山中竹春の経歴・学歴と生い立ち|データサイエンス研究者から横浜市長、2期目の辞職まで

山中竹春
ひと目でわかるプロフィール 山中竹春
やまなか たけはる
出身地
埼玉県秩父市
初当選
2021年(2021年横浜市長選挙)
最終学歴
早稲田大学大学院理工学研究科 修了
主な前職
大学教員・研究者
政界入り
専門職から
生年月日 1972年9月27日

山中竹春氏は、統計・データサイエンスの研究者から横浜市政へ進んだ人物です。大学では経済学と数学を学び、医療研究機関や大学でキャリアを積んだ後、政治経験のないまま市長選へ挑みました。

この記事では、秩父で育った時代から研究者としての歩み、横浜市立大学での教育、市長選への挑戦、2期にわたる市政、そして2026年の辞職までを時系列でたどります。

山中竹春氏を理解する3つのポイント
  1. 経済学から数学へ進み、医療統計・データサイエンスを専門にした研究者出身です。
  2. 横浜市立大学で研究・教育に携わった後、2021年に初めて選挙へ挑戦して横浜市長に当選しました。
  3. 横浜市長を2期務め、2026年に第三者調査を受けて2期目途中で辞職しました。

山中竹春の生い立ち|秩父盆地で育ち、早稲田本庄でラグビーに打ち込む

山中竹春氏は1972年9月27日、埼玉県秩父市に生まれました。自然に囲まれた秩父盆地で育ち、子どもの頃からスポーツに親しんでいました。

高校は早稲田大学本庄高等学院へ進学します。地元では経験していなかったラグビーと高校で出会い、部活動へ入ったことが高校生活の大きな部分を占めるようになりました。

本人は当時、ラグビー部の明るい雰囲気にひかれたことに加え、テレビドラマの影響もあったと振り返っています。高校で初めてラグビーに出会い、部活動に打ち込みました。

ラグビーに出会ったことで充実した高校生活になったと思います。

出典:Rkids「【インタビュー】 山中 竹春 横浜市長 ~その1~」(2022年9月28日)

山中竹春の学歴|経済学から数学へ―二つの学部で学んだ学生時代

学歴一覧山中竹春の学校歴
横にスクロールできます
区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校早稲田大学本庄高等学院―76(2026年度版)―
大学早稲田大学政治経済学部経済学科70.0(2027年度参考)―
大学早稲田大学理工学部数学科旧学部・学科再編のため単純比較しない―
大学院早稲田大学大学院理工学研究科大学院は偏差値で単純比較しない修了

※偏差値・難易度は山中氏の在学当時ではなく現在の目安です。旧学部・大学院は現在値へ単純換算していません。

1991年に高校を卒業すると、早稲田大学政治経済学部経済学科へ進みました。経済学でデータを扱う中で、統計や数理をより深く学ぶ必要を感じるようになります。

もっと本格的に統計や数理を学ぶ必要を感じたのです。

出典:数理・データサイエンス・AI教育強化拠点コンソーシアム「数理・データサイエンス・AIと大学 インタビュー第12回」(公開日記載なし)

政治経済学部を1996年に卒業した後は、就職へ進まず、早稲田大学理工学部数学科へ学士入学しました。経済学から統計・数理へと専門を広げたのが、この時期です。

1998年に数学科を卒業し、大学院理工学研究科へ進学。大学院では医療分野のデータに関心を持ち、臨床研究や医学研究を統計面から支える領域へ進みました。2000年に大学院を修了し、2003年には博士(理学)を取得しています。

山中竹春の経歴|医療データの研究者として米国、がんセンターへ

大学院修了後の2000年、九州大学医学部附属病院で文部教官助手として研究者のキャリアを始めました。研究の中心となったのは、医学・臨床研究で得られるデータを統計的に分析する分野です。

2002年から2004年までは米国国立衛生研究所のNIH/NIEHSで研究員を務めました。帰国後は先端医療振興財団を経て、2006年から国立病院機構九州がんセンターで室長などを歴任します。

2012年には国立がん研究センターへ移り、部長などを務めました。政治家になるまでの経歴の大半は、選挙や政党活動ではなく、医療データと臨床研究に向き合う研究者として積み重ねたものです。

横浜市立大学でデータサイエンス教育を形にする

2014年、横浜市立大学へ移りました。医学部教授に加え、特命副学長などを務め、大学の教育・研究体制そのものにも関わるようになります。

2015年ごろにはデータサイエンス学部の構想が進み、山中氏は新学部設置準備委員会の委員長を担当しました。2018年にデータサイエンス学部、2020年に大学院データサイエンス研究科が開設され、研究科長も務めています。

新型コロナウイルス感染症の流行期には、感染後の抗体を調べる研究にも携わりました。当初は保健所を通じた研究参加者の確保が難しく、募集方法を変更したところ、約2か月で600人を超える参加希望が集まったと後のインタビューで説明しています。

