湯崎英彦の経歴・学歴と生い立ち|通産官僚・起業家から広島県知事4期16年へ

湯崎英彦
ひと目でわかるプロフィール 湯崎英彦
ゆざき ひでひこ
出身地
広島県広島市佐伯区
初当選
2009年(広島県知事選挙)
最終学歴
スタンフォード大学経営大学院修了(経営学修士・MBA)
主な前職
会社経営者、官僚・国家公務員
政界入り
民間企業から
生年月日 1965年10月4日
血液型 O型

湯崎英彦氏は、通商産業省の官僚と通信ベンチャーの経営を経験した後、広島県政を16年間担った人物です。行政一筋でも政治家秘書出身でもなく、官僚、シリコンバレー、起業という異なる現場を通って県庁のトップになりました。

その歩みをたどると、広島で星を追った少年時代、米国留学、東京での学生生活、官僚時代の海外経験、会社経営、そして知事として取り組んだ対話、子育て、災害復興、産業、教育、平和の仕事が一本の時間軸で見えてきます。

湯崎英彦氏を理解する3つのポイント
  1. 官僚・シリコンバレー・通信ベンチャーを経験して行政トップへ進んだ
  2. 対話と実証を重ね、働き方・教育・イノベーションへ施策を広げた
  3. 被爆地から国際社会へ平和を発信し、4期の県政を担った

湯崎英彦の生い立ち|広島の海辺で星を追い、高校時代には米国へ

湯崎氏は1965年10月4日、現在の広島市佐伯区にあたる地域で生まれました。広島市立五日市南小学校から広島大学附属中学校へ進み、20歳になる年まで広島で暮らしています。

小学生のころに夢中になったのが天文でした。望遠鏡を担いで、現在の楽々園小学校付近まで出かけ、当時は今より近かった海辺で木星や土星を眺め、写真も撮っていたと振り返っています。夜空を自分の目で確かめることに熱中する少年でした。

「『天文』にハマってましたね。」

出典:日刊わしら「じゃね! ト――ク vol.1」(公開日記載なし)

広島大学附属中学校ではブラスバンドにも入り、ギターにも親しみました。その後、広島大学附属高等学校へ進学。高校在学中には1年間、米国へ留学しています。

県政を離れた後も、広島のテレビ番組を広島弁で紹介するなど、地元の言葉をそのまま使った発信が見られます。

湯崎英彦の学歴|東京大学ではアメリカンフットボールに打ち込む

学歴一覧湯崎英彦の学校歴
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区分学校名学部・専攻現在の偏差値・難易度備考
小学校広島市立五日市南小学校――広島市
中学校広島大学附属中学校―――
高校広島大学附属高等学校―74(2026年度版)―
大学東京大学法学部67.5(文科一類・2027年度参考)卒業
大学院スタンフォード大学経営大学院MBA日本式の偏差値なし修了

※海外MBAは日本式偏差値で比較していません。

高校卒業後、二十歳の年は広島で浪人生活を送り、翌年に東京へ出ました。広島を離れて東京で暮らし始めた当初は、環境の変化に慣れるまで苦労したと後年語っています。

東京大学法学部では、勉強だけでなくアメリカンフットボール部の活動に多くの時間を使いました。アルバイトにも取り組み、4年生のころには競技中に鼻を骨折した経験もあります。

「アメフト部の活動やバイトに一生懸命でした」

出典:LIFULL HOME’S PRESS「『工業県広島をイノベーションで活性化する』。広島県知事・湯崎英彦氏に聞いた“二十歳のころ”」(2024年4月6日)

1990年3月に東京大学法学部を卒業すると、翌4月に通商産業省へ入りました。自動車などを所管する機械情報産業局、資源エネルギー庁、通商政策局などで勤務し、行政の側から産業政策や国際経済に関わることになります。

スポーツとの接点は後年の発信にもあります。2026年2月にはイタリア・リヴィーニョから、広島ゆかりのスノーボードアルペン選手・竹内智香氏を応援する様子を投稿しました。

湯崎英彦の経歴|通産官僚からシリコンバレーへ、そして通信ベンチャー創業

通産省在職中の1995年、スタンフォード大学経営大学院を修了し、MBAを取得しました。同年には資源エネルギー庁原子力産業課の課長補佐、その後は通商政策局米州課の課長補佐などを務めています。

さらに1998年、米国のベンチャーキャピタル、イグナイト・グループへ出向しました。シリコンバレーで起業家や投資家が集まる環境を内側から経験したことは、帰国後の進路だけでなく、後に本人が語ったイノベーション政策の考え方にも現れます。

2000年3月に通産省を退官すると、ブロードバンド通信会社のアッカ・ネットワークスを創業し、代表取締役CEOに就任しました。官僚から民間へ転職するだけでなく、自ら事業を立ち上げる側へ回ったのです。

「成功するまでやれば、成功する」

出典:創業手帳「広島県知事 湯崎 英彦|【第一回】『起業家知事』が語る、広島県のイノベーション改革3つのポイント」(2024年1月25日更新)

アッカ・ネットワークスではその後、代表取締役副社長などを務め、会社は株式公開へ進みました。2008年3月に取締役を退任すると、Office Yのエグゼクティブパートナーとして、企業の戦略、財務、組織やスタートアップ支援などに携わりました。

退任後の2026年には、インターネット勃興期の通産省から通信ベンチャーの起業・上場までを振り返る対談も紹介しています。

009年、広島へ戻って知事選に挑む

長く広島を離れていた湯崎氏が故郷へ戻る大きな節目となったのが、2009年の広島県知事選挙です。本人は後年、生まれてから20歳になる年まで広島で暮らし、その後いったん県外へ出て、「県知事になるタイミング」で戻ったと振り返っています。

知事選には無所属で立候補しました。官僚時代の行政経験、米国で見たベンチャー投資、通信会社の経営という経路を経て、2009年11月8日の広島県知事選で初当選。同月29日に知事へ就任しました。

県政を離れた後も広島との接点は続いています。2026年2月には広島東洋カープの日南キャンプを訪れ、選手を激励した際の様子を投稿しました。

鞆の浦では「架橋ありき」を外して住民対話へ

就任直後に向き合った課題の一つが、福山市・鞆の浦の道路整備でした。長く進められてきた鞆港の埋立・架橋計画をめぐり、景観保全と交通問題への対応が争点になっていました。

2009年12月の記者会見で湯崎氏は、すぐに「橋を架けない」と決めるのではなく、「架けることありき」という前提を外して議論する考えを示しました。橋を造る側、造らない側のどちらかを結論として先に置くのではなく、住民との協議を進める方針でした。

2010年から2012年にかけて住民協議会が重ねられ、県は2012年6月25日に埋立架橋計画を撤回しました。その後は山側トンネルを軸とする交通処理と、鞆地区のまちづくりを組み合わせた総合的な対策へ移っています。

自ら育児の時間を取り、管理職には「イクボス」を求める

2010年、第三子の誕生を前に、湯崎氏は県庁の休暇制度を使って育児に参加すると表明しました。約1カ月の期間中、知事の職務そのものは続けながら、1日に数時間を時間単位の休暇として取得し、育児に充てる方式でした。

「育児は社会全体において重要な活動である」

出典:広島県「平成22年11月4日(木曜日) 子育てしやすい環境づくりに取り組んでいきます」(2010年11月4日)

その取り組みは、本人だけが休暇を取る段階で終わりませんでした。2015年1月14日には、都道府県知事として初めて「イクボス宣言」を行いました。部下の仕事と家庭生活の両立を支える管理職を増やす取り組みへ広げています。

平成30年7月豪雨から「創造的復興」へ

2018年7月、西日本を襲った記録的な豪雨で広島県内でも土砂災害や浸水被害が相次ぎました。知事3期目の県政は、発災直後の救助・応急対応から、道路や河川、生活基盤、地域経済を立て直す長期的な復旧・復興へ入っていきます。

県が2019年度当初予算で掲げた考え方が、災害前の状態へ戻すだけにとどまらない「創造的復興」でした。復旧工事だけを独立させず、地域が抱えていた課題への対応も含めて、より良い状態を目指す方針として予算へ組み込まれました。

「ひろしまサンドボックス」で実証と試行錯誤の場をつくる

災害対応と同じ2018年、産業分野では別の取り組みも始まりました。4月にスタートした「ひろしまサンドボックス」です。

AI、IoT、ビッグデータなどの技術を使い、企業や大学、行政などが組みながら地域や産業の課題を実証する仕組みで、当初3年間に10億円規模の事業として進められました。完成した技術を行政が購入するのではなく、広島を試行錯誤できるフィールドとして開く発想です。

湯崎氏は起業家向けのインタビューで、シリコンバレーで働いた経験から、イノベーションには起業家本人だけでなく挑戦が育つ「土壌」や環境が重要だと説明しています。サンドボックスは、その環境を行政側からつくる政策の一つとなりました。

教育を「知っている」から「知識を使う」方向へ

教育分野では、2014年から「学びの変革」を掲げました。知識を覚えることだけでなく、得た知識を活用し、人と協働しながら新しい価値を生み出す学びへ比重を移す取り組みです。

県が重視したのは、自ら課題を見つけて解決策を考えることや、異なる文化・背景を持つ人との協働でした。学校教育の授業や学習方法だけでなく、教員の指導や教育環境を含めた改革として進められています。

この「学びの変革」は、後に広島県公立大学法人が設置した叡啓大学の構想にもつながりました。知事退任後、湯崎氏自身が同大学の客員教授となった際にも、大学側は「学びの変革」を大学創設の背景として紹介しています。

被爆地の知事として、核兵器廃絶を国際社会へ訴える

広島県知事には、国内行政の責任者とは別に、被爆地を代表して核兵器の問題を発信する役割があります。湯崎氏は2016年のインタビューで、平和問題へ関心を持った特別な一つの出来事があったわけではなく、広島で育つ中で「核兵器はなくすべきもの」という感覚を持つようになったと話しています。

「被爆者に頼り切らないで核兵器廃絶に向けて力を発揮する」

出典:東大新聞オンライン「8月、被爆地から考える平和 東大卒の広島県知事はオバマ大統領の訪問をどう見たか」(2016年8月31日)

2022年には広島サミット県民会議会長として、翌年のG7広島サミットに向けた要望を岸田文雄首相らへ提出しました。各国首脳による平和記念資料館の訪問、被爆者との対話、原爆死没者慰霊碑への献花、若い世代の参画などを求めています。

2023年5月19日から21日にはG7広島サミットが開催されました。各国首脳が広島へ集まり、平和記念資料館を訪問し、慰霊碑へ献花する機会が実現しました。

知事退任後の2025年12月には、被爆電車からのテレビ生中継に出演することをXでも告知しています。

4期16年で広島県政を終える

初当選後、湯崎氏は2013年、2017年、2021年の知事選でも当選し、4期16年にわたって県政を担いました。知事在任中には政策改革だけでなく、大規模災害や新型コロナウイルス感染症への対応など、迅速な判断を求められる局面も続きました。

退任日の記者会見では、判断が特に難しかったものとして新型コロナ対応を挙げています。感染から命を守ることと、営業や雇用を通じて生活を支えることの両方を考えなければならず、その間で決断を重ねたと振り返りました。

一方、県政を離れる時点でも課題がなくなったわけではありません。若い世代を中心とする人口の社会減に加え、出生数と死亡数の差による自然減という構造的な人口問題を、退任会見で残された課題として挙げています。

2025年11月28日、4期目の任期を終えて広島県知事を退任しました。16年間という時間について、最後の記者会見では次のように語っています。

「やはり短かったです。」

出典:広島県「知事記者会見(令和7年11月28日)」(2025年11月28日)

退任後最初の平日には、16年ぶりに公職のない一日を迎え、あいさつ回りの合間にコーヒーを飲みながら過ごす様子を投稿しました。

政治人生の転機 湯崎英彦の政治人生の転機
01
2000年3月
通産省を離れ、通信ベンチャーを創業
通商産業省を退官し、アッカ・ネットワークスを共同創業して代表取締役CEOに就任した。
なぜ転機なのか 官僚から起業家へ進路を変え、民間企業の経営を担う立場へ移ったため。
02
2009年11月
広島県知事選で初当選
無所属で広島県知事選へ立候補し、初当選。11月29日に知事へ就任した。
なぜ転機なのか 官僚・企業経営の経験を経て、選挙で選ばれる行政トップへ転じたため。
03
2025年11月
4期16年の県政を終える
4期務めた広島県知事を11月28日に退任した。
なぜ転機なのか 16年間の知事職を終え、大学教育や企業経営への助言などへ活動領域を移したため。

