仁比聡平の経歴・学歴と生い立ち|北九州の弁護士から参議院議員、二度の議席回復まで

仁比聡平
ひと目でわかるプロフィール 仁比聡平
にひ そうへい
出身地
福岡県北九州市戸畑区
初当選
2004年(第20回参議院議員通常選挙)
最終学歴
京都大学法学部卒業
主な前職
弁護士
政界入り
専門職から
生年月日 1963年10月16日
血液型 A型

仁比聡平氏は、北九州で弁護士として活動したのち、国政へ進んだ日本共産党の政治家です。国会では法務、人権、公害被害、災害、憲法などを長く扱ってきました。

国政への道は一直線ではありません。初当選までに3度の落選があり、参議院議員になってからも二度議席を失い、そのたびに比例代表選挙で国会へ戻っています。

仁比聡平氏を理解する3つのポイント
  1. 北九州で育ち、京都大学法学部を経て弁護士となった法律家出身の政治家です。
  2. 2004年の初当選まで複数回の国政挑戦を重ね、議員になった後も二度の落選と復帰を経験しました。
  3. 司法・人権、公害被害、災害、憲法などを国会活動の主要分野としてきました。

仁比聡平の生い立ち|新日鉄の街・北九州で育った少年時代

仁比聡平氏は1963年10月16日、福岡県北九州市戸畑区に生まれました。戸畑は製鉄業と深い関わりを持つ地域で、仁比氏の父親も新日鉄で働いていました。

父は新日鉄の強制転勤をめぐる問題に取り組み、母は新日本婦人の会の創立に参加して母親運動に携わっていました。「聡平」という名前にも、平和を願う両親の思いが込められていたと伝えられています。

「命からがら逃げてきた体験を聞いて育ちました。」

出典:しんぶん赤旗「シリーズ 命と暮らしの焦点――日本共産党国会議員に聞く/中国『残留孤児』」(2007年11月21日)

母親は9歳のとき、中国で終戦を迎えた経験を持っていました。仁比氏は後年、中国残留孤児問題を国会で扱った際、自身の家庭に残る戦争体験についてこう語っています。

板櫃中学校から福岡県立小倉高校へ進み、中学・高校時代には吹奏楽に熱中しました。政治活動だけで埋め尽くされた学生生活ではなく、音楽に打ち込んだ時期でもありました。

仁比聡平の学歴|京都大学で学生自治会委員長に

1982年、京都大学法学部へ入学しました。在学中には学生自治会委員長を務め、大学の自治や学生の要求をめぐる活動に参加しています。

大学時代には法律を使って社会問題に向き合う進路を意識するようになります。4年生のころには、仲間に法律家を目指す考えを語っていました。

卒業後、司法修習を経て法律家の道へ進みます。国政へ立候補するのはさらに後のことで、この時期に選んだのは故郷に近い北九州を拠点とする弁護士としての仕事でした。

仁比聡平の経歴|30歳で弁護士に、市民オンブズマンでも活動

1994年4月に福岡県弁護士会へ登録し、北九州第一法律事務所に入りました。民事、刑事、労働、環境、子どもの権利、高金利問題、情報公開など、扱った分野は幅広くなっています。

市民オンブズマン・北九州では初代事務局長を務めました。行政の情報公開や公金支出を市民の立場から検証する活動にも関わり、法廷だけではない市民運動の現場を経験しています。

「弁護士として、憲法の輝きを実感する瞬間にたくさん立ち会ってきました。」

出典:日本共産党「あなたの想いをカクサーン! vol.5 憲法」(公開日記載なし)

派遣切り、原発、水俣病、ハンセン病などの問題を挙げながら、仁比氏は法律家として接してきた事件と憲法上の権利を結びつけて語っています。

3度の落選を越え、2004年に初当選

1999年から日本共産党の国政候補として活動を始めました。最初の実出馬は2000年の衆議院議員総選挙で、福岡10区から立候補しましたが議席には届きませんでした。

翌2001年には参議院比例代表へ転じ、2003年には再び福岡10区から衆議院選へ出馬します。いずれも落選し、国政挑戦は3回続けて結果につながりませんでした。

そして2004年7月の参議院議員通常選挙。4回目の国政挑戦で、比例代表から初当選しました。

「目の前の被害者の後ろには同じように苦しむ1000人の人たちがいる」

出典:参議院「仁比聡平プロフィール」(2025年12月18日現在)

初当選後は法務だけでなく、予算、決算、国土交通、災害対策、憲法、安全保障に関係する委員会などを経験しました。弁護士時代から扱っていた被害救済の領域も国会質問へ持ち込んでいきます。

被害救済を国会へ持ち込んだ最初の6年間

最初の任期では、中国残留孤児、水俣病、薬害肝炎、生活保護、ハンセン病などを取り上げました。2006年には北九州市で生活保護申請を受け付けられなかった男性が死亡した問題を国会で追及しています。

中国残留孤児問題では、原告・弁護団との協議や生活支援の拡充を求めました。母親自身が中国で終戦を迎えた家族史はありましたが、国会では個人の体験だけではなく、当事者の尊厳回復や制度運用の問題として扱っています。

一方、初当選から6年後の2010年参院選では比例代表で党内4位となり、日本共産党の獲得議席に届かず落選しました。ここで初めて国会議席を失います。

2013年に議席回復、災害と司法の現場へ

国会外での活動を続けたのち、2013年の参議院選挙で3年ぶりに当選しました。2期目には法務、国土交通、災害対策、憲法審査会などで活動しています。

中国・四国・九州・沖縄を主な活動地域とし、豪雨、地震、台風などの被災地域にも足を運びました。被災者の生活や住宅、事業再建を国会質問へつなげる活動は、その後も継続しています。

2019年の参院選では日本共産党の比例候補で党内5位となり、4議席だったため再び落選しました。2度目の議席喪失です。

022年、二度目の国会復帰

2019年の落選後も17県を中心に活動を続け、2022年の参院選に比例代表で立候補しました。

2022年7月、3年ぶりに参議院へ復帰し、通算3回目の当選となりました。

国会へ戻った直後には、法務委員会や議院運営委員会、災害対策特別委員会、憲法審査会などで再び活動を始めました。

人生年表 仁比聡平さんの歩み
1963年10月16日
福岡県北九州市戸畑区で生まれる
新日鉄労働者の家庭で育つ
1982年
京都大学法学部へ入学
学生自治会委員長を務める
1994年4月
福岡県弁護士会に登録
北九州第一法律事務所で弁護士活動を始める
1999年
日本共産党の国政候補として活動を始める
2000年6月
第42回衆議院議員総選挙に初出馬
福岡10区から立候補
2004年7月
第20回参議院議員通常選挙で初当選
日本共産党比例代表
2010年7月
第22回参議院議員通常選挙で落選
参議院議席を失う
2013年7月
第23回参議院議員通常選挙で当選
3年ぶりに参議院へ復帰
2019年7月
第25回参議院議員通常選挙で落選
2度目の議席喪失
2022年7月
第26回参議院議員通常選挙で当選
3年ぶりに再び参議院へ復帰
2025年7月
日本共産党参院国会対策委員長に就任
参院幹事長を兼任

仁比聡平氏が重視してきた政策・政治姿勢

憲法と平和、核兵器廃絶

仁比氏は憲法9条を含む現行憲法の平和・人権原則を政治に生かす立場を取り、自衛隊の海外での武力行使や大規模な軍備拡張に反対してきました。

「国会をシャンとしたい。憲法こそ希望です。」

出典:日本共産党「国会議員・参議院 仁比聡平」(公開日記載なし)

核兵器については廃絶を求め、被爆地での追悼や被爆者支援にも参加しています。

刑事司法と再審制度

弁護士出身議員として、刑事手続や冤罪救済、再審制度は継続して扱ってきたテーマです。再審請求段階での証拠開示の制度化、裁判所や検察の運用、法的支援の充実などを国会で取り上げています。

2026年の刑事訴訟法改正をめぐる審議でも、再審請求審における証拠開示を含む制度のあり方について政府へ質問しました。

入管行政と外国人の人権

入管施設の収容、難民認定、送還制度などについて、人権保障と適正手続の観点から政府を追及してきました。名古屋出入国在留管理局で死亡したウィシュマ・サンダマリさんの問題でも、遺族や支援者の訴えを受けて国会活動を続けています。

水俣病など公害被害の救済

水俣病は弁護士時代から国会議員時代まで長く関わってきた問題です。被害地域で当事者から聞き取りを行い、認定制度や救済対象から外れた人々の問題を国会へ持ち込んできました。

災害被災者の生活・生業再建

地震や豪雨災害では、住宅再建、事業者への支援、被災自治体の財政負担、インフラ復旧などを取り上げてきました。参議院では災害対策に関係する特別委員会をたびたび担当しています。

被災地を訪ねて得た要望を質問へ結びつけることを重ねており、法律家としての被害救済とは別の形で、行政制度による生活再建を扱う分野となっています。

ジェンダー平等と女性の権利

性暴力をめぐる刑法制度や女性差別撤廃条約、選択議定書の批准などにも取り組んできました。国際的な人権基準を国内制度へ反映することを求めています。

参院国対委員長として国会運営の前面へ

2025年7月、日本共産党の参議院議員団で参院国会対策委員長に就任し、参院幹事長を兼任することになりました。個別の法案審議に加え、与野党間の国会運営協議を担う立場です。

2026年3月には、複数会派の国対委員長らと参議院正副議長へ予算案の十分な審議を求めました。

「全国民を代表して財政民主主義を尽くすべき国会を壊す暴挙だ」

出典:しんぶん赤旗「参院の矜持示すとき」(2026年3月12日)

弁護士として個別の被害を扱った時代から、議員として法制度を問い、さらに参院国対委員長として国会運営そのものに関わるところまで、活動の範囲は広がっています。

「被害ある限り絶対にあきらめない」

出典:参議院「仁比聡平プロフィール」(2025年12月18日現在)
選挙歴 仁比聡平の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
九州比例ブロックとの重複立候補
福岡 10区 日本共産党 落選 37,881票 3位
第19回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:対象外
日本共産党の当選者は4人
比例代表 日本共産党 落選 7,485票 党内9位
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
九州比例ブロックとの重複立候補
福岡 10区 日本共産党 落選 31,779票 3位
第20回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:対象外
国政4回目の立候補で初当選
比例代表 日本共産党 当選 73,662票 党内3位
第22回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:対象外
日本共産党の当選者は3人
比例代表 日本共産党 落選 33,614票 党内4位
第23回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:対象外
3年ぶりに参議院議席へ復帰
比例代表 日本共産党 当選 39,768票 党内5位
第25回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:対象外
日本共産党の当選者は4人
比例代表 日本共産党 落選 33,360票 党内5位
第26回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:対象外
3年ぶりに参議院議席へ復帰
比例代表 日本共産党 当選 36,098票 党内2位

仁比聡平氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

死刑制度と誤判

再審制度と冤罪検証

共謀罪と適正手続

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

動画で見る再審法をめぐる国会質問

2026年7月16日の参議院法務委員会では、刑事訴訟法の再審制度をめぐり政府への質疑と討論を行いました。実際の質問の様子は日本共産党公式チャンネルで公開されています。

仁比聡平氏の現在情報

2026年9月12日 時点
現在の公職 参議院議員
現在の所属 日本共産党
選挙区・選出地域 比例代表
現在の期・任期 参議院議員3期目
現在の主な役職
日本共産党参院幹事長 日本共産党参院国会対策委員長 日本共産党中央委員

司法・人権、再審制度、災害対策などを継続的な国会活動の主要分野としている。

政治人生の転機 仁比聡平の政治人生の転機
01
1994年4月
北九州で弁護士として活動を開始
福岡県弁護士会に登録し、北九州第一法律事務所で民事、刑事、労働、環境、人権問題などを扱った。
なぜ転機なのか その後の国会活動につながる司法・人権分野での実務経験が始まったため。
02
2004年7月
4度目の国政挑戦で参議院初当選
2000年から続けてきた国政挑戦の末、参議院比例代表で初めて議席を得た。
なぜ転機なのか 弁護士・市民活動から国会議員へ活動の場が変わったため。
03
2010年~2013年
初の議席喪失から3年後に復帰
2010年参院選で落選した後、2013年の比例代表選挙で再び当選した。
なぜ転機なのか 初めて国会議席を失い、その後の再挑戦で政治活動を国政へ戻したため。
04
2019年~2022年
2度目の落選から再び参議院へ
2019年に議席を失ったが、2022年参院選で3度目の当選を果たした。
なぜ転機なのか 2度目の議席喪失を経ながら再び国会へ戻り、その後、党参院国会対策委員長・参院幹事長を担うことになったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
報道・インタビュー
その他の参考資料

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