こうした研究では、感染経験者の血液データを蓄積し、抗ウイルス抗体や中和抗体が時間の経過とともにどう変化するかを調べました。大学での研究・教育だけでなく、データを社会課題へ応用する仕事を続けていた時期です。

研究者から市長選へ―2021年の初挑戦

2021年、山中氏は横浜市長選への立候補を決めます。それまで議員や政党職員を経験したことはなく、初めての選挙が横浜市長選でした。

当時の横浜では、IR誘致、新型コロナ対策、高齢化、行政サービス、将来の財政など複数の課題が重なっていました。山中氏は、研究や教育で培った医療・社会福祉、データ分析の経験を市政へ生かしたいという考えを示しています。

新しい横浜の基盤をつくることが必要だと思いました。

出典:横浜中法人会「大きな転換期に、さまざまな課題に向き合い次世代へつなぐ新しい横浜の基盤をつくる」(2022年4月1日)

選挙では無所属で立候補し、立憲民主党の推薦を受けました。所属自体は無所属のまま、複数の政党・政治勢力から支援を受けています。

8月22日の投開票では506,392票を獲得して1位となり、初出馬で横浜市長に当選しました。8月30日に第33代横浜市長へ就任します。

初当選後、IR誘致撤回から始まった1期目

市長就任当日の2021年8月30日、山中氏は記者会見でIR誘致を撤回する方針を明確にしました。誘致に向けて進んでいた手続きを止め、9月10日の市会所信表明でも撤回方針を正式に示しました。

横浜市のIR誘致を撤回することは、2021年市長選で掲げた主要な主張の一つでした。就任直後にその方針を行政の決定へ移した形です。

議員経験のない首長として、市会や職員との調整を重ねながら市政運営を始めました。研究者時代から使ってきたデータを行政の政策判断へ取り込む考え方も、市長就任後の運営方針の一つとなっていきます。

2025年、与野党の地域組織から支援を受け再選

2025年8月の横浜市長選では、1期目とは支援の構図が変わりました。自民党横浜市連、立憲民主党神奈川県連、公明党の市内3総支部から支持を受けて2期目を目指しました。

8月3日の投開票では663,876票、得票率52.00%を獲得して1位となり、横浜市長に再選されました。政党への所属は引き続き無所属です。

2026年、第三者調査の認定と2期目途中の辞職

2期目に入った後、職員に対する山中氏の言動をめぐる問題について、横浜市は外部の専門家による第三者調査を実施しました。2026年7月30日、調査委員らから報告書が提出されます。

報告書では、怒鳴る行為、書類を投げつける行為、銃撃をまねるポーズ、人格を否定する発言、深夜・休日の恒常的な業務連絡、市長室への出入りを禁じる対応、人事権を背景とした職員への働きかけなどについて検討され、複数の事例群がパワーハラスメントに当たると認定されました。

一方、申し立てられた事実のすべてが認定されたわけではなく、机を叩いたとされる行為など、一部は事実関係を確定できないと判断されています。報告書は職場におけるハラスメントについての第三者調査であり、刑事司法上の有罪・無罪を判断したものではありません。

8月には市会の主要会派から辞職を求める動きが強まりました。山中氏は8月28日に記者会見を開き、市会議長へ辞職願を提出したことを明らかにします。

政策を前に進めることと、職員の方々の就業環境を守ることは、両立させなければならない

出典:横浜市「市長定例記者会見(令和8年8月28日)」(2026年8月28日)

辞職後の進路について、この時点では「未定」と説明しました。9月7日、市会は辞職への同意を全会一致で決め、山中氏は同日付で横浜市長を辞職しました。

人生年表 山中竹春さんの歩み
1972年9月27日
埼玉県秩父市に生まれる
秩父盆地で育つ
1991年
早稲田大学本庄高等学院を卒業
高校ではラグビー部で活動
1996年
早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業
1998年
早稲田大学理工学部数学科を卒業
学士入学で数学を学ぶ
2000年
早稲田大学大学院理工学研究科を修了
九州大学医学部附属病院で研究職に就く
2002年
米国国立衛生研究所(NIH/NIEHS)研究員
2004年まで
2003年
博士(理学)を取得
2006年
国立病院機構九州がんセンターへ
室長等を歴任
2012年
国立がん研究センターへ
部長等を歴任
2014年
横浜市立大学へ
特命副学長、医学部教授、大学院データサイエンス研究科長等を歴任
2021年8月22日
横浜市長選挙で初当選
初めての選挙出馬
2021年8月30日
第33代横浜市長に就任
2021年9月
横浜市のIR誘致撤回を表明
9月10日の市会所信表明で正式に示す
2025年8月3日
横浜市長選挙で再選
2期目へ
2026年7月30日
第三者調査報告書が提出される
複数の言動についてパワーハラスメントを認定
2026年8月28日
横浜市長の辞職を表明
市会議長へ辞職願を提出
2026年9月7日
横浜市長を辞職
市会が全会一致で同意

山中市政で進めた政策と行政運営

小児医療費助成を18歳まで拡大

子育て支援では、小児医療費助成の拡充が進みました。横浜市は2023年8月から中学3年生まで所得制限や一部負担金をなくし、保険診療の自己負担分を助成する仕組みに変更しました。

さらに2026年6月から対象を高校生年代まで広げ、18歳に達した日以後最初の3月31日までを対象としています。小児医療費助成の対象を18歳まで拡大した形です。

中学校で全員給食を開始

学校給食では、長く選択制だった横浜市立中学校の昼食を見直し、2026年4月から全員給食を開始しました。市立中学校などで原則として生徒全員が給食を利用する仕組みへ移行しています。

データを政策評価へ使う行政運営

研究者時代の専門に近い取り組みとして、市政では「データドリブンプロジェクト」が進められました。中期計画に位置付けた施策や事業について、目的と事業の関係、進捗、類似事業などをデータで分析し、予算や事業の見直しへつなげる仕組みです。

2026年度には、政策・施策ごとに「目指すべき状態」とアウトカム指標を設定し、進捗を検証して翌年度の予算や運営方針へ反映させる「データ駆動型経営」への移行が打ち出されました。

問題を解決するために、どのようなデータが必要なのか、そのようなところから整理を始めていくことが必要です。

出典:横浜市「市長定例記者会見(令和3年8月30日)」(2021年8月30日)

子育て応援アプリ「パマトコ」を学齢期へ拡張

行政手続きのデジタル化では、横浜市の子育て応援アプリ「パマトコ」が展開されました。妊娠・出産や未就学期の情報・手続きをまとめるサービスとして始まり、2026年1月には学齢期向け機能が追加されています。

対象となる子どもの規模は、それまでの約17万人から約44万人へ広がりました。学校生活に関係する情報も同じサービスから利用できるようにすることで、子育て世帯と行政との接点を一つにまとめる方向が進められました。

脱炭素と循環型都市を国際ネットワークでも発信

都市政策では、脱炭素や循環型経済を国際都市間で進める活動にも関わりました。2023年には世界気候エネルギー首長誓約の理事、2025年にはICLEI世界理事会で循環型発展を担当する役職に就いています。

横浜市内の施策だけでなく、世界の都市と気候変動や資源循環の取り組みを共有する場へ参加したことも、市長在任中の活動の一つでした。

動画で見る山中竹春氏の市政観

2025年1月には、テレビ神奈川のインタビューで1期目の市政や次の横浜について語っています。政策資料とは異なり、本人の話し方や考えを動画で確認できます。

山中竹春氏の記者会見をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の記者会見まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

医療的ケア児・者の災害時搬送

18歳までの小児医療費無償化

がん対策とデジタル相談

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

山中竹春氏の現在情報

2026年9月27日 時点
現在の公職 公職なし

2026年9月7日、横浜市会の同意を得て横浜市長を辞職した。2026年9月27日時点では横浜市長などの公職には就いていない。

選挙歴 山中竹春の選挙歴
横にスクロールできます
年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
2021年横浜市長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
立憲民主党の推薦を受ける。本人の所属は無所属。
横浜市 無所属 当選 506,392票 1位
2025年横浜市長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
自民党横浜市連、立憲民主党神奈川県連、公明党の市内3総支部から支持を受ける。本人の所属は無所属。
横浜市 無所属 当選 663,876票 1位
政治人生の転機 山中竹春の政治人生の転機
01
1990年代後半
経済学から数学・医療統計へ
政治経済学部で学んだ後、統計や数理を本格的に学ぶため理工学部数学科へ学士入学し、医療データを扱う研究へ進んだ。
なぜ転機なのか 後のデータサイエンス研究者としての専門分野を決める進路変更となったため。
02
2014年
横浜市立大学へ移る
横浜市立大学で医学部教授、特命副学長、大学院データサイエンス研究科長などを務めた。
なぜ転機なのか 横浜との関わりが深まり、研究だけでなく大学の教育・組織づくりにも携わるようになったため。
03
2021年8月
初出馬で横浜市長に当選
研究者から政治の世界へ進み、初めての選挙で横浜市長に当選した。
なぜ転機なのか 大学研究者から政令指定都市を率いる首長へ立場が大きく変わったため。
04
2026年9月
2期目途中で横浜市長を辞職
第三者調査で複数の言動がパワーハラスメントと認定された後、辞職願を提出し、市会の同意を受けて退職した。
なぜ転機なのか 2021年から続いた市長在任期間が2期目途中で終了したため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA