広沢一郎の経歴・学歴と生い立ち|IT起業家から愛知県議、名古屋市副市長・市長まで

広沢一郎
ひと目でわかるプロフィール 広沢一郎
ひろさわ いちろう
出身地
愛知県名古屋市瑞穂区
初当選
2011年(愛知県議会議員一般選挙)
最終学歴
慶應義塾大学経済学部卒業
主な前職
会社員、会社経営者
政界入り
民間企業から
生年月日 1963年12月27日

広沢一郎氏は、名古屋市で会社員、IT企業経営者、愛知県議、名古屋市副市長と異なる立場を経験してきた政治家です。

政治の世界に入ったのは40代後半。そこまでの約25年間には、ソフトウェアビジネスの現場や二度の起業という、地方政治家としては少し珍しい経歴があります。

広沢一郎氏を理解する3つのポイント
  1. 名古屋市瑞穂区で生まれ育ち、学生時代まで地元で過ごしました。
  2. メーカー、総合商社、ITベンチャー経営を経て、47歳で政治の世界へ入りました。
  3. 県議と副市長を経験し、2024年に名古屋市長へ初当選しました。

広沢一郎の生い立ち|名古屋市瑞穂区で育った少年時代

広沢一郎氏は1963年12月27日、名古屋市瑞穂区に生まれました。本人プロフィールでは「名古屋市瑞穂区に生まれ育ち」と明記されており、小学校から高校まで地元で学んでいます。

出生から高校卒業まで生活の基盤となったのは名古屋市瑞穂区でした。後に47歳で初めて県議選へ出た際にも、同じ瑞穂区を選挙区として政治活動を始めています。学生時代まで過ごした地域が、政治家としての出発点にもなりました。

広沢一郎の学歴|瑞陵高校から慶應義塾大学経済学部へ

学歴一覧広沢一郎の学歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校名古屋市立陽明小学校――卒業
中学校名古屋市立汐路中学校――卒業
高校愛知県立瑞陵高等学校―50〜68(2026年度・学科別)卒業
大学慶應義塾大学経済学部67.5(2027年度)1986年3月卒業

※偏差値は本人の在学当時ではなく現在の入試難易度の目安です。瑞陵高校は2026年度版、慶應義塾大学経済学部は河合塾Kei-Netの2027年度ボーダーを参考にしています。

名古屋市立陽明小学校、名古屋市立汐路中学校、愛知県立瑞陵高等学校を卒業しています。

高校卒業後は慶應義塾大学経済学部へ進学し、1986年3月に卒業しました。

ブラザー工業でソフトウェア事業の現場へ

大学を卒業した1986年4月、広沢氏はブラザー工業へ入社しました。広報宣伝部を経て新事業推進室へ移り、パソコン向けソフトウェアに関わる仕事を担当します。

本人のプロフィールには、エクシングへの出向と「ソフトベンダーTAKERU」事業への参加も記されています。TAKERUは店頭端末を通じてパソコンソフトを販売する仕組みで、広沢氏はソフトメーカーとのアライアンスなどに携わりました。

政治家になる前から、新しい商品やサービスを市場へ広げる仕事を長く経験していた人物です。

伊藤忠商事を経てITベンチャーを起業

1997年、ブラザー工業を退社して伊藤忠商事へ移りました。所属したのは宇宙情報マルチメディアカンパニーのコンテンツ事業部で、PCソフトウェアなどの企画・制作に携わっています。

しかし会社員としての期間は長く続きませんでした。翌1998年には独立し、ITベンチャーのマグノリアを立ち上げます。

メーカー、総合商社から、自ら事業をつくる起業家へ。30代半ばで仕事上の立場が大きく変わりました。

マグノリアではパソコンソフトなどを手掛け、将棋ソフト「Bonanza」の商品化にも関わりました。2005年にはキングソフト株式会社の設立に伴い代表取締役へ就任し、セキュリティーソフトやオフィスソフトなどの事業を展開しました。

「とにかく試してみたほうがノウハウがたまるだろう」

出典:週刊BCN+「キングソフト 代表取締役社長 広沢一郎」(2008年1月14日)

当時のインタビューでは、部下から新しい販促アイデアが出た場合、まず実行させて経験を蓄積する経営姿勢を語っています。

「OSはシンプルであってほしいと思います。」

出典:Impress Watch「Impress Watch 10th Anniversary Special」(2006年10月25日)

47歳で初めて選挙に挑戦

会社経営から政治へ活動の場を移したのは2011年です。減税日本の公認を受け、愛知県議会議員選挙の名古屋市瑞穂区選挙区へ立候補しました。

初めての選挙で11,420票を獲得し、愛知県議へ初当選。自身が生まれ育った地域から政治家としての歩みを始めました。

県議時代には減税日本の幹事長などを務めます。政治活動で掲げた中心テーマの一つが減税で、地方税を下げる一方、行政改革によって財源を生み出すという考えを示していました。

「減税の原資は全て行政改革でまかなう」

出典:広沢一郎公式サイト「政策・マニフェスト」(2012年2月3日)

県議を辞して国政選挙へ

2014年には県議を辞職し、第47回衆議院議員総選挙の愛知1区へ減税日本公認で立候補しました。

18,343票を得ましたが議席には届きませんでした。県議として任期を重ねる道ではなく、国政へ挑戦する選択をしたことで、いったん公選職を離れることになります。

議員ではなく名古屋市政の執行側へ

次の大きな変化は2017年12月でした。広沢氏は名古屋市副市長に就任します。

選挙で選ばれる議員から、自治体行政を担う副市長へ立場が変わりました。2021年まで副市長を務め、市政運営の実務に携わります。

副市長退任後は再びマグノリアの代表取締役を務めました。一方で政治活動も続け、再度国政への挑戦に動きます。

2022年参院選、35万票を超えて次点

2022年7月の参議院議員通常選挙では、愛知県選挙区から日本維新の会の候補として立候補しました。減税日本との共同公認という形での出馬でした。

得票は351,840票。定数4の選挙区で5位となり、約4万票差で議席には届きませんでした。

その後は減税日本で副代表兼選挙対策委員長を務め、2023年には日本保守党の結党に参加して事務局次長となりました。

人生年表 広沢一郎さんの歩み
1963年12月27日
愛知県名古屋市瑞穂区に生まれる
1976年頃
名古屋市立陽明小学校を卒業
1979年頃
名古屋市立汐路中学校を卒業
1982年頃
愛知県立瑞陵高等学校を卒業
1986年3月
慶應義塾大学経済学部を卒業
1986年4月
ブラザー工業株式会社へ入社
広報宣伝部、新事業推進室などで勤務
1997年3月
伊藤忠商事株式会社へ入社
コンテンツ事業に従事
1998年
ITベンチャーの株式会社マグノリアを設立
2005年3月
キングソフト株式会社代表取締役に就任
2011年4月
愛知県議会議員選挙で初当選
名古屋市瑞穂区選挙区
2014年
愛知県議を辞職し衆議院議員総選挙へ立候補
愛知1区で落選
2017年12月
名古屋市副市長に就任
2021年
名古屋市副市長を任期満了で退任
2022年7月
参議院議員通常選挙へ立候補
愛知県選挙区で次点
2023年
日本保守党事務局次長に就任
2024年11月24日
名古屋市長選挙で初当選
392,519票を獲得
2024年11月25日
第36代名古屋市長に就任
2025年10月
日本保守党へ離党届を提出

広沢一郎の経歴|2024年、名古屋市長選へ

2024年、長く名古屋市長を務めた河村たかし氏が衆議院選挙へ出馬したことで、市長選が行われることになりました。

広沢氏は市長選への立候補を決め、市民税減税の拡大、敬老パスの負担軽減、子育て支援、名古屋城天守の木造復元、行政DXなどを公約に掲げました。

2024年11月24日の投開票で392,519票を獲得し、7候補の争いを制して初当選。翌25日、第36代名古屋市長に就任しました。

「今後は名古屋市発展のため、全力を尽くして参ります。」

出典:広沢一郎公式X・市長就任時の投稿(2024年11月25日)

広沢一郎氏が掲げた政策

市民税減税の拡大

2024年市長選で最も前面に掲げた政策の一つが、市民税減税の拡大でした。従来の減税をさらに拡大する方針を示し、行財政改革による財源捻出を目指しました。

市長就任後には行財政改革推進プロジェクトチームを立ち上げましたが、アジア・アジアパラ競技大会関連経費や人件費などを含む財政状況を踏まえ、2026年度からの減税幅拡大は見送っています。

「まず減税をやる前にお金をつくらないといけない」

出典:テレビ愛知「公約の実現はいつ?名古屋市の広沢一郎市長の就任から1年で直撃」(2025年)

子育て・教育

子育て分野では、0歳児からの保育料無償化、子どもの公共交通負担を軽くする「子どもパス」、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの増員などを掲げました。

教育では、市立大学と連携した小中高一貫教育や、市立高校の中高一貫校化など、学校制度そのものに踏み込む構想も示しています。

高齢者・福祉

高齢者施策では敬老パスの利用者負担引き下げや利用回数制度の見直し、補聴器助成などを掲げました。障害者スポーツと一般スポーツを一体化した施設整備も政策に盛り込んでいます。

名古屋城の木造復元

名古屋城天守については木造復元を進める立場です。一方、バリアフリーについては小型昇降機などの技術を利用し、史実性との両立を図る考えを示しています。

都市成長と交通・防災

市長選では「名古屋大成長戦略」を掲げ、交通、観光、文化、産業などを横断する都市政策を提示しました。行政DXや防災体制の強化、地下鉄東山線の利便性向上なども含まれています。

都市の利便性や暮らしやすさについては、本人Xでも名古屋市の交通網や生活環境を紹介する市の情報を発信しています。

河村市政の継承と、自らの市政運営

広沢氏は2024年市長選で、河村たかし氏が進めた政策の継承を明確に掲げました。ただし、市長就任後の議会答弁では、市議会との対話を重ねながら政策を進める姿勢も示しています。

市民税減税についても、選挙時の目標と実際の財政状況の間で調整を迫られました。2026年度からの減税率拡大は見送り、その後の財源確保を検討する方針へ修正しています。

2025年には日本保守党の名古屋支部長を退き、同年10月には同党への離党届提出を公表しました。減税日本での活動は継続しています。

「その決断を尊重し私も共に離党することが適当であると考えました」

出典:日刊スポーツ「河村たかし氏に続き名古屋市長・広沢一郎氏も日本保守党に離脱届提出」(2025年10月9日)

会社員から起業家、県議、副市長へと役割を変えてきた広沢氏は、2024年から市長として名古屋市政を担う立場となりました。

広沢一郎氏の記者会見をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の記者会見まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

物価高と子育て世帯支援

子ども政策と国への制度要請

大規模災害対策と都市防災

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

広沢一郎氏の現在情報

2026年9月11日 時点
現在の公職 名古屋市長
現在の所属 減税日本
選挙区・選出地域 愛知県名古屋市
現在の期・任期 名古屋市長1期目
現在の主な役職
減税日本代表代行

2025年10月に日本保守党へ離党届を提出し、減税日本での活動を継続しています。市民税減税の拡大については2026年度からの実施を見送り、財源確保を検討しています。

政治人生の転機 広沢一郎の政治人生の転機
01
2011年4月
IT企業経営から愛知県議へ
名古屋市瑞穂区選挙区から減税日本公認で県議選へ立候補し、初当選しました。
なぜ転機なのか 会社員・起業家として歩んできた広沢氏が、初めて公選職に就いたため。
02
2017年12月
名古屋市副市長に就任
国政選挙での落選後、名古屋市副市長に就任しました。
なぜ転機なのか 議員から自治体行政の執行側へ活動の軸が移ったため。
03
2022年7月
参院選で次点
愛知県選挙区から参院選へ出馬し351,840票を得ましたが、定数4に対して5位でした。
なぜ転機なのか 国政進出には至らず、その後の政治活動が再び名古屋を軸とする形へ進んだため。
04
2024年11月
名古屋市長へ初当選
名古屋市長選で392,519票を獲得し初当選しました。
なぜ転機なのか 副市長経験を経て、名古屋市政の最高責任者となったため。
選挙歴 広沢一郎の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
愛知県議会議員一般選挙
定数:2 比例復活:該当なし
新人として初当選
名古屋市瑞穂区選挙区 減税日本 当選 11,420票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
愛知県議を辞職して立候補
愛知県 第1区 減税日本 落選 18,343票 4位
第26回参議院議員通常選挙
定数:4 比例復活:該当なし
減税日本との共同公認で出馬。4位との差で次点
愛知県 選挙区 日本維新の会 落選 351,840票 5位
名古屋市長選挙
定数:1 比例復活:該当なし
減税日本、日本保守党などの支援を受けて立候補。7候補の選挙で初当選
名古屋市 無所属 当選 392,519票 1位
公式Xの最新投稿

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参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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