市田忠義の経歴・学歴と生い立ち|労働組合活動から共産党書記局長、参院4期24年まで

市田忠義
ひと目でわかるプロフィール 市田忠義
いちだ ただよし
出身地
大阪府
初当選
1998年(第18回参議院議員通常選挙)
最終学歴
立命館大学法学部
主な前職
会社員、労働組合
政界入り
労働組合から
生年月日 1942年12月28日

市田忠義氏は、日本共産党で書記局長・副委員長などを務め、参議院比例代表で4期24年活動した政治家です。国会議員になる前には京都の党組織で長く活動し、中央の選挙対策や党運営にも携わりました。

その歩みをたどると、戦争によって家業と住まいを失った少年時代、働きながら大学へ通った学生生活、龍谷大学での職員組合活動を経て、政治活動へ進んだ流れが見えてきます。

市田忠義氏を理解する3つのポイント
  1. 戦後の滋賀県で育ち、働きながら立命館大学で学んだ
  2. 龍谷大学の職員組合活動を経て、日本共産党の専従職員となった
  3. 参議院議員として4期24年活動し、日本共産党書記局長を約13年間務めた

市田忠義の生い立ち|大阪大空襲で家業を失い、滋賀県へ移った少年時代

市田忠義氏は1942年12月28日、大阪府に生まれました。父親は大阪で丁稚奉公から働き始め、やがて小さな縫製工場を営むようになっていました。

しかし戦争末期、父親の縫製工場は大阪大空襲で焼失します。家を失った一家は滋賀県へ移り、父親は大阪で行商などをしながら商売の再建を図っていました。

その父親が亡くなったのは、市田氏が10歳のときです。後年、市田氏は父親が倒れたとの電報を受け、下宿先へ駆けつけたとき、枕元にかじりかけのキュウリがあったことを覚えていると振り返っています。

早くに父親を失った私は懸命に父親になろうとしていたのかもしれません。

出典:しんぶん赤旗「参院比例候補5氏が『父』を語る」(2004年6月19日)

家族には戦争の影響も残りました。本人は、8人きょうだいのうち4人を戦争にかかわって失い、父亡き後は母親が一家を支えたと語っています。高校まで滋賀県で過ごし、滋賀県立八日市高等学校を卒業しました。

市田忠義の学歴|働きながら立命館大学へ通った学生時代

学歴一覧市田忠義の学校歴
横にスクロールできます
区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校滋賀県立八日市高等学校―62(2026年度版)―
大学立命館大学法学部57.5〜60.0(法学部・2027年度参考)卒業

※偏差値・難易度は市田氏の在学当時ではなく現在の目安です。

高校卒業後は働きながら学ぶ道を選びました。繊維商社や弁護士事務所などで働いた後、龍谷大学に勤務し、図書館司書を務めています。

同時に、昼に働きながら立命館大学の夜間部で学ぶ生活を送りました。立命館大学法学部同窓会の資料には1967年卒業として記録されています。

家計に余裕がある学生生活ではありませんでした。母親は後年、市田氏が働いて得た給料から実家へ仕送りをしていた時期を短歌に残しています。

人間が人間らしく扱われ、まじめに働く人間が報われる社会になれば

出典:しんぶん赤旗「赤旗まつり/ざっくばらん問答」(2002年11月3日)

市田氏は後年、母親の生き方を振り返りながら、このような思いを抱いて日本共産党へ入ったと説明しています。

市田忠義の経歴|龍谷大学の職員組合から日本共産党専従へ

龍谷大学では図書館司書として勤務する一方、大学に職員組合をつくり、書記長を務めました。政治家として知られるようになる以前に、職場での労働組合活動を経験しています。

その後、1971年から日本共産党の活動に専念します。京都伏見地区委員長、京都府委員会書記長、京都府委員長など、京都の党組織で役職を重ねました。

1970年代から90年代前半までの時期は、選挙で公職を得るのではなく、政党組織を運営する側で活動していました。伏見地区から京都府レベルの組織へと担当を移し、その後、党中央の仕事へ進みます。

一度しかない人生を歴史の傍観者ではなく社会進歩と平和のために

出典:しんぶん赤旗「雇用・食料 共感広がる」(2008年7月22日)

京都の党組織から党中央の役職へ

1994年、日本共産党中央委員会の常任幹部会委員となりました。1999年には選挙対策局長を務め、地方組織での活動から党中央の運営や選挙実務を担う立場へ移っています。

この間も京都との関係は続きました。後の参議院選挙では比例代表候補として全国を対象に活動する一方、党の近畿ブロック資料では大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山の近畿全域を活動地域としていました。

伏見地区委員長から京都府委員長、党中央へと役割を移していった経歴は、国政選挙への初出馬まで約30年に及ぶ党務活動の流れの中にあります。

998年に参議院へ初当選、4期24年の国会活動

国政選挙への初出馬は1998年の第18回参議院議員通常選挙でした。当時の参議院比例代表は拘束名簿式で、市田氏は日本共産党の名簿から初当選して国会議員となりました。

その後、2004年、2010年、2016年の参院選でも比例代表で当選。選挙制度が非拘束名簿式へ変わった後の3回はいずれも日本共産党候補者の個人得票順位1位でした。

参議院では労働分野のほか、環境委員会などで活動しました。2008年の環境委員会では生物多様性基本法案をめぐり、環境影響評価や沖縄のジュゴン保護を質問。2009年には自然公園法改正をめぐり、生物多様性、カワウ被害、生態系維持回復事業、泡瀬干潟などを取り上げています。

国会議員としての活動と並行して、党幹部として政権や他党の政策への見解を発信する場面も増えました。2017年の本人Xには、政治家の答弁や政治における言葉をめぐる本人の見方が残されています。

約13年間務めた日本共産党書記局長

2000年11月24日、第22回党大会後の中央委員会総会で、日本共産党中央委員会書記局長に選出されました。

書記局長は党の中央機関の日常的な運営を担う役職です。市田氏は後年、議員勇退時のあいさつで、自身の国会議員24年間の中に「13年間の書記局長の時代」があったと振り返っています。

党の代表質問、記者会見、各地での演説などにも登場し、国会議員と党幹部の二つの立場で活動しました。2014年1月には書記局長を退き、党中央委員会副委員長に就任しています。

2016年の参院選では一度示していた議員勇退方針を変更して立候補し、4選しました。当時の本人発言では、戦争体験を持つ家族の歴史と憲法9条への考えを結び付けて説明しています。

憲法9条は二度と戦争しない、の思いが凝縮したもの。

出典:しんぶん赤旗「共産党当選者の横顔」(2016年7月12日)
人生年表 市田忠義さんの歩み
1942年12月28日
大阪府で生まれる
1945年ごろ
大阪大空襲で父が営んでいた縫製工場が焼失し、家族で滋賀県へ移る
1950年代前半
10歳で父を亡くす
1967年
立命館大学法学部を卒業
働きながら夜間部で学ぶ
1971年
日本共産党の専従職員となる
京都伏見地区委員長、京都府委員会書記長・委員長などを歴任
1994年
日本共産党中央委員会常任幹部会委員となる
1998年7月12日
第18回参議院議員通常選挙で初当選
比例代表
1999年
日本共産党選挙対策局長となる
2000年11月
日本共産党中央委員会書記局長に就任
2004年7月11日
第20回参議院議員通常選挙で再選
比例代表
2010年7月11日
第22回参議院議員通常選挙で3選
比例代表
2014年1月
日本共産党中央委員会副委員長に就任
2016年7月10日
第24回参議院議員通常選挙で4選
比例代表
2022年7月
参議院議員を4期24年で退任
国会議員を退いた後も党活動を継続

市田忠義氏が扱ってきた政策・政治姿勢

雇用と働く人の生活

大学職員時代に労働組合の書記長を務めた市田氏は、国政でも雇用問題を継続して扱いました。2008年の党演説では雇用問題や食料問題などを取り上げ、働く人の生活をめぐる党の政策を説明しています。

ただし、本人の職員組合活動が後の個別政策を直接形成したと断定できる一次資料は確認できないため、経歴と政策上の主張はそれぞれ確認できる事実として捉える必要があります。

年金・社会保障

参議院の記録では、2004年の年金制度をめぐる請願や2013年の年金削減に反対する請願などで紹介議員を務めています。2005年の障害者自立支援法案では、日本共産党所属議員として反対票を投じました。

議員任期の終盤にも社会保障と国の財政支出について発信していました。2022年の本人Xでは、年金などの生活分野と軍事費をめぐる予算の優先順位について自身の立場を示しています。

環境と生物多様性

国会活動で具体的な記録が多く残っている分野の一つが環境政策です。参議院環境委員会では、生物多様性や自然環境の保全を繰り返し取り上げました。

2008年の生物多様性基本法案では、戦略的環境アセスメントや沖縄本島周辺のジュゴン保護などを質問。翌2009年の自然公園法改正審議では、生態系維持回復事業、民間団体の意見反映、泡瀬干潟などについて政府の見解を求めています。

憲法・平和と外交

平和と安全保障については、憲法9条を重視し、軍事的な対抗より外交と対話を優先する立場を継続して示しています。これは日本共産党の安全保障政策と重なる立場であり、本人も各地の演説や党集会で説明してきました。

紛争の解決は、外交の力、話し合いで行う。

出典:しんぶん赤旗「歴史に働きかける人生を」(2026年9月24日)

2026年9月の大津市での集会では、ASEANの例を挙げながら、東アジアでも外交と対話による紛争解決を目指すという考えを述べました。

消費税と物価高対策

2026年9月時点の発言では、日本共産党の政策として消費税率を直ちに5%へ引き下げ、将来的な廃止を目指す立場を説明しています。財源については、大企業や大資産家に利益や資産に応じた負担を求めるとの党の主張を示しました。

期24年で参議院を退任、その後も党活動を継続

2022年、市田氏は同年夏の参議院議員任期満了をもって国会議員を退くことを表明しました。1998年の初当選から数えて4期24年で参議院議員としての活動を終えました。

引退といっても議員でなくなるだけであって、全てが終わるわけではありません。

出典:しんぶん赤旗「生ある限りたたかいぬく」(2022年6月16日)

発言どおり、国会議員退任後も政治活動は続きました。日本共産党中央委員会では副委員長・常任幹部会委員を務め、各地の党集会や演説に参加しています。

本人Xでも、選挙協力など党の活動について継続して発信しています。2025年には鹿児島選挙区での候補者対応について、自身の評価を投稿しました。

国会を離れた後も、政局や政府の対応に対する本人の意見をSNSで発信しています。2026年1月にも、テレビ討論への首相の出席をめぐって見解を投稿しました。

党機関紙についての発信も続けています。2026年3月の投稿では「しんぶん赤旗」をめぐり、自身が重視する新聞の役割を短い言葉で表現しました。

2026年9月時点でも、日本共産党の副委員長として活動しています。参議院議員という公職からは離れましたが、党中央の役職と各地での政治活動は継続しています。

市田氏が国会議員退任後に語った平和外交については、日本共産党大阪府組織の動画でも本人の説明を確認できます。

市田忠義氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

雇用・労働者派遣

このテーマの関連発言をさらに見る 1件

介護・社会保障

環境・生物多様性

このテーマの関連発言をさらに見る 2件
参議院 環境委員会

地域住民や自治体の取組、生物多様性地域戦略、開発による環境改変への対応について質問した。

国会会議録で発言全文を見る

憲法・平和・安全保障

このテーマの関連発言をさらに見る 1件
参議院 本会議

有事関連三法案をめぐり、基本的人権や自治体への影響、海外での武力行使との関係について質問した。

国会会議録で発言全文を見る

消費税・家計負担

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

市田忠義氏の現在情報

2026年9月26日 時点
現在の所属 日本共産党
現在の主な役職
日本共産党中央委員会幹部会副委員長 日本共産党中央委員会常任幹部会委員

2022年7月に参議院議員を4期24年で退任後も政治活動を継続。2026年9月時点で日本共産党副委員長として党活動に参加している。

関連書籍
市田忠義さんの著書・関連書籍
日本共産党の 規約と党建設 教室
書籍
日本共産党の 規約と党建設 教室
著者:市田忠義 / 出版社:新日本出版社 / 発売日:2022年10月25日頃
和気愛藹 エッセイ&対談集
書籍
和気愛藹 エッセイ&対談集
著者:市田忠義 / 出版社:新日本出版社 / 発売日:2010年11月
党づくりの苦労と喜び 地区委員長のあり方を考える
書籍
党づくりの苦労と喜び 地区委員長のあり方を考える
著者:市田忠義 / 出版社:新日本出版社 / 発売日:2010年09月

※商品リンクにはアフィリエイトリンクを含みます。

選挙歴 市田忠義の選挙歴
横にスクロールできます
年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第18回参議院議員通常選挙
定数:50 比例復活:該当なし
第18回参院選当時の比例代表は拘束名簿式。日本共産党の比例当選者に市田忠義を確認。
比例代表 日本共産党 当選 (初当選) 個人得票なし(拘束名簿式) 日本共産党拘束名簿2位
第20回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
非拘束名簿式比例代表。日本共産党は比例代表で4人が当選。
比例代表 日本共産党 当選 (再選) 199,930 日本共産党名簿登載者得票順位1位
第22回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
日本共産党は比例代表で3人が当選。
比例代表 日本共産党 当選 (3選) 83,806 日本共産党名簿登載者得票順位1位
第24回参議院議員通常選挙
定数:48 比例復活:該当なし
日本共産党は比例代表で5人が当選。
比例代表 日本共産党 当選 (4選) 77,348 日本共産党名簿登載者得票順位1位
政治人生の転機 市田忠義の政治人生の転機
01
1971年
日本共産党の専従職員へ
龍谷大学での勤務と職員組合活動を経て、日本共産党の活動に専念する道へ進んだ。
なぜ転機なのか 職場での組合活動から、政党の専従活動へ進路が切り替わったため。
02
1998年7月
参議院議員へ初当選
第18回参議院議員通常選挙の比例代表で初当選した。
なぜ転機なのか 党組織での活動から国会議員としての活動へ立場が変わったため。
03
2000年11月
日本共産党書記局長に就任
第22回党大会後の中央委員会総会で書記局長に選出された。
なぜ転機なのか 党の日常的な中央指導を担う主要役職に就いたため。
04
2022年7月
4期24年で参議院議員を退任
参議院議員としての活動を終え、党副委員長としての政治活動を続けた。
なぜ転機なのか 国会議員という公職を離れ、その後の活動形態が変わったため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料
報道・インタビュー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA