小泉進次郎氏は、神奈川県横須賀市で生まれ育った自由民主党の衆議院議員です。父は元首相の小泉純一郎氏ですが、本人の少年時代をたどると、生活の中心にあったのは政治よりも野球でした。
関東学院での学生生活、米国留学とシンクタンク勤務、父の秘書を経て国政へ進み、2026年8月時点では衆議院議員7期、防衛大臣を務めています。ここでは、その歩みを少年時代から順にたどります。
- 横須賀で育ち、小学生から高校まで野球に打ち込み、関東学院大学卒業後に米国で政治学を学びました。
- コロンビア大学大学院、CSIS研究員、小泉純一郎氏の秘書を経て、2009年の衆院選で初当選しました。
- 環境相・農林水産相、自民党総裁選への2度の挑戦を経て、2026年8月時点では防衛大臣を務めています。
横須賀で育った「野球中心」の少年時代
小泉進次郎氏は1981年4月14日、神奈川県横須賀市に生まれました。3歳上の兄を追いかけて育った負けず嫌いな少年で、父の仕事については「たまにテレビに出ている」という程度の感覚だったと振り返っています。
父・純一郎氏は多忙でしたが、キャッチボールをするためだけに家へ戻ってきたこともあったそうです。地元の野球クラブでは兄がピッチャー、進次郎氏がキャッチャー。小学生のころの夢はプロ野球選手でした。
1988年に関東学院六浦小学校へ入学し、その後も同中学校、同高等学校へ進学しました。中学では野球部のキャプテンを務め、中学3年の夏休みには初めてのアルバイトとして新聞配達を経験。休刊日を除き、約1カ月半を無遅刻・無欠勤で続けたといいます。
高校では朝練、放課後の練習、帰宅後の素振り、週末の練習試合という日々を送りました。高校3年時には副キャプテンを務め、神奈川大会で春ベスト8、夏ベスト16。小学2年生ごろから高校3年生まで、長く野球に打ち込んだ学生生活でした。
情熱を傾けるものに出会えたことが振り返れば一番の幸せです。
出典:タウンニュース「あの頃、僕らは球児だった。『野球が人生の先生』」(2018年7月6日)
高校卒業後は関東学院大学経済学部へ進学しました。大学では野球を続けず、サーフィンや英語の勉強に時間を使うようになります。
関東学院大学で政治を自分の進路として考える
大学2年のころ、父・純一郎氏が立候補した自民党総裁選の手伝いを経験します。横浜駅西口を埋めた聴衆を目にし、党内の力関係だけではなく、党員や国民の支持によって政治が動く場面を間近で見ました。
大学時代にはオーストラリアへの短期滞在も経験し、サーフィンに熱中。工場のライン作業や飲食店でも働くなど、政治家の家庭とは別の場所で働く経験も重ねています。
そして、大学生のときに政治家になることを自分の進路として決めました。2014年に地元の中学生から「いつ政治家になろうと思ったのか」と尋ねられた際には、次のように答えています。
父親に自分から『跡を継ぎたい』と言いました。
出典:タウンニュース「小泉進次郎氏に聞く議員の仕事 野比中生が国会訪問」(2014年2月14日)
大学卒業後、そのまま父の事務所へ入ったわけではありません。「日本を知るなら外から日本を見る」という父の助言もあり、米国へ渡ります。
コロンビア大学院とCSISで「外から日本を見る」
渡米当初はコロンビア大学に付属する英語学校で学びました。本人の振り返りでは、英語レベルの判定試験は10段階の4から5ほど。大学院進学に必要な水準へ届かせるため、英文法や論文の書き方から学び直しています。
そのころ、日本政治研究で知られるジェラルド・カーティス教授を訪ね、コロンビア大学大学院への挑戦を勧められました。進学後は大量の文献を読む日々となり、本人によれば平均睡眠時間が3時間ほどになる時期もあったといいます。
2006年5月、コロンビア大学大学院政治学部を修了し、政治学修士号を取得。同年6月にはワシントンD.C.の米国戦略国際問題研究所(CSIS)に入り、日本政治や日米関係を扱う部門で研究員として働きました。
CSISでは日本・米国・インドの関係を扱うプロジェクトにも参加し、インドへの出張も経験しています。本人はこの時期について、日本国内で関心を集めるテーマと、世界から見た日本への関心は必ずしも一致しないことを実感したと振り返っています。
本人公式YouTubeには、幼少期から米国生活、政界入りまでを自ら振り返った「小泉進次郎の人生」も公開されています。
父の秘書から2009年の初当選へ
約3年間の米国生活を終えて帰国し、2007年9月から衆議院議員だった父・小泉純一郎氏の秘書を務めました。2008年10月には自由民主党神奈川県第11選挙区支部長となり、父の引退後の地盤を引き継ぎます。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では神奈川県第11区から立候補し、150,893票を獲得して28歳で初当選しました。
ただし、本人は当時を順風満帆だったとは振り返っていません。父だけでなく祖父や曽祖父も政治家だったことから「世襲議員」として批判を受け、自民党への逆風も強かったと語っています。
この総選挙では自民党が政権を失ったため、国会議員としてのスタートは野党議員でした。地元の横須賀・三浦で支えてくれた人たちとの関係を、その後も政治活動の基盤としていきます。
| 年月日 | 選挙 | 選挙区・地域 | 所属 | 結果 | 得票・順位 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2009年 8月30日 |
第45回衆議院議員総選挙
初出馬・初当選
|
神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 150,893票 1位 |
| 2012年 12月16日 |
第46回衆議院議員総選挙
2選
|
神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 184,360票 1位 |
| 2014年 12月14日 |
第47回衆議院議員総選挙
3選
|
神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 168,953票 1位 |
| 2017年 10月22日 |
第48回衆議院議員総選挙
4選
|
神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 154,761票 1位 |
| 2021年 10月31日 |
第49回衆議院議員総選挙
5選
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神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 147,634票 1位 |
| 2024年 10月27日 |
第50回衆議院議員総選挙
6選
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神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 129,779票 1位 |
| 2026年 2月8日 |
第51回衆議院議員総選挙
7選。選挙後、第2次高市内閣で防衛大臣に再任
|
神奈川県 第11区 | 自由民主党 | 当選 | 149,029票 1位 |
復興・農政・社会保障を担った若手議員時代
2011年10月に自民党青年局長へ就任。翌2012年の衆院選で2選し、政権復帰後の2013年9月には内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官に就きました。
東日本大震災からの復興では被災地を繰り返し訪れ、自治体の行政機能や人材確保などにも関わりました。2014年のインタビューでは、まず復興に力を入れる考えを示し、とりわけ福島が抱える長期的な課題について語っています。
その後は2015年に自民党農林部会長、2017年に筆頭副幹事長、2018年には厚生労働部会長を務めました。農政だけでなく、社会保障や人生100年時代をめぐる党内議論にも携わっていきます。
2019年、環境大臣として初入閣
2019年9月、環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)として初入閣しました。翌2020年に発足した菅内閣でも同じ職に再任されます。
2021年3月からは気候変動担当大臣も兼務。環境行政、原子力防災、気候変動という複数の政策領域を担当し、同年10月の衆院選で5選しました。
環境相退任後は自民党総務会長代理などを務め、2022年4月には自民党神奈川県連会長に就任。2023年には衆議院安全保障委員会筆頭理事、2024年1月には同委員長となり、安全保障分野での役職も増えていきました。
安全保障委員長から初めての自民党総裁選へ
2024年9月、自民党総裁選に初めて立候補します。過去最多となる9人が争った総裁選で、国会議員票75票、党員算定票61票の計136票を獲得。第1回投票は高市早苗氏、石破茂氏に次ぐ3位でした。
総裁選期間中は各地を回り、政治判断の速度や改革の加速を訴えました。沖縄へ向かう際の投稿では、地方演説会の日程とともに自身の訴えを発信しています。
総裁選後の9月30日には自民党選挙対策委員長に就任しました。しかし、10月27日の衆院選で自民・公明両党が過半数を割り、翌28日に選挙結果の責任を取って選挙対策委員長を辞任しています。
自身は神奈川県第11区で129,779票を得て6選。その後は衆議院経済産業委員会筆頭理事、自民党水産総合調査会会長、政治改革本部事務局長などを務めました。
農林水産大臣としてコメ高騰に向き合う
2025年5月21日、第2次石破内閣の農林水産大臣に就任しました。当時、大きな課題になっていたのがコメ価格の高騰です。
就任初日の会見で、予定されていた政府備蓄米の入札をいったん中止し、随意契約による売り渡しへ切り替えるための制度設計を急ぐよう事務方へ指示したことを明らかにしました。
まずは米について、消費者に安定した価格で供給できるように、全力で取り組んでいきたいと思います。
出典:農林水産省「小泉農林水産大臣就任記者会見概要」(2025年5月21日)
農林水産省は5月26日から随意契約による政府備蓄米の売り渡しを開始し、5月31日から一部店舗で販売が始まりました。ここでは「施策を実施したこと」と「コメ価格全体がどう動いたか」は分けて見る必要があります。
同年夏には少雨による農業用水不足も発生しました。8月3日には、水不足の現場でため池へ給水車から注水する様子を本人公式Xで伝えています。
2025年総裁選の決選投票、そして防衛大臣へ
2025年10月4日、自民党総裁選へ2度目の出馬を果たしました。第1回投票では164票を得て高市早苗氏に次ぐ2位となり、初めて決選投票へ進出します。
決選投票は高市氏185票、小泉氏156票となり、高市氏が総裁に選出されました。その後に発足した高市内閣で、小泉氏は防衛大臣に就任します。
着任訓示では、国民の生命と暮らし、領土・領海・領空に加え、自衛隊員とその家族を守ることを3つの使命として示しました。
国民の命と平和な暮らしを守り抜くこと。
出典:防衛省「小泉 進次郎 防衛大臣着任訓示」(2025年10月22日)
防衛相としては、日米同盟を基軸とした防衛協力、自衛隊の人的基盤の強化、無人機など新たな戦い方への対応、同志国との連携などを担当しています。
2026年2月にはオーストラリアのリチャード・マールズ副首相兼国防相との交流を公式Xで紹介しました。防衛協力の正式な会談とは別に、ランニングをともにする場面を発信しています。
同年2月8日の第51回衆院選では神奈川県第11区で149,029票を得て7選。2月18日に発足した第2次高市内閣でも防衛大臣に再任されました。
2026年8月時点で掲げる政策と横須賀・三浦
2026年8月時点の本人公式政策では、防衛だけでなく、物価高対策、社会保障、食料・エネルギー安全保障、農林水産業、地方創生などを掲げています。
- 暮らし・経済:物価高への対応、公定価格分野の処遇改善、官公需での価格転嫁
- 外交・防衛:自衛官の処遇改善、自前の防衛力強化、日米同盟を基軸とする同志国ネットワーク
- 社会保障・教育:全世代型社会保障、高校無償化、教員の負担軽減と教育の質向上
- 経済・食料・エネルギー安全保障:半導体やレアアースの供給網、食料安全保障、エネルギーの安定供給
- 農林水産業・地方創生:地産地消、スマート農業、中山間地域農業、漁業基盤整備、中小企業の成長投資
地元政策で長く関わってきた一つが、三浦市発祥の「海業」です。漁港を水産業だけでなく観光や地域産業にも生かす考え方で、国の水産政策へ取り込む動きにも関わってきました。
2025年6月には、三浦市の「海業」を題材にした資料を紹介し、地元で生まれたまちづくりの考え方が全国へ広がっていることを公式Xで伝えています。
2026年8月時点の小泉進次郎氏
2026年8月時点では、自由民主党所属の衆議院議員として神奈川県第11区から7期目を務め、防衛大臣と自民党神奈川県連会長の職にあります。
本人は防衛大臣になってから、横須賀で育った経験が職務を果たすうえで力になっていると述べています。自衛隊やその家族を日常的に目にしてきたことが、防衛相として掲げる「隊員とその家族を守る」という使命につながっているという説明です。
少年時代にはプロ野球選手を夢見ていた横須賀の少年が、米国で政治学を学び、野党議員として国会に入り、環境、農政、安全保障へと担当分野を広げてきました。防衛相となった今、政治活動の舞台は国全体の安全保障へ広がる一方、選挙区は初当選から一貫して横須賀市・三浦市を含む神奈川県第11区です。
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生年月日、出身地、選挙区、学歴、CSIS、秘書歴、衆院当選歴、環境相・農水相・防衛相歴、2026年再任を確認
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神奈川県第11区、当選7回、防衛大臣、主要党・国会役職を確認
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生い立ち、学生時代、米国留学、CSIS、政治経歴、地元政策、2026年時点の現況を確認
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2026年時点の物価高対策、外交・防衛、社会保障、教育、食料・エネルギー安全保障、農林水産、地方創生を確認
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2024年・2025年自由民主党総裁選の得票結果を確認
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農水相就任、コメ価格への認識、備蓄米の随意契約方針を確認
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防衛相就任時の使命、防衛政策、安全保障上の認識を確認
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2026年8月時点の自由民主党神奈川県支部連合会会長を確認
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2009年から2026年までの神奈川県第11区における衆議院議員総選挙結果を確認
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少年期、高校野球、野球への本人の受け止めを確認
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政界を志した時期、父への意思表示、米国留学、初当選時の世襲批判、復興への考えを確認
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- 2026年8月21日 記事を新規作成。現況情報を確認




























