穀田恵二の経歴・学歴と生い立ち|京都市議から衆議院10期、国対委員長まで

穀田恵二
ひと目でわかるプロフィール 穀田恵二
こくた けいじ
出身地
岩手県水沢市(現・奥州市)
初当選
1993年(第40回衆議院議員総選挙)
最終学歴
立命館大学文学部卒業
主な前職
政党職員
政界入り
政党職員から
生年月日 1947年1月11日

穀田恵二氏は、京都を長く政治活動の拠点としてきた日本共産党の政治家です。京都市議を経て1993年に衆議院へ初当選し、2024年まで10期31年間にわたって国会議員を務めました。

長年の国会活動で知られる一方、その出発点は岩手県で過ごした少年時代と、1960年代の立命館大学での学生生活にあります。大学職員、政党職員、京都市議から国政へと進んだ歩みを時系列でたどります。

穀田恵二氏を理解する3つのポイント
  1. 岩手県水沢市に生まれ、盛岡第一高校から立命館大学へ進学。大学時代に日本共産党へ入党しました。
  2. 立命館大学職員、共産党職員、京都市議を経て、1993年の衆院選で旧京都1区から初当選しました。
  3. 衆議院議員を10期務め、長く党国会対策委員長を担当。2024年に国会議員を勇退した後も党活動を続けています。

穀田恵二の生い立ち|岩手県水沢市で育った少年時代

穀田氏は1947年1月11日、岩手県水沢市、現在の奥州市に生まれました。のちに政治活動の中心となる京都ではなく、東北で少年時代を過ごしています。

本人のプロフィールによれば、中学生のころ、父親が勤務していた岩手銀行で労働組合をめぐる対立を間近に見ました。1960年の安保闘争の時期とも重なり、職場で活動する人々の姿が身近にありました。

「お父さんのようになりたい」

出典:こくた恵二site「プロフィール」(公開日記載なし)

岩手県立盛岡第一高等学校に進むと、本を読むことを好み、同校の先輩にあたる石川啄木の足跡を訪ねることもありました。学校帰りに書店へ頻繁に通ったという本人紹介も残っています。

穀田恵二の学歴|盛岡一高から立命館大学へ

1965年、穀田氏は盛岡から京都へ移り、立命館大学に入学しました。立命館大学では、戦争への反省と平和を掲げた大学の歴史や、当時の末川博総長の考え方にも接しています。

同じ1965年に日本共産党へ入党しました。後年、穀田氏は大学時代に参加した「12・8不戦のつどい」で受けた印象を、入党を考えた出来事として語っています。

「私の政治活動の出発点は、反戦平和の思いです」

出典:衆議院「第196回国会 本会議 第28号」(2018年5月22日)

文学部で学んだ後、1969年に大学を卒業し、そのまま立命館大学の職員となりました。学生として京都へ来たことが、その後半世紀以上にわたり京都を活動拠点とする出発点になりました。

学歴一覧穀田恵二の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
高校岩手県立盛岡第一高等学校―67(2026年度版)―
大学立命館大学文学部52.5〜60.0(方式別・2027年度)卒業

※偏差値・難易度は穀田氏の在学当時ではなく現在の目安です。盛岡第一高校は2026年度版、立命館大学文学部は河合塾Kei-Netの2027年度入試データを参照しています。

穀田恵二の経歴|大学職員から日本共産党の職員へ

大学職員として勤務した後、1972年には日本共産党京都北地区委員会の職員となりました。その後、国政へ進む前まで長期間にわたり京都北部を中心とした党活動に携わります。

この時期はまだ議員ではありません。地域での党活動を仕事としながら、のちに自ら立候補する京都市北区を活動基盤としていきました。

987年、京都市議として初めて選挙で公職へ

1987年に京都市会議員選挙へ北区から立候補し、初当選しました。党職員として政治活動を支えてきた立場から、選挙で選ばれる議員へ移った最初の節目です。

京都市の公式資料にも、1987年4月に結成された日本共産党京都市会議員団のメンバーとして穀田氏の名前が記録されています。市議在職は1991年まででした。

1993年、旧京都1区でトップ当選

市議を経験した後、穀田氏は国政を目指します。1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙では、中選挙区制だった旧京都1区から日本共産党公認で立候補しました。

77,708票を獲得し、定数5の旧京都1区でトップ当選。46歳で衆議院議員となりました。

初当選後は政治改革をめぐる特別委員会などに所属しました。当時は中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への変更を含む政治改革が国会の大きなテーマとなっていました。

阪神・淡路大震災と被災者への公的支援

国会議員としての初期に経験した出来事の一つが、1995年の阪神・淡路大震災でした。穀田氏は被災地に入り、被災者の生活再建に国が直接支援する仕組みを求める活動に関わりました。

2024年の勇退時には、この時期を振り返り、被災者への「個人補償」を国会で提起したことを特に挙げています。その後、1998年に被災者生活再建支援法が成立しました。

「国会で初めて“個人補償”を提起」

出典:しんぶん赤旗「今期で勇退 2氏のあいさつ」(2024年10月10日)

小選挙区制導入後は京都1区と比例近畿を軸に

1996年の第41回衆院選から、小選挙区比例代表並立制のもとで選挙が行われました。穀田氏は京都1区から立候補し、自由民主党の伊吹文明氏と争いました。

1996年は小選挙区で60,441票を獲得して2位となり、比例代表近畿ブロックで当選しました。以後も京都1区で小選挙区選挙に立候補しながら、比例近畿ブロックで国会議席を得る選挙が続きます。

2000年、2003年、2005年、2009年、2012年、2014年、2017年、2021年の各衆院選でも議席を維持し、1993年から2021年まで10回連続で衆議院議員に当選しました。

長く担った国会対策委員長

国会での穀田氏を特徴づける役割が、日本共産党の国会対策委員長です。法案審議の日程や国会運営、野党間の協議などを担当し、複数の政権期にわたって国会対策の前面に立ちました。

与野党各党の国会対策委員長との協議にも継続して参加しました。2024年の自民党派閥の政治資金問題では、他の野党とともに政治倫理審査会での審査や企業・団体献金の扱いなどをめぐる協議に加わっています。

「真相究明は終わっていない」

出典:しんぶん赤旗「自民裏金議員44人審査を」(2024年5月9日)

選挙制度をめぐる国会論戦

穀田氏が国会で繰り返し取り上げたテーマの一つが選挙制度です。小選挙区制については、一つの政党の得票率と獲得議席数の間に大きな差が生じるとして、比例代表を重視する制度への改革を主張してきました。

2015年に衆議院選挙制度に関する調査会へ提出した党の意見では、小選挙区で多数の票が議席につながらないことを問題として挙げています。

「国民のものだというのは正論だと思う」

出典:国会会議録「第190回国会 衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会」(2016年4月27日)

外交・安全保障では反戦平和を軸に発言

大学時代から掲げてきた反戦・平和の考え方は、国会での外交・安全保障分野の発言にも表れています。国旗・国歌法案、安全保障政策、沖縄の基地問題、核兵器、戦争と国際法などを取り上げてきました。

2023年3月、岸田文雄首相のウクライナ訪問に関する衆議院本会議では、ロシアによるウクライナ侵攻を国連憲章に反するものとして批判するとともに、外交による和平努力を求める立場を示しました。

京都の伝統産業や地域課題にも取り組む

京都を地盤としてきたことから、国政課題だけでなく地域産業にも関わってきました。党内では伝統的工芸品産業振興対策委員会の責任者を務め、京都の伝統産業を含む工芸産業への支援を扱っています。

交通分野では国土交通委員会などで活動し、道路、鉄道、公共交通、地域インフラなどを質問してきました。京都を通る北陸新幹線延伸についても党の立場から計画を検証する活動に関わっています。

018年に衆議院在職25年表彰

2018年5月22日、穀田氏は衆議院から永年在職議員として表彰を受けました。1993年の初当選から25年を迎えたためです。

表彰に際しては、京都と近畿ブロックの有権者への謝意を示すとともに、立命館大学時代から続く反戦平和への考えを振り返りました。

2021年、10回目の衆院当選

2021年10月31日の第49回衆院選では、京都1区で65,201票を獲得しました。小選挙区では自由民主党の勝目康氏に次ぐ2位でしたが、比例近畿ブロックで当選しました。

選挙戦の最終盤には、京都1区での支持を呼びかける発信を本人Xで行っています。

この当選で衆議院議員10期となりました。この選挙が穀田氏にとって最後の立候補になりました。

投開票後には、小選挙区での結果と今後の国会活動について本人Xで述べています。

続く公式動画では、2021年衆院選時の本人の発言や活動を映像で確認できます。

続く公式動画では、2021年衆院選時の本人の発言や訴えを映像で確認できます。

人生年表 穀田恵二さんの歩み
1947年1月
岩手県水沢市に生まれる
1965年
立命館大学に入学
同年、日本共産党に入党
1969年
立命館大学を卒業
立命館大学職員となる
1972年
日本共産党京都北地区委員会職員となる
1987年
京都市会議員に初当選
北区選出
1993年7月
第40回衆議院議員総選挙で初当選
旧京都1区でトップ当選
1996年10月
第41回衆議院議員総選挙で再選
京都1区で敗れ、比例近畿ブロックで当選
1997年
日本共産党国会対策委員長に就任
以後、長期間にわたり国対を担当
2018年5月
衆議院永年在職議員表彰を受ける
在職25年
2021年10月
第49回衆議院議員総選挙で10回目の当選
比例近畿ブロック
2024年10月
衆議院議員を勇退
31年間の国会議員活動を終える
2025年1月
党常任幹部会委員を退任
幹部会委員・選挙対策局付として活動継続

穀田恵二氏が重視してきた政策・政治姿勢

被災者の生活再建への公的支援

阪神・淡路大震災以降、住宅や生活基盤を失った被災者への公的支援を求めてきました。本人は勇退時にも、被災者生活再建支援法につながった活動を国会議員生活の記憶として挙げています。

選挙制度と民意の反映

小選挙区中心の制度について、得票と議席数の乖離が大きくなるとして批判し、比例代表を重視する立場から制度改革を求めてきました。

政治資金と企業・団体献金

政治資金をめぐっては、日本共産党の立場として企業・団体献金の禁止や政党助成金の廃止を主張してきました。2024年の自民党派閥の政治資金問題でも国会対策委員長として野党協議に参加しました。

2024年の政治倫理審査会をめぐっては、審査後の受け止めを本人Xでも発信しています。

平和・外交と核兵器

反戦平和を政治活動の原点と位置づけ、軍事力に依存する政策に反対する立場を取ってきました。核兵器禁止条約への日本の参加も求めています。

沖縄戦をめぐる地方議会の決議についても本人Xで紹介しており、平和・沖縄に関する発信を続けています。

伝統工芸・中小事業者

京都の伝統産業を含む工芸品産業について、後継者、原材料、販路などの課題を国政で扱ってきました。党内では伝統的工芸品産業振興対策委員会責任者を務めました。

024年、10期31年で国会議員を勇退

2024年10月、衆議院解散を前に穀田氏は今期での勇退をあらためて表明しました。1993年の初当選以来、衆議院議員としての在職は31年に及びました。

同年の第50回衆院選には立候補せず、京都1区では日本共産党の井坂博文氏が立候補しました。

勇退後も日本共産党で活動

国会議員を退いた後、党内の役割も変化しました。2025年1月、日本共産党は穀田氏を常任幹部会委員から外す人事を発表する一方、幹部会委員、選挙対策局付として引き続き活動するとしています。

2025年には京都で終戦の日の街頭演説に参加するなど、国会議員勇退後も政治活動を続けています。

2026年9月時点では国会議員などの公職には就いていません。国政31年を経て、党内活動や京都での活動を続ける元衆議院議員という位置づけになっています。

穀田恵二氏の国会発言をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の国会発言まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

被災者の生活再建支援

選挙制度と民意の反映

政治資金と企業・団体献金

外交・安全保障と専守防衛

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

穀田恵二氏の現在情報

2026年9月26日 時点
現在の所属 日本共産党
現在の主な役職
日本共産党幹部会委員 日本共産党選挙対策局付

2024年10月の衆議院解散をもって国会議員を勇退した後も、日本共産党で活動を継続している。

選挙歴 穀田恵二の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
第40回衆議院議員総選挙
定数:5 比例復活:なし
衆議院初当選
旧京都 1区 日本共産党 当選 77,708票 1位
第41回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
小選挙区比例代表並立制導入後、京都1区との重複立候補
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 60,441票(小選挙区) 2位(小選挙区)
第42回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
衆議院3期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 68,493票(小選挙区) 2位(小選挙区)
第43回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
衆議院4期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 50,762票(小選挙区) 3位(小選挙区)
第44回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
衆議院5期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 55,097票(小選挙区) 3位(小選挙区)
第45回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
衆議院6期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 54,605票(小選挙区) 3位(小選挙区)
第46回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
衆議院7期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 41,349票(小選挙区) 3位(小選挙区)
第47回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
比例近畿ブロック日本共産党名簿1位。衆議院8期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 53,379票(小選挙区) 2位(小選挙区)
第48回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
比例近畿ブロック日本共産党名簿1位。衆議院9期目
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 61,938票(小選挙区) 2位(小選挙区)
第49回衆議院議員総選挙
定数:1 比例復活:あり
衆議院10期目。最後の国政選挙
京都1区/比例近畿ブロック 日本共産党 比例当選 65,201票(小選挙区) 2位(小選挙区)
政治人生の転機 穀田恵二の政治人生の転機
01
1987年
京都市議として初めて公職に就く
日本共産党職員から京都市会議員選挙に立候補し、北区で初当選しました。
なぜ転機なのか 政党職員として政治活動を支える立場から、自ら選挙で選ばれる公職者へ移ったため。
02
1993年7月
旧京都1区で衆議院初当選
第40回衆院選で77,708票を獲得し、定数5の旧京都1区でトップ当選しました。
なぜ転機なのか 地方政治から国政へ活動の場を移し、その後31年間続く国会議員活動が始まったため。
03
1996年
比例近畿ブロックで議席を維持
新しい小選挙区比例代表並立制の最初の総選挙で京都1区は2位となり、比例代表で再選しました。
なぜ転機なのか 以後、京都1区を活動基盤としつつ比例近畿ブロックで議席を得る政治経歴が続いたため。
04
2024年10月
衆議院議員を勇退
10期31年間の国会議員活動を終え、2024年の衆院選には立候補しませんでした。
なぜ転機なのか 国会議員としての活動を終え、その後は日本共産党の幹部会委員・選挙対策局付など党内活動へ軸足を移したため。
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
選挙・公的資料

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