湯崎英彦氏の対話スタイルを動画で見る

2020年12月に安芸高田市で行われた県民対話では、地域で活動する人たちと湯崎氏が長時間にわたって意見を交わしています。演説ではなく、相手の話を聞きながらやり取りする場面を映像で確認できます。

湯崎英彦氏の記者会見をテーマ別に見る

一次情報を深掘り

記事本文で扱ったテーマを、本人の記者会見まで深掘りできます。まずは代表的な発言を表示し、関連発言があるテーマだけ追加で確認できます。

若者の定着と人口減少対策

AI・デジタルと産業成長

被爆80年と核兵器廃絶

※ 内容の要点は公式一次情報をもとに整理しています。正確な文脈・全文は各リンク先の公式資料から確認できます。

湯崎英彦氏の現在情報

2026年9月10日 時点
現在の所属 無所属
現在の主な役職
慶應義塾大学特任教授 県立広島大学客員教授 広島大学客員教授 叡啓大学客員教授 ソフトバンク株式会社社外取締役

2025年11月に4期16年の広島県知事職を退任。2026年は大学教育と企業統治の場へ活動を広げ、政治活動も何らかの形で当面続ける意向を示している。

関連書籍
湯崎英彦さんの著書・関連書籍
しごとの「強化」書 成果志向の行政経営
書籍
しごとの「強化」書 成果志向の行政経営
著者:広島県マネジメント研究会/湯崎英彦 / 出版社:ぎょうせい / 発売日:2016年08月
巨大通信ベンチャーの軌跡 ブロードバンドをめぐる攻防
書籍
巨大通信ベンチャーの軌跡 ブロードバンドをめぐる攻防
著者:湯崎英彦 / 出版社:日経BP / 発売日:2009年10月

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選挙歴 湯崎英彦の選挙歴
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年月日選挙選挙区・地域所属結果得票・順位
広島県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
新人。初当選。
広島県 無所属 当選 395,638票 1位
広島県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
現職。2選。
広島県 無所属 当選 646,316票 1位
広島県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
現職。3選。
広島県 無所属 当選 647,315票 1位
広島県知事選挙
定数:1 比例復活:該当なし
現職。4選。
広島県 無所属 当選 707,371票 1位
人生年表 湯崎英彦さんの歩み
1965年10月4日
広島市に生まれる
現在の広島市佐伯区にあたる地域で育つ
1978年3月
広島市立五日市南小学校を卒業
1981年3月
広島大学附属中学校を卒業
1985年3月
広島大学附属高等学校を卒業
高校在学中に1年間米国へ留学
1990年3月
東京大学法学部を卒業
1990年4月
通商産業省に入省
1995年6月
スタンフォード大学経営大学院を修了
経営学修士(MBA)を取得
1998年8月
米国ベンチャーキャピタルのイグナイト・グループへ出向
シリコンバレーで勤務
2000年3月
通商産業省を退官し、アッカ・ネットワークスを創業
代表取締役CEOに就任
2008年3月
アッカ・ネットワークスを退任
Office Yで経営コンサルティング等に従事
2009年11月8日
広島県知事選挙で初当選
2009年11月29日
広島県知事に就任
2018年7月
平成30年7月豪雨への災害対応を指揮
復旧・復興を進める
2023年5月
G7広島サミットを迎える
広島サミット県民会議会長として受入れに携わる
2025年11月28日
広島県知事を退任
4期16年で県政を離れる
2026年4月
県立広島大学・広島大学の客員教授に就任
2026年6月
慶應義塾大学特任教授、ソフトバンク社外取締役に就任
2026年7月
叡啓大学客員教授に就任
参考・出典 この記事で参照した主な資料
公式・一次情報
報道・インタビュー

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