小泉進次郎の経歴・学歴と生い立ち|横須賀の野球少年から環境相・農水相、防衛相まで

小泉進次郎
ひと目でわかるプロフィール 小泉進次郎
こいずみ しんじろう
出身地
神奈川県横須賀市
初当選
2009年(第45回衆議院議員総選挙)
最終学歴
米国コロンビア大学大学院政治学部修了(政治学修士)
主な前職
国会議員秘書
政界入り
政治家の後継として
生年月日 1981年4月14日
血液型 AB型

小泉進次郎氏は、神奈川県横須賀市で生まれ育った自由民主党の衆議院議員です。父は元首相の小泉純一郎氏ですが、本人の少年時代をたどると、生活の中心にあったのは政治よりも野球でした。

関東学院での学生生活、米国留学とシンクタンク勤務、父の秘書を経て国政へ進み、2026年8月時点では衆議院議員7期、防衛大臣を務めています。ここでは、その歩みを少年時代から順にたどります。

小泉進次郎氏を理解する3つのポイント
  1. 横須賀で育ち、小学生から高校まで野球に打ち込み、関東学院大学卒業後に米国で政治学を学びました。
  2. コロンビア大学大学院、CSIS研究員、小泉純一郎氏の秘書を経て、2009年の衆院選で初当選しました。
  3. 環境相・農林水産相、自民党総裁選への2度の挑戦を経て、2026年8月時点では防衛大臣を務めています。

横須賀で育った「野球中心」の少年時代

小泉進次郎氏は1981年4月14日、神奈川県横須賀市に生まれました。3歳上の兄を追いかけて育った負けず嫌いな少年で、父の仕事については「たまにテレビに出ている」という程度の感覚だったと振り返っています。

父・純一郎氏は多忙でしたが、キャッチボールをするためだけに家へ戻ってきたこともあったそうです。地元の野球クラブでは兄がピッチャー、進次郎氏がキャッチャー。小学生のころの夢はプロ野球選手でした。

1988年に関東学院六浦小学校へ入学し、その後も同中学校、同高等学校へ進学しました。中学では野球部のキャプテンを務め、中学3年の夏休みには初めてのアルバイトとして新聞配達を経験。休刊日を除き、約1カ月半を無遅刻・無欠勤で続けたといいます。

高校では朝練、放課後の練習、帰宅後の素振り、週末の練習試合という日々を送りました。高校3年時には副キャプテンを務め、神奈川大会で春ベスト8、夏ベスト16。小学2年生ごろから高校3年生まで、長く野球に打ち込んだ学生生活でした。

情熱を傾けるものに出会えたことが振り返れば一番の幸せです。

出典:タウンニュース「あの頃、僕らは球児だった。『野球が人生の先生』」(2018年7月6日)

高校卒業後は関東学院大学経済学部へ進学しました。大学では野球を続けず、サーフィンや英語の勉強に時間を使うようになります。

関東学院大学で政治を自分の進路として考える

大学2年のころ、父・純一郎氏が立候補した自民党総裁選の手伝いを経験します。横浜駅西口を埋めた聴衆を目にし、党内の力関係だけではなく、党員や国民の支持によって政治が動く場面を間近で見ました。

大学時代にはオーストラリアへの短期滞在も経験し、サーフィンに熱中。工場のライン作業や飲食店でも働くなど、政治家の家庭とは別の場所で働く経験も重ねています。

そして、大学生のときに政治家になることを自分の進路として決めました。2014年に地元の中学生から「いつ政治家になろうと思ったのか」と尋ねられた際には、次のように答えています。

父親に自分から『跡を継ぎたい』と言いました。

出典:タウンニュース「小泉進次郎氏に聞く議員の仕事 野比中生が国会訪問」(2014年2月14日)

大学卒業後、そのまま父の事務所へ入ったわけではありません。「日本を知るなら外から日本を見る」という父の助言もあり、米国へ渡ります。

コロンビア大学院とCSISで「外から日本を見る」

渡米当初はコロンビア大学に付属する英語学校で学びました。本人の振り返りでは、英語レベルの判定試験は10段階の4から5ほど。大学院進学に必要な水準へ届かせるため、英文法や論文の書き方から学び直しています。

そのころ、日本政治研究で知られるジェラルド・カーティス教授を訪ね、コロンビア大学大学院への挑戦を勧められました。進学後は大量の文献を読む日々となり、本人によれば平均睡眠時間が3時間ほどになる時期もあったといいます。

2006年5月、コロンビア大学大学院政治学部を修了し、政治学修士号を取得。同年6月にはワシントンD.C.の米国戦略国際問題研究所(CSIS)に入り、日本政治や日米関係を扱う部門で研究員として働きました。

CSISでは日本・米国・インドの関係を扱うプロジェクトにも参加し、インドへの出張も経験しています。本人はこの時期について、日本国内で関心を集めるテーマと、世界から見た日本への関心は必ずしも一致しないことを実感したと振り返っています。

本人公式YouTubeには、幼少期から米国生活、政界入りまでを自ら振り返った「小泉進次郎の人生」も公開されています。

人生年表 小泉進次郎さんの歩み
1981年4月14日
神奈川県横須賀市で生まれる
1988年4月
関東学院六浦小学校に入学
中学校・高等学校も関東学院六浦で学ぶ
2004年3月
関東学院大学経済学部を卒業
2006年5月
米国コロンビア大学大学院政治学部を修了
政治学修士号を取得
2006年6月
米国戦略国際問題研究所(CSIS)研究員となる
日本政治・日米関係などを研究
2007年9月
衆議院議員小泉純一郎氏の秘書となる
2008年10月
自由民主党神奈川県第11選挙区支部長に就任
2009年8月
第45回衆議院議員総選挙で初当選
神奈川県第11区
2011年10月
自由民主党青年局長に就任
2013年9月
内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官に就任
2015年10月
自由民主党農林部会長に就任
2017年8月
自由民主党筆頭副幹事長に就任
2018年10月
自由民主党厚生労働部会長に就任
2019年9月
環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)に就任
初入閣
2021年3月
気候変動担当大臣を兼務
2022年4月
自由民主党神奈川県連会長に就任
2024年1月
衆議院安全保障委員長に就任
2024年9月27日
自由民主党総裁選に初出馬
第1回投票で136票を獲得し3位
2024年9月30日
自由民主党選挙対策委員長に就任
2024年10月28日
自由民主党選挙対策委員長を辞任
衆院選で与党が過半数を割った結果を受け引責
2025年5月
農林水産大臣に就任
コメ価格高騰への対応などを担当
2025年10月4日
自由民主党総裁選に出馬
決選投票で156票を獲得し高市早苗氏に敗れる
2025年10月
防衛大臣に就任
2026年2月8日
第51回衆議院議員総選挙で7選
神奈川県第11区で149,029票
2026年2月
第2次高市内閣で防衛大臣に再任

父の秘書から2009年の初当選へ

約3年間の米国生活を終えて帰国し、2007年9月から衆議院議員だった父・小泉純一郎氏の秘書を務めました。2008年10月には自由民主党神奈川県第11選挙区支部長となり、父の引退後の地盤を引き継ぎます。

2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では神奈川県第11区から立候補し、150,893票を獲得して28歳で初当選しました。

ただし、本人は当時を順風満帆だったとは振り返っていません。父だけでなく祖父や曽祖父も政治家だったことから「世襲議員」として批判を受け、自民党への逆風も強かったと語っています。

この総選挙では自民党が政権を失ったため、国会議員としてのスタートは野党議員でした。地元の横須賀・三浦で支えてくれた人たちとの関係を、その後も政治活動の基盤としていきます。

選挙歴 小泉進次郎の選挙歴
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年月日 選挙 選挙区・地域 所属 結果 得票・順位
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
初出馬・初当選
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 150,893票 1位
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
2選
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 184,360票 1位
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
3選
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 168,953票 1位
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
4選
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 154,761票 1位
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
5選
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 147,634票 1位
第50回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
6選
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 129,779票 1位
第51回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:なし
7選。選挙後、第2次高市内閣で防衛大臣に再任
神奈川県 第11区 自由民主党 当選 149,029票 1位

復興・農政・社会保障を担った若手議員時代

2011年10月に自民党青年局長へ就任。翌2012年の衆院選で2選し、政権復帰後の2013年9月には内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官に就きました。

東日本大震災からの復興では被災地を繰り返し訪れ、自治体の行政機能や人材確保などにも関わりました。2014年のインタビューでは、まず復興に力を入れる考えを示し、とりわけ福島が抱える長期的な課題について語っています。

その後は2015年に自民党農林部会長、2017年に筆頭副幹事長、2018年には厚生労働部会長を務めました。農政だけでなく、社会保障や人生100年時代をめぐる党内議論にも携わっていきます。

2019年、環境大臣として初入閣

2019年9月、環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)として初入閣しました。翌2020年に発足した菅内閣でも同じ職に再任されます。

2021年3月からは気候変動担当大臣も兼務。環境行政、原子力防災、気候変動という複数の政策領域を担当し、同年10月の衆院選で5選しました。

環境相退任後は自民党総務会長代理などを務め、2022年4月には自民党神奈川県連会長に就任。2023年には衆議院安全保障委員会筆頭理事、2024年1月には同委員長となり、安全保障分野での役職も増えていきました。

安全保障委員長から初めての自民党総裁選へ

2024年9月、自民党総裁選に初めて立候補します。過去最多となる9人が争った総裁選で、国会議員票75票、党員算定票61票の計136票を獲得。第1回投票は高市早苗氏、石破茂氏に次ぐ3位でした。

総裁選期間中は各地を回り、政治判断の速度や改革の加速を訴えました。沖縄へ向かう際の投稿では、地方演説会の日程とともに自身の訴えを発信しています。

総裁選後の9月30日には自民党選挙対策委員長に就任しました。しかし、10月27日の衆院選で自民・公明両党が過半数を割り、翌28日に選挙結果の責任を取って選挙対策委員長を辞任しています。

自身は神奈川県第11区で129,779票を得て6選。その後は衆議院経済産業委員会筆頭理事、自民党水産総合調査会会長、政治改革本部事務局長などを務めました。

農林水産大臣としてコメ高騰に向き合う

2025年5月21日、第2次石破内閣の農林水産大臣に就任しました。当時、大きな課題になっていたのがコメ価格の高騰です。

就任初日の会見で、予定されていた政府備蓄米の入札をいったん中止し、随意契約による売り渡しへ切り替えるための制度設計を急ぐよう事務方へ指示したことを明らかにしました。

まずは米について、消費者に安定した価格で供給できるように、全力で取り組んでいきたいと思います。

出典:農林水産省「小泉農林水産大臣就任記者会見概要」(2025年5月21日)

農林水産省は5月26日から随意契約による政府備蓄米の売り渡しを開始し、5月31日から一部店舗で販売が始まりました。ここでは「施策を実施したこと」と「コメ価格全体がどう動いたか」は分けて見る必要があります。

同年夏には少雨による農業用水不足も発生しました。8月3日には、水不足の現場でため池へ給水車から注水する様子を本人公式Xで伝えています。

2025年総裁選の決選投票、そして防衛大臣へ

2025年10月4日、自民党総裁選へ2度目の出馬を果たしました。第1回投票では164票を得て高市早苗氏に次ぐ2位となり、初めて決選投票へ進出します。

決選投票は高市氏185票、小泉氏156票となり、高市氏が総裁に選出されました。その後に発足した高市内閣で、小泉氏は防衛大臣に就任します。

着任訓示では、国民の生命と暮らし、領土・領海・領空に加え、自衛隊員とその家族を守ることを3つの使命として示しました。

国民の命と平和な暮らしを守り抜くこと。

出典:防衛省「小泉 進次郎 防衛大臣着任訓示」(2025年10月22日)

防衛相としては、日米同盟を基軸とした防衛協力、自衛隊の人的基盤の強化、無人機など新たな戦い方への対応、同志国との連携などを担当しています。

2026年2月にはオーストラリアのリチャード・マールズ副首相兼国防相との交流を公式Xで紹介しました。防衛協力の正式な会談とは別に、ランニングをともにする場面を発信しています。

同年2月8日の第51回衆院選では神奈川県第11区で149,029票を得て7選。2月18日に発足した第2次高市内閣でも防衛大臣に再任されました。

政治人生の転機 小泉進次郎の政治人生の転機
01
大学時代~2006年
政治家を志し、米国留学へ
大学在学中に政治家を自分の進路として選び、卒業後は米国へ渡ってコロンビア大学大学院で政治学を学び、CSIS研究員となった。
なぜ転機なのか 父の地盤をただ引き継ぐ前に、海外で政治と日米関係を学ぶ時期を持ち、自身の政治家への準備が始まったため。
02
2009年8月
父の後を継ぎ、衆議院議員に初当選
小泉純一郎氏の秘書、神奈川県第11選挙区支部長を経て、第45回衆院選に出馬。150,893票を得て初当選した。
なぜ転機なのか 政治家を目指して準備してきた段階から、選挙で選ばれる国会議員へ立場が変わったため。
03
2019年9月
環境大臣として初入閣
環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)に就任し、その後、菅内閣でも再任された。
なぜ転機なのか 党役職や大臣政務官を経験してきた立場から、閣僚として政策分野を直接担う立場へ移ったため。
04
2025年10月~2026年2月
総裁選の決選投票から防衛大臣へ
2025年の自民党総裁選で決選投票まで進んだ後、高市内閣で防衛大臣に就任。2026年衆院選で7選し、第2次高市内閣でも再任された。
なぜ転機なのか 党のリーダーを争う立場まで進んだ直後、日本の安全保障を担当する閣僚に就き、政治活動の中心領域が大きく広がったため。

2026年8月時点で掲げる政策と横須賀・三浦

2026年8月時点の本人公式政策では、防衛だけでなく、物価高対策、社会保障、食料・エネルギー安全保障、農林水産業、地方創生などを掲げています。

  • 暮らし・経済:物価高への対応、公定価格分野の処遇改善、官公需での価格転嫁
  • 外交・防衛:自衛官の処遇改善、自前の防衛力強化、日米同盟を基軸とする同志国ネットワーク
  • 社会保障・教育:全世代型社会保障、高校無償化、教員の負担軽減と教育の質向上
  • 経済・食料・エネルギー安全保障:半導体やレアアースの供給網、食料安全保障、エネルギーの安定供給
  • 農林水産業・地方創生:地産地消、スマート農業、中山間地域農業、漁業基盤整備、中小企業の成長投資

地元政策で長く関わってきた一つが、三浦市発祥の「海業」です。漁港を水産業だけでなく観光や地域産業にも生かす考え方で、国の水産政策へ取り込む動きにも関わってきました。

2025年6月には、三浦市の「海業」を題材にした資料を紹介し、地元で生まれたまちづくりの考え方が全国へ広がっていることを公式Xで伝えています。

2026年8月時点の小泉進次郎氏

2026年8月時点では、自由民主党所属の衆議院議員として神奈川県第11区から7期目を務め、防衛大臣と自民党神奈川県連会長の職にあります。

本人は防衛大臣になってから、横須賀で育った経験が職務を果たすうえで力になっていると述べています。自衛隊やその家族を日常的に目にしてきたことが、防衛相として掲げる「隊員とその家族を守る」という使命につながっているという説明です。

少年時代にはプロ野球選手を夢見ていた横須賀の少年が、米国で政治学を学び、野党議員として国会に入り、環境、農政、安全保障へと担当分野を広げてきました。防衛相となった今、政治活動の舞台は国全体の安全保障へ広がる一方、選挙区は初当選から一貫して横須賀市・三浦市を含む神奈川県第11区です。

参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

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