障、WTO Vol.2」(2011年2月9日公開、講演は2008年6月10日)

自由貿易そのものを否定する立場ではなく、WTO交渉では日本も譲歩すべき分野は譲る一方、コメなど各国にとって重要な農産物をどこまで保護するかを交渉すべきだと述べていました。

政治人生の転機 中川昭一の政治人生の転機
01
1983年
銀行員から父の地盤を引き継ぎ国政へ
日本興業銀行を退職し、父・中川一郎の死後に北海道5区から衆院選へ立候補。初出馬でトップ当選した。
なぜ転機なのか 民間金融機関勤務から国会議員へ進路が切り替わったため。
02
1998年7月
初入閣、農林水産大臣へ
小渕内閣で農林水産大臣に就任した。
なぜ転機なのか 国会・党の農政分野で経験を重ねた後、初めて国務大臣となったため。
03
2008年9月
世界金融危機下で財務・金融担当相へ
麻生内閣で財務大臣と金融担当大臣を兼務した。
なぜ転機なのか 農政・通商分野に加え、世界金融危機下の財政・金融政策を担う立場となったため。
04
2009年
財務相辞任から衆院議席喪失へ
2月に財務・金融担当相を辞任し、8月の衆院選で落選した。
なぜ転機なのか 閣僚職と8期続いた衆議院議席を相次いで失ったため。

資源・エネルギーから「水の安全保障」へ

経済産業相経験後には、石油や鉱物だけでなく水も国家の資源問題として取り上げました。食料輸入を「仮想水」の輸入として捉え、水不足、農業、エネルギー、環境、貧困、紛争が相互に関係するという問題意識を示しています。

自民党内では水に関する勉強会を進め、2008年には「水の安全保障研究会」の活動にも関わりました。日本が持つ上水道、治水、水利用などの技術や経験を国際協力へ生かす構想も語っています。

「日本は水では世界に貢献ができると私は思っているわけでございます。」

出典:中川昭一ライブラリ「地球と恋する暮らし」(2010年10月4日公開、講演は2008年6月28日)

2009年総選挙で初めて議席を失う

2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では、北海道11区から9回目の立候補をしました。中川氏は89,818票を獲得しましたが、民主党の石川知裕氏が118,655票を得て当選し、比例復活もありませんでした。

1983年の初当選から続いていた連続当選は8回で止まりました。選挙から約2週間後、中川氏は自らのウェブサイトで敗戦を振り返り、今後も発信を続ける意向を記しています。

「私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。」

出典:中川昭一ライブラリ「選挙が終わって―『十勝・日本が危ない』」(2009年9月14日)

その19日後の2009年10月3日、中川氏は56歳で亡くなりました。衆議院初当選から約26年後のことでした。

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参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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